悲隠島の真実

りん

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エピソード2:吊るされた男

正位置と逆位置

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 5号室 植本法行の部屋


「植本さん……」

 夕食の時間になってもダイニングに姿を現さなかった植本さんを呼びに植本さんの部屋に行った僕達は、部屋の中の惨状を見て言葉を失った。
 最初に殺された斉木さんと同じように暖炉の中に頭を突っ込んだ格好で、俯せになった背中には数ヶ所の刺し傷と頭に殴られた痕があった。

「死亡推定時刻は今から3時間から4時間程前。新谷さんを探し終わって皆がそれぞれ部屋に戻ったりダイニングでトランプをしていた時だ。」
 大和刑事が中腰から立ち上がりながら言う。その時、暖炉の中の薪がパチパチと音を鳴らした。まだ火が消えていないのだ。

「小泉さん、バケツに水を汲んで来て下さい。火を消しましょう。」
「かしこまりました。」
 坂井さんの言葉を受け小泉さんが厨房へと走って行く。そんな彼の後ろ姿をボーッと眺めていた僕は誰かの手が肩に置かれたのを感じて振り向いた。

「大丈夫かい?」
「坂井さん……えぇ、何とか。」
 苦笑交じりに返すと、坂井さんも同じような表情になった。
「植本さんはきっと犯人を自分で招き入れたんだろうな。」
「そうですね。次は自分だって覚悟していたみたいだったから。」
「それほど、陽子ちゃんに対する罪の意識が強かったんだろう。」
「……」
 部屋の中の遺体をチラッと見る。顔の殆どは焼けてしまっていて、もはや原型をとどめていない。

「あれ?」
 全身をゆっくり見ていた時、シャツの隙間から何か光るものが見えて声を出す。恐る恐る近づいて見るとそれは小さな十字架だった。
 教会に立つ事はなくなってもいつも肌身離さず持ち歩いていたんだ……僕は無意識のうちに両手を組んで植本さんの安らかな眠りを祈った。

「皆さん、お約束の物がありますよ。」
「え?」
 さっきまで部屋の真ん中辺りでキョロキョロしていた服部さんが机の上を指差している。僕は植本さんの体を避けながら机に近づいた。そこにはやはりと言うべきか、タロットカードが置かれていた。

「法王が二枚?いえ、正位置が下にあって逆位置が重なってるわ。法王の正位置は慈悲、優しさ、法の順守、尊敬、寛大。神父としての植本さんはこの言葉通りの人だったのね。でも逆位置は、保守的、束縛、不信感、虚栄、頑固。陽子が理事長から罵声を浴びせられた時、きっと植本さんは自分の保身を考えてしまったんでしょう。それで口出しできなかった。……ずっと後悔してきたんでしょうね。」
 星美さんが植本さんの方を見て涙ぐむ。僕もつられて泣きそうになった。

 神父が人の懺悔の内容を第三者に話してしまった事はもちろん悪い事だろう。秘密の保持というのは宗教の信者として、そして神父として守らなければならないものだと思う。もしかしたら破ったら神の怒りを買うかも知れない。それを恐れながらも植本さんは皇さんに陽子の事を話してしまった。それにはきっと植本さんなりの考えがあったんだと今なら思える。彼は私利私欲の為に悪い事をするような人には見えなかったから。

 実は僕は陽子が植本さんの教会に通っていた事を知っていた。毎週日曜日になるとミサに出かけていたからだ。その他にも辛い事があるとすぐに協会に行って自分を落ち着かせていた。そうして通っているうちに植本さんと親しくなり、心の内をさらけ出すようになった。ずっと我慢していた分、決壊すると止めどなく流れる濁流のように、陽子は自身に溜まった汚い水を吐き出していった。その時の植本さんの表情はこの上ない慈悲深いものだったと陽子は言った。何も言わず全てを受け入れてくれて、聖書の教えを説いてくれたと言った。その時陽子は間違いなく救われたんだ。

 でも突然の裏切りにあってしまった。急に植本さんの態度や考えが変わった訳ではないはずだと陽子は理事長に会った後も教会に通ったが、その頃から植本さんは隠居して二度と陽子の前には現れなかった。植本さんは罪悪感を抱いていたのだろうか。だから陽子に会いたくなかったのだろうか。でも会って欲しかった。会ってまた慈悲深い心で陽子に寄り添って欲しかった。
 もしかしたら陽子が本当の意味で恨んだ人はこの人だったのかも知れない。

 陽子が死んだ時、僕は植本さんにも会いに行った。陽子の名前を出した途端、彼はこちらが驚く程肩を震わせていた。知っているのかと期待したけどすぐに『知らない』と返ってきてがっかりして帰った事を覚えている。でも植本さんの話を聞いて、ずっと後悔していたのだと知って、少し救われた気がした。だから犯人に殺されるのも覚悟して自分から招き入れて、こうして殺されてしまった事が残念でならない。

「水をお持ちしました。」
「火を消してあげて下さい。亡くなっているとは言え、これではあんまりだ。」
「はい。」
 坂井さんが言うと、小泉さんがバケツの水を暖炉の中にかける。すぐに火は消えて辺りは静けさに包まれた。

「さぁ、ここも閉鎖します。皆さん……」
「はいはい。今出るよ。まったく、この犯人は頭がいかれてる。こんな事をしてただで済むと思ってるのか。僕は衆議院議員だぞ?親父はあの服部茂吉だ。政界、財界に顔が利く大物だぞ。僕を殺したら親父が黙ってないからな。」
 服部さんが誰にともなく捲し立てている。強気な言葉の割に声は震えていてちょっと滑稽だった。

「さて、これからどうしますか?全員でダイニングに行きますか?」
 坂井さんが皆に聞くも、何故か白けた空気が場を支配していた。
「どうしたんですか?」
「あのさ、植本さんが殺されたのって皆がそれぞれ好きな事してた時よね?」
「え、えぇ。白藤さんと相原さんと服部さんは自分の部屋にいて、私達はダイニングで遊んでいました。小泉さんと諏訪さんは夕食の準備で厨房に……」
「じゃあダイニングにいた人達はずっと一緒だったの?」
「まぁ、トイレとかで一人5分くらいは席を立ったけどそれ以外は一緒に。」
「でも植本さんは殺されるのを覚悟していて犯人を自分から部屋に入れたっぽいから5分もあれば十分よね?」
「何が言いたいんですか?」
 坂井さんと白藤さんの会話が段々険悪な雰囲気になっていく。僕はハラハラした。

「もう誤魔化すのは止めましょう。犯人はこの中にいる。そう前提すれば全員が一緒にいるのは犯人の思う壺でしょ。いつか皆殺しにしてしまうかも知れない。だから私はこれからずっと自分の部屋にいるわ。孝人も見つからないし、自分の身は自分で守らないと。」
「それでは食事は……」
「小泉さんにお願いします。朝は7時、昼は12時、夜は6時でお願いします。」
「は、はい。」
 小泉さんが戸惑いながらも返事をする。言いたい事を言ってすっきりしたのか白藤さんはさっさと自分の部屋へと帰って行った。

「彼氏が心配じゃないのかしら。もしかしたらもう殺されているかも知れないのに……」
「星美さん!」
「だってそうでしょ。朝はあんなに必死になってたのに何処にもいないとわかるとあの態度。あいつが犯人なんじゃない?」
「まさか……」
 僕が絶句すると坂井さんが咳払いをした。

「とにかく!私はダイニングにいます。他にもいましたら一緒に行きましょう。自分の部屋に帰る人は必ず鍵をかけて誰も入れないようにして下さい。」
「じゃあ僕は部屋にいるよ。」
「僕も何だかんだ言って疲れてて……では。」
「……」
 服部さんと大和刑事と相原さんがそれぞれ自分の部屋に向かう。小泉さんと星美さんは一瞬迷ったようだったが厨房の方へと歩いて行った。その場に坂井さんと僕が残る。

「トランプでもしようか?」
「二人だけでですか?」
 笑い混じりに言うと坂井さんも吹き出した。

 これからどうなってしまうのか。僕は新谷さんの事を頭の中で考えながらダイニングに向かったのだった。


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