ドレスデンのドリルきゅん

つなかん

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八章 ギムナジウム編

挨拶

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「リドル・シュタイナーです。趣味はジャガイモの栽培、特技は民間人の虐殺でーす♥ よろしくね~」

 教室の男女が不思議そうな顔でリドルに注目した。人を殺せば殺すほど評価されていた軍とは何もかもが違った。かつてのリドルは、一個中隊の殲滅くらいなら簡単に成し遂げた。戦果をあげれば出世は容易い。突撃章のバッジは、かわいくないのですぐになくしてしまった。
 若くして少佐まで上り詰めたリドルからしてみれば、学校なんてものは頭がお花畑のふざけた空間に他ならない。反対に、ギムナジウムの生徒たちからしてみればリドルの存在は異質で、それは彼に注がれる視線から明らかだった。

「なにしてるの!?」

 リーゼロッテが慌てて教室に入ってリドルの腕を引っ張った。下級生の教室に入るなんて、リーゼロッテにとってはありえないことだったが、そんなことを気にしている場合ではない。リドルの発言のほうががあまりにも突拍子がなく、ありえないことだった。
 民間人の虐殺――金持ちで清潔で、○○○人でもなく、何世紀血筋を遡っても敬虔なカトリック教徒の生徒たちには無縁の言葉だった。

 生徒たちはリドルをチラチラ見て、お互いに顔を見合わせた。ヒソヒソ話を始める女子たちもいる。
 西に亡命するずっと以前から、“大虐殺の申し子”として名を馳せているリドルのことを知らない者は、ゲルマニア帝国ではほとんどいなかった。彼が北部戦線で負傷していなければ、ベルリンは陥落せず枢軸国が勝利する未来もあったのではないか。そう主張する者もいるくらいだ。

「リドルくんリドルくん! まずは職員室ッスよ!」

 エルマーがドタバタと廊下を走って現れた。本当に軍隊上がりなのか疑わしい。肩でゼェゼェ息をして、額にはじんわり汗が滲んでいる。リーゼロッテは冷ややかにエルマーを見て、関わり合いになりたくない、と言わんばかりに腕を組んだ。

「それ、今さっき私がご忠告申し上げたけど」

 髪は以前より少し伸び、ベージュのセミロングヘアがふわりと揺れた。不快そうに周囲を見渡す。
 多くの生徒たちの視線を集めているのは明白だった。リーゼロッテは、リドルのように注目を集めるのを好む性格ではなかった。親指と中指を無意識に擦り合わせ、指を鳴らそうとして直前で止める。時間を止める能力を使っても、リドルの前では満足のいく結果は得られない。経験からくる防衛意識がそうさせた。

「お前の忠告なんてたいしたもんじゃない。また素敵な髪型にしてやろうか?」

 リドルはそんなリーゼロッテの感情を知ってか知らずか鼻で笑った。リーゼロッテは不愉快を隠そうともせず、イライラと舌打ちをした。リドルのすぐ近くまでやってきた、エルマーのカラフルに洗髪された髪に視線を移す。

「ねぇ……あなたもしかしてエルマー・ブロン?」
「ええっと、どこかでお会いしたッスかね?」

 エルマーが所在なさげに眼鏡を押し上げた。紫の瞳がガラスの向こうで鈍く光った。昨晩から降り続いている雨足は強まり、ひっきりなしに窓を濡らした。中庭の様子を伺うことができないくらいに滲む。

「新聞に載ってるのを見たわ、ほら」

 リーゼロッテは鞄から新聞を取り出した。今日の日付が書かれた朝刊。ご丁寧にアイロンまでかけられていて、雨で湿気の多いこんな日でもパリッとシワひとつない。
 エルマー・ブロン――戦争では軍に従事し、名誉除隊。気球に乗って国境を越えたゲルマニア帝国の英雄。――いつもいつも似たようなことを書き立てる。
 エルマーは一切、しつこく付きまとう新聞記者のインタビューに答えることはなかったのだから真新しい情報もないだろう。世間から隔絶されたこの学院にきて、彼らの追跡を気にする必要がなくなったのは喜ばしい。それ以上に、気にするべき事柄は増えたのだけれど。エルマーは横目でチラッとリドルを見た。

「やばぁ、エルマー有名人じゃーん」

 リドルの明るい声が響いた。リーゼロッテの持っている新聞を覗き込み、小さく首を傾げる。

「で、なんて書いてあるんだ?」
「あなた、文字も読めないの?」

 リーゼロッテは呆れて大きな声を出した。新聞を持っている手に力が入り、せっかくピンと伸ばされた新聞紙にシワが入る。
 彼らに注目している生徒たちがざわざわと噂話を始める。リドルはムッとした表情で唇を尖らせた。

「俺はぜーったい、勉強なんてしないからな!」
ここ学校は勉強する場所なんだけど……」

 リーゼロッテは小さくため息をついた。エルマーは冷や冷やした様子で二人の会話に耳をそばだてている。リドルは新聞を覗き込むのをやめ、ドリルのようなツインテールをくるくるいじり始めた。短いスカートが揺れる。

「領地開拓のほうが遥かにマシだな。面倒な遅滞戦闘でも可」
「リドルくん! ここでは人殺しはナシッスよ。俺が姉さんに殺されちゃう」

 エルマーが困った顔をしてそう投げかけた。リドルは眉根にシワを寄せ、難しそうな表情を作ってみせた。エルマーの紫の瞳をまっすぐに射る。瞬きをすると、彼の青く澄んだ瞳からイキイキとした光が消えた。

「やっぱあれ姉ちゃんなの?」
「あれ、言ってなかったッスか?」

 エルマーは顎に手を当て少し考える素振りをみせた。その様子は、どこかあからさまで大袈裟な態度にも感じさせた。首筋に、走ってきたときとは違う種類の汗が伝った。
 リドルはもう一度瞬きをして、エルマーをじろじろと観察した。既に目に光は戻っている。特徴的なマーブル模様の髪、メガネの奥の紫の瞳、顎や首のホクロに順番に視線をやる。エルマーは困惑して声を震わせた。

「な、なんスか」
「ま、お前のことなんてどうでもいいや」

 冷たい声だった。兄、ハインリヒに向けてのかつての態度によく似ていた。興味を失い、失望し、なにも期待しない、緩やかな拒絶。
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