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愛とオルゴール
(間話)イネス 2
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「ねえ、貴女、エヴァンとの子供が欲しいなら産んでいいわ」
そのお方はとてもとても美しい方だった。
頭の天辺から足の爪先まで完璧に整えられた、手の届かない美術品のような美しさ。
同じ女として、比べるのもおこがましい。嫉妬の気持ちなど持ちようがなかった。
坊ちゃま―――エヴァン様はご結婚なされた。エヴァン様は初め、私以外の女性と結婚はしたくないと言われていたが、そんなことは許されるはずもなかった。
そして、紆余曲折あった末にエヴァン様の最初のお友達である伯爵家の令息の姉である方が侯爵家に嫁いでこられた。
私は侯爵家の敷地にある別邸で暮らすことを許された。使用人たちの中には厳しい目を向けてくる人もいたし、私自身、これでよかったのかと自問することがないわけではないが、それでもエヴァン様と一緒にいられることは喜びだった。
ただ、私はエヴァン様と一緒にいることは許されたが、二人の間に子をもつことは許されていない。エヴァン様は私に申し訳ないと何度も謝ってくれた。
私は、正直に言えばエヴァン様との子を持ちたいという気持ちを捨てきれなかったが、それでもその思いは捨てなければならないものだとわかっていた。エヴァン様と一緒にいるためのたった一つの条件なのだから。
「もちろん、貴女の子はロートレック侯爵家を継ぐことはできないのよ。それは絶対に覆らない。もし、私がこの先男の子を産めないにしても、既にジェシカがいるわ。
そしてあの子が子供をもてなくても、エヴァンには父方に何人か従兄弟もいる。彼らは貴族令嬢と結婚しているかする予定でしょうから、そこに男の子が生まれればエヴァンの次の跡継ぎとする。
だから貴女の子にはどうやっても権利はないの。
エヴァンは……こう言っては悪いけれど少し甘いところがあるわね。でもお義父様はそうではないわ。親戚たちも黙ってはいない。もちろん、わたくしの実家もね。貴族とは何よりも血筋を重んじるものなの」
奥様は半年前に第一子であるジェシカ様をお産みになった。羨ましくないと言えば、妬ましくないと言えば嘘になる。
この偶然の出会いによって、初めて間近に奥様とお言葉を交わすことになってみると実感するのだ。
その美しさに嫉妬することはなくとも、愛する人との間に子をもった奥様への嫉妬の気持があると。
だが、それすら奥様の言葉によって別のものへと変わっていった。
「だから貴女が子を持つつもりなら、よくよく肝に命じておかなければいけないわ。エヴァンのことはあてにしないことね。あの人は甘く考えすぎているのよ。
お義父様は情に厚い方で確かに一人息子であるエヴァンを愛しているわ。だけど、決して家のことを蔑ろにするような方じゃないから、当主としてのエヴァンに見切りをつけることがないとは言えない。
それを忘れないで。
子供のことを思うなら貴女は子供を貴族として育てるのではなく平民として育てる必要があります。
なにも、お金も持たせずに放り出すと言っているんじゃなくて、何れは裕福な平民として一人立ちできるように育てなさいと言っているの。
貴女の子は侯爵家の跡継ぎだとは決して認められません。それでもいいと、子供は平民として育てるからという決意が持てるなら手遅れになる前に産みなさい」
私の目を見て奥様は続けた。
「わたくしはエヴァンのことはもとよりエヴァンとの子も愛さない。
だけれど、わたくしの子供として生まれた者の母親として言います。
わたくしの子供の権利を奪うことは決して許しません。もしわたくしの言葉を理解せずに子を産んだなら覚悟することね。
でも、貴女が私の言葉をきちんと理解し実行できるというのならば好きになさい」
私の心は怒涛のような奥様の言葉によって千々に乱れていたが、理解が及んでくると自然と頭が下がっていった。
奥様は私に許しを与えてくれたのだ。この家の他の誰も与えることのできない許しを。
奥様にエヴァン様との最初の子が出来たと知った時、課せられた条件を破ることを考えたこともある。だけど、そうしていなくて良かったと思った。
許されたから良かったのではなく、奥様のお言葉を聞かせてもらえたことが私や生まれてくるかもしれない子供のために良かった。
私には貴族のことはわからない。エヴァン様がそれが普通だと考えて子供をエヴァン様と同じように育てると言われれば疑問を感じることすらなかっただろう。
だが、そうしてはいけないのだと知った。子供は私と同じように育たなければならない存在なのだ。
そして子供がそのことに疑問を持つことがあれば私は教え諭さなければならない。
そのことを子供を持つ前に私自身がよくよく理解しておく必要があった。
そうでなければ、私が産む子は何れ不幸になる。
それに奥様に許されているのだと思えることがやはり嬉しい。誰に許されなくても奥様に許されたのだから、という安堵の気持ち。
私はエヴァン様との子を望んだ。奥様は甘いとおっしゃったが、私はエヴァン様の優しいところを愛している。
だから奥様以外の他の誰にも許されなくてもエヴァン様の子をこの手に抱くことをこの日決意した。
そのことを後悔したことはないし、私はエヴァン様とリカルドを愛している。
だからこそ、奥様の言葉を忘れたことはない。
そして、奥様に生き写しのようなジェシカお嬢様が奥様と同じような言葉をリカルドにかけてくださった時にはこみ上げるものがあった。
私はお二人へのご恩を決して忘れることはないだろう。
どうか、エヴァン様が馬鹿な考えを捨ててくれますように。
リカルドがずっと幸せでいられますように。
そして、奥様のお子様方の行く先が素晴らしいものでありますようにと祈った。
そのお方はとてもとても美しい方だった。
頭の天辺から足の爪先まで完璧に整えられた、手の届かない美術品のような美しさ。
同じ女として、比べるのもおこがましい。嫉妬の気持ちなど持ちようがなかった。
坊ちゃま―――エヴァン様はご結婚なされた。エヴァン様は初め、私以外の女性と結婚はしたくないと言われていたが、そんなことは許されるはずもなかった。
そして、紆余曲折あった末にエヴァン様の最初のお友達である伯爵家の令息の姉である方が侯爵家に嫁いでこられた。
私は侯爵家の敷地にある別邸で暮らすことを許された。使用人たちの中には厳しい目を向けてくる人もいたし、私自身、これでよかったのかと自問することがないわけではないが、それでもエヴァン様と一緒にいられることは喜びだった。
ただ、私はエヴァン様と一緒にいることは許されたが、二人の間に子をもつことは許されていない。エヴァン様は私に申し訳ないと何度も謝ってくれた。
私は、正直に言えばエヴァン様との子を持ちたいという気持ちを捨てきれなかったが、それでもその思いは捨てなければならないものだとわかっていた。エヴァン様と一緒にいるためのたった一つの条件なのだから。
「もちろん、貴女の子はロートレック侯爵家を継ぐことはできないのよ。それは絶対に覆らない。もし、私がこの先男の子を産めないにしても、既にジェシカがいるわ。
そしてあの子が子供をもてなくても、エヴァンには父方に何人か従兄弟もいる。彼らは貴族令嬢と結婚しているかする予定でしょうから、そこに男の子が生まれればエヴァンの次の跡継ぎとする。
だから貴女の子にはどうやっても権利はないの。
エヴァンは……こう言っては悪いけれど少し甘いところがあるわね。でもお義父様はそうではないわ。親戚たちも黙ってはいない。もちろん、わたくしの実家もね。貴族とは何よりも血筋を重んじるものなの」
奥様は半年前に第一子であるジェシカ様をお産みになった。羨ましくないと言えば、妬ましくないと言えば嘘になる。
この偶然の出会いによって、初めて間近に奥様とお言葉を交わすことになってみると実感するのだ。
その美しさに嫉妬することはなくとも、愛する人との間に子をもった奥様への嫉妬の気持があると。
だが、それすら奥様の言葉によって別のものへと変わっていった。
「だから貴女が子を持つつもりなら、よくよく肝に命じておかなければいけないわ。エヴァンのことはあてにしないことね。あの人は甘く考えすぎているのよ。
お義父様は情に厚い方で確かに一人息子であるエヴァンを愛しているわ。だけど、決して家のことを蔑ろにするような方じゃないから、当主としてのエヴァンに見切りをつけることがないとは言えない。
それを忘れないで。
子供のことを思うなら貴女は子供を貴族として育てるのではなく平民として育てる必要があります。
なにも、お金も持たせずに放り出すと言っているんじゃなくて、何れは裕福な平民として一人立ちできるように育てなさいと言っているの。
貴女の子は侯爵家の跡継ぎだとは決して認められません。それでもいいと、子供は平民として育てるからという決意が持てるなら手遅れになる前に産みなさい」
私の目を見て奥様は続けた。
「わたくしはエヴァンのことはもとよりエヴァンとの子も愛さない。
だけれど、わたくしの子供として生まれた者の母親として言います。
わたくしの子供の権利を奪うことは決して許しません。もしわたくしの言葉を理解せずに子を産んだなら覚悟することね。
でも、貴女が私の言葉をきちんと理解し実行できるというのならば好きになさい」
私の心は怒涛のような奥様の言葉によって千々に乱れていたが、理解が及んでくると自然と頭が下がっていった。
奥様は私に許しを与えてくれたのだ。この家の他の誰も与えることのできない許しを。
奥様にエヴァン様との最初の子が出来たと知った時、課せられた条件を破ることを考えたこともある。だけど、そうしていなくて良かったと思った。
許されたから良かったのではなく、奥様のお言葉を聞かせてもらえたことが私や生まれてくるかもしれない子供のために良かった。
私には貴族のことはわからない。エヴァン様がそれが普通だと考えて子供をエヴァン様と同じように育てると言われれば疑問を感じることすらなかっただろう。
だが、そうしてはいけないのだと知った。子供は私と同じように育たなければならない存在なのだ。
そして子供がそのことに疑問を持つことがあれば私は教え諭さなければならない。
そのことを子供を持つ前に私自身がよくよく理解しておく必要があった。
そうでなければ、私が産む子は何れ不幸になる。
それに奥様に許されているのだと思えることがやはり嬉しい。誰に許されなくても奥様に許されたのだから、という安堵の気持ち。
私はエヴァン様との子を望んだ。奥様は甘いとおっしゃったが、私はエヴァン様の優しいところを愛している。
だから奥様以外の他の誰にも許されなくてもエヴァン様の子をこの手に抱くことをこの日決意した。
そのことを後悔したことはないし、私はエヴァン様とリカルドを愛している。
だからこそ、奥様の言葉を忘れたことはない。
そして、奥様に生き写しのようなジェシカお嬢様が奥様と同じような言葉をリカルドにかけてくださった時にはこみ上げるものがあった。
私はお二人へのご恩を決して忘れることはないだろう。
どうか、エヴァン様が馬鹿な考えを捨ててくれますように。
リカルドがずっと幸せでいられますように。
そして、奥様のお子様方の行く先が素晴らしいものでありますようにと祈った。
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