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【第三十六話】島津の選択
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島津貞久は、上洛し近衛家を訪問していた。
近衛家は先代の家平が10年ほど前に死去し、長男の経忠が第8代当主となっていた。
「貞久どの、大隅・日向守護職への補任、誠におめでとうございます」
「経忠さま、恐縮でございます。しかし、悲願がかないました」
「近頃は、お上の政に納得のいかないものたちが各地で反乱を起こしているようですな」
「大隅・日向も130年間北条一族の支配下にありました故、なかなか反発が強くて苦労しております。日向には我が弟の時久を新納院に遣わしましたが、そちらからも毎日のように援軍要請がきておりますよ」
「東国でも、最後の執権の遺児が反乱軍を指揮して鎌倉を陥落させたとかで、足利尊氏どのが鎮圧のために出陣されるようにございますよ」
「左様でございましたか。鎌倉には弟君の直義どのがおられたはずですが、ご無事なのでしょうか」
「聞いている話ですと、無事に脱出されたそうです」
「それはようございました。しかし、せっかく幕府が滅んだのに、このように政情が安定しないとはいかなることなのでしょうか」
近衛経忠は、少し黙ってから言いにくそうに話し始めた。
「‥ここだけの話ですが、お上の新政が始まって、色々なことが性急に進み過ぎました。お上はなかなかせっかちなご性格故、綸旨なども乱発し、綸旨の重みがなくなってしまっているのもございます。近衛家は帝と一体の家故、本来ならば諫言申し上げなければならない部分もあったのかもしれません。そのような中でも、足利尊氏どのはよくやってくれていると思います」
貞久は、深く頷いた。
「尊氏どのは思慮深きお方故、帝の性急な部分をうまく噛み砕いておられるのでございましょう」
「愚痴のような話になってしまい申し訳ございませぬ」
「いえいえ、経忠さま、貴重なお話を伺いまことにありがとうございました。それに、いつも都の実情をお手紙でいただいており本当に助かっております。引き続き何卒お取立てのほどよろしくお願い申し上げます」
貞久は近衛屋敷を後にした。
京の島津屋敷に戻ると、佐々木道誉という人物が訪ねて来ているとのことであった。
急いで客間に出ると、見事な坊主頭をつるりと撫で上げて愛嬌のある笑顔で佐々木道誉と名乗った。
「島津貞久にございます。佐々木どのと申されましたか。確か、尊氏さまのご家中の方と承知致しておりますが‥」
「貞久さま、左様にございます。本日は主が出陣中により不在のため、主の代理として参上しました」
「佐々木どの、尊氏どのは息災ですかな」
「はい、忙しく飛び回る日常にございます。今回も反乱軍鎮圧のため急ぎ出陣されました」
「して、いかなるご用件で本日は参られたのですか」
「そのことにございます。島津さまにおかれましては、尊氏にとっては無二のお味方との認識でございます。されど、今回の出陣中に予期せぬ不測の事態が起こった場合は取り急ぎは帝のご指示に従っていただきたく存じます」
「‥仰っていることがいまいちよく飲み込めませぬが‥」
「左様ですな。周りくどい言い方はやめましょう。主は今回の反乱軍鎮圧を自らの好機と捉えております。つまり、今回の反乱軍を鎮圧した段階で帝とは袂を別ち、自らの武家政権を設立するための戦いに入ることを考えております」
「‥!?なんと!」
「このまま帝の新政が続けば混乱は大きく日の本中に広がり取り返しのつかない事態になることが想定されます。そうなる前に、帝には一歩後ろに下がっていただき、主みずからが政権を主導する立場となることを目指しております」
「それがしも武家のはしくれ。そのような状態は大いに歓迎するところですが、あの帝がすんなり一歩引き下がってくれるでしょうか」
「そこは、我が主もどのような動きになるのか想定しきれておりません。また、武家の中でも、帝に味方するものも出てくるのではないかと懸念しております。そんな中で、島津さまは、我が主との旧来のよしみから、味方になっていただけると考えこうして事情を打ち明けた次第にございます」
「そこまでご信頼いただけているとは、かたじけない。しかし、先ほど申された、最初は帝の味方をせよとはどういう意味ですかな」
佐々木道誉はつるりと頭を撫で回してから話し始めた。
「おそらく帝は、我が主が離反したと知ればその討伐軍を在京の武家の中から選抜することでしょう。それを無視することはなかなか難しいことと存じます。よって、その状態をうまく活用して、討伐軍の内情を探っていただき、誰が味方になってくれそうか見極めをしていただきたいのです」
「なるほど、確かにそのような流れになるであろうな。これは島津の命運もかかっておるな」
「左様にございます。下手な動き方をすればどこかから横槍が入り即潰されるでしょうな」
佐々木道誉という男、足利家中でも切れ者という噂は聞いていたが、他の選択肢は取りようがないところまで追い込まれてしまったわい。
貞久は、背筋が凍る思いがした。
ええい、ままよ。足利尊氏に賭けるしかない。
「佐々木どの、お話はよくわかり申した。島津家は一族を挙げて足利尊氏どのにお味方いたします」
「さすが、南国の雄島津どの。見事なお覚悟にございます」
佐々木道誉が帰ると、貞久は川上頼久、島津宗久、酒匂久景、6番目の弟の島津資忠、末の弟の島津久泰を集めた。
「我が島津家は一族を挙げて足利尊氏どのにお味方することになった。みな心して聞いてほしい」
貞久は先ほどの道誉の話を簡潔に皆に話して聞かせた。
「おう、武家の世の中にな武家の棟梁が必要ほいなら。足利尊氏どのにお味方いたしもんそ」
資忠が第一声を上げた。
「父上のご判断に従います」
川上頼久が言った。
「兄上のご判断に間違いはござらぬ。わしも兄上に従おいもすぞ」
末の弟の久泰も賛同の声を上げた。
「みな、よくぞ賛成してくれた。島津が生き残るためにはこの方法しかないとわしは思う。まだまだ苦労をかけるがよろしく頼んだぞ」
貞久は、齢67歳になっていた。
なかなか簡単には隠居させてもらえぬな、と独りごちた。
近衛家は先代の家平が10年ほど前に死去し、長男の経忠が第8代当主となっていた。
「貞久どの、大隅・日向守護職への補任、誠におめでとうございます」
「経忠さま、恐縮でございます。しかし、悲願がかないました」
「近頃は、お上の政に納得のいかないものたちが各地で反乱を起こしているようですな」
「大隅・日向も130年間北条一族の支配下にありました故、なかなか反発が強くて苦労しております。日向には我が弟の時久を新納院に遣わしましたが、そちらからも毎日のように援軍要請がきておりますよ」
「東国でも、最後の執権の遺児が反乱軍を指揮して鎌倉を陥落させたとかで、足利尊氏どのが鎮圧のために出陣されるようにございますよ」
「左様でございましたか。鎌倉には弟君の直義どのがおられたはずですが、ご無事なのでしょうか」
「聞いている話ですと、無事に脱出されたそうです」
「それはようございました。しかし、せっかく幕府が滅んだのに、このように政情が安定しないとはいかなることなのでしょうか」
近衛経忠は、少し黙ってから言いにくそうに話し始めた。
「‥ここだけの話ですが、お上の新政が始まって、色々なことが性急に進み過ぎました。お上はなかなかせっかちなご性格故、綸旨なども乱発し、綸旨の重みがなくなってしまっているのもございます。近衛家は帝と一体の家故、本来ならば諫言申し上げなければならない部分もあったのかもしれません。そのような中でも、足利尊氏どのはよくやってくれていると思います」
貞久は、深く頷いた。
「尊氏どのは思慮深きお方故、帝の性急な部分をうまく噛み砕いておられるのでございましょう」
「愚痴のような話になってしまい申し訳ございませぬ」
「いえいえ、経忠さま、貴重なお話を伺いまことにありがとうございました。それに、いつも都の実情をお手紙でいただいており本当に助かっております。引き続き何卒お取立てのほどよろしくお願い申し上げます」
貞久は近衛屋敷を後にした。
京の島津屋敷に戻ると、佐々木道誉という人物が訪ねて来ているとのことであった。
急いで客間に出ると、見事な坊主頭をつるりと撫で上げて愛嬌のある笑顔で佐々木道誉と名乗った。
「島津貞久にございます。佐々木どのと申されましたか。確か、尊氏さまのご家中の方と承知致しておりますが‥」
「貞久さま、左様にございます。本日は主が出陣中により不在のため、主の代理として参上しました」
「佐々木どの、尊氏どのは息災ですかな」
「はい、忙しく飛び回る日常にございます。今回も反乱軍鎮圧のため急ぎ出陣されました」
「して、いかなるご用件で本日は参られたのですか」
「そのことにございます。島津さまにおかれましては、尊氏にとっては無二のお味方との認識でございます。されど、今回の出陣中に予期せぬ不測の事態が起こった場合は取り急ぎは帝のご指示に従っていただきたく存じます」
「‥仰っていることがいまいちよく飲み込めませぬが‥」
「左様ですな。周りくどい言い方はやめましょう。主は今回の反乱軍鎮圧を自らの好機と捉えております。つまり、今回の反乱軍を鎮圧した段階で帝とは袂を別ち、自らの武家政権を設立するための戦いに入ることを考えております」
「‥!?なんと!」
「このまま帝の新政が続けば混乱は大きく日の本中に広がり取り返しのつかない事態になることが想定されます。そうなる前に、帝には一歩後ろに下がっていただき、主みずからが政権を主導する立場となることを目指しております」
「それがしも武家のはしくれ。そのような状態は大いに歓迎するところですが、あの帝がすんなり一歩引き下がってくれるでしょうか」
「そこは、我が主もどのような動きになるのか想定しきれておりません。また、武家の中でも、帝に味方するものも出てくるのではないかと懸念しております。そんな中で、島津さまは、我が主との旧来のよしみから、味方になっていただけると考えこうして事情を打ち明けた次第にございます」
「そこまでご信頼いただけているとは、かたじけない。しかし、先ほど申された、最初は帝の味方をせよとはどういう意味ですかな」
佐々木道誉はつるりと頭を撫で回してから話し始めた。
「おそらく帝は、我が主が離反したと知ればその討伐軍を在京の武家の中から選抜することでしょう。それを無視することはなかなか難しいことと存じます。よって、その状態をうまく活用して、討伐軍の内情を探っていただき、誰が味方になってくれそうか見極めをしていただきたいのです」
「なるほど、確かにそのような流れになるであろうな。これは島津の命運もかかっておるな」
「左様にございます。下手な動き方をすればどこかから横槍が入り即潰されるでしょうな」
佐々木道誉という男、足利家中でも切れ者という噂は聞いていたが、他の選択肢は取りようがないところまで追い込まれてしまったわい。
貞久は、背筋が凍る思いがした。
ええい、ままよ。足利尊氏に賭けるしかない。
「佐々木どの、お話はよくわかり申した。島津家は一族を挙げて足利尊氏どのにお味方いたします」
「さすが、南国の雄島津どの。見事なお覚悟にございます」
佐々木道誉が帰ると、貞久は川上頼久、島津宗久、酒匂久景、6番目の弟の島津資忠、末の弟の島津久泰を集めた。
「我が島津家は一族を挙げて足利尊氏どのにお味方することになった。みな心して聞いてほしい」
貞久は先ほどの道誉の話を簡潔に皆に話して聞かせた。
「おう、武家の世の中にな武家の棟梁が必要ほいなら。足利尊氏どのにお味方いたしもんそ」
資忠が第一声を上げた。
「父上のご判断に従います」
川上頼久が言った。
「兄上のご判断に間違いはござらぬ。わしも兄上に従おいもすぞ」
末の弟の久泰も賛同の声を上げた。
「みな、よくぞ賛成してくれた。島津が生き残るためにはこの方法しかないとわしは思う。まだまだ苦労をかけるがよろしく頼んだぞ」
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