上 下
6 / 53

第6話 兄の想い

しおりを挟む
◆◆◆◆◆


兄さんからクリスマスの約束を反故にした代わりに、宴会への誘いの電話があった。忘年会と称しつつ、その実情はコンパってところのようだ。

僕は兄さんと二人でお酒を飲みたいと思ったけど、結局それを言い出せずに電話をきった。

そして今、僕は兄さんを待っている。

僕は地下鉄の心斎橋駅で兄さんと待ち合わせしていたが、兄さんは約束より少し遅れてやってきた。

「悪い、正美。待ったか?」
「ちょっとね」

「じゃあ、店に行くか?予約はしてあるから現地集合にしたんだ・・ほら、行くぞ」

兄さんが僕の手を掴んで、心斎橋筋からわき道に逸れる。お互いに手袋をしているのに、僕は妙に兄さんの手のぬくもりを感じて赤面した。これじゃあまるで、純情な中坊って感じじゃないか?

「兄さん、手、握るのやめない?」

「あ、悪い。何時もの癖で!はるかが出先では手を握らないと、不機嫌になるからさぁ・・」

兄さんが照れながら手を離す。離れてゆくぬくもりが切なくて、思わずしがみ付きたくなった。もちろん、そんなことできるはずもないけど。

「夫婦仲のよろしいことで。でも、今日はコンパだよね?奥さん、機嫌悪くならない?」

「弟に彼女を作らせるためだって説明したからな。はるかは嫉妬深いから、お前にもやきもちやいていてさ。兄弟仲が良すぎるって、何時も愚痴を聞かされるんだよ。まあ、正美に彼女でもできれば、兄弟で出かける機会も減るだろうから、はるかにとっては好都合って訳だ」

僕は笑うに笑えなかった。姉さんが僕に嫉妬?ありえないよ。嫉妬しているのは、僕の方だ。

兄さんの心を奪った人。

「残念だけど、姉さんの希望には添えないかも。僕は金なしのもてないオタクさんだし、アニメの女の子で十分満足しているから」

「相変わらずの、おたくな答えだな。でも、まあ・・今日のコンパは興味惹かれると思うぞ?」

兄さんがにやりと笑う。

「お前さあ、以前に婦人警官物のアニメに嵌っていただろ?」

「どうして知っているんだよ?」

「お前の部屋にそれ系のフィギュアを見たからな。で、今日の女たちは、みんな本物の婦人警官なんだ!正美、興味わいただろ?」

「うっ・・まあ、少し」
「よし!」

兄さんが得意げな顔をして笑う。なにが、よし!だよ。それにしても、そんなに僕に彼女を作って欲しいのかな?ひょっとして、僕って兄さんにとってかなり鬱陶しい存在だったりして。

コバンザメ・・っとかって思われていたりして??僕の複雑な心境をよそに、兄さんは意気揚々と店に向かう。僕はため息をつきながら後に続いた。


◇◇◇◇◇


弟の正美は結構器用な方だと改めて思った。初めて会ったメンバーにもかかわらず、30分もすると打ち解けて楽しくお酒を飲んでいた。

こうなるとある程度予想して、俺の知り合いばかりの宴会に誘ったのだが、楽しそうな様子にホッとした。個室風に仕切られた畳敷きの座敷では、男5人と女5人が、肩を寄せ合って楽しい雰囲気をつくっている。

正美が柔和な笑顔で微笑むと、男も女もなんとなくほんわかとした気分になってしまう。

現に、コンパに参加した5人の女性全員がすっかり母性本能をくすぐられたようで、しきりに正美に話しかけていた。俺と正美以外の3人の男も、女性の注目を独り占めする弟を特に疎ましく思っている風もない。

もてないなんて、嘘だろ?それとも、酷く鈍いのか?弟にどうして、彼女ができないのかよく分からない。

まあ、もう成人した弟の事を気にしても仕方のないことだけど。そんなことを思いながら、酒を飲んでいると携帯が鳴った。着信名を確認する。

「うっ・・!」
「どうしたの、兄さん?」

横に座る正美が、俺の変な声に反応して携帯画面を覗き込む。

「あ、姉さんからだ!」
「・・・ちょっと、電話してくる」

「きっと、兄さんが浮気しないようにする警告の電話だよ。兄さんは、本当に奥さんに尻に引かれているみたいだね?」

正美が意地悪な笑顔を見せる。他のメンバーにも冷やかされながら、俺は席を立って携帯に出た。

話の内容を聞かれたらますます冷やかされかねないので、できるだけ離れて会話を始めた。正美の予想通り、俺の浮気を防止する電話だった。どんな女が参加しているのかから始まって、浮気が心配だと愚痴が始まる。

やれやれと思いながらも、この嫉妬も俺が愛されている証拠だと思い直すことにして、奥さんのご機嫌を伺った。
はるかと会話しながら、ちらりと弟と他のメンバーの様子を伺ったが、離れていて会話までは聞き取れない。それでも、なにやら盛り上がっている様子だった。

正美は笑顔だ。

弟の顔を見てホッとした。クリスマスの予定を反故にした時には、酷く寂しそうな様子だったのが気になっていた。とにかく、今日は連れ出してよかった。そのためなら、妻の愚痴ぐらいいくらでも聞けると思った。



◇◇◇◇◇


兄さんが電話の為に席を離れている間に、お酒の力も相まって宴会の王道?の「王様ゲーム」が始まった。くじを引いて王様に選ばれた人は、他のメンバーにさせたいことを宣言した上で、名前の書かれたくじを引く。

最初の王様は女性で、犠牲者も女性だった。彼女は王様が宣言した「過去の恥ずかしい話をする」事を強要された。彼女は恥ずかしがりながらも、小学生時代の無難な失敗談を披露した。可愛いエピソードに思わず僕も笑う。

王様がチェンジする。今度は、男が王様になった。彼の宣言は、「過去の失恋話をする」事だった。これの犠牲者は、男。そして、彼は悲惨な失恋エピソードを語った。かなり気の毒でそしてちょっとエッチな話だった。何となく、その場がエッチな雰囲気に傾く。

次の王様も男性だった。彼の宣言は「みんなの前で王様と濃厚なキスをする」事だった。酒に弱いのか、すでに酔いが回っているようだった。彼はくじの中に男の名前があるのを、失念しているのかもしれない。何となく嫌な予感がした。

僕は結構くじ運が悪い方だ。

まさかなと思いながら、王様の手を凝視する。引かれたくじには「正美」と記されていた。

「ぐわぁ!!」

思わず変な声が出てしまい、みんなの注目が集まる。

「うわぁーー、気の毒!!というか、王様も犠牲者も気の毒かもーー!」

「きゃぁー、男同士の濃厚なキスなんて初めて見るーーー!!」

女たちは自分たちが犠牲になるのを免れた事を喜び、勝手な歓声をあげる。

「まあ、約束だしゲームだから。気の毒だけど、がんばれ!」

隣に座る男が、僕の背中と王様の背中を同時に叩いた。本当にするのか?王様がふらりと立ち上がったので、僕はびくりと震えた。

まさか、男相手に濃厚なものはしないだろうが、少しの接触は場の雰囲気から仕方ないかもしれない。無下に断っては、楽しい雰囲気が壊れるかもしれない。

僕も覚悟を決めて王様を見つめた。そして、ぎょっとした。完全に酔いの回った男の目はらんらんと輝いていた。

「う・・!」

まずいと思ったときには遅かった。王様は僕の両肩を掴むと、そのまま床に押し倒した。周りのメンバーがぎょっとする中、男が僕に馬乗りになって唇を押し付ける。

「んんっんん、んん!?」

嘘だろ??
なんだよ、この酔っ払いは!!

公衆の面前で、唇を押し付けるどころか舌まで這わせてきた。無理やりに唇をこじ開けようとする男に、激しい嫌悪感を感じた。

「んっ!!」

王様の胸板を手で押し退けようとした時、突然相手の体がふわりと浮き上がる。そのまま男は仰向けにひっくり返って、畳に叩きつけられる。びっくりしてその様子を見ていると、僕は男に抱きしめられた。

「兄さん!!」

僕は驚いて僕を抱きしめる男の名前を呼んでいた。



◇◇◇◇◇



心臓が止まるかと思った。

長すぎる電話を終えて、ようやく宴会に参加できると席に戻ると、正美が男に押し倒されていた。弟の唇に這わされる男の舌を見たとき、激しい怒りが湧き起こった。

過去の記憶が蘇る。

正美を無理やりに組み敷いた男。
それをビデオに撮る最悪の父親。
力なくその様子を見ていた俺。

紅い炎。
焼ける皮膚の臭い。

過去の記憶が途切れた時、俺は走り出していた。俺は弟に駆け寄ると、男を引き剥がしていた。唖然とする正美を思わず強く抱き寄せる。

「どういうつもりだ・・」

俺の低い声が座敷に響く。

静まり返った座敷に座る宴会のメンバーに視線を送り、最後に引っくり返ったままの男に目をやった。酔った目をしている。だからと言って、弟に襲い掛かったことを許せるはずもない。俺は、殴りつけるつもりで立ち上がろうとして袖を弟につかまれた。

「なに切れてるんだよ、兄さんは?」

のんびりした正美の言葉が座敷に響く。

「正美?」

「ゲームだよ。ゲーム。王様ゲーム。僕は王様とキスして、その場が盛り上がるはずだったのに。兄さんの勘違いのせいで場が台無しじゃないか!」

俺は困惑して弟を見つめる。

「ゲーム??」

「そう、ゲーム。ねえ、そうだよね皆さん?」

弟が周りに同意を求める。他のメンバーもギクシャクとしながらも頷いた。

ゲーム?あれが?あのキスが?

俺は畳に投げ飛ばした男を見つめた。正美が慌ててその男に駆け寄る。

「大丈夫ですか?すみません。兄の勘違いで。失礼しました」

男はまだぼんやりとしていたが、徐々に酔いがさめてきたのかしきりに弟に謝っていた。結局そんな騒動があって、宴会は早めにお開きになった。俺は釈然としないまま、正美と連れ立って店を出た。店の前で他の人間と別れると、途端に正美は心配顔になった。

「なあ、今日の人達って、殆ど職場の人だろ?今日の出来事で、雰囲気悪くならない?」

そんな心配か。お前は周りに気を使いすぎる。

「正美は心配しなくても大丈夫だよ。それより、大丈夫か?」

「なにが?」

「その・・なんだ。あれは、女にやっていたら完全に犯罪だろ?」

「僕は女じゃないから平気。それより、口直し・・というか、コーヒーでも飲まない?」

正美はそっと笑うと俺の袖を掴んだ。

「ああ・・そうだな。」

まだ釈然としないまま、俺は同意して二人で歩き出す。



◆◆◆◆◆
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

少年の日の思い出

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:35

【R18】Life Like a Ring

現代文学 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:1

運命の番を見つけることがわかっている婚約者に尽くした結果

恋愛 / 完結 24h.ポイント:12,581pt お気に入り:257

月の巫子

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:17

巻き添えで異世界召喚されたおれは、最強騎士団に拾われる

BL / 連載中 24h.ポイント:4,638pt お気に入り:8,539

公爵様と行き遅れ~婚期を逃した令嬢が幸せになるまで~

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:2,108pt お気に入り:25

子供を産めない妻はいらないようです

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7,703pt お気に入り:276

処理中です...