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本編
第九十二話 静寂の上杉家
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◆◆◆◆◆
障子の外では、雪がまだしんしんと降り続いていた。
夜更けの冷気が、遠くで鳴く犬の声すら包み込み、音の輪郭を奪っていく。
室内には、行燈の灯がひとつ。
仄かに揺れるその明かりが、張り詰めた静けさをかえって際立たせていた。
病に伏す綱憲は、布団の中で目を閉じていた。
苦悶の色はどこにもない。ただ、受け入れる者の貌がそこにある。
その場に、桐原が膝をつく。
背筋を伸ばしたまま、深く一礼を捧げ、声を沈めて報せた。
「……終わりました」
それきり、余計な言葉は添えなかった。
吉憲はわずかに眉を動かしたが、問いも咎めも口にせず、目を伏せる。
胸の奥に、冷たいものが音もなく降り積もるようだった。
やがて桐原は、懐から小さな守り袋を取り出す。
白椿の刺繍が施された布は、まだ微かに温もりを宿していた。
「若様より、吉憲様へお渡しするよう、賜っております」
吉憲は両手でそれを受け取った。
その布の軽さとは裏腹に、掌に宿る重みが全身を沈ませる。
桐原は視線を落としたまま、さらに静かに言葉を継いだ。
「……私は、自ら生きる道を選びました。どのような扱いを受けようとも、兄上はどうか苦しまないでください。
私と兄上は、離れていても繋がっています。たとえ守り袋がなくとも、心は共にあります――と」
その一言一言が、まるで刃のように吉憲の胸に刺さる。
義周は、こんな時にまで兄を案じていた。
どれほど不安で、どれほど心細かったことだろう――
喉の奥が詰まり、呼吸が苦しくなる。灯の揺らぎが涙ににじみ、視界の輪郭を溶かしていった。
ふと、綱憲の姿が目に入る。
病の床に横たわる父は、目を閉じたまま動かない。
けれど、その胸がかすかに上下している。
息子から託された言葉に、父の名はなかった。
それが当然であることは、綱憲にもわかっていた。
これまで、義周にかけた言葉は多くない。いや、思いやりのひとつも、与えた覚えがない。
名を呼ぶこともなく、ただ義の重みを押しつけてきただけだった。
それでも――
胸の奥に、ひとつ、ひとひらの寂しさが降り落ちた。
悔いではない。怒りでもない。
ただ、どうしようもなく、静かで冷たい空虚が、胸に残る。
綱憲は目を閉じたまま、音もなく息を吐き出す。
それは、自らのなかにあった何かを手放すような、静かな呼吸だった。
吉憲は、守り袋をそっと胸に抱き寄せた。
もう、顔を合わせて言葉を交わすことはできない。
それでもなお、義周が遠くで生きていること――そして、自分たちが繋がっていることを、確かに感じていた。
けれどその実感があるほどに、なおさら、もう声を聞けぬという現実が、胸の奥を静かに締めつけた。
外では、雪がなお降り続いている。
音もなく、すべてを覆い隠すように、白く、静かに。
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障子の外では、雪がまだしんしんと降り続いていた。
夜更けの冷気が、遠くで鳴く犬の声すら包み込み、音の輪郭を奪っていく。
室内には、行燈の灯がひとつ。
仄かに揺れるその明かりが、張り詰めた静けさをかえって際立たせていた。
病に伏す綱憲は、布団の中で目を閉じていた。
苦悶の色はどこにもない。ただ、受け入れる者の貌がそこにある。
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それきり、余計な言葉は添えなかった。
吉憲はわずかに眉を動かしたが、問いも咎めも口にせず、目を伏せる。
胸の奥に、冷たいものが音もなく降り積もるようだった。
やがて桐原は、懐から小さな守り袋を取り出す。
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「若様より、吉憲様へお渡しするよう、賜っております」
吉憲は両手でそれを受け取った。
その布の軽さとは裏腹に、掌に宿る重みが全身を沈ませる。
桐原は視線を落としたまま、さらに静かに言葉を継いだ。
「……私は、自ら生きる道を選びました。どのような扱いを受けようとも、兄上はどうか苦しまないでください。
私と兄上は、離れていても繋がっています。たとえ守り袋がなくとも、心は共にあります――と」
その一言一言が、まるで刃のように吉憲の胸に刺さる。
義周は、こんな時にまで兄を案じていた。
どれほど不安で、どれほど心細かったことだろう――
喉の奥が詰まり、呼吸が苦しくなる。灯の揺らぎが涙ににじみ、視界の輪郭を溶かしていった。
ふと、綱憲の姿が目に入る。
病の床に横たわる父は、目を閉じたまま動かない。
けれど、その胸がかすかに上下している。
息子から託された言葉に、父の名はなかった。
それが当然であることは、綱憲にもわかっていた。
これまで、義周にかけた言葉は多くない。いや、思いやりのひとつも、与えた覚えがない。
名を呼ぶこともなく、ただ義の重みを押しつけてきただけだった。
それでも――
胸の奥に、ひとつ、ひとひらの寂しさが降り落ちた。
悔いではない。怒りでもない。
ただ、どうしようもなく、静かで冷たい空虚が、胸に残る。
綱憲は目を閉じたまま、音もなく息を吐き出す。
それは、自らのなかにあった何かを手放すような、静かな呼吸だった。
吉憲は、守り袋をそっと胸に抱き寄せた。
もう、顔を合わせて言葉を交わすことはできない。
それでもなお、義周が遠くで生きていること――そして、自分たちが繋がっていることを、確かに感じていた。
けれどその実感があるほどに、なおさら、もう声を聞けぬという現実が、胸の奥を静かに締めつけた。
外では、雪がなお降り続いている。
音もなく、すべてを覆い隠すように、白く、静かに。
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