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義務教育七年目の悲劇
しおりを挟む中学に入学して二ヶ月が経過していた。ゴールデンウィークもとっくに過ぎ、涼しげな夏服に腕を通す季節。
この辺の中学にしては珍しいブレザーの制服は重苦しくなく、人気がある。とはいっても公立中学なので、学区内なら誰でも入ることができる。しかし、ここ数年は荒れているという噂が絶えず、わざわざ学区外の中学に通う生徒もいるようだ。
吉村は運がよかったのか、比較的静かな生徒が集まったクラスに入ることができ、なんとか平和に日々を過ごしていた。
所属する陸上部も、今のところ目立った問題はない。先輩が少し口うるさいくらいだ。
欠伸を噛み殺しながら校舎を目指す。のろのろ歩いていたら遅刻することは分かっていたが、しっかり働かないぼんやりした朝の頭に、寝不足の身体では走る気力も沸かない。
「……ねむ」
腕を空に向けて伸びをする。朝の空気を吸い込むと、少し頭がすっきりした。
「あれ。空斗?」
校門が見え始めると、小学校からの友人である、吉良空斗が学校に背を向けて歩いていた。鞄も持たず、下を向いている。忘れ物? にしては妙だ。鞄ごと忘れるなんて話聞いたことがない。
入学して最初の頃は、小学校が一緒だった吉良と共に登校していたが、吉村の陸上部の朝練などがあったりして、徐々に一緒に行くことはなくなった。クラスも違うことから、あまり関わりはなくなっている。だから吉良のこの状況がどんな事情からのものなのか、吉村には見当がつかなかった。
「どこ行くんだよ?」
すれ違いざまに腕を取る。その細さに驚いた。こいつはこんなに痩せていただろうか。
「……えっと」
下を向いていた吉良が、こちらを見上げた。伸びた前髪の奥から覗いた目は、潤んでいるように見えた。
「帰るの? 鞄は?」
体調不良かなにかだろうか。あまり食べていないようだし、心配だ。
「わっかんねぇよ! ほっとけ!」
そう言って吉村の手を振り払い、走り去る。
「おい、ちょっと待てって」
吉村は校舎に背を向けて、吉良を追いかけた。
陸上部員の本領発揮といったところか、すぐに吉良に追いつくことができた。肩を掴んで強引に振り向かせる。
「おい、どうしたんだよ!」
「俺だってわかんねぇよ……」
疲れた表情で、こちらを睨む。
「分かった。話、聞くから。場所変えよ」
まずは冷静にならなければいけない。ゆっくりできる場所なんて、制服姿の平日昼間の中学生には限られているけれど、とにかく吉良の手を引いた。
学校の裏手にある土手は、ゲートボールをしている人たちで溢れていた。少し離れ、見えなくなる場所まで移動する。階段になっている場所に腰を下ろす。
吉良は無言で隣に座り、目の前を流れる川を見つめていた。
「あのさ、何があったか知らないけど、鞄とかどうするの? 携帯とか、財布も入ってるでしょ?」
とりあえず、場合によってはそれを取りに学校へ戻らなければならない。吉良の様子からすると、もしかするとそれはできないかもしれない。
「もういい、どうでもいい」
そう言って、目を伏せてしまう。
「え? どうでもいいって……」
どういう、と尋ねようとしてやめた。鼻をすする音や、小さな嗚咽が聞こえてきたからだ。
吉村は、なにもできなくて、ただ隣に座っていることしかできなかった。
「ごめ……、俺、別にそういうつもりじゃなくて……」
しばらく経つと、そう言って掌で乱暴に顔を拭く。
「いや、俺はいいんだけど。なんかあったなら……もし、その、話せればでいいんだけど」
友人がこんな状態になるまで気付かなかったことに、吉村は少なからずショックを受けた。いくら違うクラスで、ここ一ヶ月は関わりがなかったとしても。
「……うん」
そう言って、しばらく沈黙する。なにか言ったほうがいいのか、それとも何も言わないほうがいいのか、わからなくて、結局黙っていた。
「死ねって言われたし、もういいかなって」
しばらく経つと、聞き取れるギリギリの音量で吉良が言葉を発した。
「えっと、誰に……?」
「クラスの人とか」
それだけではないということは、言葉の端々から察しがついた。きっと他にも、なにかされているのだろう。
「分かったから、もう今日は帰ろ」
「……うん」
そう返事をしたものの、吉良はなかなか立ち上ががらなかった。
ようやく帰路についたのは、お昼のチャイムが聞こえた頃だった。
次の日、吉良は学校に姿を見せなかった。朝、家に寄ったが、今日は休むという話を彼の母親から聞いた。
「ったく、どこだよ、時間ないってのに」
吉良のクラスメイトから、鞄の場所を聞き出しそうとしたたが、ゴミ捨て場に投げたという曖昧な情報しか手に入れることができなかった。
昼休みと、部活が始まるまでの僅かな時間を鞄の捜索に充てる。結局見つからないまま部活の時間になってしまった。
部活には、最近アメリカから転入してきた先輩がいた。桐生朔夜という名前で、あまり目立たない三年生だ。途中入部ということもあり、少しだけ浮いている。
遅刻ギリギリで部活に参加した吉村は、部長に一瞥されたが、特に小言を言われることはなかった。
しばらく経ち、水分を補給していると、ハードルを飛び越える桐生の姿があった。運動神経は悪くないようだが、ハードルを飛ぶ姿はどこかぎこちない。
「……あっ」
吉村の視界の中で、桐生は派手に転んだ。ハードルが音を立てて倒れる。
思わず駆け寄って、様子を見る。
「あの、大丈夫ですか?」
声を掛けると、桐生はゆっくりとこちらを見上げた。少し驚いたような顔をしたが、すぐに無表情になる。
「あ、うん。ありがとう」
そう言って立ち上がる。
「あの、保健室とか……」
「これくらいなら、大丈夫」
桐生はそっけなく答える。こちらを見ることもなく、淡々とハードルを元に戻した。
「そうだ、名前、なんだっけ?」
服の砂ぼこりを叩きながら訊ねる。
「吉村、ですけど」
「そう」
自分から訊いたくせに、興味なさげに返事をする。あっという間に遠くのほうへ行ってしまった。
「なんなんだあの人」
よく分からない人だ。まぁどうでもいいか。
吉良の鞄を見つけることができたのは、その次の日だった。回収される前でよかったと、ホッとした。
外から見える汚れを落とし、早速帰りに吉良の家に寄る。小学校が学区内ということもあり、家は近い。
「あの、俺、吉村ですけど」
インターフォンを押すと、すぐに彼の母親が出てきた。
吉良はあれから学校をずっと休んでいるらしい。部屋に通されると、私服姿の彼が無表情でこちらを向いた。
「あの、鞄、見つかったから」
「そう、ありがと」
鞄を渡すが、その表情は晴れない。
なんて言葉を掛けるべきなのか悩む。
結局、たいした話もできず、部屋をあとにした。
「ねぇ」
彼の母親に呼び止められ、玄関の前で立ち止まる。
「学校で、なにかあったの?」
心配そうな表情に、困惑する。なにをどこまで話すべきなのか、分からない。
「いや、俺違うクラスだし、よく知らないです」
とりあえず、なにも知らないことにしよう。
部活が終わり、帰り支度を始める。着替えを済ませて校門を目指して歩く。
すると、突然人影が目の前に飛び出した。
「あのさ、今日一緒に帰ろ」
桐生だった。突然現れたことも、そんなことを言いだしたことも驚きだ。
「えっと」
「いいよね」
口ごもっていると、勝手に話が進んでいく。
「僕、自転車だから」
そう言って駐輪場へ歩き出すので、仕方なくついていく。
自転車を取ると、家路を歩く。お互いに無言になり、なんだか気まずい。
「ねぇ、彼女とか、いるの?」
口を開いたのは桐生だった。
「いや、いませんけど」
この人は、なぜ自分を帰宅に誘ったのだろうか。会話も別に、普通な感じだ。
「彼氏は?」
「え、いや俺そういう趣味はないです」
「そっか」
そう言って、桐生は前を向いてなにかぶつぶつ呟いた。そして一人頷くと、吉村のほうを見た。
「あのさ、今から、うち、来る?」
訴えるような目線に、どぎまぎする。
「え、いや。お邪魔ですし」
「大丈夫」
「手土産もないし……」
「それも大丈夫」
なんとか断ろうと試みるが、どれも失敗に終わった。
流される形で桐生の自宅というマンションまでやってきた。
「いいマンションですね」
「そうかな」
高級とまではいかないが、近所ではそこそこ人気のあるマンションだ。そこの十五階をエレベーターで目指す。
部屋は変わった造りはしておらず、ごくありがちなものだった。桐生の自室という部屋に通されたが、殺風景で、最低限の家具しか置いていなかった。
「喉乾いたよね。はい、ジュース」
「あ、ありがとうございます」
差し出されたオレンジジュースを口に含む。人工的な甘さがおいしい。半分ほど飲むと、コップをテーブルに置いた。
桐生は隣に座り、こちらをじっと見ている。
「あの、桐生先ぱ――」
「もういいの?」
食いぎみに言われ、ジュースに目を落とす。なんの変哲もない、ただのオレンジ。
「えっと」
「もうちょっと飲んだら」
強い口調で言われ、恐くなる。慌ててジュースを口に運ぶと、全て飲み下した。
その様子を桐生はじっと見つめる。
「あの、俺帰ります」
なんだか変だ。嫌な予感がする。早く帰ろう。
そう思い、鞄を手に取った。立ち上がろうと体重を足に乗せた瞬間、頭痛に襲われる。
「……った」
ふらりと視界が揺れて、床に膝をつく。
「大丈夫?」
身体を支えられ、なんとか体勢を戻す。
「少し休んだら、布団使っていいし」
「いやでも俺」
なんだか悪い気がして、遠慮する。しかし桐生は吉村の言葉を無視し、彼をベッドに上げた。
「すみません、俺なんか……」
疲れが出たのだろうか。よく分からない。
肩に触れられて、身体が反応する。なんだかおかしい。
「あの、先輩――」
いつの間にか桐生もベッドに乗っていた。顔を近づけてくる。
「分かってる。初めて、でしょ? 大丈夫優しくするから」
「は? 意味分かんないです」
そういう趣味はないと明言したばかりではないか。
「震えてる、寒い?」
恐怖に襲われる。自分はこんな状態だし、桐生の目は本気だ。
混乱で、訳が分からなくなる。全てが非現実的だった。今日読んだボードレールの詩の一節が何度も頭に浮かんでは消えた。
「好きだから、付き合って」
そんなことをのたまって、さらに近づいてくる。
どうしてこんなことになったのか。自分の身体が突然こんな風になるなんて、おかしい。
「オレンジジュース」
呟いて、確信する。
「なんか入れました?」
桐生は、ため息をついて答えた。
「結構鋭いんだね」
別にいいけど、と呟いてまた顔を近づける。
「あの、ちょっと近くないで――」
訊ねる言葉は最後まで紡がれなかった。唇が重ねられ、歯茎をなぞられる。長い口づけに、酸欠になる。
「せんぱ、なにして……」
やっと離れるが、目尻に涙が浮かぶ。早く家に帰りたい。
「これも初めてだった?」
そう訊ねる桐生は、吉村のネクタイを緩めていた。嫌な予感しかしない。
「関係ないですよね」
強めの口調で返すが、桐生は笑みを浮かべ、目尻の涙を舐めた。
「そっか、嬉しい」
そう言って、服を脱がせる。抵抗しようにも、まともに力が入らずできない。それどころか、服が擦れる刺激すら、身体が快感として拾い始めた。
「やめ、俺嫌です、こんな……」
五感の全てが敏感になっている。力が出ないせいで、ろくな抵抗のできないまま、服を脱がされた。
「先輩、ちょっと……冗談ですよね?」
引き攣った笑顔を浮かべて、この状況を回避する方法を考える。冗談ということにすれば、これからもなんとか日常を取り戻すことができるだろう。
「僕はいつも本気だよ」
そう、真剣な眼差しで見つめる。
手の震えが抑えられない。その視線から逃れたくて、思わず瞼を閉じた。すると、唇に嫌な、生温かい感触が触れた。べろりと舌を入れられると、呼吸も妨げられる。どうしたらいいか分からず、軽い酸欠状態に陥る。
「はっ……や、やだって。……です、ほんとに、やめてください!」
やっと唇が離れたかと思ったら、今度は指を下肢に伸ばしてくる。
身体を強張らせ、息を潜める。そんなことをしても無駄なことはわかっていたが、そうせずにはいられなかった。
「月冴、顔見せて」
そう言いながら、確実にそこに指先を進める。恐怖と痛みとなんだかわからない感情が入り混じって、涙が溢れた。
「もう、やだ……」
「大丈夫、顔上げて。力抜いて」
痛みやらなんやらで、もう自分に何が起こっているのか、脳が理解することを拒否している。桐生の言葉も、半分も頭に入らないまま、言う通りにできなかった。
桐生は、なかば強引に進めた二本の指をずるりと抜いた。
圧迫感が消え、吉村は安堵で少し力を脱く。
「くっ……い、た」
次の瞬間、一気に桐生のものが貫いた。突然の圧迫感と質量に吐き気が込み上げる。乾いていた涙がまた再び?を濡らす。
「動くよ、力抜いて」
まだ慣れないうちにそんな言葉をかけられる。ゾッとして、身震いをした。
「無理……です。もう、やだってば……」
「別にいいけど、痛いのは月冴だよ」
そう言い放ち、なんとか逃れようと身を捩る吉村の動きを簡単に封じる。
片足を大きく持ち上げると、思い切り打ち付けた。
「いたっ……うぅ……」
呻くことしかできない。まともな抵抗ができないまま、終わるのを待つしかなかった。
朝陽の眩しさに目を覚ます。まだ眠い目を擦りながら、寝返りを打った。
「いった……」
下肢に、鈍い痛みが走る。首だけを動かして辺りを見渡すと、昨日のことが思い出された。
あまり思い出したくない。あれから、風呂に入れられ、後処理をされた記憶はあった。
「あれ、起きた?」
桐生がドアを開けて、部屋に入ってきた。制服にエプロン姿という、奇妙な格好だ。
「やっべ、学校!」
そう言って、勢い良く起き上がる。しかし、痛みで再びベッドに沈んだ。
「今日は休んだら? 朝ご飯、作ったし、食べて」
呑気に、「大丈夫。月冴の家には電話しといたよ」と付け加えて、部屋から出て行ってしまう。
「くっそ」
こんなことで休んだら負けな気がする。
今度はゆっくりと起き上がった。大丈夫そうだ。
冷静になって、改めて自分の姿を見る。大きめのTシャツを纏っているだけで、下着すら身につけていない。慌てて、桐生のあとを追った。
「あ、月冴。丁度良かった。今ご飯が――」
「俺の服、どこですか!」
声を荒げて言うと、桐生は少し驚いた様子を見せたが、すぐに笑顔になった。
「あぁ、あれは洗ったから、洗面所にあるよ。……こっち」
案内され、服を手にする。急いで着替える。
「何ですか?」
じっと見てくる視線を感じて桐生を睨みつける。
「ん? なんでもない」
そう言って、リビングのほうへ行ってしまった。
着替えが済み、リビングへ戻る。卵とベーコンの焼ける良い香りが鼻先をくすぐった。
「一緒に食べよ。大丈夫、変なもの入ってないから」
あまり信用できない言葉を掛けられたが、腹が減っているので信じる他ない。
一口、トーストを食べる。昨日の夜から食べていない空腹に染み渡る。
「おいしい」
「そう、良かった」
呟きに、にっこりと返事か来る。しばらく無言で咀嚼を繰り返した。
授業は、座学ばかりの日で幸いした。しかし、これから部活があると思うと気が重い。
「吉村、なんか先輩が呼んでる」
教室で荷物をまとめていると、クラスメイトに声を掛けられた。廊下の方を見ると、桐生がいる。何の用だろう。
「なんですか?」
荷物をまとめて、廊下へ出る。
「今日、部活休みなよ。送ってくから一緒に帰ろ」
「休みません」
一緒に帰るなんて冗談じゃない。部活を休むのも嫌だった。
「部長には言っといたから、行こ」
余計なことをしてくれた。睨みつけてみたが、笑顔で返される。無視をして歩き出すが、ついてきた。うんざりして、ため息がでる。
「こっち」
部屋に行こうとしたが、腕を掴まれ駐輪場の方へ連れて行かれる。
そこは、まばらに人がいたが、そんなに多くなかった。自転車の通学には許可が必要だから、使っている生徒は少ない。
そういえば、桐生は許可をもらっているのだろうか。
「あの、俺K町の方ですし、大丈夫です」
「そうなんだ。でもいいよ」
一応相手は先輩なので、丁寧に断る。食い下がる桐生に、なんとか言い訳を探した。
「あーでも、今日は空斗のところに、プリント届けたりしないと!」
「遠いの?」
急に静かな声色になる。機嫌が悪くなったような気がしたが、そんなもの知るものか。
「そりゃーもう」
本当は近い。小学校が同じ学区だったし、行こうと思えば五分もかからない距離だ。
「大丈夫、僕自転車だし、乗せてく」
「いやそれはすごく悪いですし――」
「大丈夫」
こっちは何も大丈夫ではないのに……。埓があかなくなり、ついに吉村はキレた。
「うっせーな」
舌打ちをしながら言葉を吐き出す。
「ざっけんなよ、こっちが下手に出てるからって――」
「ねぇ、その喋り方、好き。今度からそっちで――」
「言われなくてもそうするわボケっ!」
話にならなくてイライラする。とにかく、桐生を振り切りたくて、汚い言葉が口をついた。
「てかお前、ホモかよ。ありえねぇ」
「……月冴」
戸惑っているような、悲しんでいるような表情を見てる。意外な反応に、動揺してしまい、目を逸らす。
「名前で呼ぶなよ、馴れ馴れしい」
そう言って、立ち去ろうと歩き出す。
すると、肩を掴まれ、振り向かされる。
「待って、僕たち、付き合ってるじゃん」
もう何を言っているのか分からなかった。日本にいるのに日本語が通じない。
「一回やっただけで付き合ってるとか、迷惑なんだよ!」
腕を振り回して肩に掛けられた手を振り払う。
「何回もやりたいの?」
「なんでそうなんだよ! バカか!」
頭に血が昇り、怒鳴ってしまった。
「バカでいいよ」
そう言って、微笑みを向けてくる。理解できなくて、これ以上言い争いをしたくなくて、逃げるようにその場を去った。
帰宅してから、部活をサボってしまったことを後悔する。
落ち着かず、イライラが収まらない。
「お兄ちゃん、どうしたの? 今日は早いね」
嬉しそうな妹の声が耳につく。
「あ゛? 関係ねーだろ」
口に出してから、ハッとした。妹の怯えた表情を見て、完全な八つ当たりであったことに気付いた。
「ごめん、なんでもないから」
それだけ言って、階段を登る。自室に入って扉を閉めると、どっと疲れが出た。
「何やってんだろ俺」
陸上部だからといってモテることなどない。足が早くて人気がでるのは小学生までだ。
それなのに、なぜこんなことになったのか。ぼんやりしながら部活に臨んでいた。
「お疲れ! 最近タイム、いい感じだね!」
マネージャーの先輩がタオルを差し出して売れる。優しいので人気の先輩だ。吉村のような一年生にも声を掛けてくれる。
「ありがとうございます」
そう答えてタオルを受け取る。二三、言葉を交わしていると、どこから沸いたのか、桐生やってきた。
「ちょっといい」
断定的な言い方をして、吉村の腕を引っ張る。
「え、ちょっと……。すみません、じゃあ」
にっこりと、マネージャーに笑顔を向け、そしてすぐに真顔になって桐生のほうを向く。
「なんだよ」
マネージャーとの話を邪魔され、腹が立つ。
「何ヘラヘラしてるの?」
「は? 普通だろ」
とんでもない言いがかりだ。訳がわからない。あきれた感情までもが湧き出てきた。
「むかつく」
「あっそ」
勝手にむかついていればいい。
「そんなに僕のこと、嫌い?」
「ああそうだな」
そう答えると、桐生はつかんでいた吉村の腕を離した。
「僕は好きだよ、月冴のこと」
あまりにもストレートな物言いに、驚く。
そうだ、こいつはそういう奴だった。
周囲に人がいないことを確認すると、声を低くして口を開いた。
「なんでだよ。意味わかんねぇ」
「だって、あのとき――」
何か言葉を続けていたが、声が小さくて聞き取れない。
「え?」
「あのとき、心配してくれた」
耳を疑った。
「あのときって、部活の? あんなのたまたま俺が近くにいただけで――」
「違う?」
「は?」
きっぱりと否定され、混乱する。
「とにかく、好きだから」
そんなに簡単なものなのだろうか。しかし、好意をよせられるというのはあまり悪い気はしないものだ。
「月冴!」
教室近くの廊下で、大声で呼び止めるのは止めて欲しい。
「んだよ、あんまりデカイ声出すな!」
「今日、家庭科でマフィン作った。うまく作れたから、食べて」
そう言いながら、タッパーを差し出す。透明な容器なので中身が見えた。味はわからないが、見た目は悪くない。
「あー、後でな」
答えて、タッパーを受け取る。嬉しそうな様子の桐生に、やはり戸惑う。
「えっと、料理、得意なのか?」
一応会話をしておこうと、口を開く。
「うん! 父さんも母さんも、兄さんもしないから」
だから自分がやるのだと、嬉しそうに話す。
なんだか自分は流されていると、感じざるを得なかった。
何度か勉強会という体で、桐生の家に上がることが増えた。スキンシップは激しいが、それ以上のことは、あの日以来してこない。
「ねぇ月冴、映画見よ」
そう言って桐生が取り出したのはホラー映画だった。
「え、あぁ。まぁいいけど……」
部屋を暗くして、デッキにセットする。
ソファに座り、用意されていたジュースを飲んだ。
ホラーは苦手という訳ではなかった。しかし、その映画は思ったよりも怖いと感じるシーンが多く、少し涙目になる。洋画というのもあるのだろうか。
どさくさに紛れて、手を握られる。普段なら振り払うところだけれど、今日ばかりは拒否できなかった。むしろ、安心できる。
クライマックスに差し掛かったとき、あまりにも怖いので、繋がれた手を握りしめてしまった。
「何? 怖いの?」
そのとき、突然びっくりさせられるシーンになる。
「はぁああ? 別にびびってねぇし!」
恐怖で大声を出してしまう。
掴まれていた手を引っ張られ、距離が近付く。?に柔らかいものが触れた。軽いリップ音がして、キスをされたのたと気付く。
「何してんだよ!」
怒って、振り払う。
「ごめんつい」
笑いながらサッと離れる。
テレビに目を向けると、エンドロールが流れていてホッとする。
「この女優って、ストーカー被害に遭ったことあるらしいよ」
「え、まじ?」
それはちょっと興味深い。
「うん。ちょっと怖いよね」
ふと気付くと、部屋が薄暗くなっていた。映画を見始めたときはまだ明るかったのに、夕日が閉めたカーテンの隙間から差し込んでいる。
――なんだか怖い。
そんな感情がずっしりと落ちてきた。
「ねぇ月冴」
そう言って、桐生が近付いてくる。
「幽霊ってエッチなのが嫌いなんだって」
そういった話は聞いたことがある。桐生がなにをしたいのかわかって離れようとする。
「月冴」
なかば強引に肩を掴まれ、桐生のほうを向かされる。顔が近付いて、目を閉じる。やはり自分は流されているなと、実感せざるを得なかった。
「んんっ、……ふぁ」
唇を重ねられ、吐息が漏れる。肩を押されて、ソファに落ちた。
「待てって、こんな‥‥‥‥」
肩を押し返して拒否の意を示す。前回のことが思い出され、身体が震える。
「月冴、大丈夫だよ」
そう言って、また唇を重ねる。シャツのボタンを外して、胸に手を伸ばす。
「んんっ、やだ……。やるならさっさとやれよ」
強い口調で言いながら、自分からズボンのベルトを外す。
「月冴、好き!」
思い切り吉村を抱き締めてから、下肢へと手を伸ばす。
「力、抜いて」
緊張で身体が強張っていることに気付く。意識して力を抜くよう心掛けると、桐生の唾液で湿った指がぬめりを借りて押し入った。
「痛い?」
「だいじょう、ぶ……んっ、やめろって」
なんだか変な感覚がして、口を押さえてやり過ごす。しかし桐生は執拗にそこばかり触れてくる。
「さっさとしろって言っただろ!」
「あー、そうだね。ごめん、つい」
慌ただしく責めるが、さらりとかわされる。
指を抜かれて、それを押し付けられる。怖い気持ちもあったが、目を瞑り、深呼吸をしてごまかした。
ゆっくりと入ってきたが、前回のような痛みはない。大丈夫そうだ。桐生もそんな様子を察したように、しばらく経つとゆっくりと動きを開始した。
「んっ、……やめろって」
弱い部分を心得たようで、そこに当ててくる。前も一緒に刺激されると、もうダメだった。
「あっ、うぅ……」
小さく呻くと、吉村は白濁を吐き出す。しかし桐生はまだのようで、しばらく律動を繰り返した。
「やめろって、くっそ……」
やっと桐生が絶頂を迎えたときには、また吉村も限界だった。なんとか堪えていたが、二、三回扱かれると、再びイッてしまった。
「月冴、かわいい」
「ざっけんな! 死ね!」
恥ずかしくなって、そっぽを向いた。
応援ありがとうございます!
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