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一章 超能力編
兄、ハイネ
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「グーテンターク!」
知っている声がして、書類から顔を上げた。最近は書類仕事に忙殺されている。前任が過労死したという噂も、あながち嘘じゃないんじゃないか。とにかく少佐は自分の仕事をしたがらない。
サインを書くだけの状態にしておいたって何週間も放置する始末だ。本当はいけないんだけど、筆跡を真似て彼の代わりにサインをする。私の真似ているこの筆跡も、きっと本当の少佐のものとは異なるんだろう。頭が痛くて、ため息が出た。
「ハイネ!」
「アグネス、久しぶり」
ハイネの姿を見るのは、訓練施設以来だった。村で農作業をしてたときと同じ、人当たりの良い笑顔を浮かべている。顔には傷がいくつも残っていて、彼がくぐり抜けてきた死線の数が伺えた。
「おーい、無視かよ」
ハイネは私の後ろに視線を移した。少佐はいつものように、窓側の席にのんびり座っていた。ブーツを履いたまま、机に足を乗せている。
大あくびをして、眠そうに目を擦った。ハイネのほうにチラッと視線をやって、イライラと舌打ちをした。
「殉職率100%の魔法特攻部隊に配属されたって聞いたから、もうとっくにくたばったのかと思ったわ」
窓から風が吹いてカーテンが揺れた。少佐の、ドリルみたいなツインテールがふわふわ靡く。その青い目が、冷酷にぎらりと光った。
「ちょっとドリルくん、それ失礼ですよ!」
「あ゛?」
たしかに特攻部隊は危険だけど、殉職率は100%なんかじゃない。せいぜい83%だ。五年も勤めればエリートコースに乗れる、と聞いたことがある。それにハイネの所属している参謀本部なんて、推薦状なしではまず入れない。
「は、……はわ」
こんなところで兄弟喧嘩を始めないで欲しい。始末書を書くのは私なんだから。ギリギリ、歯ぎしりするドリルくんとは反対にハイネは優しく微笑んだ。
「ひどいな、俺はお前が異教徒呼ばわりで処刑されそうになったって聞いたから心配してきたのに」
小さく肩をすくめてみせる。人好きのする笑顔を浮かべたまま、「そんな格好してるから言われんだよ」と呟いたのを私は聞き逃さなかった。
「今なんか言ったか?」
「いや、なんにも」
少佐はいつものように葉巻に火をつけて煙を吐き出した。椅子を後ろの二脚で支え、ゆらゆらと揺らす。
「で、なんの用?」
「お前が民間人を殺しまくるから、国境警備隊の評価がガタ落ちだ」
じっとりした目線をハイネに向ける。少佐が息を吸うと、葉巻の先端がジリジリと燃えた。
「あ、そ。退職金は弾んでくれよ。それから、できれば名誉除隊にして欲しいな~」
のんびりと椅子を揺らす。ハイネは大きくため息をついた。あまり寝ていないのか、目の下の隈が目立つ。
少佐の言葉に、ハイネが眉をひそめるのがわかった。ハイネは昔から軍に憧れを持っていた。特に、批判されがちな前政権の――。
「お前が除隊になるわけないだろ、明日から第一部魔道戦線だ」
感情のこもらない声。内示を伝えるときはそうするように習った。少佐はイライラと葉巻を灰皿に押し付けると、前のめりになって揺らしていた椅子を元の位置に戻した。机の上で、足をバタバタ子供のように動かす。
「はあ? どうして!! 俺がそんなに働かなきゃならないんだ! 内地への異動願いはどうなった!!」
「残念だが決定事項だ」
ハイネは冷たくそう言い放った。少佐は足をバタつかせるのをやめ、かわいらしく唇を尖らせる。髪や胸元についたひらひらのリボンが風に靡いて、その存在を主張している。
「俺より偉くなってから命令しろ、カスが」
「上官命令だわ、たわけ。俺はただ伝えに来ただけ」
ハイネは疲れた様子でため息をついて、コツコツブーツを鳴らしながら少佐の机に近づいた。書類がうずたかく積まれているが、彼がそれらを自分で処理したことは一度もない。銀の灰皿に何本も残された葉巻の吸殻を一瞥する。
「お前、いいの持ってんじゃん」
「やらねーよ」
「身体に悪いぞ」
「……っち」
ハイネが小言を言うのはいつものことだった。村で農作業をしていたときから、ドリルみたいな頭をやめろ、女装をやめろ、そんな言葉を何回も聞いた。
少佐の吸っている葉巻は、配給スーパーで売っているような粗悪品ではない。銀の灰皿も、レースのたくさんついたお洋服も。真面目な性格のハイネなら気にならないはずがなかった。
「お前に賄賂なんて送ったって、なんの見返りもないのにな」
「うぜーな、出てけよ」
少佐の機嫌はここ数週間で最悪だった。三日前、国境を越えようとした子供にパチンコ玉を向けられたとき以来の不機嫌ぶりだ。さすがに友達の目の前で頭を吹き飛ばすのはやりすぎだったと思うんだけど。
「どうせアグネスに仕事押し付けてんだろ」
「別に押し付けてるわけじゃねーし」
「ち、ちなみに民間人の虐殺は、事故ってことで処理してます」
盗聴器に拾われないように、部屋の真ん中まで移動して小言でハイネに耳打ちした。ハイネは呆れたように少佐のことを見下ろして、踵を返してドアのほうへ歩を進めた。
「あんま迷惑かけるなよ」
「お前には関係ないだろ。……それともあれか、お前コイツのこと好きなの?」
少佐がいつもの、性格の悪そうな笑みを浮かべた。な、ななっ、なにを――なにを言い出すんだ、突然。ドアノブに手をかけたハイネが振り返り、私をじろじろと見る。それは一瞬のことで、すぐにまたまっすぐ前を向いた。
「俺はもっと巨乳のほうが好きだな」
「うわ、きっしょ」
「は、はわ……」
この兄弟、失礼極まりないな。私としたことがハイネが頭の固い農家脳だってこと、すっかり忘れてたわ。ドアノブを回して、もう一度振り返ってひらひらと手を振った。親しみやすそうな印象を与える。これが彼の処世術なんだと、なんとなく理解した。
「お兄ちゃんも一緒に異動してやるから機嫌直せよ」
「なおさら嫌だわ、ぶっ殺すぞ!」
指を軽く動かして、半開きのドアをバタンと閉めた。ニコニコ、手を振っていたハイネの姿が見えなくなる。二本目の葉巻をポケットから取り出して口にくわえた。
「あっちの魔導士のやつら、めんどくさいんだよ。絶対特殊な訓練受けてるよな」
少佐がボソリとそう呟くのが聞こえた。
え……わ、私はこのままでいいんだよね?
知っている声がして、書類から顔を上げた。最近は書類仕事に忙殺されている。前任が過労死したという噂も、あながち嘘じゃないんじゃないか。とにかく少佐は自分の仕事をしたがらない。
サインを書くだけの状態にしておいたって何週間も放置する始末だ。本当はいけないんだけど、筆跡を真似て彼の代わりにサインをする。私の真似ているこの筆跡も、きっと本当の少佐のものとは異なるんだろう。頭が痛くて、ため息が出た。
「ハイネ!」
「アグネス、久しぶり」
ハイネの姿を見るのは、訓練施設以来だった。村で農作業をしてたときと同じ、人当たりの良い笑顔を浮かべている。顔には傷がいくつも残っていて、彼がくぐり抜けてきた死線の数が伺えた。
「おーい、無視かよ」
ハイネは私の後ろに視線を移した。少佐はいつものように、窓側の席にのんびり座っていた。ブーツを履いたまま、机に足を乗せている。
大あくびをして、眠そうに目を擦った。ハイネのほうにチラッと視線をやって、イライラと舌打ちをした。
「殉職率100%の魔法特攻部隊に配属されたって聞いたから、もうとっくにくたばったのかと思ったわ」
窓から風が吹いてカーテンが揺れた。少佐の、ドリルみたいなツインテールがふわふわ靡く。その青い目が、冷酷にぎらりと光った。
「ちょっとドリルくん、それ失礼ですよ!」
「あ゛?」
たしかに特攻部隊は危険だけど、殉職率は100%なんかじゃない。せいぜい83%だ。五年も勤めればエリートコースに乗れる、と聞いたことがある。それにハイネの所属している参謀本部なんて、推薦状なしではまず入れない。
「は、……はわ」
こんなところで兄弟喧嘩を始めないで欲しい。始末書を書くのは私なんだから。ギリギリ、歯ぎしりするドリルくんとは反対にハイネは優しく微笑んだ。
「ひどいな、俺はお前が異教徒呼ばわりで処刑されそうになったって聞いたから心配してきたのに」
小さく肩をすくめてみせる。人好きのする笑顔を浮かべたまま、「そんな格好してるから言われんだよ」と呟いたのを私は聞き逃さなかった。
「今なんか言ったか?」
「いや、なんにも」
少佐はいつものように葉巻に火をつけて煙を吐き出した。椅子を後ろの二脚で支え、ゆらゆらと揺らす。
「で、なんの用?」
「お前が民間人を殺しまくるから、国境警備隊の評価がガタ落ちだ」
じっとりした目線をハイネに向ける。少佐が息を吸うと、葉巻の先端がジリジリと燃えた。
「あ、そ。退職金は弾んでくれよ。それから、できれば名誉除隊にして欲しいな~」
のんびりと椅子を揺らす。ハイネは大きくため息をついた。あまり寝ていないのか、目の下の隈が目立つ。
少佐の言葉に、ハイネが眉をひそめるのがわかった。ハイネは昔から軍に憧れを持っていた。特に、批判されがちな前政権の――。
「お前が除隊になるわけないだろ、明日から第一部魔道戦線だ」
感情のこもらない声。内示を伝えるときはそうするように習った。少佐はイライラと葉巻を灰皿に押し付けると、前のめりになって揺らしていた椅子を元の位置に戻した。机の上で、足をバタバタ子供のように動かす。
「はあ? どうして!! 俺がそんなに働かなきゃならないんだ! 内地への異動願いはどうなった!!」
「残念だが決定事項だ」
ハイネは冷たくそう言い放った。少佐は足をバタつかせるのをやめ、かわいらしく唇を尖らせる。髪や胸元についたひらひらのリボンが風に靡いて、その存在を主張している。
「俺より偉くなってから命令しろ、カスが」
「上官命令だわ、たわけ。俺はただ伝えに来ただけ」
ハイネは疲れた様子でため息をついて、コツコツブーツを鳴らしながら少佐の机に近づいた。書類がうずたかく積まれているが、彼がそれらを自分で処理したことは一度もない。銀の灰皿に何本も残された葉巻の吸殻を一瞥する。
「お前、いいの持ってんじゃん」
「やらねーよ」
「身体に悪いぞ」
「……っち」
ハイネが小言を言うのはいつものことだった。村で農作業をしていたときから、ドリルみたいな頭をやめろ、女装をやめろ、そんな言葉を何回も聞いた。
少佐の吸っている葉巻は、配給スーパーで売っているような粗悪品ではない。銀の灰皿も、レースのたくさんついたお洋服も。真面目な性格のハイネなら気にならないはずがなかった。
「お前に賄賂なんて送ったって、なんの見返りもないのにな」
「うぜーな、出てけよ」
少佐の機嫌はここ数週間で最悪だった。三日前、国境を越えようとした子供にパチンコ玉を向けられたとき以来の不機嫌ぶりだ。さすがに友達の目の前で頭を吹き飛ばすのはやりすぎだったと思うんだけど。
「どうせアグネスに仕事押し付けてんだろ」
「別に押し付けてるわけじゃねーし」
「ち、ちなみに民間人の虐殺は、事故ってことで処理してます」
盗聴器に拾われないように、部屋の真ん中まで移動して小言でハイネに耳打ちした。ハイネは呆れたように少佐のことを見下ろして、踵を返してドアのほうへ歩を進めた。
「あんま迷惑かけるなよ」
「お前には関係ないだろ。……それともあれか、お前コイツのこと好きなの?」
少佐がいつもの、性格の悪そうな笑みを浮かべた。な、ななっ、なにを――なにを言い出すんだ、突然。ドアノブに手をかけたハイネが振り返り、私をじろじろと見る。それは一瞬のことで、すぐにまたまっすぐ前を向いた。
「俺はもっと巨乳のほうが好きだな」
「うわ、きっしょ」
「は、はわ……」
この兄弟、失礼極まりないな。私としたことがハイネが頭の固い農家脳だってこと、すっかり忘れてたわ。ドアノブを回して、もう一度振り返ってひらひらと手を振った。親しみやすそうな印象を与える。これが彼の処世術なんだと、なんとなく理解した。
「お兄ちゃんも一緒に異動してやるから機嫌直せよ」
「なおさら嫌だわ、ぶっ殺すぞ!」
指を軽く動かして、半開きのドアをバタンと閉めた。ニコニコ、手を振っていたハイネの姿が見えなくなる。二本目の葉巻をポケットから取り出して口にくわえた。
「あっちの魔導士のやつら、めんどくさいんだよ。絶対特殊な訓練受けてるよな」
少佐がボソリとそう呟くのが聞こえた。
え……わ、私はこのままでいいんだよね?
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