東北中學物語

つなかん

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東北中學物語

東北中學物語(6)

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 目が覚めると、辺りは真っ暗だった。電気を付け、襖を開ける。外はすっかり夜の帳が降りていて、冷たい風が熱い身体を冷やした。庭に咲いた八重桜は月の光を浴び、妖艶に花を散らしていた。

 部屋の向こう側から足音が聞こえた。廊下の腐りかけた床がぎしぎしと軋む。部屋の時計は六時を指していた。夕飯はいつも七時だから、冥子ではないだろう。

 縁側と反対側の襖を開けて廊下に出る。薄暗いそこは、幽霊でも出そうな雰囲気だ。

「あ、」

 遠くの人影が声を発した。聞き覚えのある柔らかな声。段々と近付く彼に、捨人は首を傾げた。

「……百目鬼君?」

 驚きを隠せない。制服姿であることから、おそらく学校の帰りなのだろう。しかし、わざわざ遠くにある捨人の自宅まで赴くのは骨が折れる筈だ。昨日のことを気にしてやって来たのか。

「寝てたら、帰ろうと思ってたんだけど――」

 もごもごと答え、下を向いてしまう。

「今は、だいぶ良くなりました。……どうぞ」身体をずらし、部屋へと招き入れる。掃除をしていないのは気がかりだったが仕方がない。「前はもっといい部屋だったんですけど……」

 言い訳のように呟き襖を閉める。去年まで使っていた部屋は、父の怒りを買った所為で書斎へと変貌を遂げた。苦労して集めた漫画本は今では手に取ることもできない。

「でも、桜も見えるし、ここもなかなか素敵でしょう?」

 開いたままの襖の向こうには庭が見え、月明かりに照らされる八重桜が丁度見頃を迎えていた。

「そうだな。学校のより立派だ」

 座布団を勧める暇もなく、蔵六は縁側に座ってしまう。捨人も彼に倣って部屋を通り過ぎ、どこか虚ろな目で庭を眺める彼の隣に座る。

 沈黙が痛い。何故此処にやって来たのかを聞くべきなのか、昨日のことを話すべきなのか、様々の考えが捨人の頭を巡っていた。必死で寝起きの鈍い頭を回転させるが、時間ばかりが過ぎてゆくのみである。

「あ、そうだ」ぼんやりとしていた蔵六は、ふと思い出したように自分の鞄を開いた。「筆記本、要るかと思って、」そう言って何冊かのそれを差し出す。

「いいんですか」

 長い沈黙の時間が終わったことに感謝した。表紙を見ると、代数やら物理やら重要な教科ばかりだ。ほんとうに借りてしまっても良いのだろうか。

 躊躇する捨人を、蔵六は不審そうな瞳で見上げる。

「いいよ。おれどうせ勉強しないし」

 そう言って、半ば強引に筆記本を押し付ける。

「そう……、ですか」

 そういうことならばここはありがたく受け取っておこう。勉強が遅れるのは避けたい事態ではあったし、これで明日竹生に頼む手間も省けた。

 それにしても蔵六は進学などは考えていないのか、いづれにしても勉強をしないというのは関心できることではない。他人の成績など与り知るところではないが、彼に対して心配というよりは軽蔑のような感情が表れた。

「な、なんだよその目は。おれは運動馬鹿ではないぞ、勉強だって――まア、佐倉程ではないけど……」

 ほんの少し唇を尖らせ、不満気な表情を見せる。普段よりも幼く見え、それが可愛らしいとも思った。

「ありがとう、ございます。明日、返します」

 ほんの僅かな動揺。そろそろと彼から視線を外し、小さく深呼吸を繰り返した。

「おう」

 蔵六は首を捻りながら鞄の蓋を閉めた。捨人から正面の桜へ視線を移し、またぼんやりとそれを眺める。

「偶然だと思っていることは、じつは必然なのかもしれない」

 再び沈黙が降りることを恐れ、頭に浮かんだ宮地の言葉を発してしまった。蔵六は眉を顰めて捨人を見る。

 その場を取り繕うために、話を続ける。

「――って、宮地先輩が言っていました。財布は先輩が盗ったんでしょう?」

 咄嗟に出た言葉ではあったが、当てずっぽうという訳ではなかった。何をしたかったか、どうにも掴めないが、思い返すと彼はあのとき、教室へ戻った捨人の反応を楽しんでいるように見えた。

「言うなって、言われてたんだけどなア」

 蔵六は苦笑いを向けるながら答える。先程と一変し、和やかな空気が流れ始め、捨人は安堵した。この流れに乗って、言うべきことは言っておこう。

「それと……昨日のこと、ですけど――」

 蹴球を辞める、とまで言わせてしまったことは良くなかった。とにかく謝ろう。そう思い、頭で考えた謝罪の言葉を口にしようとしたが、息をつく暇さえ与えない勢いで蔵六が遮った。

「あれはッ! モウいい。おれが言いたかっただけだし、佐倉だって、まだ……その、いや――。とにかくあれは忘れろ!」

 そう言って、鞄を掴んで荒々しく立ち上がる。縁側から捨人の部屋を横断し、襖に手をかける。そんな彼の様子から、やはり昨日のあれは無言の肯定だったのだと確信する。

「血代子さんのことなら、モウそういうのはないです。もともと、好き……というか興味があって、それだけで――。僕としては、蔵六君と仲良くなりたい」

 これ見よがしに座布団を並べ、そこに座ることを促す。冷たい外気を遮断すべく、縁側に面した襖を閉めた。話し合いを続けようとする意思表示。

 蔵六はぎこちない動きで座布団に正座をした。妙に落ち着いていて、此方が不安になる程だ。

「佐倉は、そんなんでいいのかよ」

 責めるような、疑うような視線で探られる。こういったことが露見たら今度こそ勘当だ。それほどのことなのだから、慎重になるのも無理はない。

「人から好意を持たれるのは、悪い気はしないので。むしろ嬉しい。だから仲良くしましょう」

 安心させるように笑いかける。

「そうじゃなくてッ!」

 強く腕を掴まれた。昨日の痛みを彷彿とさせ、警戒で身を固くする。視界がぐるりと反転し、思い切り畳に後頭部をぶつけた。突然の衝撃と痛みで、咄嗟に目を瞑る。あり得ない強さで肩の辺りを掴まれ、上から重量がかかる。身動きの取れない、理不尽すぎる状況に腹が立った。文句を言おうと瞼を開くが、眼鏡がずれた所為で殆ど前が見えない。

「おれと、こういうことできるのかよ?」

 耳元で囁く掠れた声に、背筋が冷たくなる。つい先刻まで落ち着いていた彼が嘘のようだ。ぐらぐらと安定しない視界の中、できるだけ冷静な声を出した。

「風邪、感染りますよ」

「どうなんだよッ!」

 怒っている声色が少し怖い。ぎりぎりと腕を絞めるられ、思わず顔を歪めた。

「できると、思う……多分」

 情緒的な雰囲気の全くない状況だが、できないこともないだろう。

「多分ってなんだよ」

 微かに蔵六の握力が弱まる。隙を付いてずれた眼鏡をかけると、彼の不安気に眉を顰めた表情が見えた。

「やってみないうちに諦めるのは性に合わないんです」

 男相手にそういう経験をしてみたい興味もあった。

 捨人の言葉に、蔵六は唇を震わせた。何か言いたいことを絞りだそうとしている。

「……帰る。お前には失望した!」

 どういう訳か怒りだした彼は、唐突に部屋から去ってしまった。

 上からの圧迫がなくなったというのに、何故か動けない。また失言を噛ましてしまった、と後悔ばかりが募った。
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