ドレスデンのドリルきゅん

つなかん

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八章 ギムナジウム編

諜報部

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「ハイネくん、次の仕事これね」

 諜報部には、いつものようにほとんど人がいなかった。部署の職員は皆多忙を極め、いつもあちこち飛び回っている。フリードリヒの言葉に、ハインリヒはタイプライターシュライプマシーネを打つ手を止めた。
 丁度、改行の必要がある右端まで文字を打ったことを知らせる、マヌケなチーンという音が虚しく部屋に響いた。ため息をついて、フリードリヒにギロリと冷たい視線を向ける。

「その呼び方やめろ」

 右端まで打ったタイプライターの紙を移動させ、カシャカシャキーボードを叩き数文字報告書を進める。極秘文書や、つまらない報告書の作成は諜報部に赴任してからの彼のもっぱらの仕事だった。ときおり、その内容に眉を顰めた。
 配属された当初は徹底していた敬語も、上司とはいえたいして歳の変わらないフリードリヒにはもはや使われることはなくなっていた。

 軍人らしく派手に戦うことを好むハインリヒにとって、コソコソ隠密行動をする仕事は性にあわないらしい。連日の、地味な書類仕事に文句一つ言わないのは彼の数少ない長所、生真面目さや忠誠心によるものに他ならない。

「ハイネってあだ名、かわいいじゃん。クラウゼさんだけ特別?」
「別にそういうわけじゃ……」
「幼馴染なんでしょ? いいよねそういうの」

 フリードリヒはニコニコ笑いながら肩をすくめた。到底、本心からの言葉とは思えなかった。アグネス・クラウゼ――ハインリヒと同郷の彼女は、初めて職務放棄をした。教育係は結局、フリードリヒに任されることとなった。

 アグネスは以前から、彼の差別主義的な思想を嫌っているきらいがあった。彼が酔った勢いで、ちょっと政治批判をした際に、真っ先に秘密警察にチクるくらいには真面目に職務・・を遂行した。
 そのせいでハインリヒは、東のヴァイセン領を追われ、それまで彼がせっせと軍で築いてきたキャリアは無に帰すこととなった。幼馴染とはいっても、二人の関係性はギクシャクしたままだ。

 フリードリヒは小さく嘆息して、机から一枚の紙を取り出した。任務はいくらでも舞い込んだ。ハインリヒは差し出されたそれを受け取り、その青い瞳をつらつら左から右に動かす。退屈な書類仕事よりは、まだ楽しそうな仕事と言える。

「アウグストゥス・エンクライヴェ学院?」

 崇高なる孤立――そんな意味が込められていることは容易に想像ができた。名前の通り、森の中にポツンと存在するギムナジウムで、紙に書かれた情報によると、たびたび行方不明者が出ているらしい。

「行方不明、ねぇ……」

 ハインリヒは書類に視線を落としたまま、顔をしかめた。行方不明というだけなら、しょっちゅう起きている。西よりも治安の悪い、故郷の東側では日常茶飯事だった。特に、戦争が集結する前の、前首相の政権の元では。東西が分断される以前、つい数年前までは、西のシュヴァルツシャイン領でもそれは同じだったはずだ。

「はぁ……」

 大きくため息をついた。首を回し、再び書類に目を落とす。見れば見るほど、いちいち気にするような事柄には思えない。
 ハインリヒは弟のリドルと共に国境を越え、西に亡命してからというもの、その豊かさよりも彼らの平和ボケっぷりに驚愕したことを思い出した。

「それから自殺、チャペルの火事。帳簿にはその他、その他、修繕費、その他――ほとんど全部その他だ」

 フリードリヒは椅子にどっかりと腰を下ろし、退屈そうに仰け反った。彼はいつも仕事に対し、真面目に取り組んでいるようには見えない。もう一度、手元の書類に目を通す。たしかに、数年ごとに不審な事故が起こっている。

「でも、どれも大事おおごとになってない」
「だから調べるのさ」

 なんでもないこと、そんな印象を受ける言い方だった。この部署に回ってきた案件での『調べる』は、そう簡単には済まないことくらい知っていた。大きくため息をつき、フリードリヒを見つめる。

「で、俺は何をしたらいい?」
「簡単だよ、潜入して調べてくればいい――さすがに生徒って感じではないから、先生かな?」
「ハッ、教師なんてガラかよ」

 鼻で笑ってみせたが、当然笑えるような任務ではない。演技なんてしたことがない。教師を目指せるほどの学力すら、持ち合わせているとは言えなかった。

「大丈夫大丈夫。ハイネはさ、もっと上手に嘘をつかなきゃ」

 フリードリヒの言葉にイライラを抑えるのは容易ではなかった。出世には誰よりも貪欲だったにも関わらず、そのルートに乗れなかったのは、単純にハインリヒの能力不足という理由だけではなかった。
 すぐにイラつき、部下に当たり散らす。人望は皆無。だからといって、真面目すぎて媚びを売る世渡りの上手さも持ち合わせているわけでもなかった。当然、上官からの評価が高くなるはずもない。

「コソコソスパイみたいな真似、できるわけないだろ! スパイ行為は銃殺刑だぞ!」

 つまらない書類仕事よりはマシな任務――そう思えたらどんなに楽だったろう。ハインリヒがこれまで勤務していた東部戦線や処刑係とは真逆の仕事だ。スパイ行為で銃殺された人間を何人も見てきたし、またその手にかけたこともあった。売国奴――最も憎むべき対象。

「ハイネ、頭かたーい。カチコチだね」
「だからその呼び方やめろ!」

 大きく舌打ちをして、細かく貧乏揺すりをする。イライラを隠そうとしないハインリヒとは対称的に、フリードリヒは呆れたように小さくため息をつくのみだった。不機嫌そうな様子はまったくみせず、ニッコリ微笑んでさえいる。ハインリヒの目をまっすぐ見つめ返し、これまでにない冷酷な声を出した。

「あのさぁ、やりたいとか、やりたくないとか関係ないの。シゴトだよ、シゴト」

 フリードリヒには普段のふざけた、不真面目そうな雰囲気はまったくない。上司らしく落ち着いた振る舞いだった。働きたくない、と常々言っている癖に、こういうときにはシッカリしている。第二諜報部を取り纏めているだけのことはあるようだ。
 彼の冷静な言葉に、ハインリヒは奥歯をギリギリ噛み締めた。コイツにだけはそんなことを言われたくない。与えられた仕事は絶対にこなす。私情は必要ない。軍隊では常識だ。

 ――上等だ、やってやるよ。
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