虹色の季節

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17、訪問――真意

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―――



研次は先程から自分の部屋で、携帯を手に取ったり布団に投げたりと意味のない事を繰り返していた。

「はぁ~……」
何度目かのため息の後、研次は布団の上に後ろから倒れ込んだ。

あれから前園春香には会っていない。会う理由がないし何より気まずくて、きぬの手紙を受け取ったあの日からもう二週間も経っていた。

きぬが亡くなってしまった今、二人を繋ぐものは全くと言っていい程ない。もちろん連絡先は知っているが、かける勇気などなかった。

「どうしたらいいんだろう……」
寝転んだままそう呟くと、窓の外を眺めた。

外は快晴、夏真っ盛りだ。
研次の部屋にはクーラーなんてないので部屋はサウナ状態だったが、射すような外の日差しに比べれば多少マシだった。

ふと、きぬがいたらこんな自分たちの状態をどう思うだろうと妄想して、自嘲気味に笑った。
そんな愚かな思いを打ち消すように顔をパンッと叩くと、汗で濡れてしまったシャツを着替えようと立ち上がった。

『ピンポーン』
その時部屋中に玄関のチャイムの音が響き渡る。

この部屋に引っ越してきて初めて鳴った聞き慣れない音に一瞬反応が遅れたが、肩を上下に動かして息を一つつくと玄関のドアの前に立った。

「はい、どなたですか?」
「あの……私です。」
まさかの人物の声に危うく足を踏み外しそうになった。
慌てて体勢を立て直す。

「……どうして?」
ゆっくりドアを開けるとついさっきまで頭の中で思い浮かべていた姿が、そっくりそのまま目の前にあった。

『どうして来たのか?』『どうしてここがわかったのか?』という疑問が浮かんだが、気を取り直して彼女を見た。

「どうぞ。」
笑顔を作って片手で部屋の中を示すが、うまく笑えているかは怪しかった。

「お邪魔します……」
彼女――春香は小さくそう呟くと、おずおずといった感じで入ってきた。

「コーヒーぐらいしかないけどいいですか?」
「あ、いやあの、おかまいなく……」
布団を押しやって何とか作ったスペースに春香を座らせると、研次はそそくさとキッチンの奥に逃げた。

遠慮する彼女を無視してわざとゆっくりコーヒーを淹れた。そんな事をしても数分くらいしか違わないのに、どうやったら時間が稼げるかしか考えていなかった。

「どうぞ。」
「あ、ありがとうございます……」
案の定すぐにコーヒーはできてしまった。安物のテーブルにこれまた安物のマグカップを置くと、春香は少し体をビクつかせた。

「さてと……」
このままじゃ埒が明かない。そう思った研次は、なけなしの勇気を振り絞ってそう言った。
春香はますます震えながら小さくなっていった。そんな彼女を可哀想に思いながらも、意を決して春香を見つめた。

「二つ質問があります。まず何でここがわかったのか。もう一つは何故来たのか。」
ちょっと棘があったかも知れなかったけど、今の研次には春香を気にかけている余裕はなかった。

「ごめんなさい……」
「いや、謝られても……」
「私の高校の時の先輩がこのアパートの大家なんです。福島さんのお部屋がどこにあるのか教えてもらって…。すみません!私……」
今にも土下座をしそうな勢いで謝られ、研次は思わず春香の肩に手を置いた。思ったより華奢なそれにちょっとドキッとした。

「前園さん、顔を上げて下さい。」
研次のいつもの穏やかな声に、春香はゆっくりと顔を上げた。

「責めてる訳じゃないんです。貴女が急に僕の所に来たからビックリしたというか……きつい言い方してしまってこちらこそすみませんでした。」
顔を覗き込みながら言うと、涙目の春香が小刻みに顔を横に振る。研次は安心させようと笑顔を見せた。

今度はうまくいったみたいで、ようやく春香にも笑顔が戻った。やっぱり彼女には笑顔が似合う。そんな事を思ってしまって、慌てて邪念を追い払った。

「私、福島さんに会いに来たんです。」
「え?」
もう一つの質問の答えだと気づいた研次は、その内容に赤面した。追い払ったはずの邪念が戻ってきそうになる。

「時田さんがいたから私は貴方と出会えたし、一人で抱えてた悩みだって打ち明けられた。だけど時田さんがいなくなって……時田さんの笑顔が見れなくなったのに、福島さんの事ばかり考えちゃう自分が本当は嫌なんだけどやっぱり会いたくて……会って話がしたくてここに来たんです。」
真っ直ぐ見つめてくる春香の目力に負けて、研次は目を逸らした。

「私は…貴方が好きです。」
か細い声にびくりと体が揺れる。告白なんて初めてされたが、浮かれるというよりはただ困惑だけが胸に広がった。

「………」
しばらくの沈黙。無言の圧力を感じてそろそろと目を上げたが、春香は窓の外を見ていて視線は合わなかった。

「……以前お話ししましたよね、兄の事。」
「え、えぇ……」
突然話し始めた春香。戸惑い気味に返事をする研次。二人の間には奇妙な空気が流れていた。

「私の両親は私がまだ小学生の時に離婚しました。その後は父が失踪して、母は病気で亡くなりました。そして私のたった一人の家族である兄は、ある事件に巻き込まれて足を失いました。波乱万丈でしょう?私の人生。」
苦笑交じりにそう言われて研次は何も答えられなかった。

自分だって波乱に満ちていたから……

「本当は兄の足はリハビリを頑張ったら歩けるかも知れないんです。だけど母に似て肺がちょっと弱くて、あまり無理できないというか……」
悲しげな表情に胸が痛む。未だに何も言えない自分が酷く情けなくなった。

「でも私も兄もまだ諦めてないんです。きっといつかまた歩ける。以前のように歩いて走って、色んな所に行って。好きな事させてあげたいし、好きな人と幸せになってもらいたいんです。」
「前園さん……」
静かに涙を流す春香の顔にちょうど夕陽が当たって、素直に綺麗だと思った。

「兄に……会ってもらえませんか?」
「え……?」
予想だにしなかった言葉に素っ頓狂な声が出た。思わず春香を凝視する。

「彼氏のフリをしてくれるだけでいいんです。私に彼氏ができたとわかれば、兄も自分の事考えてくれるかも知れないし。安心もするだろうし。」
「えっと…あの……」
「なんて、無理ですよね。すみませんでした。変な事言って……」
「いや……」
「だけど私の気持ちだけは知っていて欲しいんです。せっかく生まれてきた『好き』という感情が、誰にも気づいてもらえないんじゃ可哀想ですから。」
今日一番の笑顔を向けられて、研次は思わず目を閉じた。

「良かった、ちゃんと伝えられた……」
心底ホッとした表情で胸の前で手を組む姿を見て、忘れたと思ってしまっていた熱い感情が出てきそうになる。慌てて頭を振った。

「私、そろそろ帰ります。」
「あ、はい……」
急いで春香を見るともう既に帰り支度をしている。研次は躓きながら立ち上がった。

「さっき話した兄の事は忘れて下さい。」
「……」
「じゃ……さよなら。」
まるで永遠の別れのような顔でそう言う春香を見て、研次の胸に言い様のない不安が押し寄せた。

「……」
何も言えないでいる研次の目の前を歩いていく春香の背中が、自分を責めているように感じた。
靴を履いてくるりと振り向いた春香を呆然と見た。

「時田さんのお葬式、無事に終わったそうです。お墓の場所を教えてもらったので、福島さんにもお伝えしますね。」
「え?時田さんの?」
思わず大きな声が出た。春香を見ると一瞬驚いた顔をした後、くすっと笑った。

「あ、すみません。つい……」
「いえ。本当はね、この事を言う為に来たんです。」
「え?」
「時田さんの事を言い訳にして会いに来たんです。最低でしょ?私……」
「いや、そんな……」
泣きそうな表情の彼女を、抱きしめたかった。
そんな事ないって言ってあげたかった。

だけど自分にはその資格がない……
そう思ってグッと踏みとどまる。

「これ。」
「?」
おもむろに紙を渡されて研次は戸惑いながらそれを受け取った。それには寺の名前と住所が書かれていた。

「私は昨日行ってきました。住職さんに貴方の事をお伝えしてきたので、行けば案内してくれると思います。」
「……ありがとうございます。」
春香の気遣いに胸が熱くなる。

こんな人と一緒にいられたらどんなに幸せだろうか。
だけど自分は、幸せになってはいけないんだ。十年前のあの日から……

「明日にでも行ってきます。」
「はい。それじゃあ……」
向きを変えてドアに手をかける春香を、研次は棒のようにつっ立ってただ見つめていた。

字のごとく春の香りを後に残しながら、彼女は研次の部屋を出て行った……


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