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第36話 悲劇
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◆◆◆◆◆
仕事帰り正美に呼び出され、俺は弟と共にコーヒーショップに入った。そこで、俺は妻が妊娠しる事実を知らされる。
俺は飲みかけのコーヒーを持ったまま、呆然として弟を見つめていた。すると、正美がふわりと笑って再び口を開く。
「父親になった気分はどう?」
どうって。
ええっ???
「ちょっと待て!俺はどうして正美から・・はるかの妊娠の事実を、聞かされているんだ?」
「姉さんから、妊娠の件を伝えて欲しいと頼まれたんだよ」
「はるかに?」
正美は少し困ったように、苦笑いを浮かべた。
「兄さん・・ここのところ、要くんの失踪の件で落ち込んでいたみたいだね。姉さんはそんな兄さんの様子から、妊娠の事を伝えにくかったみたいだよ?」
「だからってお前に頼むか・・普通」
「姉さんに気遣いをさせた、兄さんが悪い。要くんの事が気になっているのは分かるけど・・その件は、警察に任せるしかないんじゃない?」
「確かに、そうだが・・」
俺が言葉を継ごうとすると、正美がそれを真剣な顔で遮る。
「兄さんが守るべものは、家族だとおもうよ」
「家族・・」
俺から僅かに視線をそらした正美が、小さく呟く。
「はるかさんと、生まれてくる子供を、守ってあげて・・兄さん」
「正美・・」
「要君も、僕も、兄さんに頼りすぎたんだと思う。でも、兄さんには兄さんの生活があるよね?僕たちは、その事を無視して近づきすぎてしまった。ねえ、姉さんが僕に妊娠した事を兄さんに伝えるように託したのって、裏読みすると・・兄さんの所有権をはっきり示したかった為かもしれないね?でも、この機会を貰って、僕は良かったって思っているんだ」
正美は俺に視線を戻すと、切なげに笑って口を開く。
「兄さん。僕はずっと兄さんが好きだったよ。兄弟としてではなく・・」
「正美!!」
「昔のように、その胸に抱かれたいって何度も思ってた。でも、兄さんは、はるかさんと出会って家庭を持ってしまった。苦しかったよ、すごく。泣いたよ、いっぱい。でもね、今、兄さんに子供ができたと聞いても、前ほどには胸が痛まなかったんだ。自分でも意外だったけど、理由は分かっている」
テーブルの上で、正美の手が微かに震えていた。俺はその手にそっと触れる。震えを包み込みながら、俺は口を開いていた。
「その理由は、和樹か?」
正美が静かに頷く。
「兄さん。僕は、和樹と生きていく。兄さんに守るべき人が増えたように、僕にも守るべき人ができたんだ。僕は和樹を守って、和樹に守られて、生きていくよ・・」
正美は穏やかな顔をしていた。その顔に嘘はないと思えた。それでも、気になって俺は口を開いていた。
「和樹はお前に、酷い事はしていないか?関係を無理強いされているわけじゃないんだな?」
正美がくすりと笑う。
「和樹は優しいよ。そりゃ、僕たちは男同士だし、前途多難って感じだけど。でも、きっと二人なら、乗り越えていける気がするんだ」
俺は深いため息を付いていた。
離れてゆく正美。もう俺の保護を必要としないほどに、強くしなやかに成長した弟。
和樹に嫉妬を感じながらも、以前ほどには激しい独占欲を感じなかった。
もしかすると、新たに俺が守るべき命がこの世に誕生した為かもしれない。
俺の子供がはるかのお腹の中にいる。その子が俺の存在意義を認めてくれた気がした。
人間とは現金なものだな。俺は誰かに、存在していいよって言って貰いたかっただけなのかもしれない。そのために、悩んで右往左往して・・人生を歩んできたのだろうか?
「正美・・今度は本当に、お互いに幸せになれそうだな」
「そうだね、兄さん」
俺たちの人生には色々ありすぎて、こんな風に穏やかに笑い合えるなんて思いもしなかった。でも、奇跡みたいにそんな時間が訪れた。
互いに悩みや問題を抱えながらも、時には支えあい笑い合いながら・・別々の人生を歩んでいくのだろう。
それでいい。
それがいい。
「正美・・俺は、お前とも要とも、少し距離を置く事にするよ。でも、俺たちの兄弟の絆が、なくなるわけじゃないからな?」
正美が微笑む。
「もちろん、兄さん!」
俺も正美に微笑みかけていた。それにしても、俺に子供ができたのか。
「子供ができた時は、妻にプレゼントをあげたりするものなのかな?」
俺が呟くと、正美が口を開く。
「花束はどう?」
「花か?そうだな、今日の帰りにでも買って帰るか」
腕時計を見ると、夜の8時を過ぎていた。
「そろそろ帰るか、正美?」
「そうだね。ねえ、兄さん。帰り道に花屋があるから、寄って行こうか?」
「そうだな」
俺たちはコーヒーを飲み終えると、席を立った。最寄の駅に向かう途中に、その花屋があった。色とりどりの花が、店先までところ狭しと咲き誇っていた。
「バラがいいんじゃないかな?姉さんに似合ってると思うよ」
正美が穏やかに微笑み、指先で赤いバラの花びらに触れる。撫でるように優しく。俺もそっとバラの花びらに触れた。しっとりとした感触が心地いい。
「これにするか・・」
俺は店員を呼んでバラを注文した。かすみ草も合わせてもらうと、立派な花束ができた。きっと、はるかは喜ぶだろう。華やかなものが好きだから。
いつの間にか妻の笑顔を想像して、俺は笑みを浮かべていた。そんな俺の様子に正美が微笑む。
「顔がにやけてるよ、兄さん」
「うるさい」
俺はにやけたままそう答えていた。
その時、不意に携帯が鳴った。俺の手の中の咲きほこる花束が、一瞬震えたように思えた。
「あ、僕のスマホだ」
そう言って弟がスマホを取り出す。どうやら相手は、和樹のようだった。甘い顔をした正美に、僅かに嫉妬を覚えた。だが、その顔が徐々に強張り青ざめていき、俺は胸騒ぎがした。
ちらりと、弟が俺を見つめる。
「どうした、正美?」
通話中の正美に、俺はたまらず話しかけていた。
「あ・・、和樹が今病院にいて・・」
「病院?相手は和樹なんだろ?病院から電話を掛けているのか。体の具合でも悪いのか、和樹は?」
「刺されたんだ、ナイフで・・」
刺された?
「誰に?」
「・・要くんに」
「要・・?」
俺は呆然として正美を見つめた。
「要が刺したのか?和樹を?でも、どうして・・」
正美が震えだしていた。
「正美、大丈夫か?電話が掛けられるって事は、和樹の怪我は大した事ないってことなのか?」
正美が頷く。だがすぐに首を振った。
「和樹が刺した要くんを捕まえたんだけど、様子がおかしいんだって。あのね・・はるかさんを刺したって言ってるって。要くんが、そう喚いたらしくて。だから、和樹は警察と救急に通報して、兄さんのマンションに向かわせているって!!」
俺は走り出していた。
大通りに出ると、俺はタクシーを捜した。すぐに見つかって呼び止めると、俺に追いついた正美が共にタクシーに乗り込んだ。
訳がわからない。
とにかく自宅に向かうことしか思いつかなかった。タクシーの窓から流れ行く景色を、俺はただ呆然と見つめていた。
はるかと俺の子供。
俺の守るべき家族。
◇◇◇◇◇
兄さんの自宅マンションには、救急車とパトカーが何台も止まっていた。兄さんはタクシーを飛び出すと、マンションのエントランスに向かった。
そして、エレベーターに乗り込む。
エレベーターの中で、僕たちはいらいらしながら目的の階に止まるのを待つ。ようやく目的階につくと、エレベーターから廊下に出た。
何人かの警察官が、兄さんの自宅に出入りしているのが見えた。兄さんは野次馬を掻き分けて自宅に向かう。
必死の形相の兄さんの手には、さっき買ったばかりの花束が不思議なほどしっかりと握り締められていた。騒然とした雰囲気の現場に、不釣合いな赤いバラの花が揺れていた。
僕と兄さんは、警察官に関係者だと名乗って無理やり自宅玄関に入る。制止を振り切り自宅に入った僕たちが見たものは、玄関で倒れ込む女性の姿だった。
赤いバラの花束が、不意に兄さんの手からはなれる。そして、床に落ちたバラが、赤い花びらを散らす。
「兄さん・・!!」
兄さんが崩れ落ちる。
僕はそんな兄さんを抱きしめて、共に床に座り込んでいた。
「はるか・・・はるかぁーーーーーーあああぁあああああああああああーーーーーー!!」
兄さんの心が砕け散るのが、僕には見えた気がした。
赤いバラの花びらが、兄さんの慟哭に応じるようにひらりと舞い上がる。ひらひらと揺れる花びらが、廊下を真っ赤に染める赤い血に舞い落ちた。
「あああぁあああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーー!!」
兄さんの狂ったような悲鳴が部屋に響き渡っていた。
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仕事帰り正美に呼び出され、俺は弟と共にコーヒーショップに入った。そこで、俺は妻が妊娠しる事実を知らされる。
俺は飲みかけのコーヒーを持ったまま、呆然として弟を見つめていた。すると、正美がふわりと笑って再び口を開く。
「父親になった気分はどう?」
どうって。
ええっ???
「ちょっと待て!俺はどうして正美から・・はるかの妊娠の事実を、聞かされているんだ?」
「姉さんから、妊娠の件を伝えて欲しいと頼まれたんだよ」
「はるかに?」
正美は少し困ったように、苦笑いを浮かべた。
「兄さん・・ここのところ、要くんの失踪の件で落ち込んでいたみたいだね。姉さんはそんな兄さんの様子から、妊娠の事を伝えにくかったみたいだよ?」
「だからってお前に頼むか・・普通」
「姉さんに気遣いをさせた、兄さんが悪い。要くんの事が気になっているのは分かるけど・・その件は、警察に任せるしかないんじゃない?」
「確かに、そうだが・・」
俺が言葉を継ごうとすると、正美がそれを真剣な顔で遮る。
「兄さんが守るべものは、家族だとおもうよ」
「家族・・」
俺から僅かに視線をそらした正美が、小さく呟く。
「はるかさんと、生まれてくる子供を、守ってあげて・・兄さん」
「正美・・」
「要君も、僕も、兄さんに頼りすぎたんだと思う。でも、兄さんには兄さんの生活があるよね?僕たちは、その事を無視して近づきすぎてしまった。ねえ、姉さんが僕に妊娠した事を兄さんに伝えるように託したのって、裏読みすると・・兄さんの所有権をはっきり示したかった為かもしれないね?でも、この機会を貰って、僕は良かったって思っているんだ」
正美は俺に視線を戻すと、切なげに笑って口を開く。
「兄さん。僕はずっと兄さんが好きだったよ。兄弟としてではなく・・」
「正美!!」
「昔のように、その胸に抱かれたいって何度も思ってた。でも、兄さんは、はるかさんと出会って家庭を持ってしまった。苦しかったよ、すごく。泣いたよ、いっぱい。でもね、今、兄さんに子供ができたと聞いても、前ほどには胸が痛まなかったんだ。自分でも意外だったけど、理由は分かっている」
テーブルの上で、正美の手が微かに震えていた。俺はその手にそっと触れる。震えを包み込みながら、俺は口を開いていた。
「その理由は、和樹か?」
正美が静かに頷く。
「兄さん。僕は、和樹と生きていく。兄さんに守るべき人が増えたように、僕にも守るべき人ができたんだ。僕は和樹を守って、和樹に守られて、生きていくよ・・」
正美は穏やかな顔をしていた。その顔に嘘はないと思えた。それでも、気になって俺は口を開いていた。
「和樹はお前に、酷い事はしていないか?関係を無理強いされているわけじゃないんだな?」
正美がくすりと笑う。
「和樹は優しいよ。そりゃ、僕たちは男同士だし、前途多難って感じだけど。でも、きっと二人なら、乗り越えていける気がするんだ」
俺は深いため息を付いていた。
離れてゆく正美。もう俺の保護を必要としないほどに、強くしなやかに成長した弟。
和樹に嫉妬を感じながらも、以前ほどには激しい独占欲を感じなかった。
もしかすると、新たに俺が守るべき命がこの世に誕生した為かもしれない。
俺の子供がはるかのお腹の中にいる。その子が俺の存在意義を認めてくれた気がした。
人間とは現金なものだな。俺は誰かに、存在していいよって言って貰いたかっただけなのかもしれない。そのために、悩んで右往左往して・・人生を歩んできたのだろうか?
「正美・・今度は本当に、お互いに幸せになれそうだな」
「そうだね、兄さん」
俺たちの人生には色々ありすぎて、こんな風に穏やかに笑い合えるなんて思いもしなかった。でも、奇跡みたいにそんな時間が訪れた。
互いに悩みや問題を抱えながらも、時には支えあい笑い合いながら・・別々の人生を歩んでいくのだろう。
それでいい。
それがいい。
「正美・・俺は、お前とも要とも、少し距離を置く事にするよ。でも、俺たちの兄弟の絆が、なくなるわけじゃないからな?」
正美が微笑む。
「もちろん、兄さん!」
俺も正美に微笑みかけていた。それにしても、俺に子供ができたのか。
「子供ができた時は、妻にプレゼントをあげたりするものなのかな?」
俺が呟くと、正美が口を開く。
「花束はどう?」
「花か?そうだな、今日の帰りにでも買って帰るか」
腕時計を見ると、夜の8時を過ぎていた。
「そろそろ帰るか、正美?」
「そうだね。ねえ、兄さん。帰り道に花屋があるから、寄って行こうか?」
「そうだな」
俺たちはコーヒーを飲み終えると、席を立った。最寄の駅に向かう途中に、その花屋があった。色とりどりの花が、店先までところ狭しと咲き誇っていた。
「バラがいいんじゃないかな?姉さんに似合ってると思うよ」
正美が穏やかに微笑み、指先で赤いバラの花びらに触れる。撫でるように優しく。俺もそっとバラの花びらに触れた。しっとりとした感触が心地いい。
「これにするか・・」
俺は店員を呼んでバラを注文した。かすみ草も合わせてもらうと、立派な花束ができた。きっと、はるかは喜ぶだろう。華やかなものが好きだから。
いつの間にか妻の笑顔を想像して、俺は笑みを浮かべていた。そんな俺の様子に正美が微笑む。
「顔がにやけてるよ、兄さん」
「うるさい」
俺はにやけたままそう答えていた。
その時、不意に携帯が鳴った。俺の手の中の咲きほこる花束が、一瞬震えたように思えた。
「あ、僕のスマホだ」
そう言って弟がスマホを取り出す。どうやら相手は、和樹のようだった。甘い顔をした正美に、僅かに嫉妬を覚えた。だが、その顔が徐々に強張り青ざめていき、俺は胸騒ぎがした。
ちらりと、弟が俺を見つめる。
「どうした、正美?」
通話中の正美に、俺はたまらず話しかけていた。
「あ・・、和樹が今病院にいて・・」
「病院?相手は和樹なんだろ?病院から電話を掛けているのか。体の具合でも悪いのか、和樹は?」
「刺されたんだ、ナイフで・・」
刺された?
「誰に?」
「・・要くんに」
「要・・?」
俺は呆然として正美を見つめた。
「要が刺したのか?和樹を?でも、どうして・・」
正美が震えだしていた。
「正美、大丈夫か?電話が掛けられるって事は、和樹の怪我は大した事ないってことなのか?」
正美が頷く。だがすぐに首を振った。
「和樹が刺した要くんを捕まえたんだけど、様子がおかしいんだって。あのね・・はるかさんを刺したって言ってるって。要くんが、そう喚いたらしくて。だから、和樹は警察と救急に通報して、兄さんのマンションに向かわせているって!!」
俺は走り出していた。
大通りに出ると、俺はタクシーを捜した。すぐに見つかって呼び止めると、俺に追いついた正美が共にタクシーに乗り込んだ。
訳がわからない。
とにかく自宅に向かうことしか思いつかなかった。タクシーの窓から流れ行く景色を、俺はただ呆然と見つめていた。
はるかと俺の子供。
俺の守るべき家族。
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兄さんの自宅マンションには、救急車とパトカーが何台も止まっていた。兄さんはタクシーを飛び出すと、マンションのエントランスに向かった。
そして、エレベーターに乗り込む。
エレベーターの中で、僕たちはいらいらしながら目的の階に止まるのを待つ。ようやく目的階につくと、エレベーターから廊下に出た。
何人かの警察官が、兄さんの自宅に出入りしているのが見えた。兄さんは野次馬を掻き分けて自宅に向かう。
必死の形相の兄さんの手には、さっき買ったばかりの花束が不思議なほどしっかりと握り締められていた。騒然とした雰囲気の現場に、不釣合いな赤いバラの花が揺れていた。
僕と兄さんは、警察官に関係者だと名乗って無理やり自宅玄関に入る。制止を振り切り自宅に入った僕たちが見たものは、玄関で倒れ込む女性の姿だった。
赤いバラの花束が、不意に兄さんの手からはなれる。そして、床に落ちたバラが、赤い花びらを散らす。
「兄さん・・!!」
兄さんが崩れ落ちる。
僕はそんな兄さんを抱きしめて、共に床に座り込んでいた。
「はるか・・・はるかぁーーーーーーあああぁあああああああああああーーーーーー!!」
兄さんの心が砕け散るのが、僕には見えた気がした。
赤いバラの花びらが、兄さんの慟哭に応じるようにひらりと舞い上がる。ひらひらと揺れる花びらが、廊下を真っ赤に染める赤い血に舞い落ちた。
「あああぁあああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーー!!」
兄さんの狂ったような悲鳴が部屋に響き渡っていた。
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