1 / 26
プロローグ
しおりを挟む
―――
その男――は、晴れ渡った空を眩しそうに見上げた。
雲一つない青空。こんな空をいったいいつから見ていないだろう。
真剣に考えそうになって、一人苦笑した。
そもそも空を見上げるなんて余裕は自分にはなかった。毎日毎日、必死に働いて……
朝はまだボーッとする頭のまま満員電車に揺られ、会社に着けばパソコンと睨めっこ。
会議という名の無駄な時間がずっと続き、帰宅は日付も変わる真夜中、なんて生活を何年も続けた。
そしていくら遅く一日を終わらせても、またすぐに朝が来る。
そんな毎日を何の抵抗もなく過ごしていたのだ。
だけどそれが苦痛だった訳じゃない。むしろ当たり前だと思っていた。こんな生活が出来ない奴の方が低能だと嘲笑っていたのだ。自分は誰よりも優秀であると驕っていたのだ。
そう、あの日までは………
―――
#
古びた電車に揺られ、福島研次はボーッと窓の外を見つめていた。
過ぎ去る景色が平和な田園風景に変わっていく。
その横顔には憂いと、どこか懐かしむような表情が浮かんでいた。
研次は東京の会社に勤めていた。一流大学を出てエリートとして会社に入社。新人時代からその才覚を発揮し、様々な実績を上げてきた。
だがそこで挫折を経験した。
会社を辞め、思いきって自分の事を誰も知らない街に行く事を決意したのである。
顔立ちは極めて端整で女性にはモテそうな研次だが、本人は至ってそういう事には疎く、仕事一筋な青年であった。
学生時代も勉強ばかりしていたし、そもそも異性に興味がなかったので彼女ができる訳もなかったのだ。
だけど研次にとってはそれが当たり前の事で、むしろ一人の方が楽だった。
それが40に手が届きそうな年齢になっても結婚できない理由の一つであった。
そろそろ駅に着く時間になりそうだと自分の腕時計に目をやる。
あともう少しだ。
これから始まる新しい生活に少々の不安と期待を膨らませながら、研次は一つ深呼吸をした。
「次は~⚪⚪~⚪⚪~」
「電車が揺れますので、停車するまでなるべく席を立たないで下さい。」
自分が降りる駅のアナウンスが流れる。研次は天井から聞こえる声に倣って動かずにいたが、ほとんどの人がアナウンスを無視して席を立っている。研次はそんな様子を肩を竦めながら眺めていた。
減速していく感覚を味わいながら、研次はふと少し離れた所にいるお婆さんの姿を目に留めていた。
背の低いその人は、精一杯背伸びをして荷物を降ろそうとしている。
手伝おうかと思い一歩足を踏み出そうとした、その時だった。
『キキィーー!』
けたたましい音と共に電車が揺れ、研次の体もぐらりと前のめりになった。悲鳴が響き渡る。
研次は咄嗟に前の座席の背もたれに掴まった。周りの人達も傍にあった椅子の背もたれや吊革に掴まっている様子だ。
一安心したのも束の間、研次はハッとして先程のお婆さんの姿を探した。
「大丈夫ですか!」
その人は落ちてきた荷物の下敷きになって倒れていた。慌てて駆け寄る。
荷物の方は思ったより軽かった。それを退かして、うつ伏せになって少し横を向いた顔をのぞき込んだ。
「お婆さん!大丈夫ですか?しっかりして下さい!」
頭を打っているかも知れないと思い、あまり動かさないようにする。そして研次は更に呼びながら、肩を叩いた。
「う~……ん…」
何度目かの呼びかけに小さくではあるが反応があった。
研次はホッとため息を吐いた。
「大丈夫でしたか?お怪我された方は……」
血相を変えて車掌が出てくる。彼はお婆さんの姿を見て言葉を切ると、更に慌てながら大声を出した。
「た、大変だ!駅の方に連絡して救急車呼んでもらわないと!あ、皆さん!他にお怪我された方はいらっしゃいませんか?」
「私達は大丈夫のようです。それより……」
「そうですね!とりあえずもうすぐ駅に着きますので、お待ち下さい!」
研次が傍らのお婆さんを心配そうに見ながらそう言うと、車掌は僅かに頷き幾分か落ち着いた様子で乗客全員を見渡した。
そして最後に研次と目が合うと、深々と頭を下げて飛び出して行った。
「大丈夫なんですか?」
まだ若そうな女性が後ろの方から近づいてきながら研次を見る。
研次は微笑みながら答えた。
「ええ、心配いらないと思いますよ。意識はあるようです。」
「そうですか……」
「良かったねぇ、ママ。」
「そうね。」
その女性と子どものやり取りのおかげで、その場に和やかな空気が流れる。
研次も思わず微笑んだ。
それからすぐに電車は駅に到着し、待機していた救急車でお婆さんは近くの病院へと運ばれていった。
大丈夫だとは思ったがやはり心配だったので、研次は一応一緒に乗っていく事にした。
ある晴れた日の、突然の出来事だった……
.
その男――は、晴れ渡った空を眩しそうに見上げた。
雲一つない青空。こんな空をいったいいつから見ていないだろう。
真剣に考えそうになって、一人苦笑した。
そもそも空を見上げるなんて余裕は自分にはなかった。毎日毎日、必死に働いて……
朝はまだボーッとする頭のまま満員電車に揺られ、会社に着けばパソコンと睨めっこ。
会議という名の無駄な時間がずっと続き、帰宅は日付も変わる真夜中、なんて生活を何年も続けた。
そしていくら遅く一日を終わらせても、またすぐに朝が来る。
そんな毎日を何の抵抗もなく過ごしていたのだ。
だけどそれが苦痛だった訳じゃない。むしろ当たり前だと思っていた。こんな生活が出来ない奴の方が低能だと嘲笑っていたのだ。自分は誰よりも優秀であると驕っていたのだ。
そう、あの日までは………
―――
#
古びた電車に揺られ、福島研次はボーッと窓の外を見つめていた。
過ぎ去る景色が平和な田園風景に変わっていく。
その横顔には憂いと、どこか懐かしむような表情が浮かんでいた。
研次は東京の会社に勤めていた。一流大学を出てエリートとして会社に入社。新人時代からその才覚を発揮し、様々な実績を上げてきた。
だがそこで挫折を経験した。
会社を辞め、思いきって自分の事を誰も知らない街に行く事を決意したのである。
顔立ちは極めて端整で女性にはモテそうな研次だが、本人は至ってそういう事には疎く、仕事一筋な青年であった。
学生時代も勉強ばかりしていたし、そもそも異性に興味がなかったので彼女ができる訳もなかったのだ。
だけど研次にとってはそれが当たり前の事で、むしろ一人の方が楽だった。
それが40に手が届きそうな年齢になっても結婚できない理由の一つであった。
そろそろ駅に着く時間になりそうだと自分の腕時計に目をやる。
あともう少しだ。
これから始まる新しい生活に少々の不安と期待を膨らませながら、研次は一つ深呼吸をした。
「次は~⚪⚪~⚪⚪~」
「電車が揺れますので、停車するまでなるべく席を立たないで下さい。」
自分が降りる駅のアナウンスが流れる。研次は天井から聞こえる声に倣って動かずにいたが、ほとんどの人がアナウンスを無視して席を立っている。研次はそんな様子を肩を竦めながら眺めていた。
減速していく感覚を味わいながら、研次はふと少し離れた所にいるお婆さんの姿を目に留めていた。
背の低いその人は、精一杯背伸びをして荷物を降ろそうとしている。
手伝おうかと思い一歩足を踏み出そうとした、その時だった。
『キキィーー!』
けたたましい音と共に電車が揺れ、研次の体もぐらりと前のめりになった。悲鳴が響き渡る。
研次は咄嗟に前の座席の背もたれに掴まった。周りの人達も傍にあった椅子の背もたれや吊革に掴まっている様子だ。
一安心したのも束の間、研次はハッとして先程のお婆さんの姿を探した。
「大丈夫ですか!」
その人は落ちてきた荷物の下敷きになって倒れていた。慌てて駆け寄る。
荷物の方は思ったより軽かった。それを退かして、うつ伏せになって少し横を向いた顔をのぞき込んだ。
「お婆さん!大丈夫ですか?しっかりして下さい!」
頭を打っているかも知れないと思い、あまり動かさないようにする。そして研次は更に呼びながら、肩を叩いた。
「う~……ん…」
何度目かの呼びかけに小さくではあるが反応があった。
研次はホッとため息を吐いた。
「大丈夫でしたか?お怪我された方は……」
血相を変えて車掌が出てくる。彼はお婆さんの姿を見て言葉を切ると、更に慌てながら大声を出した。
「た、大変だ!駅の方に連絡して救急車呼んでもらわないと!あ、皆さん!他にお怪我された方はいらっしゃいませんか?」
「私達は大丈夫のようです。それより……」
「そうですね!とりあえずもうすぐ駅に着きますので、お待ち下さい!」
研次が傍らのお婆さんを心配そうに見ながらそう言うと、車掌は僅かに頷き幾分か落ち着いた様子で乗客全員を見渡した。
そして最後に研次と目が合うと、深々と頭を下げて飛び出して行った。
「大丈夫なんですか?」
まだ若そうな女性が後ろの方から近づいてきながら研次を見る。
研次は微笑みながら答えた。
「ええ、心配いらないと思いますよ。意識はあるようです。」
「そうですか……」
「良かったねぇ、ママ。」
「そうね。」
その女性と子どものやり取りのおかげで、その場に和やかな空気が流れる。
研次も思わず微笑んだ。
それからすぐに電車は駅に到着し、待機していた救急車でお婆さんは近くの病院へと運ばれていった。
大丈夫だとは思ったがやはり心配だったので、研次は一応一緒に乗っていく事にした。
ある晴れた日の、突然の出来事だった……
.
0
あなたにおすすめの小説
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
【完結】25年の人生に悔いがあるとしたら
緋水晶
恋愛
最長でも25歳までしか生きられないと言われた女性が20歳になって気づいたやり残したこと、それは…。
今回も猫戸針子様に表紙の文字入れのご協力をいただきました!
是非猫戸様の作品も応援よろしくお願いいたします(*ˊᗜˋ)
※イラスト部分はゲームアプリにて作成しております
もう一つの参加作品「私、一目惚れされるの死ぬほど嫌いなんです」もよろしくお願いします(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
国宝級イケメンとのキスは最上級に甘いドルチェみたいに、私をとろけさせます
はなたろう
恋愛
人気アイドルとの秘密の恋愛♡コウキは俳優やモデルとしても活躍するアイドル。クールで優しいけど、ベッドでは少し意地悪でやきもちやき。彼女の美咲を溺愛し、他の男に取られないかと不安になることも。出会いから交際を経て、甘いキスで溶ける日々の物語。
★みなさまの心にいる、推しを思いながら読んでください
◆出会い編あらすじ
毎日同じ、変わらない。都会の片隅にある植物園で働く美咲。
そこに毎週やってくる、おしゃれで長身の男性。カメラが趣味らい。この日は初めて会話をしたけど、ちょっと変わった人だなーと思っていた。
まさか、その彼が人気アイドル、dulcis〈ドゥルキス〉のメンバーだとは気づきもしなかった。
毎日同じだと思っていた日常、ついに変わるときがきた。
◆登場人物
佐倉 美咲(25) 公園の管理運営企業に勤める。植物園のスタッフから本社の企画営業部へ異動
天見 光季(27) 人気アイドルグループ、dulcis(ドゥルキス)のメンバー。俳優業で活躍中、自然の写真を撮るのが趣味
お読みいただきありがとうございます!
★番外編はこちらに集約してます。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/693947517
★最年少、甘えん坊ケイタとバツイチ×アラサーの恋愛はじめました。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/408954279
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる