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本編後推奨あとがきとオマケの章
番外編短編-4『とまどい』
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裏ページ □ ●nagi:女性、っていうかむしろ…… □から分岐しました
番外編短編-4『とまどい』
「……あのさ」
「ん?」
くぐもった声を胸元に聞いて、マツナギは小さく鼻で問いかける。
トライアン地方で別れてから離れ離れになっていたパーティーがようやく合流し……セイラードでようやく地に足をついての休息だ。
離れる寸前、何か重大な事が彼の身に起こったようにマツナギは感じていた。何なのかはよく分からない、しかし精霊干渉力を持つ者としての勘がそのように感じさせたのだ。
結局抱いた不安、それが何だったのかわからず離ればなれになっていたが……久し振りに会った彼からは、トライアンで別れる寸前感じた危うさは感じられ無かった。
だからと言って安心はできない。
部屋を出たところ出会いがしらに顔を合わせ、マツナギはつい彼の事を抱きとめていた。
大丈夫だよ、自分と相手へ、その気持ちを伝える為に。
「……すんげぇ変な事聞いていいか」
「変な事?」
あくまで優しく反芻するマツナギの声に甘え、ヤトは未だに頭を彼女の胸元に預けたまま小さくつぶやいた。
「マツナギの親父さんはウラスのおっさんなんだよな」
「ああ、そうだよ」
「お袋さんは?」
「母親かい?」
マツナギはしばらく迷ってから囁いた。
「しきたりで、すぐに別れて暮らしたからね。よく覚えてないよ」
彼はいつも先頭に立っていて、マツナギは何時もその背中を見ていた。
それはさほど広くはない、それなのにその背に何もかもを背負おうとする彼を、いつもハラハラしながらも上手く止める事が出来ずに見守っているだけだった。
マツナギはカイエン・ナッツの傭兵として雇われている。魔王討伐を目指すヤトおよびレッドの仲間に加わるに辺り、ナッツからは等しく仲間達を手助けして欲しいと言われそのように振舞っている。
しかし、正直を言えば長らく閉鎖された土地で暮らしていた為、仲間という意識を上手く把握できず自分が取れる行動に向けて戸惑いがあったのは事実だ。
いろいろ思うところはあっても上手く口が出せない。
何より、マツナギは心に秘めている望みを仲間達に明かす事が出来ずにいる。
彼女が地下、大地ノースグランドを出たのにはそれなりの理由があった。
娘の死を受け入れる事が怖くて逃げだしたというのも事実だ。でもそれは、それだけでは終わっていない事でもあった。
自分の望みが到底かなうはずもなく、もし叶うとすれば相当な代償が必要になる事は分かっていた。
それでも叶うなら自分の命を投げうってもいい。
そういう覚悟をしていたはずなのに……。
かつて強く抱いていた望みはもはや、それほど強くもなく。
それよりも良く理解が出来なかった『仲間』というものの方が今は、大事に思えている。それを素直に認め、仲間を守るために容易く自分の命を投げ出そうとする者の命をとどめるためにこうやって、抱きとめる。
大切な物の為なら自分の命さえ投げ捨てられる。
その覚悟はマツナギにもある。ある事をナッツ以外には伝えてはいない、一人心に秘めている事だからヤトに自分の気持ちが理解されているとは思っていなかったのだ。
伝えなければ気持ちなんて、そうそう伝わるものじゃない。
なら、分かっていると伝えよう。
お前の気持ちはあたしにも分かるんだ。
俺の事、理解出来るはずがないとか考えちゃダメだよ。
みんな必死にお前の気持ちを理解したいんだから。その思いまで否定しちゃいけない事位もう、分かっているだろうって。
大事なものを愛おしく胸に抱き、マツナギは分かっているという事を伝えた。
ヤトは多分、理解されたくない訳ではないし理解されないと信じていたわけではないのだろうとマツナギは思う。
お互いに分かっているんだと理解したからこそ抱く思いが触れ合って、初めて素直に力を抜いて寄り掛かってきたのをマツナギは感じた。
しばらく声が出せず、ただじっと何かをこらえるようにしている彼の肩に手を置く。
その背中は……やはり、昔そう思ったとおり広くはなくて、小さくて頼りない……でも、必死に何か守りたいものを守る為に、よく見る事になってしまったものだなとマツナギは手を添えてやった。
廊下で突っ立っていると何かと冷やかす連中がいるだろうと、マツナギは気を利かせ彼の肩を抱きながら彼の部屋に連れて行った。
そっとベッドに腰かけて……うつむいて頭を垂れているヤトの傍に座る。
一人にしてくれと言う彼の言葉を封じるように頭を抱き、いいから好きなだけ泣けばいいじゃないかと強引に傍にいる。
恥ずかしいんですと素直に拒絶するヤトだが、言葉とは裏腹に、行動には甘えがあって素直にマツナギの肩に頭を預けている。
そのうちに、ヤトは変な事聞いていいかと話しかけてきた。
マツナギはそれに、正直に答えた所だ。
「……俺も、母親はもちろん両親の事なんて全く覚えてないんだけど」
「おじいさんに育てられて、それから家出して、だったね」
「両親って強請ってもやってこないものだって、俺……すぐ理解できちまったんだ」
「一人が寂しかったのかい?」
「そうやって苛める嫌な奴がいてさぁ、俺は寂しくないって自分に言い聞かせるしかなかった」
でも、その嫌な奴は俺と一緒に人買いに買われてエズに落されたんだ、とヤトはぼそりと漏らした。
泣きべそかいて、いなくなっちまった両親をねだる様子にざまみろと思ったと強く吐き捨てる。
「……村で俺に両親居ないってさんざんバカにした癖に、一人になったら急に大人しくなって暫く俺の背後をついて歩きやがる。ウザくてしょうがなかったから俺はほとんど無視してた。……けどそいつ、環境についてけなくて……あっけなく死んだんだ」
俺は村で逆の立場だったから、苛める側には回らなかったけど正直、一度助けてやったらそれ以来ムダに頼りにされるのがウザくて……と、ヤトはそこで小さくため息を漏らす。
「……見殺しにしたと思った?」
「どうかな、結構見えないところで陰湿なリンチが横行してたみたいだし、俺がそいつを救えてたとかそんな事は考えてない。エズの環境は特殊だったからな、弱い奴かばって足引っ張られるわけにもいかねぇし、自業自得だとは思ったけど……」
それでも、と言葉を切って長く沈黙してからヤトは呟く。
「ずいぶん惨めな死だなって思った。だから、俺はこうはならない、そう……強く思ったんだ」
だから強くならなきゃいけない、そう思ってがむしゃらに生きてた。惨めな死に方はしたくないから生きるなんて、アホらしいのにな、と薄く笑う。
「……だからさ。恥ずかしくて聞けない事だけど、今恥ずかしいついでに聞いてもいいか?」
「うん?」
「マツナギはさ、亡くなっちゃったけど娘がいて、一応母親なんだろ」
「……そうだね」
「よく覚えてないとはいえ、一応……いたわけだろ」
何を聞きたいのかなんとなく悟り、マツナギは肩に寄り掛かるヤトの頭をもう一度抱き寄せる。
「ヤト、誰だってみんなみんな母親のおなかの中から生まれるものだよ。お前にだって、お前が知らないだけで母親はちゃんといるんだ」
「……理屈は分かるけど、でも理解できねぇんだよそれが」
ふっと短く息を吸い、しばらくして呟いた。
「エズでは、俺と同じ境遇の奴らが一杯いた。両親、片親分からない奴、いたけどまともな扱い受けてない奴、ひどい事された奴。両親がいる奴もいない奴も、みんな等しく親の話はタブーになってた。どっちみちもう二度と会えないかもしれない、そういう環境だし。親の話なんて泣き事だ。こいつかぁちゃんのおっぱいが恋しいんだぜ、とか笑いものにされるのがオチだろうし。でも、俺は……その、おっぱい恋しいとかいうのがさっぱり理解出来ないんだ」
「ふぅん、その割に……結構気にするじゃないか」
「いやまぁ、ガキの頃限定の話だよ」
今は興味津々だからと素直に言うので、マツナギはじゃぁ特別に触ってもいいよと、嫌がるヤトの手を胸元から溢れる乳房に触れさせてやった。
「……いいのかよ?」
「みんなには秘密だよ」
そっと大きなふくらみを手に含み、下から持ち上げるようにして……摩る。
「……女って不思議だよなあ。こんなもん二つも胸にぶら下げてたら絶対邪魔だと思うんだけど」
「それ言ったら、男だって股間にたいそうなものぶら下げてるじゃないか」
「うーん、俺はそれが当たり前だろうと思っているけど、それと同じ感覚って事?」
自分には無いものだからかなぁ、と遠慮なく大きなマツナギの乳房をもんでみる。
「別にさんざん揉んでも硬くなるわけじゃないだろ?」
「何言ってるんだい」
少し恥ずかしそうなマツナギの言葉に、ようやくヤトは笑う。
「……母親ってようするに、女って事か?」
「そりゃ、母親は女だろうけど、女がみんな母親になるとは限らないよ」
「童貞がみんな男になるとは限らない、みたいな?」
「ううん?それは何か違うような……」
「身ごもって子供を産んだら母親になるって言うよな」
困ったように、マツナギは強引にヤトを再び抱きしめる。
「こうやって、自分の命より大事に思うものが出来た時、女はきっと母親になるんだと思うよ」
「……なんだよ、それ」
「正直、あんたはあたしの息子みたいなもんさ」
少しがっかりしたような視線を下から投げられ、マツナギは赤茶けた彼の髪の毛をぐしゃぐしゃとなでてやる。
「大切な人だよ、あたしはあんたを守ってあげたい」
「守るのは男の仕事だろ?」
「それでも、守りたいと思うのが母親心さ」
「ふぅん、……そうなのか?」
俺は男だからよくわかんねぇけどなぁと、遠慮なく胸に頬を預けてその温かい、柔らかい塊を遠慮なく味わう。不思議な事に甘い匂いがする。
剣闘士時代、抱いた女から漂ってきたのはいつも鼻の奥から脳を揺らすような香の匂いだったと思いだしている。
愛撫に溢れだす蜜と入り混じり、これがたまらなく良い女の匂いだと思っていた。女によって独特に違う……でも、それらとは根本的に違うように思える不思議な匂いを存分に味わってみる。
「マツナギ、香水何か付けてる?」
「ん?いや、ごめん実は特にそういうのやってなくて、汗臭い?」
「……いや、すごい……甘い匂いがするんだなぁって。暗黒貴族種特有だとか?」
「まさか、それは……母乳の匂いだろう」
「ボニュウ?……乳って事か?」
ヤトは驚いたように顔を上げる。
「そりゃ、出るだろう。子供を育てるに必要なんだから」
「そーなんだ、へぇえ……人間もお乳って出るんだ」
「何のためのおっぱいだと思ってるんだい。貴族種ももとは人間派生なんだから、生まれて間もない子供はみんな母親の母乳で育つんだよ?」
「成程な。いや、俺ほんと母親ってわかんなくってさ……あmだからおっぱい恋しいって事?」
まさかそんな事も知らないとは知らずマツナギは少し呆れて、腕を組み一つ悟ったというように構えているヤトを見据えてしまう。
「いやぁ、てっきり手でモミモミすると女も男も気持ちいいという為についているものかと」
「なんか、お前は色々と本当によく分かってないみたいだね」
「そうみたいだ、いやぁ、ガキの頃色々騙された事いっぱいあるしな……」
何を信じていたんだい、という呆れたマツナギの言葉に、ここだけの秘密だかんなと前置いてヤトはとんでもない事を言い出す。
セックスは子供を孕ませる為の行為だと聞いていて、男も例外じゃないとか。
成人するとセックスするための穴があくとか、それは男にもあるのだとか。
穴を間違えると怪物が生まれるとか。
子供が出来た剣闘士は引退するか死ぬかしなきゃいけないとか。
男が子供を産んだ場合チンコは縮んでしまって代わりに胸が出るとか。
「なんでそんな事を信じるんだい」
「いろいろ何も知らないおバカな子だったんですよ俺も……」
ようするに、大抵は女遊びをしてもいいが子供は作るなという脅し文句の曲解みたいだ、とヤトは頭を掻いている。
子供を作るな、というのをようするに男も子供を作れると単純に間違っていた時期があったらしい。あの頃は恥ずかしくて青い時代だった、と遠い目をする。
大人ぶっているのかもしれないけれど、やっぱりマツナギにはまだまだ子供っぽく感じられて笑った。
しかし、次のヤトの言葉でそのほほ笑みが消える。
「俺、てっきり穴を間違えて怪物で生まれてきたんだと結構本気で思ってた事あったよ」
「……ヤト」
「俺は……普通じゃないと言われた。そう言われたら普通じゃないのかなぁ、と、単純に騙されるようなおバカな子供だったんだ」
俺は怪物の子供だったんだ。
その痛くて重いはずの過去を、なんでもない事のように軽く言うヤトを見ているのがマツナギには一番辛い。
本当に笑い話なのか、今もそれで心に致命的な傷を負っているのか。
心という、見えない所にある傷は同様によく見えない。
治っているのか、今も開いて血を流し続けているのか……判別が付け辛い。
「そんな事を言うのはもうよしな」
「……なんでだよ。……ぶっちゃけ辛いんだぞ」
「なら、辛いと言えばいい」
「辛いの抱えてるのはもっと辛いんだ」
だから、吐き出すんだろというヤトの言葉に、マツナギは胸に秘めていた望みを暴露したい気持ちになった。
吐き出してしまえば……辛くなくなるとでもいうのか?それを試したくなったのだがヤトの横顔を見て思いとどまる。
「せっかく笑い話にしてるんだ……そうでもしねぇとこっちが辛い。だから笑っていいんだぜマツナギ。そんなガチに心配されたってこっちが困るんだ……バカ言うんじゃないよとでこピンでもかましてくれた方が俺的には心が休まるんだけど」
おでこに当てられたのは指ではなく、マツナギの黒い肌だ。
「笑い話でもそんなひどい事は言わないの。お前が笑い飛ばしたくても、あたしが傷付くんだよ」
「……マツナギは、怪物を産んだわけじゃないだろ」
額をくっつけ、至近距離で赤い瞳に見つめられてヤトはとまどい、視線をそらそうとして諦めて、深紅の瞳の奥を覗きこむ。
「言ったろう」
マツナギは囁くように唱える。
「お前はあたしの息子みたいなもんだよ。腹は痛めて産んだ訳じゃないし、連れ合いとして認めて大切だと思ってるわけじゃない。でも、大事なんだ。そう思う存在が仲間というものかもしれないけど……あたしにとっちゃどっちかっていうとあんたは息子だよ。仲間ってのじゃなんとなくしっくりこない」
「うーん、男としましては微妙な感覚だったりもするんだけどなぁ」
「お前が苦しい事は、あたしだって苦しいんだ」
「…………」
「全部じゃないけどあたしにはわかる。みんな、お前の気持ちを察してる。だから、これ以上自分をいじめたりしないで。辛い事は辛いと言って、素直に胸に寄り掛かればいいのさ」
抱きとめてあげるよ。
それが母親ってもんさと、体全体で抱きとめて鼓動を合わせる。
しばらくそれに黙っていたヤトだったがふいと、マツナギの耳元で問いかけた。
「……俺は、母親にはなれねぇよな」
「うん?まぁ男ならねぇ」
「じゃぁ、父親だったらどうするんだろう?」
マツナギは微笑んで囁き返した。
「父親だって、ただ無言で抱き締めてくれるよ」
END
*** *** *** 分岐 *** *** ***
■12 主人公裏オマケモア →おまけ裏04へ
□11 主人公裏あきた →おまけ裏03へ
番外編短編-4『とまどい』
「……あのさ」
「ん?」
くぐもった声を胸元に聞いて、マツナギは小さく鼻で問いかける。
トライアン地方で別れてから離れ離れになっていたパーティーがようやく合流し……セイラードでようやく地に足をついての休息だ。
離れる寸前、何か重大な事が彼の身に起こったようにマツナギは感じていた。何なのかはよく分からない、しかし精霊干渉力を持つ者としての勘がそのように感じさせたのだ。
結局抱いた不安、それが何だったのかわからず離ればなれになっていたが……久し振りに会った彼からは、トライアンで別れる寸前感じた危うさは感じられ無かった。
だからと言って安心はできない。
部屋を出たところ出会いがしらに顔を合わせ、マツナギはつい彼の事を抱きとめていた。
大丈夫だよ、自分と相手へ、その気持ちを伝える為に。
「……すんげぇ変な事聞いていいか」
「変な事?」
あくまで優しく反芻するマツナギの声に甘え、ヤトは未だに頭を彼女の胸元に預けたまま小さくつぶやいた。
「マツナギの親父さんはウラスのおっさんなんだよな」
「ああ、そうだよ」
「お袋さんは?」
「母親かい?」
マツナギはしばらく迷ってから囁いた。
「しきたりで、すぐに別れて暮らしたからね。よく覚えてないよ」
彼はいつも先頭に立っていて、マツナギは何時もその背中を見ていた。
それはさほど広くはない、それなのにその背に何もかもを背負おうとする彼を、いつもハラハラしながらも上手く止める事が出来ずに見守っているだけだった。
マツナギはカイエン・ナッツの傭兵として雇われている。魔王討伐を目指すヤトおよびレッドの仲間に加わるに辺り、ナッツからは等しく仲間達を手助けして欲しいと言われそのように振舞っている。
しかし、正直を言えば長らく閉鎖された土地で暮らしていた為、仲間という意識を上手く把握できず自分が取れる行動に向けて戸惑いがあったのは事実だ。
いろいろ思うところはあっても上手く口が出せない。
何より、マツナギは心に秘めている望みを仲間達に明かす事が出来ずにいる。
彼女が地下、大地ノースグランドを出たのにはそれなりの理由があった。
娘の死を受け入れる事が怖くて逃げだしたというのも事実だ。でもそれは、それだけでは終わっていない事でもあった。
自分の望みが到底かなうはずもなく、もし叶うとすれば相当な代償が必要になる事は分かっていた。
それでも叶うなら自分の命を投げうってもいい。
そういう覚悟をしていたはずなのに……。
かつて強く抱いていた望みはもはや、それほど強くもなく。
それよりも良く理解が出来なかった『仲間』というものの方が今は、大事に思えている。それを素直に認め、仲間を守るために容易く自分の命を投げ出そうとする者の命をとどめるためにこうやって、抱きとめる。
大切な物の為なら自分の命さえ投げ捨てられる。
その覚悟はマツナギにもある。ある事をナッツ以外には伝えてはいない、一人心に秘めている事だからヤトに自分の気持ちが理解されているとは思っていなかったのだ。
伝えなければ気持ちなんて、そうそう伝わるものじゃない。
なら、分かっていると伝えよう。
お前の気持ちはあたしにも分かるんだ。
俺の事、理解出来るはずがないとか考えちゃダメだよ。
みんな必死にお前の気持ちを理解したいんだから。その思いまで否定しちゃいけない事位もう、分かっているだろうって。
大事なものを愛おしく胸に抱き、マツナギは分かっているという事を伝えた。
ヤトは多分、理解されたくない訳ではないし理解されないと信じていたわけではないのだろうとマツナギは思う。
お互いに分かっているんだと理解したからこそ抱く思いが触れ合って、初めて素直に力を抜いて寄り掛かってきたのをマツナギは感じた。
しばらく声が出せず、ただじっと何かをこらえるようにしている彼の肩に手を置く。
その背中は……やはり、昔そう思ったとおり広くはなくて、小さくて頼りない……でも、必死に何か守りたいものを守る為に、よく見る事になってしまったものだなとマツナギは手を添えてやった。
廊下で突っ立っていると何かと冷やかす連中がいるだろうと、マツナギは気を利かせ彼の肩を抱きながら彼の部屋に連れて行った。
そっとベッドに腰かけて……うつむいて頭を垂れているヤトの傍に座る。
一人にしてくれと言う彼の言葉を封じるように頭を抱き、いいから好きなだけ泣けばいいじゃないかと強引に傍にいる。
恥ずかしいんですと素直に拒絶するヤトだが、言葉とは裏腹に、行動には甘えがあって素直にマツナギの肩に頭を預けている。
そのうちに、ヤトは変な事聞いていいかと話しかけてきた。
マツナギはそれに、正直に答えた所だ。
「……俺も、母親はもちろん両親の事なんて全く覚えてないんだけど」
「おじいさんに育てられて、それから家出して、だったね」
「両親って強請ってもやってこないものだって、俺……すぐ理解できちまったんだ」
「一人が寂しかったのかい?」
「そうやって苛める嫌な奴がいてさぁ、俺は寂しくないって自分に言い聞かせるしかなかった」
でも、その嫌な奴は俺と一緒に人買いに買われてエズに落されたんだ、とヤトはぼそりと漏らした。
泣きべそかいて、いなくなっちまった両親をねだる様子にざまみろと思ったと強く吐き捨てる。
「……村で俺に両親居ないってさんざんバカにした癖に、一人になったら急に大人しくなって暫く俺の背後をついて歩きやがる。ウザくてしょうがなかったから俺はほとんど無視してた。……けどそいつ、環境についてけなくて……あっけなく死んだんだ」
俺は村で逆の立場だったから、苛める側には回らなかったけど正直、一度助けてやったらそれ以来ムダに頼りにされるのがウザくて……と、ヤトはそこで小さくため息を漏らす。
「……見殺しにしたと思った?」
「どうかな、結構見えないところで陰湿なリンチが横行してたみたいだし、俺がそいつを救えてたとかそんな事は考えてない。エズの環境は特殊だったからな、弱い奴かばって足引っ張られるわけにもいかねぇし、自業自得だとは思ったけど……」
それでも、と言葉を切って長く沈黙してからヤトは呟く。
「ずいぶん惨めな死だなって思った。だから、俺はこうはならない、そう……強く思ったんだ」
だから強くならなきゃいけない、そう思ってがむしゃらに生きてた。惨めな死に方はしたくないから生きるなんて、アホらしいのにな、と薄く笑う。
「……だからさ。恥ずかしくて聞けない事だけど、今恥ずかしいついでに聞いてもいいか?」
「うん?」
「マツナギはさ、亡くなっちゃったけど娘がいて、一応母親なんだろ」
「……そうだね」
「よく覚えてないとはいえ、一応……いたわけだろ」
何を聞きたいのかなんとなく悟り、マツナギは肩に寄り掛かるヤトの頭をもう一度抱き寄せる。
「ヤト、誰だってみんなみんな母親のおなかの中から生まれるものだよ。お前にだって、お前が知らないだけで母親はちゃんといるんだ」
「……理屈は分かるけど、でも理解できねぇんだよそれが」
ふっと短く息を吸い、しばらくして呟いた。
「エズでは、俺と同じ境遇の奴らが一杯いた。両親、片親分からない奴、いたけどまともな扱い受けてない奴、ひどい事された奴。両親がいる奴もいない奴も、みんな等しく親の話はタブーになってた。どっちみちもう二度と会えないかもしれない、そういう環境だし。親の話なんて泣き事だ。こいつかぁちゃんのおっぱいが恋しいんだぜ、とか笑いものにされるのがオチだろうし。でも、俺は……その、おっぱい恋しいとかいうのがさっぱり理解出来ないんだ」
「ふぅん、その割に……結構気にするじゃないか」
「いやまぁ、ガキの頃限定の話だよ」
今は興味津々だからと素直に言うので、マツナギはじゃぁ特別に触ってもいいよと、嫌がるヤトの手を胸元から溢れる乳房に触れさせてやった。
「……いいのかよ?」
「みんなには秘密だよ」
そっと大きなふくらみを手に含み、下から持ち上げるようにして……摩る。
「……女って不思議だよなあ。こんなもん二つも胸にぶら下げてたら絶対邪魔だと思うんだけど」
「それ言ったら、男だって股間にたいそうなものぶら下げてるじゃないか」
「うーん、俺はそれが当たり前だろうと思っているけど、それと同じ感覚って事?」
自分には無いものだからかなぁ、と遠慮なく大きなマツナギの乳房をもんでみる。
「別にさんざん揉んでも硬くなるわけじゃないだろ?」
「何言ってるんだい」
少し恥ずかしそうなマツナギの言葉に、ようやくヤトは笑う。
「……母親ってようするに、女って事か?」
「そりゃ、母親は女だろうけど、女がみんな母親になるとは限らないよ」
「童貞がみんな男になるとは限らない、みたいな?」
「ううん?それは何か違うような……」
「身ごもって子供を産んだら母親になるって言うよな」
困ったように、マツナギは強引にヤトを再び抱きしめる。
「こうやって、自分の命より大事に思うものが出来た時、女はきっと母親になるんだと思うよ」
「……なんだよ、それ」
「正直、あんたはあたしの息子みたいなもんさ」
少しがっかりしたような視線を下から投げられ、マツナギは赤茶けた彼の髪の毛をぐしゃぐしゃとなでてやる。
「大切な人だよ、あたしはあんたを守ってあげたい」
「守るのは男の仕事だろ?」
「それでも、守りたいと思うのが母親心さ」
「ふぅん、……そうなのか?」
俺は男だからよくわかんねぇけどなぁと、遠慮なく胸に頬を預けてその温かい、柔らかい塊を遠慮なく味わう。不思議な事に甘い匂いがする。
剣闘士時代、抱いた女から漂ってきたのはいつも鼻の奥から脳を揺らすような香の匂いだったと思いだしている。
愛撫に溢れだす蜜と入り混じり、これがたまらなく良い女の匂いだと思っていた。女によって独特に違う……でも、それらとは根本的に違うように思える不思議な匂いを存分に味わってみる。
「マツナギ、香水何か付けてる?」
「ん?いや、ごめん実は特にそういうのやってなくて、汗臭い?」
「……いや、すごい……甘い匂いがするんだなぁって。暗黒貴族種特有だとか?」
「まさか、それは……母乳の匂いだろう」
「ボニュウ?……乳って事か?」
ヤトは驚いたように顔を上げる。
「そりゃ、出るだろう。子供を育てるに必要なんだから」
「そーなんだ、へぇえ……人間もお乳って出るんだ」
「何のためのおっぱいだと思ってるんだい。貴族種ももとは人間派生なんだから、生まれて間もない子供はみんな母親の母乳で育つんだよ?」
「成程な。いや、俺ほんと母親ってわかんなくってさ……あmだからおっぱい恋しいって事?」
まさかそんな事も知らないとは知らずマツナギは少し呆れて、腕を組み一つ悟ったというように構えているヤトを見据えてしまう。
「いやぁ、てっきり手でモミモミすると女も男も気持ちいいという為についているものかと」
「なんか、お前は色々と本当によく分かってないみたいだね」
「そうみたいだ、いやぁ、ガキの頃色々騙された事いっぱいあるしな……」
何を信じていたんだい、という呆れたマツナギの言葉に、ここだけの秘密だかんなと前置いてヤトはとんでもない事を言い出す。
セックスは子供を孕ませる為の行為だと聞いていて、男も例外じゃないとか。
成人するとセックスするための穴があくとか、それは男にもあるのだとか。
穴を間違えると怪物が生まれるとか。
子供が出来た剣闘士は引退するか死ぬかしなきゃいけないとか。
男が子供を産んだ場合チンコは縮んでしまって代わりに胸が出るとか。
「なんでそんな事を信じるんだい」
「いろいろ何も知らないおバカな子だったんですよ俺も……」
ようするに、大抵は女遊びをしてもいいが子供は作るなという脅し文句の曲解みたいだ、とヤトは頭を掻いている。
子供を作るな、というのをようするに男も子供を作れると単純に間違っていた時期があったらしい。あの頃は恥ずかしくて青い時代だった、と遠い目をする。
大人ぶっているのかもしれないけれど、やっぱりマツナギにはまだまだ子供っぽく感じられて笑った。
しかし、次のヤトの言葉でそのほほ笑みが消える。
「俺、てっきり穴を間違えて怪物で生まれてきたんだと結構本気で思ってた事あったよ」
「……ヤト」
「俺は……普通じゃないと言われた。そう言われたら普通じゃないのかなぁ、と、単純に騙されるようなおバカな子供だったんだ」
俺は怪物の子供だったんだ。
その痛くて重いはずの過去を、なんでもない事のように軽く言うヤトを見ているのがマツナギには一番辛い。
本当に笑い話なのか、今もそれで心に致命的な傷を負っているのか。
心という、見えない所にある傷は同様によく見えない。
治っているのか、今も開いて血を流し続けているのか……判別が付け辛い。
「そんな事を言うのはもうよしな」
「……なんでだよ。……ぶっちゃけ辛いんだぞ」
「なら、辛いと言えばいい」
「辛いの抱えてるのはもっと辛いんだ」
だから、吐き出すんだろというヤトの言葉に、マツナギは胸に秘めていた望みを暴露したい気持ちになった。
吐き出してしまえば……辛くなくなるとでもいうのか?それを試したくなったのだがヤトの横顔を見て思いとどまる。
「せっかく笑い話にしてるんだ……そうでもしねぇとこっちが辛い。だから笑っていいんだぜマツナギ。そんなガチに心配されたってこっちが困るんだ……バカ言うんじゃないよとでこピンでもかましてくれた方が俺的には心が休まるんだけど」
おでこに当てられたのは指ではなく、マツナギの黒い肌だ。
「笑い話でもそんなひどい事は言わないの。お前が笑い飛ばしたくても、あたしが傷付くんだよ」
「……マツナギは、怪物を産んだわけじゃないだろ」
額をくっつけ、至近距離で赤い瞳に見つめられてヤトはとまどい、視線をそらそうとして諦めて、深紅の瞳の奥を覗きこむ。
「言ったろう」
マツナギは囁くように唱える。
「お前はあたしの息子みたいなもんだよ。腹は痛めて産んだ訳じゃないし、連れ合いとして認めて大切だと思ってるわけじゃない。でも、大事なんだ。そう思う存在が仲間というものかもしれないけど……あたしにとっちゃどっちかっていうとあんたは息子だよ。仲間ってのじゃなんとなくしっくりこない」
「うーん、男としましては微妙な感覚だったりもするんだけどなぁ」
「お前が苦しい事は、あたしだって苦しいんだ」
「…………」
「全部じゃないけどあたしにはわかる。みんな、お前の気持ちを察してる。だから、これ以上自分をいじめたりしないで。辛い事は辛いと言って、素直に胸に寄り掛かればいいのさ」
抱きとめてあげるよ。
それが母親ってもんさと、体全体で抱きとめて鼓動を合わせる。
しばらくそれに黙っていたヤトだったがふいと、マツナギの耳元で問いかけた。
「……俺は、母親にはなれねぇよな」
「うん?まぁ男ならねぇ」
「じゃぁ、父親だったらどうするんだろう?」
マツナギは微笑んで囁き返した。
「父親だって、ただ無言で抱き締めてくれるよ」
END
*** *** *** 分岐 *** *** ***
■12 主人公裏オマケモア →おまけ裏04へ
□11 主人公裏あきた →おまけ裏03へ
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