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第271話 作業標準書の作り方

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「作業標準書を作りたい?」

 オーリスが唐突にそんな要求をしてきた。
 この場所はオーリスの運営する冒険者ギルドの執務室だ。
 今期も重点管理冒険者ギルドに指定されたため、本部にたいして改善の進捗を報告しなければならないのだ。
 そんな制度を考えたやつを埋めたい。
 まあ、あまりにも改善が見られない冒険者ギルドは、本部からのフランチャイズ契約を解除され、他の冒険者ギルドとの提携が結べなくなるのだ。
 依頼人も本部の裏書き無しの冒険者ギルドに仕事を出すリスクを考えると、どうしても敬遠してしまう。
 勿論、冒険者だってそんなギルドの仕事は受けない。
 なので、重点管理冒険者ギルドに指定されたところは、必死で改善活動を行うのだ。
 経営者が余程阿保じゃなければ。
 余程阿保じゃなければ。
 大切なことなので二回言いました。

「繰り返しの作業なら作業標準書を作って教育すればいいんでしょ。アルトのスキル程じゃないけど、効果があるならやってみたいですわ」

 オーリスはため息混じりにそう言った。
 作業標準書の効果なんてあるようで無いものだ。
 本人たちの気持ち次第だな。
 作るというなら止めないが、うまく活用できるかどうかまでは責任が持てない。

「そうか。じゃあ食堂に行ってみよう。そこで具体的な例をあげて作り方を教えるよ」

「はい」

 オーリスと一緒に食堂に移動すると、俺はそこでステーキを二人前注文した。

「料理の作業標準書をつくるのでは?」

 オーリスが不思議そうな顔をした。

「料理よりも説明しやすいんだよ」

 そうは言ってみたが、実際は俺が料理についてはよく知らないから、作業標準書をつくるのは出来ないのだ。
 スキルでつくったものはあるが、それは説明するには不向きだ。
 やはり、きちんと理解しているものでやりたい。

 しばらくして、ステーキがテーブルに運ばれてきた。

「ここからが作業標準書に書くことになるからね」

 そう言うと、オーリスは真剣な顔で頷いた。

「まずは右手でナイフを持って、左手でフォークを持つ。ここで重要になる作業の急所は、ナイフの刃を下に向けることだ。作業はナイフを持つこと。急所は刃を下に向けること。急所の理由は、刃の向きを間違うとステーキが切れないからだね」

 ナイフの刃の向きには意味がある。
 後の動作で肉を切るときに、刃の向きが重要になってくるからだ。
 当然フォークの向きも決まっている。
 これを単にナイフとフォークを持つとしてしまうと、この作業を全く知らない人間は肉を切ることが出来ない。

「次に、切りたい場所の近くにフォークを突き立てる。フォークを突き刺したところから遠くを切ろうとすると、肉が動いて切りにくいだろ?」

 俺は自分の目の前のステーキの左端にフォークを突き刺した。
 そして右端をナイフで切ろうとするが、肉が動いてしまい、なかなか切ることが出来ない。
 それをオーリスに見せた後に、今度はフォークの近くをナイフで切る。
 肉はフォークで押さえられているので、今度はすぐに切ることが出来た。

「これも急所だね」

 オーリスは俺がやったように、フォークから遠い場所と近い場所をナイフで切ってみた。

「とまあ、ステーキを切るだけでも、こうやって急所があるんだ。もっと細かいことを言うと、ナイフやフォークの角度も必要かもしれないし、引くときなのか押すときなのか、どちらに力をいれるとか、他にも色々あるんだけど、全部書くととても長くなるね」

「覚えきれませんわね」

 そう、そんな作業標準書を覚えるなんて、枕草子を諳じる方がよっぽど楽だ。
 他人の作った作業標準書を換骨奪胎してはみたが、短くすると勘やコツが表現できないし、長くすると読んでもらえなくなる。
 結局はどちらを選んでも駄目なんだよな。
 だから、極力ロボット化したいのだ。
 人間なんていらないよね。

「じゃあどうすれば?」

 オーリスは諦念に至り、ため息を漏らす。

「指導者が細かい作業標準書を覚えておいて、実務担当者には省略した形で指導することかな。いきなり全部を覚えることは無理だろうけど、だからといって、細かい作業の急所を誰かしらは知らないと不味いからね」

 結局、作業標準書なんて実務には使えない。
 それだけを見て誰でも同じことが出来るなら、熟練工の存在意義なんて無くなる。
 どこの会社でも作業標準書だけで、安い労働力で不良も出さずにやっているなんて事は無いのだ。
 いい加減現実を見てほしい。
 三現主義じゃないの?


※作者の独り言
オチまで行かずに言いたいことを言いきった。
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