嫌われ悪役令息は王子のベッドで前世を思い出す

月歌(ツキウタ)

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第三章

3-47 許しません

◆◆◆◆◆◆


目覚めた俺の体は清潔に保たれていた。ベッドに情事の痕跡はなく、シーツも上掛けも新しいものに取り替えられている。陽の香りがする布に包まれていると、一瞬すべてが夢かと思えた。

だが、隣に横たわるヘクトール兄上の陰鬱な表情を見て、あの交わりが幻でないと知った。

「ヘクトール兄上……」

掠れた声に、兄上の肩がびくりと震える。恐れを滲ませた瞳がゆっくり閉じられ、やがて意を決したように押し開かれた。

「……兄上」

もう一度呼びかける。気がつけば、俺の左手は兄上の右手と固く結び合わされていた。

「マテウス、すまない」

兄上は体を動かし、俺に向き直った。その瞳は真摯でありながら、脆く儚げに見えた。

「……謝っても許しません」

「マテウス……」

兄上の瞳が揺らぎ、まるでこの世の終わりを見ているかのように悲壮な表情を浮かべる。その姿は俺にだけ見せるものだった。怒りなど長くは続かない。そもそも、怒っていたのかも分からない。ただ、胸の奥が悲しかっただけだ。

「次にこんな抱き方をしたら、絶交です」

「っ!」

「私は兄上との初めての情交の方が断然好きです。童貞を捨てたばかりの、不器用で全く冴えないヘクトール兄上。だけど、誰よりも優しく、甘く、私を抱いてくれました」

「俺はそんな男は嫌だ」

「では、無理やり孕み子を抱きたいのですか?」

「それは、もっと嫌だ! アルノー様の……父上の同類になどなりたくない。だが、それをマテウスに強いてしまった。俺は……」

俺はため息をつき、兄上に抱きついた。驚いた兄上の瞳が大きく開かれ、戸惑いを映す。

「どうしてだ?」

「どうしてとは?」

「どうして……俺を許す、マテウス?」

「許していませんよ? もしも次に私を無理矢理抱いたなら、本気で婚約を破棄します。マテウスは決して許してはいません」

俺の言葉に、兄上は深く息を吐いた。そして、恐る恐る俺を抱きしめる。その体は不思議なほど冷えていて、俺は思わず背を撫でていた。

「……そうか、許してはいないのだな」

「そうです、兄上」

「すまない、マテウス」

「謝りの言葉より、私に誓って下さい」

「なんと誓えばいい?」

「生涯かけて、ずっとずっと愛すると誓って下さい。マテウスを甘やかして、毎日可愛いと言って下さい。なにがあろうと、私を手放さないでください。誓えますか?」

返事の代わりにキスが降ってきた。あまりにも初心でおずおずとした口づけ。舌を差し込みたくなる衝動を必死に抑え、小鳥のように唇を啄んだ。

「マテウス、俺は誓う。生涯かけてマテウスを愛する。毎日マテウスを甘やかし、可愛いと一日に五十回は言う。傍にいられない時は手紙に愛している、可愛いと書く。マテウスを手放すことなど考えられないが、奪われないよう処刑術を磨き、邪魔者は即座に排除して……それから……」

「ヘクトール兄上、やり過ぎです」

「え?」

「『え?』じゃありません。まさか本気で言っているわけではないですよね?」

「何を言っている! 全て本気だ! まずはアルミンの排除が必要な気がしてきた」

思わず兄上を凝視する。

「何を言い出すのですか、兄上!」

「アルミンとルドルフが扉の前で仲良く盗み聞きの最中だ。アルミンは俺に向かい殺気を放ち、今にも部屋に飛び込もうとしている」

「え? そうなのですか?」

「アルミンの殺気が不快でたまらない」

「えー?」

慌てて扉に目をやる。気配は感じない。けれど、兄上が言うならきっとそうなのだろう。そう思った時、自分が『怠惰の衣装』をまとっていることに気づいた。

兄弟として初めて結ばれた後、兄上が贈ってくれたもの。俺のためだけに仕立てられた衣装。身にまとうだけで、どれほど兄上に愛されているかが伝わってくる。

「兄上、もう湯浴みは済んでいるのですよね?」

兄上は視線を逸らし、気まずそうに言葉を探した。

「マテウスが気を失っている間に、俺が湯浴みをさせた。その……すごく、愛らしかった。まだ、愛の言葉が足りないな。すごく可愛らしく……愛おしく……」

五十回の愛情表現を、早くも実行に移すつもりらしい。恥ずかしさで居たたまれない。

「兄上! 愛情表現は一日に一回で十分です!」

「え? しかし、それでは誠実さを示せない」

「兄上~」

堪えきれず、兄上の頬に唇を寄せ、軽くキスをした。

「これで十分です」

「頬にキス?」

「そうです。ヘクトール兄上も私の頬にキスをしてください」

「わかった」

兄上が抱き寄せ、頬に口づけを落とす。温もりが広がり、緊張が解けていく。

「これで仲直りです、兄上」

「ありがとう、マテウス」

微笑む兄上に、俺も笑みを返した。そして提案を口にした。

「ヘクトール兄上、もうお昼過ぎです。王城出仕は取り止めにして、共に過ごしませんか?」

「そうだね。今日は出仕を取り止めて、マテウスと一日過ごすことにするか」

返事に胸が温かく満たされる。兄上は目を細め、俺の髪を撫でた。

「少しお腹が空いたな。俺もマテウスと共に、久しぶりに芋粥を食べようかな」

「ふふ、芋粥は子供の食べ物だと言っていませんでしたか?」

「まあそうだが……実は、薬草粥が苦手でね。芋粥の方が断然好みだ」

「そうなのですか、兄上! では、次期当主の権力で薬草粥を撲滅させてください」

勢い込んで言うと、兄上は苦笑を浮かべて応じた。

「シュナーベル家の長い伝統食をマテウスのために撲滅させることはできないよ」

「えー、兄上の意地悪!」

「体に良いのは確かだからね」

「まあそうですが……でも、昔のレシピと比べて、高価な薬草を入れすぎだと思います。それが苦味の原因となり、食べにくいのです。原点回帰です」

兄上がにやりと笑みを浮かべ、俺の頬を柔らかく摘んだ。抗議する前に、あっさり結論を出す。

「原点回帰なら提案しやすい。厨房係に過去のレシピ本を渡して、苦味を軽減してもらおう。だが、今日は芋粥だ」

「はい、兄上!」

弾む声で返事をした。

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