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九月
しおりを挟む文理選択をそろそろ考えないといけなくなってきた。クラスメイトに聞いてみると、もう決めている者が半数以上だ。
「俺? 俺は二次関数の曲線がうまく書けないから文系にした」
橋本に聞いてみた自分が間違いだった。よくわからない理由で進路を決めたものも多い。自称進学校恐ろしい。
「でもさ、一応今日提出のやつあるじゃん。それは適当に書いとけば?」
「うん、そうする」
桐生と同じ文系はなんとなく嫌だったので国立の理系を選ぶ。自分のせいで進路をきめてしまう桐生には申し訳なかったが、彼のようにはなりたくなかった。
放課後になり、職員室へ向かう。
「なんでですか?」
生徒会室の近くを通ったとき、少し離れた廊下から、声が聞こえた。知らない声だし、通り過ぎようとしたときだった。
「僕、別にそういう趣味ないから」
桐生の声だ。心底どうでもよさそうな、冷たい声。
少しの好奇心から、声のする方へ近づく。
柱で死角になる部分に隠れ、様子を伺った。
桐生と話しているのは、何度か見たことがある先輩だ。名前は忘れてしまったが、二年の、たしか生徒会で書記をやっている人物だった。
「朔夜先輩!」
立ち去ろうとする桐生を呼び止める。桐生はゆっくりと振り返り、ため息をついた。
「前から思ってたけど、なに名前で呼んでんの?」
その冷たい態度は、吉村の知らないものだった。
次の日になっても、桐生のあの態度が気になった。人当たりの良いほうだと思っていたのに、なにがあったのだろう。
昨日一緒に帰宅したときも、聞ける雰囲気ではなかった。
教室でぼんやりしていると、クラスの女子に声を掛けられた。
「吉村君? なんか先輩が呼んでるよ」
見れば教室の外で昨日の先輩が腕を組んで立っている。
なんの用だろう。不思議に思いながら廊下へ出た。
「あの、なんですか?」
じゃっかん先輩のほうが背が高い。見下ろしてくる感覚は、なんだか気分の悪いものだった。
「君が、吉村君?」
「……はい」
「ふうん」
眼鏡の奥から、品定めするように見つめてくる。なんだか敵意を感じた。
「あの、なにか?」
じろじろ見られているのに耐え切れなくなり口を開く。先輩は余裕の表情で、言葉を発した。
「僕、二年の朝海陽介。単刀直入に言うけどさ」
「はい」
「朔夜先輩と、別れてくれない?」
「はい?」
何を言うのかと思えば、訳がわからない。
誰かに聞かれていないか、気になり、辺りを見渡す。廊下はざわついていて、大丈夫そうだ。
「あの、先輩には関係ないですよね」
「関係あるから言ってる」
こちらは小声で、落ち着いた様子を心がけているのに、朝海は全く意に介さない。小声どころか、気持ち大きめの声で言葉を紡いでいる。
「……」
呆れで言葉を失っていると、朝海はキッとこちらを睨みつけた。
「わかった、そっちがその気なら。もういい」
そう言って、言葉を一旦区切る。
「一発殴らせて」
もう意味が分からない。
朝海は桐生を好きなのだろうことは分かったが、自分と別れさせれば、上手くいくとでも思っているのだろうか。
「は? 嫌ですけど」
そう言って立ち去ろうと踵を返す。教室へ向かおうと足を踏み出した瞬間だった。不意に胸ぐらを掴まれ、引き寄せられる。頬に衝撃を受けたと思ったら、勢いで膝から崩れ落ちた。
「……った」
突然の出来事だったので、歯を食いしばることもしていない。口の中に血の味が広がった。
文句を言ってやろうと、朝海のほうを向くが、既に彼は背中を向けて、立ち去っているところだった。
「吉村君! 大丈夫?」
廊下にいた生徒はもちろん、教室にいたクラスメイトもこちらへ向かっていた。
山下が真っ先にこちらへ駆け寄り、言葉を掛けてきた。
「あぁ、大丈夫。ごめんね」
それから保健室で山下の頬の手当をしてもらうことになった。二回もお世話になるなんて、なんだか申し訳なく感じた。
あまり大きな騒ぎにならずに済んだ。吉村自身が事と大きくしたくなかったことを周囲も汲んでくれ、教師に呼び出されることもなく、ただ不注意で転んだことになっていた。
「月冴、どうしたの? それ」
帰宅中、頬に貼られたガーゼに桐生は訊ねた。
「なんか殴られた」
桐生相手に誤魔化しは通じないと思い、正直に話す。嘘を言うとまた、大変な目に遭いそうな気がしたのもある。
「誰に?」
冷たい声。なんだか恐い。
「知らない先輩」
「名前は?」
言うべきか少し迷う。殴られたこともあり、言ってもいいような気がした。
「……朝海? って言ってた」
「ふーん」
何か考え込む桐生の様子に不安を覚える。
「知り合い?」
「たぶん生徒会の人、たまに僕のこと名前で呼んできてうざい」
「名前で呼ばれるの嫌いじゃなかっただろお前」
「親しくない人に呼ばれるのは嫌い」
「月冴はどんどん呼んでいいんだよ」と言葉を続けられる。
「ああそーかよ」
生徒会の仕事の関係で、一緒に帰宅できない旨のメールが届いた。
桐生にしては珍しいことだが、納得して了解の返事を打つ。
部活が終わると、日は陰り、辺りは薄暗くなる。
そんな道を一人で帰るのは久しぶりのことで、少しだけ不安を覚えた。
家を目指して歩く。途中の細く、人通りの少ない道に差し掛かったとき、自分の名前を聞いた。
「本当にこいつなの? 吉村って」
「だと思うけどー」
気が付くと、何人かの男達に道を塞がれていた。不思議に思う気持ちと、恐怖の気持ちが入り混じる。
「あの……」
思い切って声を掛ける。よく見ると、相手は他校の制服を着ていた。
「ごめんねー、別に君に恨みとか、あるわけじゃないんだけどね」
そう言って一人が突然鳩尾を殴ってきた。唐突な出来事で、自分を庇うこともできない。思わずその場にうずくまると、寄ってたかって殴られた。
顔や、見えるところを避けてくる。なんとなく、誰の差金か分かった気がした。
「別れよう」
思い切ってそう切り出す。桐生はへらっと笑って見せた。
「なに? 今日はエイプリルフールじゃないよ。冗談も禁止って言ったよね」
「そうじゃなくて、本当に」
緊張して口が渇く。なんとしてでも別れなければならない。
「えっと、なんで?」
「とにかく、理由とかはないから! じゃあ」
そう言って、なにか言われる前に駆け出す。
家に帰ると、先回りされているような気がして、帰れない。ぐるぐると同じ道を何度も通って、なんとなく辿り着いたのは、吉良の家の前だった。
インターフォンを鳴らすと、丁度帰宅したばかりなのか、制服姿の吉良が姿を現した。
「あれ? 月冴じゃん。どしたの?」
「あのさ、俺……」
言葉を紡ごうとするが、こみ上げるものがあって上手くいかない。悔しさに拳を握り締めた。
「とりあえず、入って」
玄関から招き入れられ、吉良の自室に通される。
「何飲む? えっと、月冴はオレンジジュースだよね」
そう言って、台所から飲み物を運んでくる。
「で? 何があったの?」
「俺、別れた」
何を言ったらいいかわからず、それだけを口にした。
「……そうなんだ」
そう言って、吉良はゆっくりと言葉を選ぶようにして口を開いた。
「前みたいに俺は反対しないよ、でもさ、それで月冴はいいの?」
言葉を切って、烏龍茶を飲む。そういえば、中学二年生で同じクラスになったとき、色々と忠告されたことを思い出す。
「月冴は、俺の一番の友達だから……俺、要領悪いし、性格も暗いし。でもそんな俺でも月冴は仲良くしてくれたよね。だから、月冴が悲しんでるのは、俺も嫌だよ」
「友達に一番も二番もないだろ」
「そう、だね。ごめん」
少し笑いながら言う。それまでの、張り詰めていた空気が和らいだ。
「あのさ、スポーツ推薦あったのに、あの高校入ったのはやっぱり……」
「違う!」
「……ごめん」
「いやそうかもしれないど……、俺大学は自分で決めるから!」
「俺は、月冴が決めたなら反対しないよ」
それから多くの事を話し、吉良の家を出る頃には、なんだか気持ちも楽になっていた。
桐生と一緒に解決していこう。そう思えるようになっていた。
自宅へ着くと、見覚えのある人影が見えた。辺りが暗くてよく見えないが、見間違うはずはない。あれは桐生だ。
「みんな、死ねばいいのに」
なにか物騒なことを呟いている。
「邪魔するやつがいなくなれば、幸せになれるのに」
「おい、何言ってんだよ……」
謝ろうと口を開いたとき、優しく抱きしめられた。
「もう月冴は心配しなくていいよ。あいつにはちゃんと言っといたから」
「だから別れないで」と消え入るような声で呟いた。
「わ、分かったよ。てか、なにしたんだよ、あんまり物騒なことはするなっていつも言ってるよな」
「大丈夫、ちょっと話し合っただけだよ。月冴の嫌がることはしないって決めたから」
そう言って微笑んだ。
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