悲隠島の真実

りん

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エピソード2:吊るされた男

本気で好きだった人

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 初めて街中で陽子を見かけた時、素直に綺麗な人だと思った。だけどどこか陰があって訳ありな雰囲気も俺には魅力的に見えた。気づけば声をかけ、カフェに誘っていた。
 最初は警戒気味だった陽子も段々リラックスしていき、コーヒーがなくなる頃には笑顔を見せてくれた。その笑顔は陽子という名前の通り太陽のようだった。俺は一瞬で心を奪われた。その時既に白藤加恋という彼女がいたというのに。

 歳を聞けば高校3年生の18歳だという。しかし高校の名前を聞いて呆然とした。加恋と同じ高校だったからだ。まさか同じクラスなのではないか、友人関係ではないか、そういった事が頭を支配したがもう自分の気持ちはブレーキが効かないくらいに加速していた。

 陽子が好きだ。付き合いたい。そう強く思った俺はその場で交際を申し込んだ。陽子は戸惑った顔を見せ、考えさせて欲しいと言った。本当は今日出会ったばかりでこんな事を言ってくる男なんて嫌だとバッサリ振ってもいいのに、優しい陽子は猶予をくれたのだ。連絡先を手に入れた俺はその日からアプローチを始めた。

 その頃俺は高校を2年で中退してホストクラブで働いていた19歳だった。そこで培ったコミュニケーション術を駆使して3ヶ月かけて陽子を口説き落とした。でも今思えば、陽子が本当に俺を好きだったのかは疑問だが。

 そして加恋には内緒の恋が始まった。陽子は友達と呼べる人は一人しかいないと言っていたし、それが加恋ではないという事は確認済みだ。真面目な陽子は授業がある時は会えないというからもっぱら放課後に会っていた。加恋はあまり授業に出ていなかったから大体は平日に会って、バッティングしないように気をつけていた。

 二人に対して酷い事をしているという自覚はあった。でも加恋とは倦怠期というかマンネリ化していたし、陽子の事は本気で好きだった。いつか加恋とは別れて陽子一筋になろうと思っていた。

 そんな時、陽子の事が加恋にバレた。置きっぱなしにしていた携帯を加恋が見てしまい、陽子からのメールを読まれてしまったのだ。問い詰められた俺は正直に浮気を認めた。ただ陽子の方が本命だとは言えなかった。

 次の日からだった。加恋が陽子を学校で虐め始めたのは。

 そのやり口は典型的だったが陰湿なものだった。教科書を盗んで落書きした挙げ句にゴミ箱に捨てたり、上履きに画鋲を入れたり、トイレに閉じ込めて上からバケツの水をかけたりしていたそうだ。俺の知らないところで陽子が酷い目に合っているのに、俺には何も出来なかった。むしろ焚き付けた事もある。

 浮気のきっかけは陽子の方から近づいてきたと言った。それが更に加恋の逆鱗に触れ、虐めがどんどん悪化していった。でも陽子は一度も俺を責めなかった。自分から別れを告げる事もなかった。多分待っていたのだろう。俺が陽子と加恋、どちらかを選ぶ事を。陽子は心の底から綺麗だったから、俺を焦らせないようにと気を使ってくれたのだ。俺が本気で陽子の事を愛していたのを知っていたから。加恋とは別れるという出来もしない約束をずっと待っていてくれたから。

 だけどその時は突然訪れた。陽子からの『さようなら』というメールを最後に、彼女からの連絡は途絶えた。加恋からの熾烈な虐めに耐えきれなくなったのだろう。その後、陽子がどうなったのか俺は知らない。加恋も何事もなかったように振る舞っていたから、俺も陽子の事は徐々に忘れていった。あんなに好きだったのに、愛していたのに。

 陽子が死んだらしい、と加恋から聞くまで記憶の奥底に閉じ込めていた。



―――

――5日目


『キャァーーーー!!』

 朝の静寂の中、悲鳴が響き渡る。僕はびっくりして飛び起きてすぐに部屋を出た。声が聞こえたのは6号室。新谷さんと白藤さんの部屋だ。

「ど、どうしたんですか?」
「何事だ?」
 僕とは反対の方向から相原さんがやってくる。僕達は二人揃って部屋の中に入った。白藤さんが尻餅をついて窓の方を向いて震えている。

「どうした?」
「朝っぱらから何?」
 大和刑事と服部さんも姿を現す。遅れて小泉さんと星美さんがエプロンで手を拭きながら走ってきた。

「あ、あれ……」
 白藤さんが指を差す。全員がその方向、窓の向こうを見た。
「え……」
「うわぁっ!」
 絶句する僕の後ろで服部さんが悲鳴を上げた。他の人達はあまりの事で声が出ないようだ。僕は恐る恐る窓に近づいた。

 白藤さん達の部屋の窓の向こうに大きな木がある。その太い枝に新谷さんがぶら下がっていた。顔色は青く、もう手遅れだという事がわかる。ボーッと眺めていたら大和刑事が部屋を飛び出した。
「何処に行くんですか?」
「外だよ!皆も来てくれ。早く下ろすんだ!」
「わかりました!皆さん、行きましょう。」
 もう既に玄関に向かって走って行った大和刑事の後を追いながら僕が言うと、渋々といった感じで全員がついてきた。

 その時違和感に気づいた。坂井さんがいない。こういう時現場にいて的確な指示を出していたのに。あの白藤さんの悲鳴を聞いて駆けつけて来ないというのは今までの彼の行動に反する。何か嫌な予感がした。それでもとにかく今は新谷さんの事が先だ。

「下ろすぞ。支えてくれ。」
「はい。」
 背の高い大和刑事と小泉さんが首にかかっているロープから体を離す。僕と服部さんは足を支えながらゆっくりと新谷さんを地面に下ろした。

「ふー……これは、絞殺だな。首に二つの跡がついている。一つは首を絞めて殺した時の跡で、二つ目はこの木に吊るした時のだ。」
「いつ、殺されたの?」
 白藤さんが声を震わせながら大和刑事に聞く。大和刑事は新谷さんの遺体を眺めながら答えた。

「昨夜の夜中から明け方にかけて、としか言えないな。この時期でも夜中はまだ気温が低い。死後硬直の具合ももっとちゃんと見てみないと。」
「昨夜?孝人がいなくなったのはもっと前よ?それまで何処にいたのよ!」
「この屋敷の何処かに監禁されていたんじゃないのかね。」
「何ですって?」
 相原さんがボソッと言った言葉に対して白藤さんがヒステリックに反応する。

「屋敷中探しても何処にもいなかったじゃない。何処にいたっていうのよ!」
「こんなに広い屋敷だ。何処かに隠し部屋とかあっても不思議じゃないでしょ。この中の誰かは何処にその隠し部屋があるのか知っていて、わざとそこを探さなかった。ねぇ?小泉さん?」
「わ、私は私の部屋にあったこの屋敷の見取り図を覚えて皆さんを案内しただけです。隠し部屋の在処なんてわかるはずありません。」
 服部さんが小泉さんをねちっこい目で見る。小泉さんは戸惑いながらもきっぱりと否定した。

「どうだか。」
「とりあえず遺体を屋敷に運びませんか?このままでは新谷さんが……」
 僕が言うと大和刑事が『そうだな。』と呟く。大和刑事と小泉さんが頭の方を、僕と服部さんが足の方を持つと、玄関を入ってダイニングとは反対の所にある物置部屋にとりあえず安置した。

「白藤さん……えっと、何て言ったら……」
 新谷さんの側に座り込んでいる白藤さんに話しかける。肩に手を置こうとした時、パッと振り払われた。

「白藤さん?」
「あなた……」
「え?」
 突然振り向かれて虚を突かれた。びっくりしている間にメガネを取られる。

「何を……」
「あなた、『陽子』ね?」

「……え?」
 白藤さんの予想だにしない言葉に、裸眼でぼやけた視界のまま僕は固まった。


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