【完結】兄弟愛ー吉良上野介の孫二人ー異聞ー

月歌(ツキウタ)

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本編

第六十三話 剣戟

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◆◆◆◆◆


陽の傾いた路地に、三人の浪人が立ちはだかっていた。

桐原清十郎は、すでに抜刀していた。
右手に刀を握り、腰を落として――脇構え。

刀身は体の後ろに引き、敵に刃の動きを読ませないよう構える。
正面から見れば隙だらけに見えるその構えは、逆に近づく者の足を止める。

三人のうち、若い男が舌打ちした。

「なめやがって……」

言い終えるより先に、斬りかかってきた。
踏み込み、斜め上から斬り下ろす一太刀。

桐原は、すっと体を沈めた。
相手の刃が頭上を通り過ぎるのを待ち、
その腕の下へ潜り込むようにして前に出る。

間合いが詰まった一瞬。
刀の柄を握る右手で、男の鳩尾を突き上げるように叩いた。
「ぐっ……!」と呻いた男の身体が大きくのけぞる。

そこへさらに、刃の腹で脇腹を横から打ちつける。
骨は折れぬが、呼吸は止まる。
男の身体がひしゃげるようにして地に崩れ落ちた。

残る二人が反応する。
右の浪人が斬りかかり、中央の男が警戒しながら前へ出てくる。

桐原は視線だけで右手の男をとらえた。

「せいッ!」

掛け声と共に、上段から力任せに振り下ろされた斬撃。
桐原は一歩、体を横に滑らせてかわす。

すれ違いざま、刀の切っ先で男の膝裏を浅く斬る。
皮一枚――しかし確実に、動きを奪うには十分だった。

「うっ……!」

足がもつれ、男は体勢を崩して倒れ込む。

視線を前へ戻す。
残る一人。
ただ一人、踏み込まず、桐原を見据えている男がいた。

(……構えに無駄がない)

僅かに広げた足。
微動だにしない肩。
下げた刀の位置と角度が、まるで道場の演武のように正確だった。

桐原は静かに息を吐いた。
脇構えを崩さず、一歩、足を引く。

わずかな揺らぎの中、男が動いた。

低く、速く――一直線の突き。

鋭かった。
ためらいも迷いもなかった。

だが、桐原は逃げなかった。

右足を軸に体を回転させ、突き出された刃を、横から滑らせるように受け流す。
金属が擦れ合い、火花が飛ぶ。
そのまま刀の動きを外へ押しやるようにして、男の構えを崩す。

がら空きになった顎へ、柄頭が真上から叩き込まれた。

「っ……!」

男の膝が折れる。

桐原はすぐに踏み込み、切っ先を喉元へ突きつけた。
斬ってなどいない。だが、一歩でも動けば終わる距離。

男の動きが止まる。

風が吹いた。

三人の浪人はいずれも、地に伏して動けなかった。


桐原は静かに刀を納めると、倒れている男たちを順に見下ろした。

そして、一人――三人の中でも最も若く、未熟そうな浪人に狙いを定める。
鳩尾を打たれた男は、顔を歪め、弱々しく呻いている。

桐原は膝をつき、無言で男の右手を掴んだ。
力なく抗う腕を、逆方向へ、ゆっくりと――冷ややかにひねり上げる。

「……や、やめろッ……!」

関節が軋み、肘の奥で鈍い音がした。
悲鳴が、喉を突いて飛び出す。

それでも桐原の顔色は変わらない。
目は冷たく、声は静かだった。

「――誰の命で動いた」

「……赤穂……赤穂だ! 浅野様の仇を……ッ!」

吐き出すようなその声に、桐原の動きが止まる。
しかし、その目に宿ったのは納得でも同情でもない――不快。

(その程度の覚悟で、吉憲様に切っ先を向けたのか)

苦悶のあまり、声を押し殺すように呻く男を、桐原は冷ややかに見下ろした。

つい先ほどまで、何かを信じていた目だった。
だが今そこにあるのは、ただの迷いと、恐怖――。

「忠義を名乗るなら――口くらい、最後まで閉じてみせろ」

そう言い捨てると同時に、桐原は手をさらにひねり上げた。
乾いた音とともに、男の腕が不自然な角度を描く。

「……ッぎゃああああッ!」

断末魔のような悲鳴に、桐原は眉一つ動かさず立ち上がった。

その顔には、怒りも、哀れみもない。
ただ、冷ややかな沈黙だけが張りついている。

命を奪う価値もない――そう見切っただけのことだ。

桐原は静かに踵を返す。
弟が駆けていった方角へ、影のように歩き出す。

風が抜け、羽織の裾をはらりと揺らした。
その背は、ただ前だけを見据えていた。

桐原清十郎という男が、振り返ることは、二度となかった。


◆◆◆◆◆


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