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【第八話】緑騎衆
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戸次道雪は自ら緑騎衆という部隊の編制に力を入れていた。
1000人ほどの規模で、調練はことのほか厳しかった。
司令官として、由布惟信、十時連貞、安東家忠、高野大膳の4人を指名し、250人ずつ兵を預けた。
まだ10歳になったばかりの小野鎮幸はその兵たちに交じって調練を繰り返していた。
鎮幸は由布惟信の部隊に所属していたが、毎日の厳しい調練で死者が出るのを目の当たりにしていた。
そのたびに補充の人員は入るのだが、みな最初は恐怖に満ちた表情で入隊してきた。
1か月もすると、生き残った新規の兵たちは顔つきが変わってくる。
自分の限界を越えた証だった。
鎮幸も、必死にその調練にくらいついていた。
「おぬし、まだ子どものようだが、我が調練についてくるとはやるではないか」
由布惟信が気にかけて鎮幸に話かけてきた。
「由布さま!わざわざのお声がけ、感激にございます。それがしは小野鑑幸が一子小野鎮幸と申します。」
「おお、鑑幸どののご子息か。わしの見るところ、おぬしは司令官としての素質がありそうじゃ。どうじゃ、わしの元で直接兵の指揮について学ばぬか?」
「よろしいのですか?」
「ああ、優秀な司令官はいくらおっても足りることはない。ましてや、おぬしはその素質がありそうじゃ。ぜひわしの元で学ぶがよい」
「かしこまりました」
その日から、鎮幸は惟信の元で、司令官としての知識を叩き込まれていくことになる。
それは一兵卒として鍛錬しているよりもつらく厳しいものであった。
「道雪さま、実は最近お屋形さまが、狂暴な猿を手に入れられ、それをおもしろがって、家臣にけしかけているようにございます。家臣たちがみな困り果てております。どうにかなりませぬか」
「そうか、ではお屋形さまに一度お目通りを願おう」
「お屋形さま、道雪にございます」
「おう、道雪か。実はの、最近おもしろい猿を手に入れてな。ほれ、こいつがその猿じゃ。道雪に遊んでもらえ」
義鎮は猿を道雪にけしかけてきた。
一瞬であった。道雪は持っていた鉄扇でその猿を叩き殺したのである。
義鎮は唖然として道雪を見た。
「お屋形さま、人を弄べば徳を失い、物を弄べば志を失うと申します。家臣は大友家にとって宝にございます。その宝に対して、断れない遊びをけしかけて迷惑をかけるとは言語道断にございます」
「う……うむ、すまなかった。今後はこのようなことがなきよう気をつけよう」
「ときに、お屋形さま、大内家が毛利元就に滅ぼされ、毛利の影響力が北九州まで広がってきております。我らに従属していた、秋月文種が毛利と通じているようにございます。また、筑紫惟門も怪しげな動きがあるとのこと。筑前方面への出兵をご許可いただけますでしょうか」
「うむ、わかった。兵を出し事の真偽を確かめて参れ」
「ははっ、では早速仕度をさせていただきます」
「臼杵どの、筑前へ出陣でございます。お仕度をよろしくお願いします」
「よし、わかった。早速仕度することとしよう。それにしても道雪どの、猿の件は見事なご判断にございました。我等も苦慮していたのです」
「お屋形さまは少し目を離すと悪戯好きなところがございます故、何をしでかすかわからぬところがあります。けれど、芯の志は持っているお方。きちんとお話すれば必ずご理解いただけます」
「左様であるな。だからこそこうして大友家はまとまっておる。その要はやはり道雪どの、あなたの存在が大きいのですよ」
「鎮幸、緑騎衆も出番じゃぞ。筑前方面で戦じゃ。おぬしにとっては初陣じゃの。見事な活躍を期待しておるぞ」
「はい、由布さま。手足の震えが止まりませぬ」
「はっはっは、わしも初陣のときはそうであったわ。みなが通ってきた道じゃ。おぬしも見事に乗り越えよ!」
「はい。かしこまりました」
弘治3年7月、大友軍は2万の軍勢を戸次道雪、臼杵鑑速に預け、秋月討伐に向かった。
秋月文種は本拠地の杉本城を捨て、嫡男の晴種がいた古処山城に籠った。
古処山城は四方を山に囲まれた天然の要害であり、大軍が思ったように取り付くことができそうになかった。
しかし、道雪は全く容赦しなかった。
緑騎衆の十時連貞は、忍びの技術を得意としており、徹底抗戦する秋月勢の中に紛れ込み、内部から切り崩しにかかった。
内部から切り崩されては、いかに堅牢な城に籠っていても役に立ちはしない。
鎮幸も懸命に太刀を振った。敵兵は雲霞のごとく押し寄せてくる。
とにかく太刀を振ることによって、自分の中の迷いも消し去ろうとした。
ある瞬間から、敵兵が引き上げを始めた。十時隊の攻撃が効いているようであったが、一兵卒の鎮幸には状況はよくわからなかった。
敵兵は引き上げていったが、手足の震えは止まらなかった。
これが戦なのだ。
敵兵が去っていったあとの血なまぐさい戦場に鎮幸は呆然と立ち尽くしていた。
秋月文種・晴種親子は自害に追い込まれ、その他の一族は毛利家を頼って落ち延びていった。
勢いに乗った大友軍はそのまま筑紫惟門・広門親子が籠る五箇山城を攻め、筑紫親子は毛利家を頼って逃亡した。
大友家に反旗を翻した国人たちを攻め、さらに、筑前における旧大内領内の確保にも努めてから豊後に凱旋した。
その翌年の永禄元年6月、毛利家が動き出す。
毛利元就の三男小早川隆景が、水軍を用いて奇襲により門司城を攻略したのである。
さらに、毛利元就の嫡男毛利隆元が筑前・豊前方面の諸将を調略し、筑前の宗像氏、豊前の長野氏を味方とすることに成功。各将は大友家に反旗を翻し挙兵する。
それに対し、大友義鎮は、10月に入ると、道雪を中心とする1万5千の兵を門司城へ派兵した。
大友軍の先鋒は田原親宏、臼杵鑑速、吉弘鑑理らであったが、毛利勢の吉川元春・小早川隆景の両川の連携攻撃に苦戦していた。
豊前柳ヶ浦村で布陣していた道雪は、緑騎衆から弓の名手800人を選抜し、毛利兵に矢を大量に射込ませ、その矢には『参らせ戸次伯耆守』と朱書きさせた。
その矢を目にした毛利兵は、雷神・道雪の降臨を恐れ、吉川元春・小早川隆景は道雪・斎藤鎮実ら大友勢の挟撃に遭い、総崩れで門司城に退却し、その後、城から出て毛利領へ退却していった。
これを逃さず、臼杵鎮続が追撃をし、毛利勢に多大な被害を与えることに成功した。
こうして、大友軍は門司城を奪還し、怒留湯直方を城将として配置した。
「やはり、道雪どのの雷名は効果てきめんですな」
臼杵鑑速が道雪に向かって言った。
「なんの、それにしてもあの毛利兄弟、まだ若いが戦上手じゃの。今後もっと大きく成長するであろう。その時は此度のようにはいかぬかもしれぬぞ」
「ですな。毛利元就自慢の三兄弟ですからな」
翌永禄2年には、大友義鎮は将軍足利義輝から豊前・筑前・筑後の守護職に任じられ、豊前・筑前の攻略に着手した。
8月に入ると、田原親宏、田原親賢、佐田隆居ら大友軍豊前方面軍は毛利元就の調略に応じ挙兵した豊前国人の西郷隆頼や野仲鎭兼らの不動岳城・西郷城を攻略した。
しかし、元就の調略は激しく、城将が留守にしていた門司城をはじめ、花尾城、香春城が浪人一揆で占拠され挙兵した。
「くそっ!元就め。豊前方面軍に伝えよ。門司・花尾・香春は未だ落ちておらぬ。残党は討ち果たすべし!」
義鎮は怒り心頭であった。
9月に入り、義鎮は、田原親宏、親賢、佐多隆居ら方面軍に門司城の攻略を命じた。
これに対し、毛利元就は、毛利隆元・小早川隆景を門司城の後詰に向かわせた。
「児玉就方、門司周辺の海上封鎖をせよ」
隆景は命じた。
同時に、門司と小倉の間に乃美宗勝の軍勢を上陸させ大友軍を攻撃し、さらに水軍を展開して大友軍の退路を断つなどしたため、大友軍は退却を余儀なくされた。
しかし、26日、大友軍方面軍は再び軍を整え、門司城を攻撃。
毛利方の門司城督・波多野興滋らを討ち取った。
「毛利元就、やはり油断のならぬ男よ」
道雪は、独り言ちた。
1000人ほどの規模で、調練はことのほか厳しかった。
司令官として、由布惟信、十時連貞、安東家忠、高野大膳の4人を指名し、250人ずつ兵を預けた。
まだ10歳になったばかりの小野鎮幸はその兵たちに交じって調練を繰り返していた。
鎮幸は由布惟信の部隊に所属していたが、毎日の厳しい調練で死者が出るのを目の当たりにしていた。
そのたびに補充の人員は入るのだが、みな最初は恐怖に満ちた表情で入隊してきた。
1か月もすると、生き残った新規の兵たちは顔つきが変わってくる。
自分の限界を越えた証だった。
鎮幸も、必死にその調練にくらいついていた。
「おぬし、まだ子どものようだが、我が調練についてくるとはやるではないか」
由布惟信が気にかけて鎮幸に話かけてきた。
「由布さま!わざわざのお声がけ、感激にございます。それがしは小野鑑幸が一子小野鎮幸と申します。」
「おお、鑑幸どののご子息か。わしの見るところ、おぬしは司令官としての素質がありそうじゃ。どうじゃ、わしの元で直接兵の指揮について学ばぬか?」
「よろしいのですか?」
「ああ、優秀な司令官はいくらおっても足りることはない。ましてや、おぬしはその素質がありそうじゃ。ぜひわしの元で学ぶがよい」
「かしこまりました」
その日から、鎮幸は惟信の元で、司令官としての知識を叩き込まれていくことになる。
それは一兵卒として鍛錬しているよりもつらく厳しいものであった。
「道雪さま、実は最近お屋形さまが、狂暴な猿を手に入れられ、それをおもしろがって、家臣にけしかけているようにございます。家臣たちがみな困り果てております。どうにかなりませぬか」
「そうか、ではお屋形さまに一度お目通りを願おう」
「お屋形さま、道雪にございます」
「おう、道雪か。実はの、最近おもしろい猿を手に入れてな。ほれ、こいつがその猿じゃ。道雪に遊んでもらえ」
義鎮は猿を道雪にけしかけてきた。
一瞬であった。道雪は持っていた鉄扇でその猿を叩き殺したのである。
義鎮は唖然として道雪を見た。
「お屋形さま、人を弄べば徳を失い、物を弄べば志を失うと申します。家臣は大友家にとって宝にございます。その宝に対して、断れない遊びをけしかけて迷惑をかけるとは言語道断にございます」
「う……うむ、すまなかった。今後はこのようなことがなきよう気をつけよう」
「ときに、お屋形さま、大内家が毛利元就に滅ぼされ、毛利の影響力が北九州まで広がってきております。我らに従属していた、秋月文種が毛利と通じているようにございます。また、筑紫惟門も怪しげな動きがあるとのこと。筑前方面への出兵をご許可いただけますでしょうか」
「うむ、わかった。兵を出し事の真偽を確かめて参れ」
「ははっ、では早速仕度をさせていただきます」
「臼杵どの、筑前へ出陣でございます。お仕度をよろしくお願いします」
「よし、わかった。早速仕度することとしよう。それにしても道雪どの、猿の件は見事なご判断にございました。我等も苦慮していたのです」
「お屋形さまは少し目を離すと悪戯好きなところがございます故、何をしでかすかわからぬところがあります。けれど、芯の志は持っているお方。きちんとお話すれば必ずご理解いただけます」
「左様であるな。だからこそこうして大友家はまとまっておる。その要はやはり道雪どの、あなたの存在が大きいのですよ」
「鎮幸、緑騎衆も出番じゃぞ。筑前方面で戦じゃ。おぬしにとっては初陣じゃの。見事な活躍を期待しておるぞ」
「はい、由布さま。手足の震えが止まりませぬ」
「はっはっは、わしも初陣のときはそうであったわ。みなが通ってきた道じゃ。おぬしも見事に乗り越えよ!」
「はい。かしこまりました」
弘治3年7月、大友軍は2万の軍勢を戸次道雪、臼杵鑑速に預け、秋月討伐に向かった。
秋月文種は本拠地の杉本城を捨て、嫡男の晴種がいた古処山城に籠った。
古処山城は四方を山に囲まれた天然の要害であり、大軍が思ったように取り付くことができそうになかった。
しかし、道雪は全く容赦しなかった。
緑騎衆の十時連貞は、忍びの技術を得意としており、徹底抗戦する秋月勢の中に紛れ込み、内部から切り崩しにかかった。
内部から切り崩されては、いかに堅牢な城に籠っていても役に立ちはしない。
鎮幸も懸命に太刀を振った。敵兵は雲霞のごとく押し寄せてくる。
とにかく太刀を振ることによって、自分の中の迷いも消し去ろうとした。
ある瞬間から、敵兵が引き上げを始めた。十時隊の攻撃が効いているようであったが、一兵卒の鎮幸には状況はよくわからなかった。
敵兵は引き上げていったが、手足の震えは止まらなかった。
これが戦なのだ。
敵兵が去っていったあとの血なまぐさい戦場に鎮幸は呆然と立ち尽くしていた。
秋月文種・晴種親子は自害に追い込まれ、その他の一族は毛利家を頼って落ち延びていった。
勢いに乗った大友軍はそのまま筑紫惟門・広門親子が籠る五箇山城を攻め、筑紫親子は毛利家を頼って逃亡した。
大友家に反旗を翻した国人たちを攻め、さらに、筑前における旧大内領内の確保にも努めてから豊後に凱旋した。
その翌年の永禄元年6月、毛利家が動き出す。
毛利元就の三男小早川隆景が、水軍を用いて奇襲により門司城を攻略したのである。
さらに、毛利元就の嫡男毛利隆元が筑前・豊前方面の諸将を調略し、筑前の宗像氏、豊前の長野氏を味方とすることに成功。各将は大友家に反旗を翻し挙兵する。
それに対し、大友義鎮は、10月に入ると、道雪を中心とする1万5千の兵を門司城へ派兵した。
大友軍の先鋒は田原親宏、臼杵鑑速、吉弘鑑理らであったが、毛利勢の吉川元春・小早川隆景の両川の連携攻撃に苦戦していた。
豊前柳ヶ浦村で布陣していた道雪は、緑騎衆から弓の名手800人を選抜し、毛利兵に矢を大量に射込ませ、その矢には『参らせ戸次伯耆守』と朱書きさせた。
その矢を目にした毛利兵は、雷神・道雪の降臨を恐れ、吉川元春・小早川隆景は道雪・斎藤鎮実ら大友勢の挟撃に遭い、総崩れで門司城に退却し、その後、城から出て毛利領へ退却していった。
これを逃さず、臼杵鎮続が追撃をし、毛利勢に多大な被害を与えることに成功した。
こうして、大友軍は門司城を奪還し、怒留湯直方を城将として配置した。
「やはり、道雪どのの雷名は効果てきめんですな」
臼杵鑑速が道雪に向かって言った。
「なんの、それにしてもあの毛利兄弟、まだ若いが戦上手じゃの。今後もっと大きく成長するであろう。その時は此度のようにはいかぬかもしれぬぞ」
「ですな。毛利元就自慢の三兄弟ですからな」
翌永禄2年には、大友義鎮は将軍足利義輝から豊前・筑前・筑後の守護職に任じられ、豊前・筑前の攻略に着手した。
8月に入ると、田原親宏、田原親賢、佐田隆居ら大友軍豊前方面軍は毛利元就の調略に応じ挙兵した豊前国人の西郷隆頼や野仲鎭兼らの不動岳城・西郷城を攻略した。
しかし、元就の調略は激しく、城将が留守にしていた門司城をはじめ、花尾城、香春城が浪人一揆で占拠され挙兵した。
「くそっ!元就め。豊前方面軍に伝えよ。門司・花尾・香春は未だ落ちておらぬ。残党は討ち果たすべし!」
義鎮は怒り心頭であった。
9月に入り、義鎮は、田原親宏、親賢、佐多隆居ら方面軍に門司城の攻略を命じた。
これに対し、毛利元就は、毛利隆元・小早川隆景を門司城の後詰に向かわせた。
「児玉就方、門司周辺の海上封鎖をせよ」
隆景は命じた。
同時に、門司と小倉の間に乃美宗勝の軍勢を上陸させ大友軍を攻撃し、さらに水軍を展開して大友軍の退路を断つなどしたため、大友軍は退却を余儀なくされた。
しかし、26日、大友軍方面軍は再び軍を整え、門司城を攻撃。
毛利方の門司城督・波多野興滋らを討ち取った。
「毛利元就、やはり油断のならぬ男よ」
道雪は、独り言ちた。
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