12 / 366
1章 REM SLEEP革命 『望んで迷い込む作法と方法』
書の4 レム・スリープ『仮想と現実とユメとウツツの境』
しおりを挟む
■書の4■ レム・スリープ rem sleep
それで、問題の勤務初日。
それぞれ『ゲームへの愛』を実力で証明し、参加枠を取った俺たち8人は……お互いを知っている人もいれば知らない人もいる、という状況だ。
自己紹介もろくに交わすヒマも無く、開発責任者とかいう高松雅と名乗るおっさんが現れて、そして現在に至る。
俺たちは今日初めて全員がここに揃い、顔を合わせたんだ。
それなのに自己紹介はするな、むしろ必要無いだろうってんだから、なんだかおかしな感じだな。
だがその理由についちゃぁ、確かに頷く所もある。
開発者達がテストプレイヤーとして必要としたのは、生身の俺たちじゃぁないんだな。
俺たちが日常的に被っている、いわば俺たちが仮想現実で装う方が必要だと、そう言っている。
いや、俺は仮想だろうがリアルだろうが、ゲームへの愛は変わらねぇけど。
だけどそういえば最初に枠が決定した、推薦とかいう奴。
あれは生身の人間を必要とした公募じゃねぇよな。
ヘタすると匿名で、誰が本人なのかもわからない、ネット上での自己申告的な推薦枠だ。そして推薦枠を得る為に必要なのは、やはり誰が投票したかもわからない、匿名のネットランキング。
選ばれたメージンが、実際どんな『人間』であるかなど関係なく、仮想現実に近いネット上でメージンと呼ばれる……そう、人格。メージンという『キャラクター』でなきゃアイコン、それだけで決まったんだ。
とするともしかすると俺たち8人は、テストプレイヤーという名目で次世代ゲーム機の開発に立ちあい、そのままこれのキャッチャーとして広告業務をする事になるんだろうか?
俺という生身の人間はいらなくて、開発したという俺の側面『夜兎』というハンドルネームが先行し、俺は『ヤト』としてゲーム機を宣伝する。
……正直に言えば、悪い気はしない。
だけどなぁ、なんだかしっくりこないのも本音。
もちろん俺は自分の名前の代わりである、ハンドルネームに愛着がある。
ヤトとはすなわち俺の事だ。
本名であるサトウハヤトと、はっきりいって同じか、それ以上の『重み』がある名前。ヤトという俺の名前が世に広まるのはある意味、気恥ずかしくその反面ものすごく心地よく、そして、重い。
俺は名前が広まる事の良い面と、悪い面をちゃんと分かっている。
知られれば知られるだけ、ヘタなようには振る舞えなくなるんだ。
……本名を使わずに、当然のようにハンドルネームという仮の名前を使うのは、もしかしたらヘタをしてしまった時の逃げ口なのかもしれない。
だが、必ずしもそうじゃない。
ずっと使い続けたヤトという、その名前で広まっている交友の場も沢山ある。俺のもう一つの『本名』に等しい『夜兎』というこの名前は、もう容易く変えたり、捨てたりできないものになっているんだ。
インタネーットやゲーム上。仮想現実バーチャルな世界で、俺はそこに本当のリアルな自分とは違った『自分』というアイコンを置く。
それが多分、『夜兎』だ。
きっとリアルな中身ではなく、このバーチャルに置いている俺の『アイコン』をMFCプロジェクトの連中は必要としている。
そういう事なんじゃぁないかな。
さっそくテストプレイする事を告げられて、自己紹介は後でやると言われて、
なんだかよくわからないが薬を1錠、温めの水で飲み干す。
亮姐さん……と、勝手に俺が脳内で呼ぶ事にしました……は、メージンを除いた俺たち7人を別の部屋へ案内した。
そこは、飾りっ気のない明るい部屋だ。
何も無い、という雰囲気を受けるが何も無いわけじゃない。
部屋の左右は狭く、奥行きだけがずっとあって中央に丸く、壁が迫り出してきていて……その上にガラス窓。
あ、さっきの高松のおっさんが窓越しに気楽に手を振ってやがる。
なるほど、あそこはがモニタールームか。
眺めていると窓際に誰かが近づいてくる。さっき別れて、バックアップ側になったメージンだ。
俺はメージンに手を振って少し笑いかけてみたりした。
「ちょっと、」
と、脇を強く押されて俺はびっくりして振り返った。阿部瑠の奴が怪訝そうな顔で小声で言う。
「よそ見してないで、佐々木さんの話をちゃんと聞きなさいよ」
「何だよ、うっせぇな」
あ、そういえば部屋の説明してたんだったよな。
ええと、上にモニタールームがガラス張りであるわけで、それを囲むように……例えて、床屋にあるみたいな椅子がいくつか並んでいるな。
真っ白いから一瞬何があるのか良く分からなかったが……ふぅむ?これが新型ゲーム機だとするなら相当にデカい装置だぞ?
家庭的なFとか言ってたが、家庭用には程遠いんではないだろうか?
「じゃ、適当に座ってもらえる?」
「どこでもいいんですか?」
「ええ、」
亮姐さんの言葉に従い、俺たちは適当に近い所にある椅子へと腰掛けた。
床屋の椅子みたいに、こう、腰が深く沈み込む感じだ。しかもゆっくり力を掛けるとぐにゃりと柔らかい。不思議な素材のクッションが敷いてある。
「左手側面に引き出しがあるから、それを開けて」
言われて左側を見る。目では見えないが、手で探ると四角の大きなスイッチのようなものがあるみたいだ。軽く押すと、左側面から何かがスライドして出てきた。
平べったい引き出しに、折りたたまれた……メガネ?
「メガネの人ははずしてそのスコープを掛けてね。引き出しにしまうといいわ」
白いフレームに白いグラス。と、思ったらこれ前が見えない、ただの白いプラスチックの板だ。
フレームは顔の幅に合わせて若干スライドするから、顔の幅に合わないという事はない。
俺は一度そのヘンテコなスコープを掛けてから、前が見えない事に驚いてすぐに外してしまう。
「まさか、この白い部分に画面が出るとか?」
「そんな仕掛けはされた感じがしませんよ?物凄く軽いですし」
俺の隣に座っていた、阿部瑠の友人が答える。彼女も不思議そうにスコープの形状を眺めていた。
「あ、コンタクトとか外さなくていいんですか?」
と、阿部瑠がその向こう側で亮姐さんに訊ねたのが聞こえる。
「あれ?先輩、コンタクトはまずいんでは?」
姐さんは首を傾げて上を見て話している……と、そこにもモニターがあった。
関西弁なのか、京都弁なのか、微妙な姐さんの上司の気の抜けた声がする。
『あっれ?アベちゃん、眼鏡じゃないんの?』
「眼鏡もありますけど……」
担当は、イザか!説明漏れ?昼の所為にしたらアカンやろ!
とかなんとかいう、姐さんの上司、サナエさんのやりとりが漏れ聞こえる。
昼の所為?よくわからん。
「……まずいですか?」
「まずいわけじゃぁないけど、取った方がいいかもね、」
と、部屋の戸が開く音がする。首を回すとさっきメージンを連れて行ったメガネのおっさんが、コンタクトレンズのケースやらなにやら一式もって入って来た。
「ソフトですか?ハード?」
「あ、ソフトです」
「よかった、ナギサさんが用意してくれてました」
「さすが斉藤先輩、準備いいわね!」
斎藤、ナギサさんという人もスタッフ側にはどうやらいるらしいな。
阿部瑠は素早くコンタクトを外し、ケースに入れる。
その間、確か隣にいる阿部瑠の友人も『コンタクト』だったはずだよな、と思い立って声をかけようか迷っていると……彼女自ら、にっこり笑って俺を振り返った。
「裸眼ですよ~」
「あ、」
「おかげでねぇ、今全然見えてないのー」
「だ、大丈夫なのか?」
「人の顔の判別は付きにくいけど、転んだりぶつかったりはしない程度」
なんだかのんきに笑っている。
……この子、相当にマイペースな性格だっりする?
「はい、お待たせ。スコープを掛けたら、リラックスできる姿勢を確保してね、右手側面にリクライニングのスイッチがあるから」
前が見えなくなってしまう、やけに軽い眼鏡もどきを掛けて右手を探ると、こちらにもいくつかボタンがある。
押して見ると椅子が後に傾き始めた。
「では、これから早速始めますね」
何を、と、聞く前に。
突然白く明るかった世界が暗転する。
照明が落ちたのだろう、薄っぺらいプラスチック製と思われる不透明な白いスコープの視界が暗くなった。
「スコープは外さないでね、椅子は自由に動かしていいわ、一番楽な姿勢を保って……」
姐さんの声の途中で、ふいに突然低い音が部屋に鳴り響く。
テンポは、それほど早くはないように感じる。
低いベース音、電子音に加工された女性の声のコーラス。
音が次々と重なり合い、音が大きくなり、オーケストラを思わせる濃厚な音が、聴覚を支配する。
視界は暗く奪われて、音の世界も鳴り響く音楽に奪われる。
でもこの曲は、美しい。
オーケストラとは違う、どこか懐かしいのはきっと、電子音が混じっているからだ。
俺たちはゲームをするから、どちらかといえばこういう、どこか電子的な音に耳が慣れている、と思うな。
聞いた憶えの無い曲だけど、誰か知ってる人がいるのだろうか。
レッドか、でなきゃ音ゲー枠を取って来たらしい奴はどうだろう。
知っているかと、口を開こうとして、ああ多分声はこの濃厚な音の重なりに掻き消され、相手に届かないのかと思いとどまった。
繰り返されるフレーズ、サビがきて、メロディが来て、どこか変調した間奏が入り……。
知らない曲なのに、なんだか、知っているような気になってくる。
これは多分某メーカのゲームサウンドを手がけた、あの人の作じゃないかな、などと思いを巡らせる。 その間も曲は、流れるように別のメロディに置き換わっていく。
このプログレな流れ、俺の勘は当たっているかもしれない、などとぼんやり考えた。
ゲーム音楽は元々プログレッシブな編曲も多いんだ。その中でループする一つの音楽の中に、これだけ多様な面を織り込むのは……。
沈み込む体。
暗闇に支配された視界。
肌に馴染む部屋の空気は生ぬるく、乾燥しているというよりは、どこかねっとりと湿気を帯びていて……呼吸する度に肺に入り込む空気は無味無臭。
何かを感じ取る事を拒絶された様な、あまりにも刺激のない環境に、耳に入り込んでくる音楽だけが脳を揺らす。
……ああ眠い、のかも。
そういや、あの薬、睡眠薬だとかレッドが言ってたな。
何の薬なのか結局姐さんは説明しなかったが……。
寝ちまったら、ゲームできねぇんじゃねぇの?
俺はぼんやりと脳に直接プラグを差して、ゲームにダイブインするという映画を思い出す。
いやでも、俺たちは何の仕掛けも無さそうなスコープを掛けただけで、椅子にも別段何か仕掛けがあるようには思えなかった。いや、見えないだけで実はやっぱり椅子に小細工されてたのか?
仮想現実にのめり込んで精神が戻ってこないとかいう、そういうゲームや漫画なんかも思い出していた。
あれは、あれらはどんな仕掛けになっていたっけ?
ただでさえ、ゲームは脳に悪い影響があるとかなんとか、騒ぎ立てる連中が多いから、精神が戻ってこれない様な仕掛けのゲームを開発できるとは思えない。
だけどもし、本当に、ゲームの世界に俺たちが入り込めるなら、それはとてもワクワクする。
モニター越しではなく直接自分の手で触れて、自分で世界を見回すバーチャルへの潜行。
そんな事が本当に、可能なのだろうか。
可能だとするなら、一体どんな仕掛けなんだろう。
俺はまだそこにたどり着いてもいないのに、可能性だけを想像してあれやこれやと夢想する。
それが、いつしか夢になり。
夢、
でも、夢は一人で見るものだよな。
俺の夢に阿部瑠やナッツが出て来たとしても、出てきた事を認識できるのは俺だけで、奴等は奴等で別の夢を見ている。
俺の夢に出た事は、あいつらには分からない。
でも、そういえば……
ぼんやりと思い出す。
最初に、説明された、コンセプト、だったか。
『共有する、夢の世界』
夢を共有する?じゃぁ、俺たちは皆で夢を見れるという事だろうか?
同じ夢を皆で見れるのか、全員で夢を共有するのか、しかしそれにしたって、俺たちは、何も、仕掛けは……
鳴り響く荘厳な音楽にいつしか飽きてくる。
それでも耳に入り込み、音の反復を……知らずの内にやっていて、考えている事と、想像している事が混雑し、
そして、
気がつかない内に人間ってのは、寝てる。
眠った瞬間ってのは分からないもんなのだ。
睡眠ってのは、脳が現実である世界を認識する作業を止める事だ。
って、俺は、そんな話をどこで聞いたんだったかな。
境界、夢と現実の境界なんてない。
人は、眠りと覚醒の境界すら正しく認識出来ないんだからな。
ぼんやりと、暮れ行く空の色のように。
眠りと覚醒の間はグラデーション。
現実が終わり、夢の世界は静かに帳を下ろす。
それで、問題の勤務初日。
それぞれ『ゲームへの愛』を実力で証明し、参加枠を取った俺たち8人は……お互いを知っている人もいれば知らない人もいる、という状況だ。
自己紹介もろくに交わすヒマも無く、開発責任者とかいう高松雅と名乗るおっさんが現れて、そして現在に至る。
俺たちは今日初めて全員がここに揃い、顔を合わせたんだ。
それなのに自己紹介はするな、むしろ必要無いだろうってんだから、なんだかおかしな感じだな。
だがその理由についちゃぁ、確かに頷く所もある。
開発者達がテストプレイヤーとして必要としたのは、生身の俺たちじゃぁないんだな。
俺たちが日常的に被っている、いわば俺たちが仮想現実で装う方が必要だと、そう言っている。
いや、俺は仮想だろうがリアルだろうが、ゲームへの愛は変わらねぇけど。
だけどそういえば最初に枠が決定した、推薦とかいう奴。
あれは生身の人間を必要とした公募じゃねぇよな。
ヘタすると匿名で、誰が本人なのかもわからない、ネット上での自己申告的な推薦枠だ。そして推薦枠を得る為に必要なのは、やはり誰が投票したかもわからない、匿名のネットランキング。
選ばれたメージンが、実際どんな『人間』であるかなど関係なく、仮想現実に近いネット上でメージンと呼ばれる……そう、人格。メージンという『キャラクター』でなきゃアイコン、それだけで決まったんだ。
とするともしかすると俺たち8人は、テストプレイヤーという名目で次世代ゲーム機の開発に立ちあい、そのままこれのキャッチャーとして広告業務をする事になるんだろうか?
俺という生身の人間はいらなくて、開発したという俺の側面『夜兎』というハンドルネームが先行し、俺は『ヤト』としてゲーム機を宣伝する。
……正直に言えば、悪い気はしない。
だけどなぁ、なんだかしっくりこないのも本音。
もちろん俺は自分の名前の代わりである、ハンドルネームに愛着がある。
ヤトとはすなわち俺の事だ。
本名であるサトウハヤトと、はっきりいって同じか、それ以上の『重み』がある名前。ヤトという俺の名前が世に広まるのはある意味、気恥ずかしくその反面ものすごく心地よく、そして、重い。
俺は名前が広まる事の良い面と、悪い面をちゃんと分かっている。
知られれば知られるだけ、ヘタなようには振る舞えなくなるんだ。
……本名を使わずに、当然のようにハンドルネームという仮の名前を使うのは、もしかしたらヘタをしてしまった時の逃げ口なのかもしれない。
だが、必ずしもそうじゃない。
ずっと使い続けたヤトという、その名前で広まっている交友の場も沢山ある。俺のもう一つの『本名』に等しい『夜兎』というこの名前は、もう容易く変えたり、捨てたりできないものになっているんだ。
インタネーットやゲーム上。仮想現実バーチャルな世界で、俺はそこに本当のリアルな自分とは違った『自分』というアイコンを置く。
それが多分、『夜兎』だ。
きっとリアルな中身ではなく、このバーチャルに置いている俺の『アイコン』をMFCプロジェクトの連中は必要としている。
そういう事なんじゃぁないかな。
さっそくテストプレイする事を告げられて、自己紹介は後でやると言われて、
なんだかよくわからないが薬を1錠、温めの水で飲み干す。
亮姐さん……と、勝手に俺が脳内で呼ぶ事にしました……は、メージンを除いた俺たち7人を別の部屋へ案内した。
そこは、飾りっ気のない明るい部屋だ。
何も無い、という雰囲気を受けるが何も無いわけじゃない。
部屋の左右は狭く、奥行きだけがずっとあって中央に丸く、壁が迫り出してきていて……その上にガラス窓。
あ、さっきの高松のおっさんが窓越しに気楽に手を振ってやがる。
なるほど、あそこはがモニタールームか。
眺めていると窓際に誰かが近づいてくる。さっき別れて、バックアップ側になったメージンだ。
俺はメージンに手を振って少し笑いかけてみたりした。
「ちょっと、」
と、脇を強く押されて俺はびっくりして振り返った。阿部瑠の奴が怪訝そうな顔で小声で言う。
「よそ見してないで、佐々木さんの話をちゃんと聞きなさいよ」
「何だよ、うっせぇな」
あ、そういえば部屋の説明してたんだったよな。
ええと、上にモニタールームがガラス張りであるわけで、それを囲むように……例えて、床屋にあるみたいな椅子がいくつか並んでいるな。
真っ白いから一瞬何があるのか良く分からなかったが……ふぅむ?これが新型ゲーム機だとするなら相当にデカい装置だぞ?
家庭的なFとか言ってたが、家庭用には程遠いんではないだろうか?
「じゃ、適当に座ってもらえる?」
「どこでもいいんですか?」
「ええ、」
亮姐さんの言葉に従い、俺たちは適当に近い所にある椅子へと腰掛けた。
床屋の椅子みたいに、こう、腰が深く沈み込む感じだ。しかもゆっくり力を掛けるとぐにゃりと柔らかい。不思議な素材のクッションが敷いてある。
「左手側面に引き出しがあるから、それを開けて」
言われて左側を見る。目では見えないが、手で探ると四角の大きなスイッチのようなものがあるみたいだ。軽く押すと、左側面から何かがスライドして出てきた。
平べったい引き出しに、折りたたまれた……メガネ?
「メガネの人ははずしてそのスコープを掛けてね。引き出しにしまうといいわ」
白いフレームに白いグラス。と、思ったらこれ前が見えない、ただの白いプラスチックの板だ。
フレームは顔の幅に合わせて若干スライドするから、顔の幅に合わないという事はない。
俺は一度そのヘンテコなスコープを掛けてから、前が見えない事に驚いてすぐに外してしまう。
「まさか、この白い部分に画面が出るとか?」
「そんな仕掛けはされた感じがしませんよ?物凄く軽いですし」
俺の隣に座っていた、阿部瑠の友人が答える。彼女も不思議そうにスコープの形状を眺めていた。
「あ、コンタクトとか外さなくていいんですか?」
と、阿部瑠がその向こう側で亮姐さんに訊ねたのが聞こえる。
「あれ?先輩、コンタクトはまずいんでは?」
姐さんは首を傾げて上を見て話している……と、そこにもモニターがあった。
関西弁なのか、京都弁なのか、微妙な姐さんの上司の気の抜けた声がする。
『あっれ?アベちゃん、眼鏡じゃないんの?』
「眼鏡もありますけど……」
担当は、イザか!説明漏れ?昼の所為にしたらアカンやろ!
とかなんとかいう、姐さんの上司、サナエさんのやりとりが漏れ聞こえる。
昼の所為?よくわからん。
「……まずいですか?」
「まずいわけじゃぁないけど、取った方がいいかもね、」
と、部屋の戸が開く音がする。首を回すとさっきメージンを連れて行ったメガネのおっさんが、コンタクトレンズのケースやらなにやら一式もって入って来た。
「ソフトですか?ハード?」
「あ、ソフトです」
「よかった、ナギサさんが用意してくれてました」
「さすが斉藤先輩、準備いいわね!」
斎藤、ナギサさんという人もスタッフ側にはどうやらいるらしいな。
阿部瑠は素早くコンタクトを外し、ケースに入れる。
その間、確か隣にいる阿部瑠の友人も『コンタクト』だったはずだよな、と思い立って声をかけようか迷っていると……彼女自ら、にっこり笑って俺を振り返った。
「裸眼ですよ~」
「あ、」
「おかげでねぇ、今全然見えてないのー」
「だ、大丈夫なのか?」
「人の顔の判別は付きにくいけど、転んだりぶつかったりはしない程度」
なんだかのんきに笑っている。
……この子、相当にマイペースな性格だっりする?
「はい、お待たせ。スコープを掛けたら、リラックスできる姿勢を確保してね、右手側面にリクライニングのスイッチがあるから」
前が見えなくなってしまう、やけに軽い眼鏡もどきを掛けて右手を探ると、こちらにもいくつかボタンがある。
押して見ると椅子が後に傾き始めた。
「では、これから早速始めますね」
何を、と、聞く前に。
突然白く明るかった世界が暗転する。
照明が落ちたのだろう、薄っぺらいプラスチック製と思われる不透明な白いスコープの視界が暗くなった。
「スコープは外さないでね、椅子は自由に動かしていいわ、一番楽な姿勢を保って……」
姐さんの声の途中で、ふいに突然低い音が部屋に鳴り響く。
テンポは、それほど早くはないように感じる。
低いベース音、電子音に加工された女性の声のコーラス。
音が次々と重なり合い、音が大きくなり、オーケストラを思わせる濃厚な音が、聴覚を支配する。
視界は暗く奪われて、音の世界も鳴り響く音楽に奪われる。
でもこの曲は、美しい。
オーケストラとは違う、どこか懐かしいのはきっと、電子音が混じっているからだ。
俺たちはゲームをするから、どちらかといえばこういう、どこか電子的な音に耳が慣れている、と思うな。
聞いた憶えの無い曲だけど、誰か知ってる人がいるのだろうか。
レッドか、でなきゃ音ゲー枠を取って来たらしい奴はどうだろう。
知っているかと、口を開こうとして、ああ多分声はこの濃厚な音の重なりに掻き消され、相手に届かないのかと思いとどまった。
繰り返されるフレーズ、サビがきて、メロディが来て、どこか変調した間奏が入り……。
知らない曲なのに、なんだか、知っているような気になってくる。
これは多分某メーカのゲームサウンドを手がけた、あの人の作じゃないかな、などと思いを巡らせる。 その間も曲は、流れるように別のメロディに置き換わっていく。
このプログレな流れ、俺の勘は当たっているかもしれない、などとぼんやり考えた。
ゲーム音楽は元々プログレッシブな編曲も多いんだ。その中でループする一つの音楽の中に、これだけ多様な面を織り込むのは……。
沈み込む体。
暗闇に支配された視界。
肌に馴染む部屋の空気は生ぬるく、乾燥しているというよりは、どこかねっとりと湿気を帯びていて……呼吸する度に肺に入り込む空気は無味無臭。
何かを感じ取る事を拒絶された様な、あまりにも刺激のない環境に、耳に入り込んでくる音楽だけが脳を揺らす。
……ああ眠い、のかも。
そういや、あの薬、睡眠薬だとかレッドが言ってたな。
何の薬なのか結局姐さんは説明しなかったが……。
寝ちまったら、ゲームできねぇんじゃねぇの?
俺はぼんやりと脳に直接プラグを差して、ゲームにダイブインするという映画を思い出す。
いやでも、俺たちは何の仕掛けも無さそうなスコープを掛けただけで、椅子にも別段何か仕掛けがあるようには思えなかった。いや、見えないだけで実はやっぱり椅子に小細工されてたのか?
仮想現実にのめり込んで精神が戻ってこないとかいう、そういうゲームや漫画なんかも思い出していた。
あれは、あれらはどんな仕掛けになっていたっけ?
ただでさえ、ゲームは脳に悪い影響があるとかなんとか、騒ぎ立てる連中が多いから、精神が戻ってこれない様な仕掛けのゲームを開発できるとは思えない。
だけどもし、本当に、ゲームの世界に俺たちが入り込めるなら、それはとてもワクワクする。
モニター越しではなく直接自分の手で触れて、自分で世界を見回すバーチャルへの潜行。
そんな事が本当に、可能なのだろうか。
可能だとするなら、一体どんな仕掛けなんだろう。
俺はまだそこにたどり着いてもいないのに、可能性だけを想像してあれやこれやと夢想する。
それが、いつしか夢になり。
夢、
でも、夢は一人で見るものだよな。
俺の夢に阿部瑠やナッツが出て来たとしても、出てきた事を認識できるのは俺だけで、奴等は奴等で別の夢を見ている。
俺の夢に出た事は、あいつらには分からない。
でも、そういえば……
ぼんやりと思い出す。
最初に、説明された、コンセプト、だったか。
『共有する、夢の世界』
夢を共有する?じゃぁ、俺たちは皆で夢を見れるという事だろうか?
同じ夢を皆で見れるのか、全員で夢を共有するのか、しかしそれにしたって、俺たちは、何も、仕掛けは……
鳴り響く荘厳な音楽にいつしか飽きてくる。
それでも耳に入り込み、音の反復を……知らずの内にやっていて、考えている事と、想像している事が混雑し、
そして、
気がつかない内に人間ってのは、寝てる。
眠った瞬間ってのは分からないもんなのだ。
睡眠ってのは、脳が現実である世界を認識する作業を止める事だ。
って、俺は、そんな話をどこで聞いたんだったかな。
境界、夢と現実の境界なんてない。
人は、眠りと覚醒の境界すら正しく認識出来ないんだからな。
ぼんやりと、暮れ行く空の色のように。
眠りと覚醒の間はグラデーション。
現実が終わり、夢の世界は静かに帳を下ろす。
0
あなたにおすすめの小説
喪女だった私が異世界転生した途端に地味枠を脱却して逆転恋愛
タマ マコト
ファンタジー
喪女として誰にも選ばれない人生を終えた佐倉真凛は、異世界の伯爵家三女リーナとして転生する。
しかしそこでも彼女は、美しい姉妹に埋もれた「地味枠」の令嬢だった。
前世の経験から派手さを捨て、魔法地雷や罠といったトラップ魔法を選んだリーナは、目立たず確実に力を磨いていく。
魔法学園で騎士カイにその才能を見抜かれたことで、彼女の止まっていた人生は静かに動き出す。
あざとしの副軍師オデット 〜脳筋2メートル義姉に溺愛され、婚外子から逆転成り上がる〜
水戸直樹
ファンタジー
母が伯爵の後妻になったその日から、
私は“伯爵家の次女”になった。
貴族の愛人の娘として育った私、オデットはずっと準備してきた。
義姉を陥れ、この家でのし上がるために。
――その計画は、初日で狂った。
義姉ジャイアナが、想定の百倍、規格外だったからだ。
◆ 身長二メートル超
◆ 全身が岩のような筋肉
◆ 天真爛漫で甘えん坊
◆ しかも前世で“筋肉を極めた転生者”
圧倒的に強いのに、驚くほど無防備。
気づけば私は、この“脳筋大型犬”を
陥れるどころか、守りたくなっていた。
しかも当の本人は――
「オデットは私が守るのだ!」
と、全力で溺愛してくる始末。
あざとい悪知恵 × 脳筋パワー。
正反対の義姉妹が、互いを守るために手を組む。
婚外子から始まる成り上がりファンタジー。
龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜
クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。
生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。
母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。
そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。
それから〜18年後
約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。
アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。
いざ〜龍国へ出発した。
あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね??
確か双子だったよね?
もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜!
物語に登場する人物達の視点です。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
婚約破棄したら食べられました(物理)
かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。
婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。
そんな日々が日常と化していたある日
リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる
グロは無し
【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる