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番外編 補完記録13章  『腹黒魔導師の冒険』

書の1前半 軌道修正・別視点『あの時の僕側の事情について』

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■書の1前半■ 軌道修正・別視点
 orbital modification from a different perspective



 僕は、気が付いたら蹲っていました。
 頭を抱えて……確定してしまった『事実』を前に立ちすくみ、足を止めて。

 心に秘め、描いていた計画が崩れていく。
 余りにもあっけなく、想定外の展開に呆然としている。こんな展開、望んでいない。想定外?本当に?こうなる未来位、僕には見えていたはず。分かっているから、密かに危惧していた最悪な未来が……あっさりと目の前にある事に竦んでいるのではないのか。
 人は常に最悪な事を考えてしまうものです。
 一つ、誰にも洩らす事が出来ない後ろめたい望みを持って、その為に思い巡らせて来た僕の……計画。
 それが齎す『終焉』を目指して、この旅は……順調に進んでいたというのに。

 全て覆されましたね。
 彼の所為で、全てが無に帰した、台無し……です。
 元の軌道に戻せない程に計画が、崩れ去っていくのが分かる。

 でも、どうしてだろう。
 どこかそれで安堵している自分が居るんです。

 この失敗を想像しなかった訳ではないのです。
 この結果が、恐らく最悪だという予測は立てていました。
 一番最悪な場合として認識していたばかりに、僕は……流石にこの結果はありえないだろうと切り捨てたのでしょう。
 そして僕はこの最悪の先を考えなかった。



「うにゃぁあぁ……どうしてこういう時ばっかりぃいぃ」
 先ほどからアインさんは天に向かって喚いています。その度に空に炎の柱が吹き上がっていて……いつしか僕はその炎が焦がす空気の匂いを吸って……。ふいと正気に戻ったように、蹲って思考を止めていた事に気が付いたのです。

 小さな音がしてそちらを振り返る。

 ここは……タトラメルツ領主の館、中庭。

 魔王の城から僕らは、逃げ出して来ました。逃げたと言ってもここは、城からは目と鼻の先です。こんなすぐ近くだというのに……絶対に安全――。
 その安全を保障した、保障された『事実』をもう一度噛みしめて、僕は多分、ようやく……我に返った気がします。

 古き伝統的な町並みを残すタトラメルツのすぐ近くにある、魔王の城。
 魔王がそこから出て来て、僕らを追いかけてくる事は無いでしょう。
 約束された生贄を一人、その場に残して来たから。来てしまった……から。
 そうしなければ……それが魔王の城と危惧しながらも、その傍らにある日常としてを変える事の出来ない、タトラメルツという町が消える。
 余りにも卑劣な、魔王という名に羞じない取引は……すでに成立しているのだから。

 なぜ、その役目を彼に奪われてしまったんでしょうねぇ……。

 僕は内心苦笑して、それが口元から漏れ出る事を知られないように密かに、口元を抑える。
 そうして、僕も逃げ帰ってきてしまった。
 自分もそこに残る、そう言って強引に計画の軌道修正をする事も考えたのですがどうにも、難しくて。
 強引にテリーさんから担ぎ上げられた時、道が閉ざされたことが分かりました。そこで改めて最悪なパターンに陥った事を正しく理解したのです。

 さぁ、では……今後どうすればいい。
 僕は必死に考えました、こうなった場合の事は先ほども吐露しましたが、考えていなかったんです、これからなんとかしなければいけない。呆然としている場合ではないのです。
 彼が暴走して先走る事位は全くの想定内です、しかし魔法を譲渡されていて、それで僕らを手の届かない所へ隔離する……そんな手段を隠し持っていたとは。
 果てに、交渉は成立してしまった。
 その魔法の強固さは、僕が魔導師であるが故に嫌というほど理解出来ます。
 あれは理論式の魔法では無い、魔導師が対処に困る、祈願系の原始的な魔法です。
 願えば願うだけ強く、強固な壁を作る魔法なのです。
 それを、あの魔力を異常なほど有する彼が使えばどうなるのか、下手をすれば、盾を願った者の意識が途切れても消えない可能性があるでしょう。更に言えば、異常な量の魔力を使い果たすのにどれだけの期日を要するか……想像がつきません。
 手っ取り早く魔法を解除する方法は……あとは、彼の命か、魔法を行使した彼の意識を解除する方向に変えるか、です。
 彼を一種、実験台として欲した魔王八逆星ですから彼の命を奪うという展開は無いでしょう。恐らく、そこまでして僕らを欲している訳では無いし、何より初めから彼自身に向けての興味が強いのが問題です。きっと、殺しはしない。ともすれば、彼の意識を改変させる事を目指す筈。

 彼の心は……変わらず、魔王を倒す事に固執するだろうか?

「なぜ言わなかったのです」
 無感情な声が聞こえて、僕の中で遅れてそれが意味を成す。カオス・カルマの言葉である事も同じく。
「ランドール達がいた、すでにコレを預かってる事は言えない」
 ナッツさんのやや苛立った声が応えている。
 これ、とは。
 恐らく、ナッツさんが預かっていた小さな、無色透明な結晶体、大陸座ナーイアストから預けられたものでしょう。それは、いずれ世界を改変させる一種、道具として機能するのではないかと僕は予測している。ナッツさんもそれは承知しているでしょう、大陸座がこの世界に『存在』するために必要な何らかの力である事は間違いない。その力を手放したからこそ、ナーイアストはこの世界から消えて、見えざる存在へと戻って行ったのですから。
「どうして……」
「事情があるんです」
 カオスの言葉を言い切る前にナッツさんが酷く強く、言葉を遮っている。
 僕は……まだ、色々と考えを巡らせていて……今は彼らの問答には付き合いたくなかった。
「これがあれば……魔王を倒せたというのに」
「倒せる?それは、どうやって」
 極めて苛立ったナッツさんの声を僕は、遠くで聞くように意識的に遠ざけました。珍しい事ですが、現状その気持ちは分からないでもない。
「理を正す力がある、この世界を維持する大陸座としての力、世界保全の力が」
「……デバイス、ツール……?」
 誰かが呟いた、その言葉に僕は、心の中で頷いた。
 そう、これは、今はまだその力は無いとしてもいずれ……そう呼ばれるものに変わるだろう。
 時が満ちていない、一度僕らはログアウトしてから、それからその権限はこの世界にインストールさせる必要が有るはずです。
「……何?」
「つまりそれって、れ……ッ魔王を、……あの、明らかに存在が間違ってる魔王の連中を、正せるって事?」
 アベルさん、NGワードを言いそうになって慌てて言い直していますね。
「なぜ、魔王の存在が『間違っている』と思う?」
「え?」
「直感?遠東方人にはそのような直観力が備わるものだろうか……否……しかし、私の理論もそれに近い」
「じゃぁテメェこそなんで魔王の連中が、理にかなってねぇって分かったよ」
 テリーさんの言葉に僕は、一旦状況の整理が必要なのかもしれないと思いました。計画はすでに破たんしているのだから……状況を確認し、なんとか別の手立てを考えなければ。その為に、僕だけ彼らの話を無視するのはいただけない。
 何かしら、疑いを持たれてはならない。いつまでも打ちひしがれている素振りではいけない。
「……お前達がそれを説明出来ない様に、私もそれに答える言葉は持ち合わせない」
「まさか……メージン?……事情を分かっているなら、もしかして」
「違うんですよ」
 僕は、漸く口に出た自分の言葉が随分苛立った風なのに内心、驚きましたね。
 まだ動揺しているようです、ここは、冷静にならなければ……。立ち上がって、ようやく皆さんの顔を見渡す。
「彼には彼なりの理屈があって、あの魔王の存在を『敵』と感じるのです。そう……はっきりと『敵』だと認識する。そうではありませんか?」
「……」
 カオスを黙らせる方法はこれでいい、彼はまだ、自分の事を詳しく話せる状況ではなさそうです。何より僕がそれをさせない事を今の言葉で分からせてやりましたからね。
 僕は素早く状況を確認。
 ゆっくりテーブルに歩み寄って……その途中カオスの隣を通って囁いた。
「安心ください?……バラすつもりはありません」
 貴方と、私の関係の事を……ね。
 僕は努めて微笑んで、無表情なカオスと一瞬瞳を交わす。そうしてから、現状の軌道修正の為にようやく重く濁った思考を回転させるべく口を開きました。
 やっぱり僕の場合、黙っているより喋りながらの方が状況をでっち上げていくのに都合が良い様です。
「なる程……分かってきました。僕らの『敵』とやらの正体が」
「ホントか?」
 僕はテーブルの上のナーイアストの石を拾い上げて、笑ってテリーさんの言葉に頷きました。

 もしこの場に『彼』が居たなら、その笑みは怪しいだの黒いだの、散々疑われた事でしょうねぇ。

「私が必ず……助けて差し上げますから」
 誰にともなく呟いて……彼ならば、なんだそのドス黒い笑みはと詰ったであろう微笑みを僕は今、湛えているに違いないのに。
 そうやって僕を見てくれている、彼が居ないんです。
 不思議ですね、なんだかそれが寂しいなんて。

 それから、時間に換算すると半日は立っていなかったでしょう。
 これからの方針を話し合うにしても、皆精神的に疲れている事をタトラメルツ領主からたしなめられて、一旦休憩を取る事になって……お互いに状況の整理を行っていた矢先の事です。

 突然、魔王の城のある方向で爆発があり、次いで町が破壊されているという知らせが届いたのは。

 勿論、僕は休むと口で言いつつも今後の展開に着いて必死に思考を巡らせていました。
 今、一番警戒するべきはナッツさんですが、彼は僕以上に現状の展開に打ちのめされている様に思えます。どうしてか僕以上に彼が、ヤトが魔王側に捕られた事に危機感を抱いている気配がありますね。
 それは、何故でしょうかね?それも気になるのですが……今はまず、僕の計画の軌道修正です。
 僕としてはもう少し後でもよかったのですが、タイミングが在るのであれば今でも十分。

 なんとか、彼と僕の立場を入れ替えなければ。

 今打てる最善手は、彼を助けに行って立ち替わる、それしかないでしょう。そんな手段で彼を助けては元も子もないと皆さんは考えるのでしょうから、そういう段取りは隠して立ち振る舞う必要が有ります。
 希望はある、その希望を強く示してやる必要が有ります。
 それには……一先ず、今のところはただの光る石でしかない、ナーイアストの結晶を交渉に使ってみるしかないですかね。しかしこれは重要なアイテムである事は変わりありません、魔王連中にも、ヘタに使われない様に制約を課す必要が有るかもしれませんがまだ、現状ではどう転がるか分かりません。予測はしていますが予測でしかない。

 そういう、対魔王交渉提案をするべく再び一同集まった所で……その騒ぎは起こったのでした。



「何だってんだ!畜生……ッ!タトラメルツに手ぇ出さねぇって話はドコいきやがったんだ!」
 狭い路地を逃げ惑う人々の波に飲まれ、思うように前へ進めない、地上を走っているテリーさんの喚き声に、空を行く僕らは速度を緩め振り返る。
「魔王の連中の話なんか真に受けたって無駄って事でしょ?」
 アベルさんがそう言いながら人込みを避け、民家の屋根に上り込んでいます。同じように身軽に屋根へ避難したマツナギさんからロープを渡されて、テリーさんも屋根上によじ登ってきました。
「悪い、」
「急ぐわよ」
 僕は飛行魔法で、あとは空が飛べるナッツさんとアインさんです。目指す視界の奥で建物が崩れ落ち、もうもうと煙が上がっているのが見えます。

 またしても、予測を裏切ってきましたね。全く……何が起きているものか。
 タトラメルツの町が、魔王側から攻撃を受けているという話ですが、そんな事は今しばらく起きない筈なのです。
 本当に、一体何が起きているというのでしょう。
 この凶事を止めてくれているはずの『彼』は、一体何を仕出かしたのか。
 悉く、僕の予定を狂わせてくれる。
「しかし、何だよあれ?ナッツ、あれって怪物でも暴れてんのか?」
「いや……それらしい影は見えないけど……でも、黒い縄みたいなものがちらちら……」
「縄?鞭?……」
 僕は、弱視のマイナスアビリティを取った都合、こういう時観察能力に劣ります。魔法による遠視は出来るのですが、魔法というものは正しく状況を見れるとは限らないのです。魔法の力に頼った分だけ、偏った情報しか見えない事も在る。
 まさしく、他人から見えている景色が僕に情報として齎されているだけで、その現象がどういう理屈で起きているのかが察知出来ない。
「それにしたって桁外れな破壊行動です。気をつけましょう、何か居るのは間違いありません」
 明らかにそれは、物理的な現象ではありませんでした。
 理論的な景色には見えない。どこか異常な風景に見える。
 ともすれば、起きているのは魔王軍側の何らかの暴走でしょう、勿論、タトラメルツを攻撃しないという約束が絶対に守られるとは信じていません。しかし、だからと言って今このタイミングで町を攻撃するメリットが無い。不都合が起きたのでしょう。あちら側……すなわち、魔王八逆星側で何か、トラブルがあった。
 トラブルを起こすのは魔王八逆星でしょうか?

 むしろ、『彼』が起こした騒動である可能性が高い気がします。

「お前ら、俺に構わず先に行け、西方人の俺にあわせてんな」
「うん、ごめん……じゃぁ先に行くわ」
 正直、気が気では無い。
 一体何が起きているのか、この僕にもよく分からないのです。
 彼が何か起こした、と云う事は良いとして、では彼は魔王八逆星に対して何が出来たというのでしょうか。町の上空から、一気に現場へと駆けつけるも見えてくるのは……異様に破壊し尽くされた町の残骸。まさしく、残骸です。一気に数百年の時を経たかのように辺り一面風化したように、建物がぼろぼろに崩れ落ちて砂に埋もれている。
「本体は……ここじゃない、もっと向こうだよ」
 ナッツさんが指差す方へ全員が身構えた瞬間、僕も含めて硬直していました。この……異様な殺気に当てられたのは初めてでは無い。
 崩れていく町の残骸が、砂の中に崩れるたびに立ち上る土煙、そこから音も無く伸びてくる影がある。細長い蔦がしゅるしゅると伸びてくるんです。その、どこか異様なモノを殺気に当てられ動けずに僕らは呆然と見ていたのだと思います。
 黒い細長い影がどんどん枝分かれして、あちこちの破壊された建物の影から這い出して来てはこちらに伸びてくる。伸びる途中互いに絡み合い、太く収束され、それが平面的にうねるたびに残った建物に破壊が起きて崩れていくのです。
 平面に描かれた影が、立体を崩して進んで来る。
 黒い影の渦に飲み込まれ、瓦礫の山がそこに沈んで行くのが砂埃舞う景色の向こうにぼんやりと見え隠れしている。
「こっちに……来る?」
 それらの『破壊』が一歩、僕らに向けて歩を進めたのを感じている。
 はるか遠くにいるのに、数センチ距離が縮まっただけで……まるで空気が違う。
「だめだ……」

 動けない。

 動いたら『破壊される』
 無差別な殺気に当てられて、呼吸さえ今にも止められそうに息を呑むしかありません。瞬間的に蔓が延び、襲い掛かって来たのにも全員、無反応でした。
 音も無く、影のように実体が無い、平面に描かれた絵のようなものが幾筋も視界を遮り突き出されて来たのに、不思議とそれを目で追いかけるしかできない。
 漸く気が付く。
 僕らを留める殺気は、この影から僕らに向けて放たれているのではないのだ……と。
 全ての影が、僕らに触れることなく背後に通り抜けた事でふいと圧力が緩む。
「ヤだなぁ、もしかして鬼さん、僕しか眼中にないの?」
 振り返る事が出来ていた、声がした方へ、そこは中空で何も存在しないと思えたのですが、平面的でまるで立体感の無い影が浚った瞬間、何かがはじけるような音がして赤い旗を立てた少年が逃げ出すのが見えました。
「インティ!」
 僕は、咄嗟に防御魔法を働かせていました。影が通り抜け、あたりの建物が崩壊してそれらに巻き込まれると察したからです。
「この黒いものに触れない方がいいのか?」
 迫り来る蔦模様は手を伸ばせば届く距離にあります、ナッツさんの顔が引きつっている。
「もう逃げられないわよ……ッ!」
 大丈夫だ、この影は……
「避けた?」
 平面をなぞるように進む黒い影が、まるで触れられないように僕達を再び避けていったのをようやく理解したようでマツナギさんが目を瞬いている。
「何……だ、これは?」
「……」
 僕はしゃがみ込んで、ゆっくり黒い影に手を伸ばしてみせた。
 するとまるで蟻の群れが接触を拒むように、影はざわりと退避して触れる事を拒絶する。

 そうだ、これは……間違いない。

 なんて最悪の事態なんだろう、内心、血の気が失せる様な心地です。実際にふらつきそうになった足に賢明に力を送る。
「レッド!」
「どこに行くんだい!?」
 僕は、気が付いたら駆け出していました。足の着地する所を影が避ける、そうでしょう、ちゃんと影は僕らを認識している。大丈夫、これに僕らが飲み込まれる事は無い。
 今は、まだ。
「行くんですよ、」
 確実に影が、僕を避けて逃げていくのをいつしか、睨み付けていた。
「だ……大丈夫なのか、これ?」
「大丈夫ではありません」
 自分の感情の居場所が良く分からない。僕は自然と、表情を隠していました。
「だから、どうにかしなければ」

 これは、この影は……間違いなく彼だ。
 彼の、成れの果て。

 闇の上を駆け抜ける。
 ぞわぞわと揺れる闇の森を、全てを拒絶するように吹き付けてくる狂わしい殺意を、拒絶の空気を吸い込んで毒される事なく僕は、必死に足を運んで前へと駆けていました。
 闇は避けていく、慌てる様に僕の足元に正常な空間を作る。そこを蹴り上げては前へ進みました。立体感の無いそれは空間の、どこに依存して存在するのか全く分からない。足を踏み出せば安全な足場が出来るから、今はそれを信じて前に踏み出すしかなく、こんなに必死に自分の足で走る事の無い僕は息も絶え絶え、時に休憩を挟みながら前へ進みました。
 限界だ、魔法を使って移動しよう、そう考えてしまうのを何故か振り払う。自分の肉体に痛みを与え、そして同じ苦しみを共有したいと望むなんて、どうかしている。
 影が僕を避けていく、それをずっと、いつまでも間違いない事だと確認しなくては気が済まい。それは、影が僕をを認識しているという事です。まだ『彼』にはそれが出来ている。何処まで彼は僕を、認識し続けるだろうか?
 認識出来なくなって、破壊に巻き込まれるならそれはそれで良いのかもしれない。
 それで……すべてはもう台無しだけれども、僕が求めていたモノは手に入るのかも。
 崩れ行く壁に手を掛けて息を整えながらそんな事を考えていました。
 壁をのたうつ影が慌てた様に逃げて、僕の手を避けて引っ込んでいく。
 手を伸ばし足を運んでも逃げていく……闇。

 こんなに濃厚に辺りを取り囲んでおきながら触れられる事を拒み、追いかけても追いかけても逃げる。

 手を伸ばして、その影を掴もうとしてもどうしても届かない。
 ならば、届く所まで行こう。行くしかない、遠くで破壊音が新たに聞こえてくる。
 走り続けて、突如砂の混じった風が吹き抜け顔を庇うと、マントが逆風に翻り、風にもろとも吹き飛ばされそうになるのを耐えていました。
「!?」
 殺気が収束している。ぞろぞろと、闇が逆流を始めたのに僕は……目を見張っていました。
 違った破壊の衝撃が弾け飛び、襲い掛かってくるのに僕は、成す術も無く立ちすくんでいる。
 その破壊の衝撃を吸い込むようにして目の前で闇は濃くなって、物凄い勢いで逆流して行くのを見ていました。

「なんだお前……割と意識あったりするのか?」
 どこかおどけた声が反対側から聞こえてくる、けれどもそれに気をやる処ではなかったのです。
 自分の目の前に、たった数メートル先に、ずっと手を伸ばして探していたものがあるのだから。
 肩で息をするように丸めた背中が露になっていて、その背中を這い回る黒い蔦に目を奪われている。
「……ヤト?」
 右手に見慣れない剣を持っている、左肩から腕まで無秩序に覆い隠す鎧はただの金属片の寄せ集めにしか見えない。
 彼は、僕の呼びかけに振り返りませんでした。
 ただ、静かに肩で息をしている。

 苦しいのだろうか?まだちゃんと形を保っている事に僕は安堵し、彼の頭上に……青い旗を探す。
 喘ぎ声は聞こえないのに、まるで立っているのでやっとだというように痛々しく感じられる背中。そこをムカデが這うように蔦模様が這い回っている。

 知っているんです、僕はその異様な力の事を『知っている』

 僕は、その彼の頭上に『彼』を示す印が無い事に、途端力が抜けそうになって必死に踏みとどまる。
 そんなはずはないだろう、そんなはずはない。
 でも彼ならば、最悪こうなるだろうとは思っていました。でもそれは一番最悪な場合です、どうして貴方はいつもいつも……――
「おいおい、下がってろよ。殺しちまうぜ?」
 ギルから声を掛けられたのを、僕は無意味なものと感じて無視しました。
「やはり……やはり、こうなるだろうと思っていました」
 更に一歩前に踏み出して、手を伸ばす。
「何故貴方はいつも、僕が予測する最悪の未来を自らで齎す」
 さらにもう一歩前へ踏み出した時、僕はついにその影を踏む事が出来たのです。しかし途端に蔦を思わせる影が僕の足を絡み取って掴みあげ、気が付いた時には空中に弾き飛ばされていました。

 激しい拒絶ですね、……頭をしたたかに打ち付けて一瞬気を失っていたのでしょう、起き上がった時には彼と、再び致命的な距離が横たわっていました。
「……どうして……ッ!」
 そうして、破壊を生むだけの戦いが始まっていました。
 ギルと、ヤトと、二人の剣が交わるたびに周りが衝撃で弾け飛んで砂になり塵になり消え失せていく。ギルの巨大な剣を、青白い金属の塊を思わせる剣で受け止める彼は……ほんの数時間前までこの世界を救う側だったんですよ?

 今はそうではない、きっと違う。

 この目の前の破壊を目の当たりにすれば、彼の者が世界を救うとは誰も思わないだろうし信じられないでしょうね。
 彼の頭上に、赤い旗がある。
 彼はもう『彼』ではない。
 強制ログアウトも間近だったのです、彼が正しくログアウト出来たのか、そうではないのかはもはや分かりません。しかし『彼』が居なくなってしまったから、彼はついに恐れていた事態へと足を踏み入れてしまった。本来ならば彼が預かり持って居たはずの石、ナーイアストの石、いずれはデバイスツールへと変わるはずのそれを僕は懐から探り出して握り込む。今はまだこれに何の力も無い。いずれ、この石があの赤い旗を元に戻す力を理論的にどうやって齎すのだろうか。
 それは……ログアウトして、開発者達に聞き出さなければ分からない事です。
 彼がこれをナッツさんに預けていたのは……どうしてでしょうかね。何か虫の勘的なものでも働いたのでしょうか。ナッツさんが動揺していた隙に僕が持ち出して来たのは、当然これで魔王八逆星と交渉を行う為ですが……渡して良いものでしょうか。
 あの、赤い旗を灯した彼を、この石で元に戻す事が出来ると云うのなら……。

 戻したいと願う、この気持ちは一体、どういう打算から来ているものなのでしょうか。
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