ドレスデンのドリルきゅん

つなかん

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八章 ギムナジウム編

友達

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「まじでありえねー」

 舌打ちをして、右手に力がこもる。鉛筆がバキッと割れる音が響いて、リーゼロッテが面倒臭そうにチラッと視線をやった。
 エルマーはブツブツ呪詛を吐きながら黒板を見つめた。ノートを取ることは諦めたようで、乱暴に教材を机の中にしまった。不機嫌さを隠すことなく教室をあとにする。リドルのいる、下級生のクラスへ足を進めた。

 ――学校なんて嫌いだ。

 エルマーは、リドルと違って勉強が苦手というわけではなかった。かなり成績は良いほうだったし、でも、だからこそ学校というものを嫌悪するのかもしれない。

 同世代との共同生活は肌に全く合わないし、退屈な授業を黙って聞いていなければならない。特に我慢ならなかったのは、教師は誰しもが、重要な箇所を赤いチョークで黒板に書くことだった。赤緑色盲の彼には、緑の板に赤い文字はまったく読み取ることができない。

「あ、エルマーじゃん」

 マルボロの煙がぼんやり漂った。副流煙が喉に引っかかって少々咳き込んでしまう。窓の外は昨日と打って変わって晴れ渡り、雨が上がったばかりの空には虹がかかる。
 リドルの、ふわふわのドーナツのように結われた金髪が揺れた。いつものドリルのようなツインテールとは違い、柔らかな印象を与える。

「リドルくーん、やっぱ俺、学校なんて無理ッスわ」
「ウケんね、俺も~」

 リドルはニヤッと笑ってエルマーに視線をやった。エルマーとバチッと目が合い、不審そうに首を傾げる。

「なんかお前……目が」
「え、えぇ!? なんか変ッスかね?」

 エルマーはドギマギしてメガネを外した。コンタクトがゴロゴロ網膜を刺激した。外れてしまっては困る。目立つのは好きではない。それに、色盲障害がバレたら殺されるという強迫観念が残っていた。少なくとも、前政権ではそうだった。目の色を誤魔化すために、わざわざ魔法でコンタクトを加工した。

「いや、別になんでもない」

 リドルはすぐに視線を逸らし、タバコを大きく吸った。紫煙がどこまでも立ち上る。とりあえず、コンタクトは外れていないようだ。リドルには特別な能力がある。充分に気をつけなければならない。エルマーはできるだけ普段通りに振舞った。

「てかてか、なんで大事なところを赤いチョークで書くんスかね」
「さぁ? ベンキョーなんて俺、わかんないし」

 リドルは不快そうに顔を歪めた。授業についていけていないのは明白だった。今日はやっと、机に足を乗せる癖をなんとか抑えることができてきた。

「チョークに赤色って、存在するんスね」
「お前本当に貴族?」

 エルマーの言葉に、リドルは深いため息をついた。肺を通ったタバコの煙が薄い白色となって排出される。貴族――今後ブロン家がそんな風に表現されることはないだろう。

「覚えててくれたんスね~」
「共和国が、まだ帝国だった頃のな」

 退屈そうな、興味のなさそうな声。タバコを早々に吸い終えて、パチンと指を鳴らした。どういう原理かわからないけれど、吸殻がどこかへ消えてゆく。

「リドルくん、やっぱり最近ちょっと冷たいッスよね。俺たち友達じゃなかった?」
 リドルの鋭い視線に、エルマーはギョッとした。今までこんなことはなかった。人を殺したり、いたぶるときとはまた違う雰囲気。そこはかとなく、哀しさや孤独を纏っているようにも感じた。

「友達は絶対裏切る」

 ポツリとそう呟いた。気まずそうに、ゴソゴソポケットを漁る。朝渡したばかりのマルボロ・レッドは、もう既に半分ほどにその数を減らしていた。慣れた手つきでタバコを咥えて、指を鳴らして火をつける。

「俺はそんなことしないッスよ!」
「姉ちゃんがいるなんて聞いてない」

 リドルの強い口調に息を詰まらせるほかなかった。姉の存在はずっと意図的に隠してきた。聞かれなかったから答えなかった。そう言い訳することもできる。けれど、エルマーには明確な意思の元で、家族の話題を避けてきた自覚があった。特に、旧政権が勢いを増していたあの時期は。

「それは、俺だって……俺だってリドルくんにお兄さんがいる、って知らなかったっす」

 過酷な環境といえた。あのとき、二人はお互いしか友達と呼べる存在がいなかった。リドルもエルマーも家族の話題は好まなかったし、そういう部分もウマが合うように感じていた。隠し事なんて一つもなくて、なんでも悩みを話せる。そうでなければ友達とは呼べないんだろうか。

「兄貴とは同じ部署だったんじゃないっけ?」
同じ部署ギロチン係にならなかったらずっと知らなかったッスよ」

 リドルはイライラと舌打ちをした。タバコを吸う速度がますます早くなる。

「いちいち言う必要ないだろ」
「そりゃそうッスけど。……それは俺だって」

 そう、わざわざ話す必要なんてない。共和国の貴族、なんて話も鈍臭いエルマーを揶揄する言葉でしかなかった。戦争をしていたときのほうが平和だったのかもしれない。こんな風に、つまらない感情に支配されることはなかった。強さだけが全てで、一緒に行動していればそれだけで友達と呼ぶことができた。

「じゃあお前は、俺に隠し事とか絶対ないわけ? 姉ちゃんがいる、以外に」
「……」

 リドルが感情的になるのはいつものことだった。しかし、今回ばかりはいつもと性質が違う。エルマーはなんとなく察していた。本当に友達じゃないと思っていれば、こんなに嫌味をぶつけてくるなんてありえない。
 その気持ちに応えなければ――おそらく今まで、彼はたくさんの人に裏切られ見捨てられてきた。兄の話をしたがらなかったのも理由があるはずだ。だから性格がこんなに捻くれているんだ。タバコの煙が目に染みる。外していたメガネをかけ直した。

「ほら、言えないだろ。友情なんてちゃんちゃらおかし――」
「姉が四人と、兄が一人」

 決心して大きく息を吸う。そうだ、別に隠してるわけじゃない。それにここは軍とは違う。ちょっと走るのが遅いだけで怒鳴られたりしない。障害があるというだけで殺されたりしない。

「父は軍人で不在がち、母はうちの使用人を殺しまくってた。……よく、血の風呂に入ってたっけ。それから――」
「いいって!」
「え~、他にもあるッスよ」

 リドルは大きな声でエルマーの言葉を遮った。気まずそうに大きくタバコを吸った。いつものように超能力を使って吸殻を消失させずに、窓枠に押し当ててグリグリと火を消す。動揺しているのは明らかだ。

「ペラペラ話すことじゃないだろ……別に本当に話せとか言ってねーし」
「こんなこと、誰にでも話すわけじゃない」

 言葉とは裏腹に、リドルがどこか嬉しそうに頬を赤らめていることをエルマーは知っていた。リドルの手を取って、強く握りしめる。

「リドルくんには、なんでも話せる」

 彼には戦いの才能があるから。自分より劣った存在なんて興味がない。ピカソや、フェルメールや、ミロやガウディに惹かれるのと同じ。その青い瞳に吸い込まれることしかできない。

   ***

「危ない!」
 ぼんやりした頭にリドルの切羽詰まった声が響いた。間髪入れずに強い衝撃を受けて尻もちをつく。さっきまで自分たちに無関心だった周囲がどよめいて、床が少しだけ揺れる。リドルに突き飛ばされた、ということだけはわかった。

「なんすか、急に」
「あーあ、クソ痛ぇ。不意打ちすぎんだろ」

 メガネを拾って周囲を見渡した。リドルが頭を抑えて蹲っていた。ダラダラ額から血を流している。窓ガラスは割れ、床に無数の破片が散らばっている。一瞬のことで、なにが起きたのかまったくわからない。生徒たちが散り散りに逃げていく。

「えぇ、リドルくん大丈夫ッスか……どうして」

 リドルは平然と立ち上がった。スカートについたホコリをポンポンと払う。無愛想にエルマーに手を差し伸べた。おそるおそるその手を取ると、グイッと引っ張ってニヤッと口角をあげてみせた。

「お前の姉ちゃんやっぱやべーのな」
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