八咫烏 〜神になるか、人として戦うか〜

秀零

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第34話 凍える恐怖と紫苑の温もり

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真っ白な廊下を、ふらつく足で歩いていた。

(……どこ……ここ……)

点滴を抜いた腕からじんわり血が滲んでいる。
けれど、そんな痛みすら全く感じなかった……。

(……誰か……誰かに会いたい……一人で居たくない……)

冷たい空気が肌を刺す⸺。
心臓が早鐘のように鳴り続ける。

あの赤い瞳が、瞼の裏で揺らめいていた。

(……いや……やだ……っ)

頭が割れそうに痛む。
喉が塞がれて、呼吸が苦しい。

(助けて……誰か……紫苑さん……っ)

壁に手をつき、俯いた瞬間だった。

──トン。

肩に手が置かれた。
ビクリと全身が跳ねる。

「……天音?」

低く落ち着いた声が、冷え切った空気に溶けて耳に届いた。

(……紫苑……さん……?)

ゆっくりと顔を上げると、そこに立っていたのは黒髪の男だった。
夜より深い瞳が私を覗き込む。

助けて。
そう言いたかった。
でも、まるで口を塞がれたように、声が出なかった。

「……どうした?」

紫苑さんが一歩近づく。
その気配だけで、ぶるりと震えが走る。

怖い……。

あの赤紫の瞳を思い出すたび、胸の奥が掻き毟られるように苦しくなる。
頭が割れそうで、吐き気がして、寒くて、息ができない。

(……私……私……)

震える唇から、やっと声が漏れる。

「わ……わたし……」

そこまで言って、言葉が続かなかった。

喉の奥が塞がれていく感覚。
言葉を紡ごうとするたびに、鋭い針で脳を突き刺されるみたいに痛む。
あの赤い瞳が、瞼の裏に焼きついて離れない。

(……いやだ……やだ……っ)

「天音……」

紫苑さんが私の頬に触れた。
ひんやりとした指先が、火照った肌を撫でる。

その感触に、涙が溢れた。

助けて……。
そう言いたいのに、喉が震えるだけで声が出ない。

「……大丈夫だ。」

低く響く声。
その声に縋り付きたくなる。
でも、あまりにも遠くて。

頭の奥で、夢の中の声がまた囁いた。

《……戻れ……私の元へ……愛しい……私だけの……》

(いや……いやだ……)

助けて……紫苑さん……。

でも、その言葉も吐き出せない。

紫苑さんは、静かに私を抱き寄せた。
広くて冷たいはずの胸元が、かすかに震えている。

(……紫苑さん……?)

ほんの少しだけ顔を上げると、紫苑さんの表情が僅かに歪んでいることに気づいた。

「……俺には……」

小さく零された声が、あまりにも悲しくて。
胸が詰まって、呼吸が乱れる。

(……私……私……どうなっちゃうの……?)

あの赤い瞳を思い出すたび、自分が自分じゃなくなるみたいに怖かった。
何か大切なものを、全部奪われるような──
そんな得体の知れない恐怖が、喉元まで込み上げてくる。

(……やだ……やだよ……)

唇が震え、声にならない嗚咽が廊下に虚しく響いた。

──

「……戻るぞ。」

紫苑さんの低い声が、耳元で震えるように響いた。
強くて、優しい腕に抱き上げられる。

(……あったかい……)

遠ざかる意識の中、最後に聞こえたのは、紫苑さんの小さな吐息だった。

「……守る。何があっても……」

その言葉は、微かに滲んだ狂気と愛しさを孕んでいた。
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