ドレスデンのドリルきゅん

つなかん

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八章 ギムナジウム編

理事長室

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「こんばんは、リドル・シュタイナー」

 部屋は廊下よりもっと暗かった。大きな窓があるというのに、廊下と同じように遮光カーテンが閉められている。蝋燭の灯りだけがゆらゆら揺れていた。

「私はベッティーナ・ブロン。この学校の理事をしています」

 部屋の奥から、ギィギイ古びた音を立ててベッティーナの青白い顔が現れた。蝋燭の灯りに照らされているせいか、神秘的な、ハッと息を飲むような美しさを感じさせる。
 一生懸命腕を動かして、車椅子を移動させる。身体が不自由だ、というのは一目瞭然だった。それもまた、儚い印象を与えた。

 俺が一番カワイイのに。リドルは奥歯をギリギリ噛み締めた。腕を組んで辺りを見渡す。おかしなものは特に確認できなかった。どの道、本棚に並んでいるタイトルは彼に読むことはできない。

「なぁ、この学校には消灯時間ってもんはないわけ?」
「ないわ、自由な校風なの」

 ベッティーナは表情一つ変えずそう言った。学校というものを知らないリドルにも、この学校はどこか変わっているということくらい推察できた。

「ふーん、人殺しも自由?」
「面白い冗談ね」
「俺は兵隊上がりなんだなら、人を殺すなんて簡単にできる」

 ベッティーナは車椅子を漕いで、リドルの前までやってきた。長く黒い髪は腰のあたりまで伸び、黒を基調とした流行遅れのフリフリレースのついた服を纏っている。

「『大虐殺の申し子』でしたっけ?」
「やっぱ俺ってば有名人?」

 リドルはニヤッと笑ったが、ベッティーナは無表情のままだった。小さくため息をついて、車椅子を動かしてリドルから距離を取る。

「そう、この学院はね。あなたのような人を求めていたのよ」
「人殺しを?」

 ベッティーナのアイスグレーの瞳が冷ややかにリドルに向けられた。彼の言葉は華麗に無視され、ベッティーナは壁にジャラジャラ掛けられた鍵のうち、301の番号の振られた物を手に取った。

「あなたには戦いの才能があるって聞いたわ」
 手に取った鍵を、リドルの方へ無造作に投げる。大きく弧を描き飛んできたそれを、リドルは片手でキャッチした。

「うーん。よくわかんねーけど、その服かわいいな!」
「わかる!? いいわよねこれ」

 ベッティーナの表情が急に和らいだ。興奮気味に上擦った早口はもはや別人だ。病人のように青白い肌に、ほんのりピンク色が差す。どうやらリドルとは服の趣味が合うようだ。

 黒を貴重としたシックなデザインの、流行遅れの派手なゴスロリ。ブロン家のきょうだいのうち、服の趣味が変わらなかったのはベッティーナだけだった。グレーテは動きづらいフリフリのスカートを好む性質たちではなかったし、フィーネとフローラに関しては、昔からほとんどの既製の服は身体に合わなかった。

 ドアをコンコンとノックする音がして、ベッティーナは咳払いをした。さっきまでの早口は嘘のように、冷酷な薄い微笑みを浮かべる。

「どうぞ……。あのね、あなたのお世話係を呼んでおいたの」

 ベッティーナの言葉に、リドルは後ろを振り返った。丁度ドアが開閉され、あとからこの部屋にやってきた人物が蝋燭の光に照らされる。――一度見たら忘れない、マーブルに染められた左右非対称の髪にメガネ。

「リドルくん? リドルくんッスよね!?」
「……エルマー」

 エルマー・ブロン。話をするのは久方ぶりだ。リドルはとても懐かしい気持ちになった。軍でまだ新人だった頃、数ヶ月だけ同じ部隊にいた。二人揃って同僚に嫌われていて、お互いしか友人と呼べる者はいなかった。
 ブロン――やっぱりそうだ。共和国出身で、その独特な訛りはからかいの対象になっていた。
 エルマーはリドルの姿を認めると、目を白黒させ小さく息を飲んだ。寒くもないのに唇が細かく震えている。

「なんで……学校なんて必要ないって、そう言ってたじゃないッスか」
「無理矢理ぶち込まれたんだよ。俺は勉強がなにより嫌いだからな!」

 エルマー以上に、リドルは困惑していた。戦争が終わっても、内乱は絶えず軍の仕事は多忙を極めた。いくら軍を穏便に辞められたとしても、国境を超えるのはそう容易くないはずだ。
 残念ながら考えるのはリドルの得意分野ではない。動揺して、ポケットからタバコの箱を取り出した。

「タバコは禁止! お肌に悪いでしょ」

 ベッティーナが叫んだので、リドルはタバコに火をつけるに至らなかった。代わりに舌打ちをして、口にくわえていたタバコを箱に戻す。
 普段のリドルなら、気にせず火をつけ煙を吸っていただろう。ベッティーナは、人を従わせる不思議な魅力を持っていた。

「校則はないんじゃなかったのかよ」
「灰皿もないわ」

 リドルはやれやれと首を振った。ベッティーナは車椅子を動かして、リドルの元へ近づいた。エルマーはおずおずと後ずさったが、リドルは腕を組み、尊大な態度でベッティーナを見下ろした。

「あなたの肌、よく見るとすっごく綺麗ね」
「そう? よく言われる」

 まんざらでもない、といった風に答える。ベッティーナはじろじろ、リドルのことを上から下まで無遠慮に観察した。

「若くて良いわ、男じゃなければ血を抜いてたもの」
「あ? 血? なんだよオバサン」
「ちょ……姉さん、それはダメッスよ」

 リドルは不思議そうに首を傾げた。ドアの近くで縮こまっていたエルマーが慌てて口を挟んだ。
 ――血?
 エルマーの様子から、あまり良い意味ではなさそうだ。

「オバサン!? 私ってそんなにオバサン??」

 ベッティーナは半狂乱で顔を覆った。老いに対し、必要以上に恐怖していたエリザベートによく似ていた。二十五歳を迎えたベッティーナにとっては深刻な問題だ。
 すかさずエルマーがベッティーナのほうに駆け寄った。車椅子に乗った、その小さく華奢な背中を優しくさする。

「ベッティ姉さん、昔と同じくらい綺麗っスよ! 死んだんじゃないかと思うくらい……!」
「あらそう」

 ベッティーナはホッと息を吐き、顔を覆っていた手の平を静かに膝に置いた。さっきまでの動揺なんてなかったかのように上品に笑う。その情緒不安定っぷりは、ますます母エリザベートそっくりだった。

「よかった。私がオバサンだったら、この子を殺さないといけなかったもの」

 リドルは大きくため息を吐いた。エルマーはリドルのほうを振り返り、困ったように曖昧に笑みを浮かべた。余計なことは言うな、そう目が告げていたがリドルはお構いなし言葉を続ける。

「俺はそう簡単に殺されないっての」
「そうかしら、試してみる?」

 ピリピリした空気が二人の間に流れた。リドルは目を閉じ、集中して深呼吸をする。再び瞼を持ち上げたときには、完全に人殺しの顔つきに変化していた。鋭い眼光に、強い殺意。風もないのに蝋燭が揺れ、影が異様に蠢いた。

「さっきの赤毛のやつ、面白かったなー。影を操るってこんな感じかな?」

 間違いなく、『大虐殺の申し子』と呼ばれたリドル・シュタイナーの姿がそこにあった。それでもベッティーナは一切動じることなく上品な笑みを崩さない。

「やっぱり才能があるのね」
「あの、姉さん。リドルくんは俺の友達なんスよ。だから、ちょっとは大目に……」

 感心したように頷いて、うっとり恍惚の表情を浮かべる。ベッティーナのそんな様子に危機感を抱いたのか、エルマーは狼狽えながらも必死にその場を収めようとニコニコ笑った。できるだけ明るい声を出す。

「あら、エルマーにも友達っていたのね」

 ベッティーナはエルマーに視線を移してニッコリ微笑んだ。その表情はどこか残酷さすら備えている。リドルは舌打ちをして、ポケットをゴソゴソまさぐってマルボロの赤い箱を取り出した。
 吸い損ねたタバコを一本口にくわえながら、踵を返して扉の方へ向かう。扉を開け、部屋を出た瞬間に火をつける。大きく煙を吸うと、ジリジリ先端が燃えていく。チラリと部屋の中を振り返って、苦々しげにエルマーに視線をやった。

「別に友達なんかじゃない」
「えぇ!? リドルくんひどいッス!」

 二人がバタバタと部屋を出ていくと、ベッティーナは心底楽しそうに口角を上げた。車椅子から立ち上がり、窓に近づいて重い遮光カーテンを開ける。深夜一時の鐘がどこからか聞こえてきた。
 晴れ渡っていた夜空からポツポツ雨が落ちてきた。中庭にたむろしていた生徒たちの姿はさすがにもうない。アスファルトに染みが広がり、外のガス灯が何度か点滅する。しばらく、この雨は降り続くだろう。
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