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第二章 「気付いたらもう六年がたってます」
第10話 言うなれば愚鈍な少女の皮を被った大人と読めない少年
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此方を確実に射抜こうと細められた紫水晶の瞳。真っ直ぐ、クロヴィスの顔を見られなくて、背中を向けていたのにも強引に振り向かされて逃げ場も無いイクシャはただ何もする術も見つからず眼を逸らすばかり。
「恋愛小説を取ろうと迷っていたことが後ろめたいのですか?」
「……別に、そういう訳では、ないわ……よ」
(そういう訳に決まってるでしょ、こんなことも訊かないと判らない訳!? それともわざとなの、未婚約の男女がこの距離で居るのもわざとなの!? ねえ、この人、少しは世の令息らしく令嬢と接する事への恥じらいってものはないの!?)
心の中で反論をするが、口には出せないイクシャは悔し気に顔を背ける。
「へえ……では、お嬢さま。私もこの本が気になるのですが、男だけで読むのもなんですし、一緒に読みませんか?」
何を言い出すかと思えばなんてふざけたことを言うのだろう。「はあ!?」と勢いよく声を上げてしまったイクシャは同時にそのクロヴィスの顔が目に入る。
口が裂けるくらいに口元は笑っているが、肝心の眼は全然笑って居ない。紫水晶の瞳は冷徹に、冷淡になっていた。様子を見て見れば揶揄っている、此方の反応を見て遊んでいると言う事ではなさそうだ、寧ろ、試すような、わざと意地悪い事を言っているような嫌な目つきだった。
前回の人生の時、感じたあの観衆達の眼。婚約破棄を言い捨てられて平手打ちされ罵詈雑言を吐かれた時、言いたい放題悪口を聞こえるように言って来た貴族達の眼、学園で婚約者が他の女と楽しそうに過ごしている反面、独りぼっちだった自分を嗤って来た令嬢の眼。
(あぁ、嫌な感じ。貴方も、そういう眼を、するのね)
「クロヴィスさま……何をお怒りか解り兼ねますが私が何をしたというのですか」
その言葉で、さっきまで感じていた刺々しい瞳や雰囲気は和らいだ気がした。不器用に作った笑顔をイクシャに向けていたクロヴィスは驚いたように瞳を丸くして、口を閉ざす。
そして、やっと本当に、くすりと柔らかく自然な微笑を。
「……、……僕が怒ってるって何で判ったの?」
「何故か判らないけれど……強いて言えば目つきが何時もと、違ったから」
感じたままに素直に恐る恐る答えてみる。すると初めて困ったような表情になる。鼻先から、耳に掛けてふんわりと桃色に染まり色付いていく。
「ああ……困ったな。僕以上に、君は僕の事を解ってる。隠したとしても全部見透かされて困る」
「……そんな事、無いです。貴方の表情は他人からしかわからないけれど、貴方の心は貴方にしかわからないでしょう。気のせいよ、自分以上に他人が自分の事を解るなんて」
そう、気のせいだ。
クロヴィスの態度の変化によって怒っていると気付いたことも偶然に近い。彼が、前回の人生で嫌悪や憎悪、憤怒を向けて来た人の眼をしていたから、他人から叱られて嫌われて妬まれて、恨まれて貶されて陥られてそんな経験をしてきたから。
(私の事を、他人が解らなかったように解ろうともしなかったように……誰も、自分の怒りや悲しみの大奇さなんて決められないし、咎めることも出来ない。クロヴィスの事だって、私がもし、普通の一三歳になった深窓の令嬢、病弱なイクシャ・リセ・ローベルだとしたら、解らなかった)
「君は、普段、何処か遠くを見てる……何かを恐れ怯み訴え掛けている。触れたらすぐに消えてしまいそうに感じて、ならないんだ」
「……それも気のせいでは」
「僕は……僕はさ、今までずっと、何かを拾わなくてはいけない度に大切な何かを捨てて、何かを慰める為に何かを犠牲にしてきたけれど、もし命を奪われると脅されても、君を失うくらいなら死んでも良い。君に似ている人が誰かと一緒に歩いてるだけでも、もしそいつの影響で恋愛小説を読むつもりなのかと想像するだけでどうしようもないくらいに苦しく、なる」
どういう意味、と言おうとしたイクシャは声も出せなかった。悲鳴も、上げられなかった。逃れられないと言うように力強く、あの突然やって来た真夜中の日のように、自然に絡む手が。
「──いっそ、この手でこの腕の中でこうやって何時までも君を閉じ込められたらいいのにね」
甘露のような笑顔を作り出し氷砂糖のような澄んでいてそれでも甘く、奥の深い他人には表現できないような低音の声を発する形の良い唇は静かに閉ざされ、哀し気に瞬く瞳は長い睫毛によって覆い隠される。何言っても聞かなそうにない。
やっぱり変だ。普段通りに戻ったと思えばまた、違う顔をする。
クロヴィスはイクシャが自分以上に自分のことを何もかもを見透かせると言ったものの、出逢った時からこのクロヴィス・デュルフェだけはどうしても解らない。何を思って何を考え何を信念とし、何の為に行動しているか。どうして自分を選ぶのか、何故自分のことをこんなにも気遣ってくれるのか。
自分について、今なら訊ける気がする。誰も居ない事を確認をしたイクシャはクロヴィスに目を向き直す。
(思い切って、此処は訊いて見なくちゃ。人は勢いが大事、タイミングが何よりなんだから! そうでしょう、間違ってないわよね? 一三歳の私!)
「……クロ……ッ」
その瞬間、何を勘づいたか。
「あは、なーんてね。お遊びもこれ以上やると冗談じゃ済まないだろうし、面倒臭いことも色々ついてくるから。僕はこれにてお暇しようかな」
と、今まで自分がイクシャにしたことをお遊びと片付けて逃げようとする。
全くこんな少年に大人と悪女と悪魔と呼ばれていた自分が惑わされて振り回されているのも癪に障る。
「──お待ちになって、デュルフェ公子」
イクシャは、呼び止めた。爆弾少年を、大人をいとも簡単に思うがままに惑わす少年を。
「どうしたの、そんなに僕のことが知りたい? イクシャ」
少年はにっこりと甘露のような微笑を浮かべて首を可愛らしく傾げた。
全てを察したときには遅かったらしい。この少年はこうなると知り、こうなると想定し物事を運んでいるのだ。思い通りに動いて嬉しそうに笑う。
この令嬢、イクシャは勢いやタイミングの使い方を如何やら誤ったらしい。
「恋愛小説を取ろうと迷っていたことが後ろめたいのですか?」
「……別に、そういう訳では、ないわ……よ」
(そういう訳に決まってるでしょ、こんなことも訊かないと判らない訳!? それともわざとなの、未婚約の男女がこの距離で居るのもわざとなの!? ねえ、この人、少しは世の令息らしく令嬢と接する事への恥じらいってものはないの!?)
心の中で反論をするが、口には出せないイクシャは悔し気に顔を背ける。
「へえ……では、お嬢さま。私もこの本が気になるのですが、男だけで読むのもなんですし、一緒に読みませんか?」
何を言い出すかと思えばなんてふざけたことを言うのだろう。「はあ!?」と勢いよく声を上げてしまったイクシャは同時にそのクロヴィスの顔が目に入る。
口が裂けるくらいに口元は笑っているが、肝心の眼は全然笑って居ない。紫水晶の瞳は冷徹に、冷淡になっていた。様子を見て見れば揶揄っている、此方の反応を見て遊んでいると言う事ではなさそうだ、寧ろ、試すような、わざと意地悪い事を言っているような嫌な目つきだった。
前回の人生の時、感じたあの観衆達の眼。婚約破棄を言い捨てられて平手打ちされ罵詈雑言を吐かれた時、言いたい放題悪口を聞こえるように言って来た貴族達の眼、学園で婚約者が他の女と楽しそうに過ごしている反面、独りぼっちだった自分を嗤って来た令嬢の眼。
(あぁ、嫌な感じ。貴方も、そういう眼を、するのね)
「クロヴィスさま……何をお怒りか解り兼ねますが私が何をしたというのですか」
その言葉で、さっきまで感じていた刺々しい瞳や雰囲気は和らいだ気がした。不器用に作った笑顔をイクシャに向けていたクロヴィスは驚いたように瞳を丸くして、口を閉ざす。
そして、やっと本当に、くすりと柔らかく自然な微笑を。
「……、……僕が怒ってるって何で判ったの?」
「何故か判らないけれど……強いて言えば目つきが何時もと、違ったから」
感じたままに素直に恐る恐る答えてみる。すると初めて困ったような表情になる。鼻先から、耳に掛けてふんわりと桃色に染まり色付いていく。
「ああ……困ったな。僕以上に、君は僕の事を解ってる。隠したとしても全部見透かされて困る」
「……そんな事、無いです。貴方の表情は他人からしかわからないけれど、貴方の心は貴方にしかわからないでしょう。気のせいよ、自分以上に他人が自分の事を解るなんて」
そう、気のせいだ。
クロヴィスの態度の変化によって怒っていると気付いたことも偶然に近い。彼が、前回の人生で嫌悪や憎悪、憤怒を向けて来た人の眼をしていたから、他人から叱られて嫌われて妬まれて、恨まれて貶されて陥られてそんな経験をしてきたから。
(私の事を、他人が解らなかったように解ろうともしなかったように……誰も、自分の怒りや悲しみの大奇さなんて決められないし、咎めることも出来ない。クロヴィスの事だって、私がもし、普通の一三歳になった深窓の令嬢、病弱なイクシャ・リセ・ローベルだとしたら、解らなかった)
「君は、普段、何処か遠くを見てる……何かを恐れ怯み訴え掛けている。触れたらすぐに消えてしまいそうに感じて、ならないんだ」
「……それも気のせいでは」
「僕は……僕はさ、今までずっと、何かを拾わなくてはいけない度に大切な何かを捨てて、何かを慰める為に何かを犠牲にしてきたけれど、もし命を奪われると脅されても、君を失うくらいなら死んでも良い。君に似ている人が誰かと一緒に歩いてるだけでも、もしそいつの影響で恋愛小説を読むつもりなのかと想像するだけでどうしようもないくらいに苦しく、なる」
どういう意味、と言おうとしたイクシャは声も出せなかった。悲鳴も、上げられなかった。逃れられないと言うように力強く、あの突然やって来た真夜中の日のように、自然に絡む手が。
「──いっそ、この手でこの腕の中でこうやって何時までも君を閉じ込められたらいいのにね」
甘露のような笑顔を作り出し氷砂糖のような澄んでいてそれでも甘く、奥の深い他人には表現できないような低音の声を発する形の良い唇は静かに閉ざされ、哀し気に瞬く瞳は長い睫毛によって覆い隠される。何言っても聞かなそうにない。
やっぱり変だ。普段通りに戻ったと思えばまた、違う顔をする。
クロヴィスはイクシャが自分以上に自分のことを何もかもを見透かせると言ったものの、出逢った時からこのクロヴィス・デュルフェだけはどうしても解らない。何を思って何を考え何を信念とし、何の為に行動しているか。どうして自分を選ぶのか、何故自分のことをこんなにも気遣ってくれるのか。
自分について、今なら訊ける気がする。誰も居ない事を確認をしたイクシャはクロヴィスに目を向き直す。
(思い切って、此処は訊いて見なくちゃ。人は勢いが大事、タイミングが何よりなんだから! そうでしょう、間違ってないわよね? 一三歳の私!)
「……クロ……ッ」
その瞬間、何を勘づいたか。
「あは、なーんてね。お遊びもこれ以上やると冗談じゃ済まないだろうし、面倒臭いことも色々ついてくるから。僕はこれにてお暇しようかな」
と、今まで自分がイクシャにしたことをお遊びと片付けて逃げようとする。
全くこんな少年に大人と悪女と悪魔と呼ばれていた自分が惑わされて振り回されているのも癪に障る。
「──お待ちになって、デュルフェ公子」
イクシャは、呼び止めた。爆弾少年を、大人をいとも簡単に思うがままに惑わす少年を。
「どうしたの、そんなに僕のことが知りたい? イクシャ」
少年はにっこりと甘露のような微笑を浮かべて首を可愛らしく傾げた。
全てを察したときには遅かったらしい。この少年はこうなると知り、こうなると想定し物事を運んでいるのだ。思い通りに動いて嬉しそうに笑う。
この令嬢、イクシャは勢いやタイミングの使い方を如何やら誤ったらしい。
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