天念少女~スタート~

イヲイ

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ファンタジー・インゼンカ

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~ファンタジー・インゼンカ~

 《――呪いにかかった。
 ――永遠に、落ちない呪い。
 ――『あの日』出来た生傷と服の汚れは、歳を重ねれば、あるいは洗えばそれで十分だったのに。
 善果は総からの電話を、気がついていながら無視を決め込む。最愛で最悪の…息子は、いい加減善果に避けられていることに気がついている。
 電話のコールが止む。はぁ、とため息をついて、善果は鏡の前の寝不足の窶れた顔にまたため息をついた。
 大海原を越えた先から、滅多に来ない電話が来るということは、総の身に何かがあったことは明白だ。偶然側にいる、善果専用家事代行サービス者も、困ったように今からでも善果に電話に出るよう催促する。しかし、善果は適当に流すと、とっとと五日ぶりのベッドに潜り込んでしまった。時刻的には、大変早い就寝だ。
 ふかふかの高級布団の中で、善果は二日後には、旧友からの誘いでパーティーにも出席せねばならない、無駄な心配事を増やしたくないと、総の電話に出なかったことを心の中で正当化する。
 それでもどうも総が気になり、眠れない。
 だが、しかし善果に電話をかけ直すという選択はなかった。
 善果が持つ二十一年前から解けない呪いは、善果に金銭的余裕を与え、精神的苦痛を与えていた。それほどまでに威力があった。

 善果が目を瞑ると、そこでは二十一年前の『事件』が鮮明に映る。そしてなにも出来なかった自分が客観的に見え、次の瞬間には血まみれの少女が表れた。彼女を前にしても、何も出来なかった無力な善果が、悪意を込めて表れる。
 善果はたまらず飛び起きて、デスクへと向かった。ここ最近は睡眠は机の上だ。そして善果は今日もまた、限界が来れば勝手に寝るだろうと過度に体に期待をし、過度に頭と体を働かせる。それはもう、二十一年前からずっと変わらない。その生活ペースが崩れた時がなかったわけではないが、結局こうなってしまっている。
 善果はパソコンに向かいながら、脳裏でこんなことを考え続ける。

 ――最愛にして、最悪の母親から生まれた息子は、私のせいで死ぬかもしれない。
 ――大切なひとは、死ぬかもしれない。
 ――これは、永遠に続く呪いだから。

 呪いを背負った善果は、こうして今日もまた苦痛の日々を仕事で紛らわせていくのであった。》



 「改めまして。私は漆原善果。まあ…一応総の産みの親ね。」
 尤も、総にとっては不本意でしょうけど、と善果実は誰に言うでもなく呟いた。幸いなのか、誰の耳にも届かなかった。
 「ええと、正珠、空、この子達は…」
「あ、初めまして!正ちゃんや空の友人の、楠木アリスです!」
「光、です。」
「そう。高校生がなんでこんな場所に?楽しくないでしょ。」
 正珠達は善果に連れられ、緻密な模様が描かれた絨毯のしかれた廊下へと出る。この建物はおかしくて、部屋はひとつしかないのに、部屋に沿うように意味もなく、右側に長細い廊下が設置されているのだ。最早第二の部屋として休憩できるスペースと化している。
 「ええと、そう、コネクション作りをですね…」
 正珠は少し口ごもりつつ伝えた。大勢の失踪事件を簡単に信じてはくれないだろうと考えていたため、ぼやかそうと決めたのだ。
 仕草こそ不自然なものの、嘘の理由が善果にはごく自然なものに思えて、少しだけ笑ってみせた。はしゃぐ子供が仕掛けようとする小さなイタズラを遠くから眺めている母親のような笑顔だ。
 「正珠らしいわね。何かほしいコネでもあるわけ?」
 ありがたいことに、誤魔化したままに善果に相談することが出来る状況を、善果自身が作ってくれた。正珠は親同士の繋がりで、総の家と家族ぐるみで付き合っていたことを嬉しく思いながら、わざと悩むふりをみせる。しかし脳内は、このパーティーの関係者一択だった。
 「うーん、そうですね…あ、そうだ。このパーティーの関係者とかですかね?これだけ有名な人達を集められる人に、ぜひ会ってお話ししてみたいです!」
「ふぅん…中々良いとこに目を付けるわね。てっきり、優花やハーバルの社長って言うのかと思ってた」
 大手会社ハートバルーンを略した善果はその、ハーバルの社長の方を見る。善果に気がついた社長は手を振り替えし、それから空の方にも軽く手を振った。
 「空は知り合いなのね」
「あ、はい…!と言っても、ほとんど覚えていませんが…」
 善果は気がつけば、空の頭を軽く撫でていた。ストレートで柔らかい空の髪は、撫でるだけで心地よい。
 「あ、あの…」
 空は恥ずかしそうに、くすぐったそうに顔をしかめると、善果はそこでハッと気がつく。
 「ごめんなさいね、無意識の内に。」
「い、いえ…」
「…それで、なんの話だっけ?」
「パーティーの関係者さんと皆で、話がしたいって話してました!」
「あ、そうね。わかった、良いわ。ここの今のパーティー主催者とは知り合いだから、連絡先なら教えられるわ、あの子午前中はよく家にいるから高確率で会えるわ。」
「「「え!?」」」
「そう、なの」
 あまりにもあっさりとした返事に、正珠達は思わずすっとんきょうな声を上げてしまった。
 善果はそんな反応にあきれ顔を見せた。編まれた毛先をくるりと回してから、携帯を取り出す。
 「それほど驚くこと?実を言うとね、ユミも狼学園のOBだから、一度で良いから今通ってる子達…つまりは貴女達に会いたいってメールが来てたのよ。…無視したけど。」
「ユミさんですか?」
「そ。表向きはちっちゃな工場の社長なんだけどね。裏では研究者をしてて、確か…なんちゃら人間?あまりはっきり言ってくれなかったけど…それについてを調べてるのよ。他しかここは誰かから貰ったらしくてね…譲渡された後もパーティーを続ける理由としては、多分元研究所立ったのを再利用してるんじゃないかしら。無償で交流の場を作って、媚びを売って、研究の資金を集めてるのよ、あの子は。」
 かく言う私もその見え透いた投資募集に引っ掛かっちゃってるんだけどねとため息を付くと、正珠に向けて連絡先を見せる。
 「ほら、これ。今ケータイある?」
「あ、ありがとうございます、でも携帯は大丈夫です。すぐ覚えるん…あれ?」
 善果が見せた携帯に、正珠は思わず目を丸くした。
 赤弓弓子。正珠自身、何となく善果が語った研究者の半生と弓子の半生は類似している気がしていたが、まさか同じとは。そう、善果以外のこの場の誰しもが思った。
 「ユミユミさんが研究者!?」
「知り合い?」
「知り合いっていうか…最近、工場を見学させてもらったんです。」
「え?」
 今度は善果が驚く。
 「それって、いつ?」
「確か…一週間くらい前です」
「…………」
「善果さん?」
「それはおかしいわ」
 善果は携帯を内側にあるポケットに仕舞い、口に軽く手を当てる。
 「だって、狼クラスの知り合いがいるなら会ってみたいって連絡来たの、二日前よ。」
 それはつまり、弓子は正珠達狼クラスの生徒に出会ってから、正珠達に会ってみたいと善果に連絡したことになる。
 「…よく分かんないけど…時々、ユミはなに考えてるか分かんないとこがあるの。危害を加えたりとかは全く無かったけど…やっぱり会うのはやめときなさい。」
「…そうですか…善果さんがそう言うなら、やめておきます。」
 善果は胸騒ぎがして、正珠に念のため訊ねる。
 「ユミの連絡先、覚えてない?」
「はい、覚えてないです!」
 正珠は元気よく嘘を吐く。
 しかしそんなことは知らない空やアリスは分かりやすく落ち込んだ。
 そもそも彼女達のテンションを上げたのは善果なので、慌てて善果は代替案を用意した。
 「そうだ、ユミは駄目でも、優花なら今度じっくり話せる場所と時間を提供できるわ。あの子確か、可愛い子のヘアアレンジやメイクがしたいって言ってたから。」
 善果は双方にメリットがあるような提案をポンポンと思い付くと、その内で一番良さそうなものを選択する。
 アリスが話したがっていたのを何処と無く感じていた善果の洞察力の結論だ。
 「い、良いんですかぁー!?」
 善果の選択は正しかったようで、アリスは今日一番の大声を出した。
 「良いわよ。じゃあ今から取り付けに行きましょう。」
 善果はそう言うと、仮面を着けて再びパーティー会場へ向かった。待機しようとしていた光は、空とアリスに無理矢理連れられた。

 「じゃあ、私はそろそろ帰るわ」
 優花と正珠達が近々合う約束を結ばせた善果は、デフォルトの仏頂面のまま、廊下で四人に別れの言葉を告げた。
 帰り際、善果はふと思い出したように装い、さりげなく正珠に訊ねる。
 「あのさ、正珠。総がこの前私に電話してきた時…何て言おうとしてたか、知ってる?」
「えぇーと…」
 仮面パーティーのチケットを取り寄せてもらおうとしていたと説明すれば、そこからボロが出て善果にしつこく問われるかもしれない。
 正珠に案外協力的だった善果には失踪事件の事を説明しても良いかもとも考えた正珠だったが、仮にそうすればクラスメイトの救出云々より、精神科に連れられる未来が頭によぎったので諦める。
 代わりに正珠は、今日お世話になった善果の為に善果が喜びそうな嘘をつくことにした。
 「確か…久しぶりに話したかったって言ってました。」
 正珠は総の母親が、総を嫌っているわけないと過信といっても過言ではないほど信じていたのだ。
 案の定、善果の顔は綻び、「そう…いや、本当にふと思っただけだから、気にしないで」と見え透いた嘘を口にした。
 「じゃあ、総は元気なのよね?」
 ずっと、総が緊急事態ゆえに電話をかけてきたと考えていた善果はほっとしながら正珠達に確認をとる。
 優花と話せてご満悦の空は、何度も頷いた。
 「はい!すごく元気ですよ!よく透君と仲良くしてますし、その他の私達含めた皆とだって!」
「…その、透って子は?」
「川先透です。総君と同室の…」
「っ!?!?」

 みるみる内に善果の顔は青ざめていく。呼吸が乱れて、善果は右手で胸元の長方形のつるつるした白いバッチを乱暴に掴んだ。
 「呪いよ…これは…」
「ぜっ、善果さん!?」
 慌てて正珠とアリスは駆け寄ったが、正珠が伸ばした手を善果は強く振り払った。
 「なんでもない!と、とにかく私はもう帰るわ。じゃあね!」
 捨て台詞のように乱暴に吐くと、善果は走り去ってしまった。
 「だ、大丈夫かな…」
「…………」
 善果は先程、正珠に強く拒絶された。
 ――きっかけはなんだったろうか?

 川先透。

 善果はその名前を聞いた途端、極度に驚いた。
 「透君…」
 空は思わず、透の名を呼ぶ。
 失踪事件が解決すれば、いずれこの件も知りたいという探求心が、空の中で小さく芽生えた。
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