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出会い
はじめてのともだち
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「望月くん、ゲーム持ってないってほんと?」
「だったら何」
新しい小学校では実に平和な時間が流れていた。卒業間近という時期のせいだろうか。誰もおれと積極的に仲良くしようとはしなかった。ゲームを持っていないという理由で嘲笑されることにも慣れていた。
貧乏より太っていることを揶揄されることのほうがずっと多かったが、この学校ではどういうわけかからかいの対象にはならない。公立小学校のくせに治安が良い、お上品な連中ばかりだった。
「いや……俺もないから。同じだね」
だから、そんな自信なさげな返事が返ってくるのは想定外だった。お高く止まっていて、人間の善性を信じていて、金持ちで、平和ボケしている。苛立ちを抑えて顔を上げた。放課後の教室にはもう誰も残っていない。窓からはオレンジ色の夕陽が射し込んでいる。
「友達いないの?」
「え……なんで」
「おれに話しかけるやつなんていないから」
目を伏せた。名前なんだっけ。クラスではみんなに好かれてて、走るのが早くて、サッカーが上手いやつだった。みんなには『ユーマ』と呼ばれていた。おれとは違う人種。友達がちゃんといる。
「そんなことないよ。俺もラーメン好き」
馴れ馴れしくおれの前の座席に腰を下ろす。断りもなく机に肘をついて身を乗り出してきた。開けっ放しの窓から、生ぬるい風が入ってくる。カーテンがゆらゆら揺れていた。
「おれは、本当はラーメンなんて好きじゃない」
「んー? そうなの」
困ったように首を傾げた。そうだ、名前はたしか餓野悠真。クラス全員の名前なんてとてもじゃないが覚えきれない。あと数ヶ月で卒業だというのに、わざわざ顔と名前を一致させる必要も感じていなかった。
外の気温とは反対に教室の中はすごく暑い。溜め込んだ脂肪のせいで、悠真のように涼し気な表情を保つことはできなかった。
母親が恋人を取っかえ引っ変えして、家に居場所なんてない。溜まったストレスでドカ食い気絶をしてるなんて、それしか楽しみがないなんて誰にも知られるわけにはいかなかった。
悠真は躊躇いなくおれのほうへ手を伸ばしてきた。臭いとか、汗かいてるとか、そんなことは一言も言わなかった。ひんやりした手の平に小さく息を飲む。
「ね、旧校舎行かない?」
「はぁ? なんで」
「いいじゃん。暇だし」
ニコッと、その笑顔を見ると自分がどんなに惨めな存在か痛感させられる。おれとは違う。悠真はおれみたいな不健全なストレス発散はしない。サッカーで汗を流して、誰とでも仲良くなれる人種なんだ。
「ほら、いこーぜ」
腕を捕まれ、やや強引に引っ張られた。全然嫌ではなかった。椅子から立ち上がり、どこにあるのかもわからない旧校舎へと向かった。
***
ギシギシ、古い木造の床を踏みしめて悠真のあとを進む。古びた建物特有の、木の朽ちた匂いが蔓延している。夕陽が傾く。じきに暗くなるだろう。夕方五時を告げるチャイムが遠くで聞こえた。
「ね、ねぇ。そろそろ」
「――ここ、来年取り壊されるんだって」
不安になって発した言葉はかき消された。旧校舎に流れる空気はなんだか性質が違う。耳が冷え、反対に手の平にはびっちょり汗をかいていた。誰もいないためか、声が異様に響くのも不気味だった。
「ちょっと寂しいかな、なんて」
突然立ち止まったので、悠真の背負っている黒いランドセルにぶつかりそうになった。……寂しい、なんておれにはわからない感情だった。
引っ越してばかりで物や場所に執着したことなんてなかった。信じられるのは食べ物だけ。友達もいないし、大切にするべき思い出なんてものも存在しなかった。
幸せだったのはせいぜい三歳くらいまでの、本当に幼い頃の話で。今となっては暴力や誹謗中傷、悪意が蔓延っているのを知ってしまっている。こうやって、人は汚れた大人になっていくんだと思った。
「友達……受験で忙しいから俺とは遊んでくれないんだ」
悠真はこちらを振り返って小さくため息をついた。オレンジ色の夕陽に照らされた顔は、どこか寂しげな表情をしていた。
「それで、おれで妥協してやってもいいってわけ?」
ここは教室じゃない。だから、愛想を振りまく必要だってないんだ。おれより少し背の高い悠真をじっとり下から見上げる。あいにくおれは、誰とでも仲良くなれるタイプじゃない。
「なにそれ。望月くん、難しい言葉知ってるんだね」
くすりと笑った。あまり深く物事を考えていない様子だったので拍子抜けする。おれは舌打ちをして、一番近くにある教室に足を踏み入れた。
昭和で時が止まったかのような、古い作りの教室だった。机や椅子が並べられていて、他は殺風景だった。壁には校歌の書かれた歌詞が貼ってある。
「……練習する?」
「口パクでいいっしょ」
「え~、せっかく教えてあげようと思ったのに」
肩をを叩かれて、頬に息が吹きかかった。妙に馴れ馴れしい。まるで友達みたいに……簡単に気を許す。誰に対してもそうなんだろうか。なんだか、おれだけが特別なんじゃないかって、そう錯覚させられる。
「てか、帰らなくていいのかよ」
冗談っぽくそう言ってやった。これ以上一緒にいると、友達だって勘違いしてしまう。さらさらの黒い髪や、日焼けした肌から目を逸らした。あらゆる人間関係で自分が歓迎されたためしなどなかったから。期待しないように心がけている。
「あの人たちは、俺がいなくなったって気にしないよ」
びっくりするほど冷たい声だった。悠真の瞳は冷たく凪いでいて、落胆した様子で大きく息を吐いた。不機嫌なのがありありとわかり、思わず身体が固まる。
「望月くんは帰りなよ」
「帰りたくない」
意識して深呼吸しなければ息を吸いすぎてしまっていたと思う。額に変な汗をかいた。拳を強く握る。
たしかに、今回は殴るような人じゃない。ちゃんと働いてるし、精神的に安定している。男が途切れたことがない母親も、『見た目はともかく金はある』と評価していた。
「あそこには居場所ないから」
「ふーん」
おれたちには、家に帰りたくないという共通点があった。気まずい無言の空気が流れる。喋らなくともなんとなく察した。女子のようにベタベタ、お互いの境遇を話したり嘆いたりする必要はない。
太陽が翳り、電気の通っていない旧校舎はすぐに暗闇に包まれる。悠真は当たり前のようにポケットからスマートフォンを取り出した。もちろん、学校には持ち込み禁止の代物だ。
「ねぇ、こっち」
腕を引かれて、そのまま教室を出て暗い廊下を進んだ。古い木造建築が軋む音もどこか不気味に感じる。
急に視界が開けたと思うと、また急に悠真が立ち止まった。目の前に古い大きな鏡が置かれている。
「ここで夜中、合わせ鏡をすると異世界に行けるんだって」
夜の冷たい空気か、旧校舎特有の異様な風なのかわからない。ごくりと唾を飲み込んだ。悠真の口調はどこか真剣で、それがまた恐ろしかった。季節外れの怪談話を信じちゃうほど孤独だったんだろうか。陽キャほどぼっち体勢がないっていうし……。
「やばぁ、蛾野くんって意外とオカルト趣味?」
「みんなには内緒、な」
あえて茶化したけれど、悠真はにこりともしなかった。人差し指を伸ばして、ふっと笑ったその顔が忘れられなかった。おれの世界で唯一輝いているもの。太陽よりも正しい存在――餓野悠真。はじめてできた友達。そのはずだった。
「だったら何」
新しい小学校では実に平和な時間が流れていた。卒業間近という時期のせいだろうか。誰もおれと積極的に仲良くしようとはしなかった。ゲームを持っていないという理由で嘲笑されることにも慣れていた。
貧乏より太っていることを揶揄されることのほうがずっと多かったが、この学校ではどういうわけかからかいの対象にはならない。公立小学校のくせに治安が良い、お上品な連中ばかりだった。
「いや……俺もないから。同じだね」
だから、そんな自信なさげな返事が返ってくるのは想定外だった。お高く止まっていて、人間の善性を信じていて、金持ちで、平和ボケしている。苛立ちを抑えて顔を上げた。放課後の教室にはもう誰も残っていない。窓からはオレンジ色の夕陽が射し込んでいる。
「友達いないの?」
「え……なんで」
「おれに話しかけるやつなんていないから」
目を伏せた。名前なんだっけ。クラスではみんなに好かれてて、走るのが早くて、サッカーが上手いやつだった。みんなには『ユーマ』と呼ばれていた。おれとは違う人種。友達がちゃんといる。
「そんなことないよ。俺もラーメン好き」
馴れ馴れしくおれの前の座席に腰を下ろす。断りもなく机に肘をついて身を乗り出してきた。開けっ放しの窓から、生ぬるい風が入ってくる。カーテンがゆらゆら揺れていた。
「おれは、本当はラーメンなんて好きじゃない」
「んー? そうなの」
困ったように首を傾げた。そうだ、名前はたしか餓野悠真。クラス全員の名前なんてとてもじゃないが覚えきれない。あと数ヶ月で卒業だというのに、わざわざ顔と名前を一致させる必要も感じていなかった。
外の気温とは反対に教室の中はすごく暑い。溜め込んだ脂肪のせいで、悠真のように涼し気な表情を保つことはできなかった。
母親が恋人を取っかえ引っ変えして、家に居場所なんてない。溜まったストレスでドカ食い気絶をしてるなんて、それしか楽しみがないなんて誰にも知られるわけにはいかなかった。
悠真は躊躇いなくおれのほうへ手を伸ばしてきた。臭いとか、汗かいてるとか、そんなことは一言も言わなかった。ひんやりした手の平に小さく息を飲む。
「ね、旧校舎行かない?」
「はぁ? なんで」
「いいじゃん。暇だし」
ニコッと、その笑顔を見ると自分がどんなに惨めな存在か痛感させられる。おれとは違う。悠真はおれみたいな不健全なストレス発散はしない。サッカーで汗を流して、誰とでも仲良くなれる人種なんだ。
「ほら、いこーぜ」
腕を捕まれ、やや強引に引っ張られた。全然嫌ではなかった。椅子から立ち上がり、どこにあるのかもわからない旧校舎へと向かった。
***
ギシギシ、古い木造の床を踏みしめて悠真のあとを進む。古びた建物特有の、木の朽ちた匂いが蔓延している。夕陽が傾く。じきに暗くなるだろう。夕方五時を告げるチャイムが遠くで聞こえた。
「ね、ねぇ。そろそろ」
「――ここ、来年取り壊されるんだって」
不安になって発した言葉はかき消された。旧校舎に流れる空気はなんだか性質が違う。耳が冷え、反対に手の平にはびっちょり汗をかいていた。誰もいないためか、声が異様に響くのも不気味だった。
「ちょっと寂しいかな、なんて」
突然立ち止まったので、悠真の背負っている黒いランドセルにぶつかりそうになった。……寂しい、なんておれにはわからない感情だった。
引っ越してばかりで物や場所に執着したことなんてなかった。信じられるのは食べ物だけ。友達もいないし、大切にするべき思い出なんてものも存在しなかった。
幸せだったのはせいぜい三歳くらいまでの、本当に幼い頃の話で。今となっては暴力や誹謗中傷、悪意が蔓延っているのを知ってしまっている。こうやって、人は汚れた大人になっていくんだと思った。
「友達……受験で忙しいから俺とは遊んでくれないんだ」
悠真はこちらを振り返って小さくため息をついた。オレンジ色の夕陽に照らされた顔は、どこか寂しげな表情をしていた。
「それで、おれで妥協してやってもいいってわけ?」
ここは教室じゃない。だから、愛想を振りまく必要だってないんだ。おれより少し背の高い悠真をじっとり下から見上げる。あいにくおれは、誰とでも仲良くなれるタイプじゃない。
「なにそれ。望月くん、難しい言葉知ってるんだね」
くすりと笑った。あまり深く物事を考えていない様子だったので拍子抜けする。おれは舌打ちをして、一番近くにある教室に足を踏み入れた。
昭和で時が止まったかのような、古い作りの教室だった。机や椅子が並べられていて、他は殺風景だった。壁には校歌の書かれた歌詞が貼ってある。
「……練習する?」
「口パクでいいっしょ」
「え~、せっかく教えてあげようと思ったのに」
肩をを叩かれて、頬に息が吹きかかった。妙に馴れ馴れしい。まるで友達みたいに……簡単に気を許す。誰に対してもそうなんだろうか。なんだか、おれだけが特別なんじゃないかって、そう錯覚させられる。
「てか、帰らなくていいのかよ」
冗談っぽくそう言ってやった。これ以上一緒にいると、友達だって勘違いしてしまう。さらさらの黒い髪や、日焼けした肌から目を逸らした。あらゆる人間関係で自分が歓迎されたためしなどなかったから。期待しないように心がけている。
「あの人たちは、俺がいなくなったって気にしないよ」
びっくりするほど冷たい声だった。悠真の瞳は冷たく凪いでいて、落胆した様子で大きく息を吐いた。不機嫌なのがありありとわかり、思わず身体が固まる。
「望月くんは帰りなよ」
「帰りたくない」
意識して深呼吸しなければ息を吸いすぎてしまっていたと思う。額に変な汗をかいた。拳を強く握る。
たしかに、今回は殴るような人じゃない。ちゃんと働いてるし、精神的に安定している。男が途切れたことがない母親も、『見た目はともかく金はある』と評価していた。
「あそこには居場所ないから」
「ふーん」
おれたちには、家に帰りたくないという共通点があった。気まずい無言の空気が流れる。喋らなくともなんとなく察した。女子のようにベタベタ、お互いの境遇を話したり嘆いたりする必要はない。
太陽が翳り、電気の通っていない旧校舎はすぐに暗闇に包まれる。悠真は当たり前のようにポケットからスマートフォンを取り出した。もちろん、学校には持ち込み禁止の代物だ。
「ねぇ、こっち」
腕を引かれて、そのまま教室を出て暗い廊下を進んだ。古い木造建築が軋む音もどこか不気味に感じる。
急に視界が開けたと思うと、また急に悠真が立ち止まった。目の前に古い大きな鏡が置かれている。
「ここで夜中、合わせ鏡をすると異世界に行けるんだって」
夜の冷たい空気か、旧校舎特有の異様な風なのかわからない。ごくりと唾を飲み込んだ。悠真の口調はどこか真剣で、それがまた恐ろしかった。季節外れの怪談話を信じちゃうほど孤独だったんだろうか。陽キャほどぼっち体勢がないっていうし……。
「やばぁ、蛾野くんって意外とオカルト趣味?」
「みんなには内緒、な」
あえて茶化したけれど、悠真はにこりともしなかった。人差し指を伸ばして、ふっと笑ったその顔が忘れられなかった。おれの世界で唯一輝いているもの。太陽よりも正しい存在――餓野悠真。はじめてできた友達。そのはずだった。
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