紙山文具店の謎解きな日常

夏目もか

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八  遺志を継ぐ

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三週間後、硯光也は退院した。彼は県警内の取調べを受ける為に警察車両によってそのまま移送され、今、取り調べ室の椅子に座っている。刑事が彼に尋問をしている様子を取調室からは見えないようになったミラー越しに見つめているのは、彼が殺した速見凛太朗の元相方の刑事であるノリさんともう一人は俺だ。
「速見凛太朗、及び、五年前、紙山文具店の人間を二名殺害したのは、君で間違いないか?」
「……はい」
間違いありません、と答えた硯の様子にバンっと目の前の机を両拳で叩くノリさん。俺は彼の肩にそっと手を置いた。俺の手を見たノリさんと目が合った時、俺は自分から彼を抱き締めた。ずんぐりむっくりで小太りで、でも、刑事達から信頼の厚い老齢の刑事は俺の背中に手を回して嗚咽を漏らして泣きはじめた。
「あいつは、いい奴でさ。俺はあいつが本当に本当に好きだったんだよ」
相棒として苦楽を共にした日々と家族ぐるみの付き合いの中で産まれた情が涙となって全部流れているのだろう、俺は母に縋りついて泣く子どものようなノリさんの背中に手を回して、上下にさすった。昔、そうやってべそをかいた俺を抱き締めて背中をさすってくれた母さんやじいさんのように心からの労わりを込めて。
県警を一人出た俺は真夏の日差しに目を細めた。ちょうど真正面から吹いて来た山からの強い風に髪が乱れてかき上げる。だだっ広い県警の駐車場の真ん中に停まったミニバンへと歩き出した時、誰かの視線を感じた。振り返ってみるとあけぼの印刷と車体に書かれた車が停まっていた。運転席には金平さんが乗っていて俺が出て来るのを待っていたかのように車から降りてくると深々とお辞儀をした。いつまでも終わらないお辞儀に俺は彼の悲しみを感じて歩み寄った。
「頭を上げて下さい」
金平さんは憔悴しきっているようだった。両膝に置かれた皺の刻まれた掌は二つとも震えていた。彼がかすれ声で俺に聞いた。
「光也はどうなる?」
「私にはわかりません」
「あの子の両親は五年前にもう愛想をつかしている。それでも俺と美香子は子供がいなかったから光也を息子のように可愛がってきた。それなのにこんなことになるとは」
ああと顔を覆い嘆く彼にかける言葉が見つからなかった。
「あとは法の裁きに任せるしかありません。ただ……」
俺は最後にどうしても金平さんに伝えておきたい事があった。
「金平さん。僕はあなたに謝らなければならない」
「え?」
「母は彼を守ろうとしたのに僕は守ってあげられませんでした。母の嘘を暴き、彼を警察に引き渡してしまった。たとえそれが法律上は正しい行為だとしても、母の遺志を継ぐ事はできなかったんです。ごめんなさい」
金平さんは俺の言葉の意味を確かめるようにじっと俺を見つめていたが、やがて唇を噛み締めてゆっくりと首を横に振った。
「君は何も悪くない。光也は裁かれるべきだ。君は菜七子ちゃんの遺志を継ぐことはできなかったかもしれないが、ちゃんとあの店を守ってきたんだ。俺は君の事を応援したい。紙山文具店を、どうかずっと大事にしていって欲しい」
金平さんの言葉のひとつひとつに傷ついた俺を思いやる心と商売人としての心意気が感じられて危うく泣きそうになるのを俺は必死で堪えた。金平さんはもう一度俺に深々とお辞儀をする。そして車に戻って行くと駐車場を出て行った。
車が見えなくなるまで見送ってから再びミニバンの方へと歩き出す。しかし妙な事にミニバンの助手席で待っていたはずの筆野がいない。仕方なくエンジンをかけた。
「あっ、ちょっと紙山さん、待って下さい~!」
大きな声が背後から聞こえてきてバックミラーを見る。白いビニール袋に入った何かを両手に抱えて必死にミニバンに走って来る筆野が見えた。その様子がおかしくてエンジンを切ると彼女の到着を待つ。息を切らしながら助手席に乗って来た彼女は頬を膨らませて案の定抗議した。
「酷いじゃないですか。一人じゃ何をしでかすかわからないからついて来てあげたのに」
道端で売っていたというじゃがいもの袋を抱えたまま、プンプンと怒る彼女が愛らしくて目を細めた。
「感謝している。あの病室で守ってくれた事」
「え?」
急に真面目な顔つきでそう言った俺を彼女は何の事だと言うように見つめてくる。どうやら自分の善行には鈍いらしい。忘れているならもういいのだと再びエンジンをかけた。
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