59 / 124
八章 ギムナジウム編
挨拶
しおりを挟む
「リドル・シュタイナーです。趣味はジャガイモの栽培、特技は民間人の虐殺でーす♥ よろしくね~」
教室の男女が不思議そうな顔でリドルに注目した。人を殺せば殺すほど評価されていた軍とは何もかもが違った。かつてのリドルは、一個中隊の殲滅くらいなら簡単に成し遂げた。戦果をあげれば出世は容易い。突撃章のバッジは、かわいくないのですぐになくしてしまった。
若くして少佐まで上り詰めたリドルからしてみれば、学校なんてものは頭がお花畑のふざけた空間に他ならない。反対に、ギムナジウムの生徒たちからしてみればリドルの存在は異質で、それは彼に注がれる視線から明らかだった。
「なにしてるの!?」
リーゼロッテが慌てて教室に入ってリドルの腕を引っ張った。下級生の教室に入るなんて、リーゼロッテにとってはありえないことだったが、そんなことを気にしている場合ではない。リドルの発言のほうががあまりにも突拍子がなく、ありえないことだった。
民間人の虐殺――金持ちで清潔で、○○○人でもなく、何世紀血筋を遡っても敬虔なカトリック教徒の生徒たちには無縁の言葉だった。
生徒たちはリドルをチラチラ見て、お互いに顔を見合わせた。ヒソヒソ話を始める女子たちもいる。
西に亡命するずっと以前から、“大虐殺の申し子”として名を馳せているリドルのことを知らない者は、ゲルマニア帝国ではほとんどいなかった。彼が北部戦線で負傷していなければ、ベルリンは陥落せず枢軸国が勝利する未来もあったのではないか。そう主張する者もいるくらいだ。
「リドルくんリドルくん! まずは職員室ッスよ!」
エルマーがドタバタと廊下を走って現れた。本当に軍隊上がりなのか疑わしい。肩でゼェゼェ息をして、額にはじんわり汗が滲んでいる。リーゼロッテは冷ややかにエルマーを見て、関わり合いになりたくない、と言わんばかりに腕を組んだ。
「それ、今さっき私がご忠告申し上げたけど」
髪は以前より少し伸び、ベージュのセミロングヘアがふわりと揺れた。不快そうに周囲を見渡す。
多くの生徒たちの視線を集めているのは明白だった。リーゼロッテは、リドルのように注目を集めるのを好む性格ではなかった。親指と中指を無意識に擦り合わせ、指を鳴らそうとして直前で止める。時間を止める能力を使っても、リドルの前では満足のいく結果は得られない。経験からくる防衛意識がそうさせた。
「お前の忠告なんてたいしたもんじゃない。また素敵な髪型にしてやろうか?」
リドルはそんなリーゼロッテの感情を知ってか知らずか鼻で笑った。リーゼロッテは不愉快を隠そうともせず、イライラと舌打ちをした。リドルのすぐ近くまでやってきた、エルマーのカラフルに洗髪された髪に視線を移す。
「ねぇ……あなたもしかしてエルマー・ブロン?」
「ええっと、どこかでお会いしたッスかね?」
エルマーが所在なさげに眼鏡を押し上げた。紫の瞳がガラスの向こうで鈍く光った。昨晩から降り続いている雨足は強まり、ひっきりなしに窓を濡らした。中庭の様子を伺うことができないくらいに滲む。
「新聞に載ってるのを見たわ、ほら」
リーゼロッテは鞄から新聞を取り出した。今日の日付が書かれた朝刊。ご丁寧にアイロンまでかけられていて、雨で湿気の多いこんな日でもパリッとシワひとつない。
エルマー・ブロン――戦争では軍に従事し、名誉除隊。気球に乗って国境を越えたゲルマニア帝国の英雄。――いつもいつも似たようなことを書き立てる。
エルマーは一切、しつこく付きまとう新聞記者のインタビューに答えることはなかったのだから真新しい情報もないだろう。世間から隔絶されたこの学院にきて、彼らの追跡を気にする必要がなくなったのは喜ばしい。それ以上に、気にするべき事柄は増えたのだけれど。エルマーは横目でチラッとリドルを見た。
「やばぁ、エルマー有名人じゃーん」
リドルの明るい声が響いた。リーゼロッテの持っている新聞を覗き込み、小さく首を傾げる。
「で、なんて書いてあるんだ?」
「あなた、文字も読めないの?」
リーゼロッテは呆れて大きな声を出した。新聞を持っている手に力が入り、せっかくピンと伸ばされた新聞紙にシワが入る。
彼らに注目している生徒たちがざわざわと噂話を始める。リドルはムッとした表情で唇を尖らせた。
「俺はぜーったい、勉強なんてしないからな!」
「ここは勉強する場所なんだけど……」
リーゼロッテは小さくため息をついた。エルマーは冷や冷やした様子で二人の会話に耳をそばだてている。リドルは新聞を覗き込むのをやめ、ドリルのようなツインテールをくるくるいじり始めた。短いスカートが揺れる。
「領地開拓のほうが遥かにマシだな。面倒な遅滞戦闘でも可」
「リドルくん! ここでは人殺しはナシッスよ。俺が姉さんに殺されちゃう」
エルマーが困った顔をしてそう投げかけた。リドルは眉根にシワを寄せ、難しそうな表情を作ってみせた。エルマーの紫の瞳をまっすぐに射る。瞬きをすると、彼の青く澄んだ瞳からイキイキとした光が消えた。
「やっぱあれ姉ちゃんなの?」
「あれ、言ってなかったッスか?」
エルマーは顎に手を当て少し考える素振りをみせた。その様子は、どこかあからさまで大袈裟な態度にも感じさせた。首筋に、走ってきたときとは違う種類の汗が伝った。
リドルはもう一度瞬きをして、エルマーをじろじろと観察した。既に目に光は戻っている。特徴的なマーブル模様の髪、メガネの奥の紫の瞳、顎や首のホクロに順番に視線をやる。エルマーは困惑して声を震わせた。
「な、なんスか」
「ま、お前のことなんてどうでもいいや」
冷たい声だった。兄、ハインリヒに向けてのかつての態度によく似ていた。興味を失い、失望し、なにも期待しない、緩やかな拒絶。
教室の男女が不思議そうな顔でリドルに注目した。人を殺せば殺すほど評価されていた軍とは何もかもが違った。かつてのリドルは、一個中隊の殲滅くらいなら簡単に成し遂げた。戦果をあげれば出世は容易い。突撃章のバッジは、かわいくないのですぐになくしてしまった。
若くして少佐まで上り詰めたリドルからしてみれば、学校なんてものは頭がお花畑のふざけた空間に他ならない。反対に、ギムナジウムの生徒たちからしてみればリドルの存在は異質で、それは彼に注がれる視線から明らかだった。
「なにしてるの!?」
リーゼロッテが慌てて教室に入ってリドルの腕を引っ張った。下級生の教室に入るなんて、リーゼロッテにとってはありえないことだったが、そんなことを気にしている場合ではない。リドルの発言のほうががあまりにも突拍子がなく、ありえないことだった。
民間人の虐殺――金持ちで清潔で、○○○人でもなく、何世紀血筋を遡っても敬虔なカトリック教徒の生徒たちには無縁の言葉だった。
生徒たちはリドルをチラチラ見て、お互いに顔を見合わせた。ヒソヒソ話を始める女子たちもいる。
西に亡命するずっと以前から、“大虐殺の申し子”として名を馳せているリドルのことを知らない者は、ゲルマニア帝国ではほとんどいなかった。彼が北部戦線で負傷していなければ、ベルリンは陥落せず枢軸国が勝利する未来もあったのではないか。そう主張する者もいるくらいだ。
「リドルくんリドルくん! まずは職員室ッスよ!」
エルマーがドタバタと廊下を走って現れた。本当に軍隊上がりなのか疑わしい。肩でゼェゼェ息をして、額にはじんわり汗が滲んでいる。リーゼロッテは冷ややかにエルマーを見て、関わり合いになりたくない、と言わんばかりに腕を組んだ。
「それ、今さっき私がご忠告申し上げたけど」
髪は以前より少し伸び、ベージュのセミロングヘアがふわりと揺れた。不快そうに周囲を見渡す。
多くの生徒たちの視線を集めているのは明白だった。リーゼロッテは、リドルのように注目を集めるのを好む性格ではなかった。親指と中指を無意識に擦り合わせ、指を鳴らそうとして直前で止める。時間を止める能力を使っても、リドルの前では満足のいく結果は得られない。経験からくる防衛意識がそうさせた。
「お前の忠告なんてたいしたもんじゃない。また素敵な髪型にしてやろうか?」
リドルはそんなリーゼロッテの感情を知ってか知らずか鼻で笑った。リーゼロッテは不愉快を隠そうともせず、イライラと舌打ちをした。リドルのすぐ近くまでやってきた、エルマーのカラフルに洗髪された髪に視線を移す。
「ねぇ……あなたもしかしてエルマー・ブロン?」
「ええっと、どこかでお会いしたッスかね?」
エルマーが所在なさげに眼鏡を押し上げた。紫の瞳がガラスの向こうで鈍く光った。昨晩から降り続いている雨足は強まり、ひっきりなしに窓を濡らした。中庭の様子を伺うことができないくらいに滲む。
「新聞に載ってるのを見たわ、ほら」
リーゼロッテは鞄から新聞を取り出した。今日の日付が書かれた朝刊。ご丁寧にアイロンまでかけられていて、雨で湿気の多いこんな日でもパリッとシワひとつない。
エルマー・ブロン――戦争では軍に従事し、名誉除隊。気球に乗って国境を越えたゲルマニア帝国の英雄。――いつもいつも似たようなことを書き立てる。
エルマーは一切、しつこく付きまとう新聞記者のインタビューに答えることはなかったのだから真新しい情報もないだろう。世間から隔絶されたこの学院にきて、彼らの追跡を気にする必要がなくなったのは喜ばしい。それ以上に、気にするべき事柄は増えたのだけれど。エルマーは横目でチラッとリドルを見た。
「やばぁ、エルマー有名人じゃーん」
リドルの明るい声が響いた。リーゼロッテの持っている新聞を覗き込み、小さく首を傾げる。
「で、なんて書いてあるんだ?」
「あなた、文字も読めないの?」
リーゼロッテは呆れて大きな声を出した。新聞を持っている手に力が入り、せっかくピンと伸ばされた新聞紙にシワが入る。
彼らに注目している生徒たちがざわざわと噂話を始める。リドルはムッとした表情で唇を尖らせた。
「俺はぜーったい、勉強なんてしないからな!」
「ここは勉強する場所なんだけど……」
リーゼロッテは小さくため息をついた。エルマーは冷や冷やした様子で二人の会話に耳をそばだてている。リドルは新聞を覗き込むのをやめ、ドリルのようなツインテールをくるくるいじり始めた。短いスカートが揺れる。
「領地開拓のほうが遥かにマシだな。面倒な遅滞戦闘でも可」
「リドルくん! ここでは人殺しはナシッスよ。俺が姉さんに殺されちゃう」
エルマーが困った顔をしてそう投げかけた。リドルは眉根にシワを寄せ、難しそうな表情を作ってみせた。エルマーの紫の瞳をまっすぐに射る。瞬きをすると、彼の青く澄んだ瞳からイキイキとした光が消えた。
「やっぱあれ姉ちゃんなの?」
「あれ、言ってなかったッスか?」
エルマーは顎に手を当て少し考える素振りをみせた。その様子は、どこかあからさまで大袈裟な態度にも感じさせた。首筋に、走ってきたときとは違う種類の汗が伝った。
リドルはもう一度瞬きをして、エルマーをじろじろと観察した。既に目に光は戻っている。特徴的なマーブル模様の髪、メガネの奥の紫の瞳、顎や首のホクロに順番に視線をやる。エルマーは困惑して声を震わせた。
「な、なんスか」
「ま、お前のことなんてどうでもいいや」
冷たい声だった。兄、ハインリヒに向けてのかつての態度によく似ていた。興味を失い、失望し、なにも期待しない、緩やかな拒絶。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる