18 / 22
たった一人のコドク
しおりを挟む
ちょっと道を逸れて歩いているとあっという間に原生林に迷い込んでしまう。ここは本当に、森の中に紛れ込む様に存在する不思議な庭なのだと思い知る。と、同時に少しだけ疑問もあった。
こんな森の真ん中に、人の手による管理を必要とするか弱き庭木の類を寄せ集めて……どうやってこれらを害虫から守っているのだろう、と。
ちょっとした園芸の知識があるからこそ、大自然のただ中にある人の手の管理を必要とする園芸種の、虫や病気への弱さを知っているからの疑問である。
朝食時の食堂は比較的穏やかだ。
静かと言って良い日もある。個々を利用する者達は、仕事の内容的にも夜仕事が多いとかで朝は遅くまで寝ている者が多いからだ―――と料理長が言っていた。その為、朝食は比較的軽い献立になっていて各自好きなものを用意されている中から選ぶ方式が多い。
インティから教えて貰った二階のテラス席で、形だけは本を積み上げながら軽い食事を戴くというのを覚えてしまった私である。
元々は西方貴族の城だと云う、一階の天井が高く作られている分、テラスは高く目の前にある庭が一望できる。
王の館の中庭も見事だが、薬草園も備えた広い、やや無秩序にも感じるこちらの庭も面白い。
親戚に庭を趣味にしている人が居て、その人から一方的に色々話を聞かされていた所為だろうか、花や草木を愛でる習慣が私には備わっているらしい。
そんなわけで、この城の奥にある図書館から……植物図録を見つけて今日はそれを眺めるつもりだ。
図書館、というのに私は縁が無かった。
実は文字の読み書きが苦手で、本と云う本を集めて在るという『図書館』なる施設の事は知っているが、全く縁の無い所だと決めつけていたな。
実際インティが言っていたこの城のそれは、大きな国が有するであろうそういう施設の物とは程遠い蔵書に留まるのだろう。それでも、壁一面、僅かな天井窓ギリギリまで積み込まれた本棚の数々に私は、少なからず眩暈がした。
少し読んでみたらいい、なんて勧められたが……この量で、どこから手を付ければいいのかも分からず何にも手が出せない。
インティは律儀にも、西方の歴史についての書物を約束通り、私の為に探して持ってきてくれたのだが全く、全くこれっッぽっちも読み進めることが出来ないでいる。……恥ずかしい限りだ。
自室に持ち帰っても構わないとの事だったので、無期限に借りる事にしているがまだ数ページしか進んでいなかった。西国ファマメントの近代史らしいが、建国についての諸説らしい項目からまだ抜け出せないでいる。
何故かって、インティにバレてしまった通りだな。
私は文字の読み書きが苦手で、自分で思っていたよりも読書能力が低かった。
仕事で接する指令所やら、報告書やら……そういえば報告書は本当に苦労した記憶しかない、肩書が付いてからは文章作成が得意な部下に丸投げする様にしていた位だ。
とにかく、仕事で読んでいた文章はごくごく分かり易い、要所要所を抑えれば問題の無い、簡単な文章でしかなかったのだと思い知ったものだ。
そこでインティが色々呆れて、あれこれ文字についての事を教えてくれながら云うには……西方国の文章は遠東方や南国、魔導都市なんかと比べればそりゃぁもう優しい文法だし難しい事なんかそんなにない筈との事だが……。
どうやら私が躓いているのは西方真政文字とかいうモノで、それが障害だと判明。そう、正しく私はこの西方国の正式文章にだけ使われている記号文字が苦手である事をインティに暴露するハメになってしまった。
報告書やらに使う真政記号文字は限られて来るから、意味が分からなくても使いどころさえ押さえていればどうにでもなっていたんだ。
しかし、それを実際の文法に混ぜ込まれてしまうとお手上げだ。
さっぱり意味が分からない。
インティは見た目子供だけれど……流石長年存在するかつての魔王を自称するだけある、私から見れば十二分に頭が良い様に思えた。
西方真政文字が読めない、という私の事情を知った時の、彼のあの驚愕した顔が忘れられない。と同時に、こちらは大変みじめな気持ちに陥った事をここに、素直に吐露しておこう。
「お兄ちゃんは見かけや言動に見合わず例のノウマデキンニクさんだったんだね……」
「え?何だって?」
「うんとね、そういう基本的に力で全部解決するのをノウキンって言うらしいよ」
オウサマが言ってた、と無邪気に笑って云われた訳だが。
……意味は良く分からないが多分、いや間違いなく……これは貶されている部類なのだろう。
しかし否定が出来ない、正しく私は正義こそ力として自分が存在していれば良いと思っていたし、報告書作成なんて出来る部下がやれば良いのだと自身の努力を見事に怠ったのだ。
私は、ここに来て初めて自らの弱点を受け入れたのである。幸いな事に、西方真政文字についての辞書もこの城には備わっていたので、それも併せて貸し出して学習も兼ねて必死に歴史書に挑んでいる最中にある。
全く、この魔王の庭に来て私は、続々と自らの弱点を暴かれてしまっているな。
いや、悪い事ではない。自分の弱さを知れると言う事は大切な事だ、知ったからには克服する努力をせねばなるまい……正直、かなり滅入っている訳だが。
すっかり煮詰まった私は、鬱憤を晴らす為にも庭の散歩を楽しむようになっていた。その後少し森に入って自主的な鍛錬などもする。どうにも、庭の花を見て回るのは嫌いではない事が分かって来た。そういう自分の特性を新たに見つけられたのもこの庭のお蔭か。
庭に在る、草木の名前を憶えられたら良いなと、思うようになっていた。
庭師に会った時、気になった植物の事など聞き質す様にしていたが……彼らの手を煩わすのもどうだろうか。
手元に、西方真政文字の辞書を見て……植物などの図録があるのではないかと思い至るに時間は掛からなかった。
薬草園は、実に巧妙な作りになっている事を知った所から私の興味は本格的に草木の生態への興味に移った。
朝食を食べながら、植物図鑑を眺めるのがこの所私の楽しみになっている。
詳しい仕組みは分からないのだが、草木の生態には相性というものがあるようで、自分の周りに他の植物が育たないように阻害する種などもあるらしい。
同時に、食害する虫や動物を避けるために様々な手段を用いている。
薔薇に棘があるのはそれなりに意味のある事と知って私は、酷く驚いた位だ。一種植物に毒性があるのだって、食害されるのを防ぐためと知って奥が深いと感じ入る。
フリードの部隊の一つ、館や庭の管理を行っている部署の庭師長、ツヅラ氏といつしか仲良くなっていた。
薬草園の構造として外周には虫を避ける作用のある香りの強いものが集められていてるらしい。他の薔薇園でも周囲にはまずそういった薬草園で囲む事が肝要だ、との事。
植物図録を得て初めて気が付いたのだが、森と庭の境にも工夫がなされている。一見無造作な森に見えて、ユーカリ類や柑橘類が植えられている様だ。ただ、それら樹木の勢いは弱く、都度植樹されている所環境的には適合していないのかもしれない。
それにしても……一般的に、害虫と呼ばれる虫の類が少ない気がする。夜明かりを灯していても寄って来る虫は少ない。
親戚の庭好きが虫などを除く為に様々な工夫を重ね、時に精製した油などを大量に撒いている努力を知っているし、……この庭にたどり着くまでの間、焚火を起こせば様々な虫が飛んできて火に入り、爆ぜているのを見て来た。
ツヅラ氏が自慢する通り、庭の土はとても栄養価が高い。飛んでいる虫は少ないのに土の中に潜む幼虫の類は数えきれない。根を食む種類の虫は、飼っている鶏などのえさとして与えてる、とか。
「庭管理はまだ楽なもんじゃが、問題は野菜園だの」
藍で染めた手ぬぐいを首に巻き、背中に園芸道具をぶら下げた巨大な籠を背負ったツヅラ氏は野菜園は見た事あるか?という視線を私に向けた。
「菜園……ですか。この辺りは良く散歩するけれどそれは……見た事が無い、どこにあるんですか?」
「そこは我々クズ部、それからアサ部との共同戦線となっておっての、見てみるかい?」
ちなみに、フリードが率いる管理部の名前はそれぞれ植物の名前が当てられている様で、ツヅラ氏の庭管理部が葛、物資調達部隊は麻が当てられている様だ。何か因果的な名称になっているらしいのだが、私にはよくわからない。
「是非、見学してもよろしいのであれば」
「ふむ、物資調達部は御存じかね」
案内されるまま、歩きながらツヅラ氏が尋ねて来た事に私は頷いて答えた。
「アサ部と呼ばれるところでしょうか。大麻の看板があって、てっきり麻薬精製でもしているかと思って一度誤って押しかけた事があります」
私の返答に、ツヅラ氏は一瞬視線を遠くに投げた。
「……似たようなモノじゃが」
「え?」
にっこり微笑んでツヅラ氏はこちらを振り返った。
「いや、知っているなら話は早い。そのアサ部の奥が菜園になっておる」
私は、かつて麻薬製造部なのかと思って蹴り込んだ一つの大きな館を思い出していた。
実際そこは物資調達部という所で……この広大な庭に暮らす人々が、必要とする物資を揃えたり管理したりしている部署であって倉庫業も兼ねている所だった。
そう理解して、突然蹴り入った事を平謝りしたものだった。
大麻は、国によっては規制が緩いらしいがファマメント国では育成も個人では禁じられている。政府に管理された所でしか育成および精製されていない。それが有用な植物である事は知っている、特殊な薬品を生成出来て、その残りに出来る繊維質が様々な物資の材料となる。しかし薬品精製の過程において悪用を懸念され、ファマメントにおいては完全に国運営の管理下になったと聞いていた。私はその事情が頭にあったため、悪用薬品の生成現場があるのではないかと思って突撃した訳だが……。
自国で、管理課の下に育成されている通り、サ部での大麻育成もそこから何ら逸脱するものではなかった様だ。管理長のカンナ氏から、物資調達部についての説明を受けてファマメントと同じく有用な麻から有益な物資を作り、それを元に外部へと売りに出して対価を得て庭に必要な物資を揃えていると聞いて麻育成には納得が行った次第である。
「アサ部は……かなり大きな館でしたね」
「倉庫も併設されておったろう?」
館もかなり大きくて、中心に王の館と同じく広大な庭があった。そこでは例の麻を栽培している様だったが、もしかしてそのさらに奥には野菜園があったのだろうか?
「倉庫をな、このように」
ツヅラ氏は立ち止まり、手に持った杖で地面に、長方形で現した倉庫をいくつか描いて行く。
成る程……倉庫を8つ並べて正方形で囲んでいるらしい。その中央に野菜園があるのだと云う。倉庫群が随分広くて関心していたが、そういう事情だったのか。
「随分厳重に管理しているんですね」
「食用となると、狙う害虫も多くてのぅ」
「ああ、やはり害虫は問題ですか」
「勿論だとも、ある程度はコドク様が追っ払ってくれるが、そもそもコドク様自体が害虫であるのだから……野菜園はのぅ、戦場じゃよ」
戦場だと言われ、少なからず軍人である私の血は踊った事を素直に吐露しておこう。
戦う必要が有るというのなら喜んで加勢しよう、などとも思った事を正直に言っておく。
実際アサ部の倉庫群に近づいてみると、確かに只ならぬ武装をした物資調達担当のアサ部と、館庭保全担当であるクズ部の屈強な者達が厳重に巡回していた。
敵は、どうやらまだ来ていない、と云った所か……。
ラベンダーの株がずらりと低い生垣を作ってある。その内側に足を踏み入れた時、ツヅラ氏が心なしか緊張したように背筋を伸ばして言った。
「ここから中は特例地区と相成っております」
「特例、地区ですか。どのような?」
「コドク様を討って良い事になっております。むしろ、この中にいるコドク様は害虫として認知され必ず殺す事、必殺の掟が適応されております故……ジャン様においても、是非そのような非常の事態にはお力を添えて頂けますよう」
「……了解した。……というか、コドクというとあの……」
毛虫、の事だよなと私は……庭のあちこちで見かける事が出来る、人の腕程も在る巨大な、芋虫を振り返り見ていた。
どこにでもいるのでもはや意識もしていない、実際、今抜けて来た林にもそれらが居て、振り返ってその芋虫を目視する事が出来るのだ。
一応、『彼ら』の生態については理解している。
白っぽい緑色の芋虫の外見で、申し訳程度に毛が生えているがこれが大変な毒を含んでいるので素手で触らない様に、との事だった。
最初は勿論あまりに大きな虫でびっくりしたが、近づいても逃げるでもない、こちらに向かって来るでもない。のんびりと草を食んでいるだけの芋虫から敵意を受けることも無いので何時しか、そこら辺にある自然の一部として認識するようになっていた。
……若干の現実逃避も含まれているな。
正直芋虫は、好きではない。どちらかというと苦手意識が働くのは……庭好きの従弟の所為だろうか?大抵毛虫というものは庭木の食害を齎すので、少なからず従弟は敵意丸出しだった。見つければすぐにも庭師を呼びつけて駆除していたものだ。
たまに見かける位ならそれでいいだろうが、この悪の集う庭にあのコドクという芋虫は……そこらじゅうに居る。草木がある限り居る。庭園にも入り込んで来る。それらは庭師連中が丁重に、森の方へ退場願って毛に触らないように気を付けながら駆除しているのを知っている。
私はそれを応援し、積極的にコドクを庭から追い出す作業をする気にはならない位には……ええと、まぁ……虫は嫌い、という事だな。
そして稀に……特に云うと王の庭での目撃率が高いのだが……幼子の姿をして両足で飛び回り、羽を纏ったコドクを見る事がある。羽はあるが飛んでいるのは見た事が無い。しかし、地上を跳び回るように遊ぶ姿が特徴的だ。
遭遇率は極めて稀なのだが、あの芋虫からどうにも成長したらしい姿の幼コドクが庭を走り回っている事がある。その時もやはり庭師はそれらを必死に追い払っている様だった。植物を食い荒らされるのには変わり無いのかもしれない。
言葉は通じているのか、しかし敵対性は無い様で大声を上げて恫喝するだけで楽しそうに逃げて行く所、外見はともかく要するに……フツーに虫の一種なのだなと私は思うのだった。
あとは……もう一つ、コドクと言えるモノを知っている。
成人女性の姿をして、言葉を話す。
蝶の様な派手な色彩の羽を持った個体だ。
この悪の集う庭の、女王としてのコドク。
曰く、コドクはすべからく虫であり毛の毒性が極めて危険であるので、害虫として扱い触らない事が推奨されている。
それでもコドクは庭を守る、第一の守護者なのだ。
「そうか、害虫が少ないのはもしかして、コドクが居るからなのか?」
「そうですな、どうやらそういう事の様で。わしも先任者から聞かされている通りなので少々半信半疑ではありますがのぅ。虫の世界にも序列はあるようです」
と言ってツヅラ氏はアサ組の倉庫の一つに案内してくれる。薔薇が植えられているのはこの森では常で、倉庫の壁にも這うようにオールドローズの木が生い茂っていた。
「ご覧ください、アブラムシがおりますな」
「ああ、でもあまりこの庭の薔薇には付いてない気がするけど」
「観賞用は花の育成に影響を与えますからな、しかしここではあえて、アブラムシを放っております」
「……あえて?」
「左様、同時にその守護者たる蟻も生息しております」
足元に、蟻特有の巣の盛り土がいくつもあった。
「アブラムシの守護者?」
「共存関係にあるのです、アブラムシが出す甘露はご存知かな」
知っていると思う、虫に毒された薔薇は触るとベトベトする、あれの事だろう。
「これを、どうにもアリは好む様で……」
ツヅラ氏は薔薇の葉を何枚か捲る様にしながら何か探している……と、ようやく見つけたようで手招きする。
「こちらはテントウムシの幼虫になります、アブラムシを食べる、薔薇を育てるものには福音たる益虫です」
「そうなんだ、見た目すごい凶悪だけど」
この凶悪な小さな毛虫が可愛らしい模様を背負った甲虫になるとは、にわかに信じがたい。
「ほっほ、確かに。アリはこのアブラムシを食べるテントウムシの幼虫を攻撃するのですな」
「ははぁ、なるほど……面白いな」
「面白いのはこれからですぞジャン様、こんなものは所詮大きな世界の小さな一例に過ぎない事です」
そんな話をしつつ倉庫の一つの中に入った。ここは、食糧庫かな……それらを無視してツヅラ氏は倉庫を横断し、反対側の扉へ抜けて……八つの倉庫に守られた秘密の菜園へを私を導いてくれた。
成る程、普段目にする事が無いわけだ。薬草園の様に区画整備された畑に見覚えのある野菜が管理、育成されている野菜園がそこには広がっていた。
外苑として小さな用水路があって、そこをきれいな水が流れている。
「見ての通り、あまり広いものではありません。生産量は微々たるものです」
「これで?結構広く感じるけれども……」
「比較的多種を育てている所為でしょう、麦や米などは到底育てられません。生産性の高い瓜系、茄子、馬鈴薯や一部の葉物野菜などを育てております。野菜の育成にはなかなか知識が必要でしてな、中でも肥料と、虫や疫病を回避させる事は至難の業なのです。このように必死に隔離しても、一体どこから入り込むのやら。害虫や虫は勿論、それらが運ぶ植物の病も収まりません。やはり辺り一帯森に囲まれている所為でしょう、ここは、食性生物にとっては天国にも見紛う魅力ある楽園になるのでしょうなぁ」
今まで散策していた庭を管理する庭師の、倍以上の人がせっせと畑を行き来しているのが伺える。
屎尿を使った堆肥なんかも作っているのだろう、ある意味牧歌的な……畑特有と云える匂いも俄然強い。草木を大きく育てるにはそれなりの肥料が必要だと云う知識はある。水と、臭い匂いを放つ肥料を運んでは土に撒き、何処からともなく入り込んで来る雑草を引き抜いて、病気などが無いか見回りつつ出来上がった収穫物を適正な時期を見計らい収穫する。
そう云った、多くの人手に賑わう畑を私はしばらく物珍しく見ていた。
籠っているかと思ったが、存外良い風が吹いて来るので畑全体を見回して見る。周囲をすべて大きな倉庫に囲まれてはいるが、四方に大きなアーチ状の門があって風は、そこから入り込むように設計されている様だ。外に開けたそこにも厳重に武装した兵が置いてある。
畑泥棒でも出るのだろうな、と思った矢先だった。
西側に向いている門から兵士が数人駆け込んできた。
「第一防衛ラインに敵影あり!」
その報告を聞いた途端、全員が仕事を投げ出して……一斉に、駆けだした。近くの倉庫に入って、それでどうするのかと思ったら外を巡回する兵士のような特殊武装を固めてぞろぞろと出てくる。
「敵影?」
私も、警戒をして帯びた剣の保護を解除する。
「ジャン殿、その装備で戦うのは無謀ですぞ、今回は我々に任せて頂きたい」
「装備って、あの……完全武装の彼らみたいに?」
この畑の兵士たち、全員……足の先から頭の上まで、重歩兵装備と云われる武装で固めている。緊急配備で集まって来ている者達も出来る限り全身を覆う装備になっているのが分かる。
「そうです、相手はコドク様ですからな、ジャン殿はコドク様に刺された事はおありですかな?」
甲高い笑い声を響かせて、コドクの幼生が走り込んできたのに兵士たちが、一斉に動いた。
一人、いや一匹ではないな!?倉庫の外でも何やら怒号が聞こえる、第一防衛ライン、とやらを突破して来たコドクが笑いながら、飛び廻りはしゃいでいる気配がする。次々に飛び跳ねるコドクの幼生が西の門から飛び込んでくるのを、巨大な槌や網を手に持った兵士たちが迎え撃った。
フルプレートの兵士が決死の覚悟で抱きかかえて捕らえ、網で絡み取り……槌で叩き潰す。
「ツヅラ殿!そこは危険です、一旦退避願います」
誰かの声に、ツヅラ氏は私の腕を取り引っ張ろうとしたが……私は事の顛末を見届けたかった為に踏ん張ってしまった。
「ジャン殿!危険です、蔵の中に避難を」
「いや、見せてくれ」
「なりません、思っていた以上に群が大きい、このままでは畑が全滅なのです」
「猶更見捨てられないだろう、私も加勢しよう、ここでなら害虫駆除は合法、なのだろう?」
「ですからその装備では成りませぬ!刺されますぞ!」
「一回刺されて苦しまねぇと学習しないタイプなんだろ、見上げた頑固者だぜぇ」
聞き慣れた声に私は顔を上げていた。倉庫の高い屋根の上に黒い影が見える。
「レギオン?」
「いやぁ、どこ行くのかなぁって尾行してたんだけど」
それは、気が付かなかったな……悪意が無いとそういう気配にはどうにも気が付けない。屋根から軽々と飛び降りて来たレギオンにツヅラは少し慌てたように後ずさる。
「レギオン様、このような所に珍しい……」
と、ツヅラは口鼻を抑えている所……レギオンの従属匂に耐性が無い方なんだろう。一目散に蔵の中に駆け出して行ったのを私は見送ってしまった。
「おたく、何してんの?」
「何って、ツヅラ氏から菜園というのを見学させてもらっていたんだが」
「こんなハッパ見て何が楽しいんだよ。あ、ヤクはキメる方だったりするのか?だったらここじゃなくて」
「レギオン様!」
くぐもった声を上げながらツヅラが大急ぎで戻って来た。どうやら……他の兵士の様に装備を整えて来たらしい。全身を覆い、マスクらしいものが付いている兜をかぶって戻って来たのだ。
「ジャン様を説得して退避願います!大変な事になりまする!」
「いやぁ、俺様ってばちょっとソレを期待してたりするのよ、解る?ジャン君、刺された事無いらしいじゃんか」
「……経験させるおつもりですか!ジャン様、私の背負う籠に予備の兜がありますのでそれを!コドク様の毒針は、目には見えませんぞ!」
「こーいう事だよ」
と言って、レギオンが……腕を上げる。彼は体臭が特異な能力を持つので全身をしっかりと覆う様な服をしているのだが……ナイフで、腕の装備を切り裂いて見せた。
傷だらけの生腕が現れて、それを……少し西側の門の方へ向ける。
途端腕が赤く膨れ上がり紫色に変色、急激に爛れて行くのを見てツヅラが私を問答無用で押し倒す。
「毒性針がこちらまで来ております!」
私は状況を理解し、生身を晒している首から上を思わず庇った。勧められるままにツヅラから兜を受け取り被り、露出する首をされるが侭に手ぬぐいで被ってもらう。
習慣として手袋をしていたのでとりあえず、露出している所は他には無い。
「アステラを呼べ!」
「伝達済みです、間も無く来るかと!」
騒がしいそれらの声を聴き、ツヅラは私と一緒に伏せたままで深いため息を漏らした。
「どうやらすべて駆除したようです、間も無く衛生保健部が来ます」
「レギオン、大丈夫か!?」
「大丈夫な筈ねーだろ、あー、ビンビンにキてやがるよえっへへへ……」
レギオンの露出させた左腕が、完全に壊死寸前でぶら下がっているのを見て私は、息を呑んだ。
「こんなふーにだなー、もー、さいあくなー、どくせいがー」
レギオンは何故か、酔っぱらっている様に体が揺れ始めて呂律も回っていない。
「お、おい……レギオン!?」
「針一本で肉が融ける程の毒性を発揮します、針はコドク様から抜け落ちた途端に毒性を発揮する為、駆除した場合飛び散った針が……無数散乱する事になりますので」
「レギオンは大丈夫なのか?」
「アステラ部が間も無く来ます、間に合うでしょう。常人であればショック死もありうる痛みがあるとの事ですが……まぁ、レギオン様なら」
苦笑うツヅラ氏の隣についに倒れ込んだ、レギオンが体を痙攣させながら笑っている。
「ふへへへ……さいこうだー、さいこうにいたくてきもちいいいいいい」
雨が降り始めた。
晴れているのに……と思って顔を上げると、倉庫の屋上から水を振りまく人影を見る。
「あれが、衛生保健部か」
「左様です、今回の襲撃はかなり大きかった様ですな、いやはや運の悪い」
「いや、私の方こそ助言に従わず、心配をかけてすまない……」
ようやく立ち上がり畑の状況を見る。無事瀬戸際での駆除に成功したようだ。ただし辺り一帯毒針が飛んでいるのでそれを、フリードが統括している衛生保健部……菊の花の部隊だが……彼らによって浄化する必要が有るのだろう。
「やはり、この時期は襲撃が多い様だなツヅラ」
屋根上から聞こえるこの声は……
「おお、ご足労掛けるなカミツレイ殿」
屈強な体躯に、白い歯を見せて笑うキク部隊のカミツレイが大きく手を振っている。
と思ったら……衛生保健部の長カミツレイは4階相当の高さは在ろう屋根の上から、大きな仕事道具を背負ったまま飛び降りて来て地鳴りと共に着地する。
この身のこなし、体格で医者だというのだから人は見かけによらないものだ。
「全く、レギオン殿も酔狂な事をなさる、他の部隊の連中なら解毒などせず放っておかれてしまいますぞ」
「えっへへへ……まぁそういうなー、こういう、シゲキはー、おれのー、じんせいにはー、ひつようなんだー」
「ジャン殿、驚かれておりますな……しかしレギオン殿は常習犯なのです。稀にこのように、あえて毒虫にちょっかいを出してよくよく担ぎ込まれてきます」
この男は……本当に良く分からない性癖をしている。
「ご安心ください、段々耐性が付いて来ているとのピーター女史のお話ですし血清もありますのですぐに良くなります。この腕については、まぁピーター女史がなんとかなさるでしょう」
血清らしいものを腕の根元から打ち込こまれ、レギオンはなお一層びくびくと痙攣して大の字で転がっている。アステラ部のカミツレイ氏はそれを放置して、他の部隊の指揮に行ってしまった。
「じゃーん」
呼ばれて、私はレギオンに近づき片膝をついて答えた。
「すまないな」
「そんなやさしー、じゃんくんがー、おれさまー、だいすきー」
何はともあれ私の好奇心の所為でレギオンが……勝手に体を張ってくれたのだから、それに向けては多少の責任は感じている。しかし尾行されていたとは、何時からだ?案外、何時もだろうか?
……今後から気を付けなければ。
アステラ部が降らす浄化の雨は、毒針を溶かして無毒化する様に調整された魔法の一種らしい。
他に習い、私は兜を脱いだ。
細かい雨が服に染み入っていくがすぐに蒸発するように気化していく。その所為で局地的に気温が下がった気がする。
収穫の多くなる頃には、どうしてもコドクの襲撃が増えるのでアステラ部も菜園警備に少し配備した方が良いのでは、という話をカミツレイ氏が提案して来た。それに対しツヅラ氏は首を横に振る。
「この菜園は採算性がありませぬ。しかしフリード様が天然の、新鮮な食材を王に提供したいという願いの元に様々な試行錯誤、実験も兼ねて運営されているもの。今後も、有事の際に応援を要請する程度で構わんでしょう。それに、」
レギオンの側で待機する私に向けてツヅラ氏は振り返って言った。
「この菜園があるからこそ、他の庭への致命的な、コドク様の襲撃はありません」
アブラムシを、あえて放ってある薔薇の木の事を私は、即座思い出していた。
「ツヅラ殿、本日は色々と本当にありがとうございます」
「いやいや、言葉で説明するに足らず、この様な騒動に巻き込んでしまって申し訳ない」
「レギオンの言った通りだ、実際刺されて痛い目でも見ないと納得しない所があるよ、私には」
苦笑して、未だぐったりとして時折痙攣を繰り返しているレギオンを肩に担いだ。
「この男は私が運んでおこう」
多分、そうしないとレギオンは自力で動くか部下達がやってくるまでここに放置されるんだろう。
この庭における、とくにフリードの部隊との関係性を見ているとそうなる事が予想される。本来もっと険悪な関係なのはこの目で見て来た、アステラ部だけが多少、寛大なのだ。他の部隊とでは、下手すればトドメを差すような事もされかねない程フリードの部隊がレギオンを憎んでいる事は知っている。
「やったー、じゃんくーん、やさしー」
ぐったりとした声でそんな事を言われても心配なだけだ。多分、人が言う通り心配する程の事ではないのかもしれないが……私には他の人がそうする様にレギオンを放っておけない。
「毒は全身に回るのか」
「さされすぎるとねー、ええとー……二次的な、」
咽たような咳を零したので驚いたが、どうやら解毒が効いて来ただけらしい。
「なんでもこう、二段階毒性とかでな……それが疝痛になって体中を巡っちまうらしい。それがまぁすんげぇ痛ぇから」
それは……刺されなくて良かった。
コドクに対する認識がもう一段階危険と嫌悪になってしまったのを私は、やっぱりそこらじゅうにいる芋虫を見ていて抑えきれない。
「いやでもなぁこの痛みがさー、もー堪んないくらいにイイんだわ、なんとか初期毒性無視して二次毒だけ抽出してくんねぇかなぁ」
「じゃぁお前はあのコドクの芋虫に、嫌悪感とかは無いのか」
「あ?けんおかん?好きか嫌いか、って奴で言うなら俺、コドクちゃんの毒性はだーいすき」
私は、……好きに成れそうにないな。そういう横顔を見られていたようでレギオンは笑いながら言った。
「お前、キライに成るのを全体的にケンオしてんだろ」
嫌悪か、
「……ああ、どうやらそうらしい」
相手は虫だ、とはいえ。嫌いという感情に良い事など何一つない事を私は知っている。
「おエラいこって!奴らは虫だぞ、しかも害虫だ。奴ら害虫認定されて嫌われてる事くらい承知だよ」
「虫なのに?」
「おおっと、そうだな……そういう思考すら無ぇかもしれねぇな、ケケ」
ピーター女史の家まで、私はしばらく無言で森を歩いていた。レギオンは回復したのかまだ痺れているのかよくわからないが……とりあえず、大人しくしているので担いだままだ。怪我人には違いないのだし、このまま運んでやることに異論はない。なんかちょっと変な気配は感じるけど……ここは我慢しよう。
「女王には会った事があるか、レギオン」
「一応はな、お前もそう聞くって事は会ったんだろ?」
「この森の王と共存関係だと言っていた。しかし実際は……森を食い荒らす害虫でもある」
「聞いた話によると一度、庭の連中はコドクを殲滅しようとしたらしいぞ。害虫だからな」
「……」
「けどなんか、そん時オウサマが女王をかばったらしいな、生き物なんだからそんな都合で殺し尽くしてしまうのはどうだろうか、とかなんとか。もしかすると逆に食い殺されちまうかもしれねぇってのに、ウチのオウサマはのんきなもんだぜ」
「あの毒性だ、世に在れば……必ず殲滅の方向で事が運ぶだろう。毒がより強烈なものになっていったのは、もしかするとその所為かもしれない。嫌われて、忌避されて、追いやられた末に何者とも寄り添えない孤独な存在になってしまったのかもしれない」
「相変わらずお前の考え方はやっさしーよなー、どうしたらそういう考え方になるんだよ」
「お前だって、一人が耐えられないんだろ?そういう生態だって自分で言ったじゃないか」
レギオンは『群体』で、一人が寂しいから自動的に周りを自分に引き寄せてしまう特性を持つ、と……自覚している筈だ。彼は、何も分かっていないように粗暴に振る舞うが多分……いろんな事を分かっていると私は、思っている。
「言ったけど、だから何だよ」
「コドクだって一人は寂しかったのだろうと言ってるんだ。誰とも寄り添えない、共存も出来ない。そういう存在に至っていたのなら、王の言葉はどれだけ在り難く女王に響いただろうか」
「……」
「そう考えると、あの何でもどうでもいいと許してくれる王は、恐ろしいな」
「……ケッ」
この庭に、あらゆるものが許されている。
悪も毒も、正義も平穏も全てが、王の御許には平等に。
「おまえもその恩恵に与っている一人なのだろ?」
「やーだなー、そういう所がなんか気に入らねぇのよ俺様」
「だったら庭から離れればいいのに」
「そしたら、俺様速攻クジョされちまうだろ、多分」
悪は、この庭に許されている。
この庭にだけ、許されて悪は、集っているのだ。
終
こんな森の真ん中に、人の手による管理を必要とするか弱き庭木の類を寄せ集めて……どうやってこれらを害虫から守っているのだろう、と。
ちょっとした園芸の知識があるからこそ、大自然のただ中にある人の手の管理を必要とする園芸種の、虫や病気への弱さを知っているからの疑問である。
朝食時の食堂は比較的穏やかだ。
静かと言って良い日もある。個々を利用する者達は、仕事の内容的にも夜仕事が多いとかで朝は遅くまで寝ている者が多いからだ―――と料理長が言っていた。その為、朝食は比較的軽い献立になっていて各自好きなものを用意されている中から選ぶ方式が多い。
インティから教えて貰った二階のテラス席で、形だけは本を積み上げながら軽い食事を戴くというのを覚えてしまった私である。
元々は西方貴族の城だと云う、一階の天井が高く作られている分、テラスは高く目の前にある庭が一望できる。
王の館の中庭も見事だが、薬草園も備えた広い、やや無秩序にも感じるこちらの庭も面白い。
親戚に庭を趣味にしている人が居て、その人から一方的に色々話を聞かされていた所為だろうか、花や草木を愛でる習慣が私には備わっているらしい。
そんなわけで、この城の奥にある図書館から……植物図録を見つけて今日はそれを眺めるつもりだ。
図書館、というのに私は縁が無かった。
実は文字の読み書きが苦手で、本と云う本を集めて在るという『図書館』なる施設の事は知っているが、全く縁の無い所だと決めつけていたな。
実際インティが言っていたこの城のそれは、大きな国が有するであろうそういう施設の物とは程遠い蔵書に留まるのだろう。それでも、壁一面、僅かな天井窓ギリギリまで積み込まれた本棚の数々に私は、少なからず眩暈がした。
少し読んでみたらいい、なんて勧められたが……この量で、どこから手を付ければいいのかも分からず何にも手が出せない。
インティは律儀にも、西方の歴史についての書物を約束通り、私の為に探して持ってきてくれたのだが全く、全くこれっッぽっちも読み進めることが出来ないでいる。……恥ずかしい限りだ。
自室に持ち帰っても構わないとの事だったので、無期限に借りる事にしているがまだ数ページしか進んでいなかった。西国ファマメントの近代史らしいが、建国についての諸説らしい項目からまだ抜け出せないでいる。
何故かって、インティにバレてしまった通りだな。
私は文字の読み書きが苦手で、自分で思っていたよりも読書能力が低かった。
仕事で接する指令所やら、報告書やら……そういえば報告書は本当に苦労した記憶しかない、肩書が付いてからは文章作成が得意な部下に丸投げする様にしていた位だ。
とにかく、仕事で読んでいた文章はごくごく分かり易い、要所要所を抑えれば問題の無い、簡単な文章でしかなかったのだと思い知ったものだ。
そこでインティが色々呆れて、あれこれ文字についての事を教えてくれながら云うには……西方国の文章は遠東方や南国、魔導都市なんかと比べればそりゃぁもう優しい文法だし難しい事なんかそんなにない筈との事だが……。
どうやら私が躓いているのは西方真政文字とかいうモノで、それが障害だと判明。そう、正しく私はこの西方国の正式文章にだけ使われている記号文字が苦手である事をインティに暴露するハメになってしまった。
報告書やらに使う真政記号文字は限られて来るから、意味が分からなくても使いどころさえ押さえていればどうにでもなっていたんだ。
しかし、それを実際の文法に混ぜ込まれてしまうとお手上げだ。
さっぱり意味が分からない。
インティは見た目子供だけれど……流石長年存在するかつての魔王を自称するだけある、私から見れば十二分に頭が良い様に思えた。
西方真政文字が読めない、という私の事情を知った時の、彼のあの驚愕した顔が忘れられない。と同時に、こちらは大変みじめな気持ちに陥った事をここに、素直に吐露しておこう。
「お兄ちゃんは見かけや言動に見合わず例のノウマデキンニクさんだったんだね……」
「え?何だって?」
「うんとね、そういう基本的に力で全部解決するのをノウキンって言うらしいよ」
オウサマが言ってた、と無邪気に笑って云われた訳だが。
……意味は良く分からないが多分、いや間違いなく……これは貶されている部類なのだろう。
しかし否定が出来ない、正しく私は正義こそ力として自分が存在していれば良いと思っていたし、報告書作成なんて出来る部下がやれば良いのだと自身の努力を見事に怠ったのだ。
私は、ここに来て初めて自らの弱点を受け入れたのである。幸いな事に、西方真政文字についての辞書もこの城には備わっていたので、それも併せて貸し出して学習も兼ねて必死に歴史書に挑んでいる最中にある。
全く、この魔王の庭に来て私は、続々と自らの弱点を暴かれてしまっているな。
いや、悪い事ではない。自分の弱さを知れると言う事は大切な事だ、知ったからには克服する努力をせねばなるまい……正直、かなり滅入っている訳だが。
すっかり煮詰まった私は、鬱憤を晴らす為にも庭の散歩を楽しむようになっていた。その後少し森に入って自主的な鍛錬などもする。どうにも、庭の花を見て回るのは嫌いではない事が分かって来た。そういう自分の特性を新たに見つけられたのもこの庭のお蔭か。
庭に在る、草木の名前を憶えられたら良いなと、思うようになっていた。
庭師に会った時、気になった植物の事など聞き質す様にしていたが……彼らの手を煩わすのもどうだろうか。
手元に、西方真政文字の辞書を見て……植物などの図録があるのではないかと思い至るに時間は掛からなかった。
薬草園は、実に巧妙な作りになっている事を知った所から私の興味は本格的に草木の生態への興味に移った。
朝食を食べながら、植物図鑑を眺めるのがこの所私の楽しみになっている。
詳しい仕組みは分からないのだが、草木の生態には相性というものがあるようで、自分の周りに他の植物が育たないように阻害する種などもあるらしい。
同時に、食害する虫や動物を避けるために様々な手段を用いている。
薔薇に棘があるのはそれなりに意味のある事と知って私は、酷く驚いた位だ。一種植物に毒性があるのだって、食害されるのを防ぐためと知って奥が深いと感じ入る。
フリードの部隊の一つ、館や庭の管理を行っている部署の庭師長、ツヅラ氏といつしか仲良くなっていた。
薬草園の構造として外周には虫を避ける作用のある香りの強いものが集められていてるらしい。他の薔薇園でも周囲にはまずそういった薬草園で囲む事が肝要だ、との事。
植物図録を得て初めて気が付いたのだが、森と庭の境にも工夫がなされている。一見無造作な森に見えて、ユーカリ類や柑橘類が植えられている様だ。ただ、それら樹木の勢いは弱く、都度植樹されている所環境的には適合していないのかもしれない。
それにしても……一般的に、害虫と呼ばれる虫の類が少ない気がする。夜明かりを灯していても寄って来る虫は少ない。
親戚の庭好きが虫などを除く為に様々な工夫を重ね、時に精製した油などを大量に撒いている努力を知っているし、……この庭にたどり着くまでの間、焚火を起こせば様々な虫が飛んできて火に入り、爆ぜているのを見て来た。
ツヅラ氏が自慢する通り、庭の土はとても栄養価が高い。飛んでいる虫は少ないのに土の中に潜む幼虫の類は数えきれない。根を食む種類の虫は、飼っている鶏などのえさとして与えてる、とか。
「庭管理はまだ楽なもんじゃが、問題は野菜園だの」
藍で染めた手ぬぐいを首に巻き、背中に園芸道具をぶら下げた巨大な籠を背負ったツヅラ氏は野菜園は見た事あるか?という視線を私に向けた。
「菜園……ですか。この辺りは良く散歩するけれどそれは……見た事が無い、どこにあるんですか?」
「そこは我々クズ部、それからアサ部との共同戦線となっておっての、見てみるかい?」
ちなみに、フリードが率いる管理部の名前はそれぞれ植物の名前が当てられている様で、ツヅラ氏の庭管理部が葛、物資調達部隊は麻が当てられている様だ。何か因果的な名称になっているらしいのだが、私にはよくわからない。
「是非、見学してもよろしいのであれば」
「ふむ、物資調達部は御存じかね」
案内されるまま、歩きながらツヅラ氏が尋ねて来た事に私は頷いて答えた。
「アサ部と呼ばれるところでしょうか。大麻の看板があって、てっきり麻薬精製でもしているかと思って一度誤って押しかけた事があります」
私の返答に、ツヅラ氏は一瞬視線を遠くに投げた。
「……似たようなモノじゃが」
「え?」
にっこり微笑んでツヅラ氏はこちらを振り返った。
「いや、知っているなら話は早い。そのアサ部の奥が菜園になっておる」
私は、かつて麻薬製造部なのかと思って蹴り込んだ一つの大きな館を思い出していた。
実際そこは物資調達部という所で……この広大な庭に暮らす人々が、必要とする物資を揃えたり管理したりしている部署であって倉庫業も兼ねている所だった。
そう理解して、突然蹴り入った事を平謝りしたものだった。
大麻は、国によっては規制が緩いらしいがファマメント国では育成も個人では禁じられている。政府に管理された所でしか育成および精製されていない。それが有用な植物である事は知っている、特殊な薬品を生成出来て、その残りに出来る繊維質が様々な物資の材料となる。しかし薬品精製の過程において悪用を懸念され、ファマメントにおいては完全に国運営の管理下になったと聞いていた。私はその事情が頭にあったため、悪用薬品の生成現場があるのではないかと思って突撃した訳だが……。
自国で、管理課の下に育成されている通り、サ部での大麻育成もそこから何ら逸脱するものではなかった様だ。管理長のカンナ氏から、物資調達部についての説明を受けてファマメントと同じく有用な麻から有益な物資を作り、それを元に外部へと売りに出して対価を得て庭に必要な物資を揃えていると聞いて麻育成には納得が行った次第である。
「アサ部は……かなり大きな館でしたね」
「倉庫も併設されておったろう?」
館もかなり大きくて、中心に王の館と同じく広大な庭があった。そこでは例の麻を栽培している様だったが、もしかしてそのさらに奥には野菜園があったのだろうか?
「倉庫をな、このように」
ツヅラ氏は立ち止まり、手に持った杖で地面に、長方形で現した倉庫をいくつか描いて行く。
成る程……倉庫を8つ並べて正方形で囲んでいるらしい。その中央に野菜園があるのだと云う。倉庫群が随分広くて関心していたが、そういう事情だったのか。
「随分厳重に管理しているんですね」
「食用となると、狙う害虫も多くてのぅ」
「ああ、やはり害虫は問題ですか」
「勿論だとも、ある程度はコドク様が追っ払ってくれるが、そもそもコドク様自体が害虫であるのだから……野菜園はのぅ、戦場じゃよ」
戦場だと言われ、少なからず軍人である私の血は踊った事を素直に吐露しておこう。
戦う必要が有るというのなら喜んで加勢しよう、などとも思った事を正直に言っておく。
実際アサ部の倉庫群に近づいてみると、確かに只ならぬ武装をした物資調達担当のアサ部と、館庭保全担当であるクズ部の屈強な者達が厳重に巡回していた。
敵は、どうやらまだ来ていない、と云った所か……。
ラベンダーの株がずらりと低い生垣を作ってある。その内側に足を踏み入れた時、ツヅラ氏が心なしか緊張したように背筋を伸ばして言った。
「ここから中は特例地区と相成っております」
「特例、地区ですか。どのような?」
「コドク様を討って良い事になっております。むしろ、この中にいるコドク様は害虫として認知され必ず殺す事、必殺の掟が適応されております故……ジャン様においても、是非そのような非常の事態にはお力を添えて頂けますよう」
「……了解した。……というか、コドクというとあの……」
毛虫、の事だよなと私は……庭のあちこちで見かける事が出来る、人の腕程も在る巨大な、芋虫を振り返り見ていた。
どこにでもいるのでもはや意識もしていない、実際、今抜けて来た林にもそれらが居て、振り返ってその芋虫を目視する事が出来るのだ。
一応、『彼ら』の生態については理解している。
白っぽい緑色の芋虫の外見で、申し訳程度に毛が生えているがこれが大変な毒を含んでいるので素手で触らない様に、との事だった。
最初は勿論あまりに大きな虫でびっくりしたが、近づいても逃げるでもない、こちらに向かって来るでもない。のんびりと草を食んでいるだけの芋虫から敵意を受けることも無いので何時しか、そこら辺にある自然の一部として認識するようになっていた。
……若干の現実逃避も含まれているな。
正直芋虫は、好きではない。どちらかというと苦手意識が働くのは……庭好きの従弟の所為だろうか?大抵毛虫というものは庭木の食害を齎すので、少なからず従弟は敵意丸出しだった。見つければすぐにも庭師を呼びつけて駆除していたものだ。
たまに見かける位ならそれでいいだろうが、この悪の集う庭にあのコドクという芋虫は……そこらじゅうに居る。草木がある限り居る。庭園にも入り込んで来る。それらは庭師連中が丁重に、森の方へ退場願って毛に触らないように気を付けながら駆除しているのを知っている。
私はそれを応援し、積極的にコドクを庭から追い出す作業をする気にはならない位には……ええと、まぁ……虫は嫌い、という事だな。
そして稀に……特に云うと王の庭での目撃率が高いのだが……幼子の姿をして両足で飛び回り、羽を纏ったコドクを見る事がある。羽はあるが飛んでいるのは見た事が無い。しかし、地上を跳び回るように遊ぶ姿が特徴的だ。
遭遇率は極めて稀なのだが、あの芋虫からどうにも成長したらしい姿の幼コドクが庭を走り回っている事がある。その時もやはり庭師はそれらを必死に追い払っている様だった。植物を食い荒らされるのには変わり無いのかもしれない。
言葉は通じているのか、しかし敵対性は無い様で大声を上げて恫喝するだけで楽しそうに逃げて行く所、外見はともかく要するに……フツーに虫の一種なのだなと私は思うのだった。
あとは……もう一つ、コドクと言えるモノを知っている。
成人女性の姿をして、言葉を話す。
蝶の様な派手な色彩の羽を持った個体だ。
この悪の集う庭の、女王としてのコドク。
曰く、コドクはすべからく虫であり毛の毒性が極めて危険であるので、害虫として扱い触らない事が推奨されている。
それでもコドクは庭を守る、第一の守護者なのだ。
「そうか、害虫が少ないのはもしかして、コドクが居るからなのか?」
「そうですな、どうやらそういう事の様で。わしも先任者から聞かされている通りなので少々半信半疑ではありますがのぅ。虫の世界にも序列はあるようです」
と言ってツヅラ氏はアサ組の倉庫の一つに案内してくれる。薔薇が植えられているのはこの森では常で、倉庫の壁にも這うようにオールドローズの木が生い茂っていた。
「ご覧ください、アブラムシがおりますな」
「ああ、でもあまりこの庭の薔薇には付いてない気がするけど」
「観賞用は花の育成に影響を与えますからな、しかしここではあえて、アブラムシを放っております」
「……あえて?」
「左様、同時にその守護者たる蟻も生息しております」
足元に、蟻特有の巣の盛り土がいくつもあった。
「アブラムシの守護者?」
「共存関係にあるのです、アブラムシが出す甘露はご存知かな」
知っていると思う、虫に毒された薔薇は触るとベトベトする、あれの事だろう。
「これを、どうにもアリは好む様で……」
ツヅラ氏は薔薇の葉を何枚か捲る様にしながら何か探している……と、ようやく見つけたようで手招きする。
「こちらはテントウムシの幼虫になります、アブラムシを食べる、薔薇を育てるものには福音たる益虫です」
「そうなんだ、見た目すごい凶悪だけど」
この凶悪な小さな毛虫が可愛らしい模様を背負った甲虫になるとは、にわかに信じがたい。
「ほっほ、確かに。アリはこのアブラムシを食べるテントウムシの幼虫を攻撃するのですな」
「ははぁ、なるほど……面白いな」
「面白いのはこれからですぞジャン様、こんなものは所詮大きな世界の小さな一例に過ぎない事です」
そんな話をしつつ倉庫の一つの中に入った。ここは、食糧庫かな……それらを無視してツヅラ氏は倉庫を横断し、反対側の扉へ抜けて……八つの倉庫に守られた秘密の菜園へを私を導いてくれた。
成る程、普段目にする事が無いわけだ。薬草園の様に区画整備された畑に見覚えのある野菜が管理、育成されている野菜園がそこには広がっていた。
外苑として小さな用水路があって、そこをきれいな水が流れている。
「見ての通り、あまり広いものではありません。生産量は微々たるものです」
「これで?結構広く感じるけれども……」
「比較的多種を育てている所為でしょう、麦や米などは到底育てられません。生産性の高い瓜系、茄子、馬鈴薯や一部の葉物野菜などを育てております。野菜の育成にはなかなか知識が必要でしてな、中でも肥料と、虫や疫病を回避させる事は至難の業なのです。このように必死に隔離しても、一体どこから入り込むのやら。害虫や虫は勿論、それらが運ぶ植物の病も収まりません。やはり辺り一帯森に囲まれている所為でしょう、ここは、食性生物にとっては天国にも見紛う魅力ある楽園になるのでしょうなぁ」
今まで散策していた庭を管理する庭師の、倍以上の人がせっせと畑を行き来しているのが伺える。
屎尿を使った堆肥なんかも作っているのだろう、ある意味牧歌的な……畑特有と云える匂いも俄然強い。草木を大きく育てるにはそれなりの肥料が必要だと云う知識はある。水と、臭い匂いを放つ肥料を運んでは土に撒き、何処からともなく入り込んで来る雑草を引き抜いて、病気などが無いか見回りつつ出来上がった収穫物を適正な時期を見計らい収穫する。
そう云った、多くの人手に賑わう畑を私はしばらく物珍しく見ていた。
籠っているかと思ったが、存外良い風が吹いて来るので畑全体を見回して見る。周囲をすべて大きな倉庫に囲まれてはいるが、四方に大きなアーチ状の門があって風は、そこから入り込むように設計されている様だ。外に開けたそこにも厳重に武装した兵が置いてある。
畑泥棒でも出るのだろうな、と思った矢先だった。
西側に向いている門から兵士が数人駆け込んできた。
「第一防衛ラインに敵影あり!」
その報告を聞いた途端、全員が仕事を投げ出して……一斉に、駆けだした。近くの倉庫に入って、それでどうするのかと思ったら外を巡回する兵士のような特殊武装を固めてぞろぞろと出てくる。
「敵影?」
私も、警戒をして帯びた剣の保護を解除する。
「ジャン殿、その装備で戦うのは無謀ですぞ、今回は我々に任せて頂きたい」
「装備って、あの……完全武装の彼らみたいに?」
この畑の兵士たち、全員……足の先から頭の上まで、重歩兵装備と云われる武装で固めている。緊急配備で集まって来ている者達も出来る限り全身を覆う装備になっているのが分かる。
「そうです、相手はコドク様ですからな、ジャン殿はコドク様に刺された事はおありですかな?」
甲高い笑い声を響かせて、コドクの幼生が走り込んできたのに兵士たちが、一斉に動いた。
一人、いや一匹ではないな!?倉庫の外でも何やら怒号が聞こえる、第一防衛ライン、とやらを突破して来たコドクが笑いながら、飛び廻りはしゃいでいる気配がする。次々に飛び跳ねるコドクの幼生が西の門から飛び込んでくるのを、巨大な槌や網を手に持った兵士たちが迎え撃った。
フルプレートの兵士が決死の覚悟で抱きかかえて捕らえ、網で絡み取り……槌で叩き潰す。
「ツヅラ殿!そこは危険です、一旦退避願います」
誰かの声に、ツヅラ氏は私の腕を取り引っ張ろうとしたが……私は事の顛末を見届けたかった為に踏ん張ってしまった。
「ジャン殿!危険です、蔵の中に避難を」
「いや、見せてくれ」
「なりません、思っていた以上に群が大きい、このままでは畑が全滅なのです」
「猶更見捨てられないだろう、私も加勢しよう、ここでなら害虫駆除は合法、なのだろう?」
「ですからその装備では成りませぬ!刺されますぞ!」
「一回刺されて苦しまねぇと学習しないタイプなんだろ、見上げた頑固者だぜぇ」
聞き慣れた声に私は顔を上げていた。倉庫の高い屋根の上に黒い影が見える。
「レギオン?」
「いやぁ、どこ行くのかなぁって尾行してたんだけど」
それは、気が付かなかったな……悪意が無いとそういう気配にはどうにも気が付けない。屋根から軽々と飛び降りて来たレギオンにツヅラは少し慌てたように後ずさる。
「レギオン様、このような所に珍しい……」
と、ツヅラは口鼻を抑えている所……レギオンの従属匂に耐性が無い方なんだろう。一目散に蔵の中に駆け出して行ったのを私は見送ってしまった。
「おたく、何してんの?」
「何って、ツヅラ氏から菜園というのを見学させてもらっていたんだが」
「こんなハッパ見て何が楽しいんだよ。あ、ヤクはキメる方だったりするのか?だったらここじゃなくて」
「レギオン様!」
くぐもった声を上げながらツヅラが大急ぎで戻って来た。どうやら……他の兵士の様に装備を整えて来たらしい。全身を覆い、マスクらしいものが付いている兜をかぶって戻って来たのだ。
「ジャン様を説得して退避願います!大変な事になりまする!」
「いやぁ、俺様ってばちょっとソレを期待してたりするのよ、解る?ジャン君、刺された事無いらしいじゃんか」
「……経験させるおつもりですか!ジャン様、私の背負う籠に予備の兜がありますのでそれを!コドク様の毒針は、目には見えませんぞ!」
「こーいう事だよ」
と言って、レギオンが……腕を上げる。彼は体臭が特異な能力を持つので全身をしっかりと覆う様な服をしているのだが……ナイフで、腕の装備を切り裂いて見せた。
傷だらけの生腕が現れて、それを……少し西側の門の方へ向ける。
途端腕が赤く膨れ上がり紫色に変色、急激に爛れて行くのを見てツヅラが私を問答無用で押し倒す。
「毒性針がこちらまで来ております!」
私は状況を理解し、生身を晒している首から上を思わず庇った。勧められるままにツヅラから兜を受け取り被り、露出する首をされるが侭に手ぬぐいで被ってもらう。
習慣として手袋をしていたのでとりあえず、露出している所は他には無い。
「アステラを呼べ!」
「伝達済みです、間も無く来るかと!」
騒がしいそれらの声を聴き、ツヅラは私と一緒に伏せたままで深いため息を漏らした。
「どうやらすべて駆除したようです、間も無く衛生保健部が来ます」
「レギオン、大丈夫か!?」
「大丈夫な筈ねーだろ、あー、ビンビンにキてやがるよえっへへへ……」
レギオンの露出させた左腕が、完全に壊死寸前でぶら下がっているのを見て私は、息を呑んだ。
「こんなふーにだなー、もー、さいあくなー、どくせいがー」
レギオンは何故か、酔っぱらっている様に体が揺れ始めて呂律も回っていない。
「お、おい……レギオン!?」
「針一本で肉が融ける程の毒性を発揮します、針はコドク様から抜け落ちた途端に毒性を発揮する為、駆除した場合飛び散った針が……無数散乱する事になりますので」
「レギオンは大丈夫なのか?」
「アステラ部が間も無く来ます、間に合うでしょう。常人であればショック死もありうる痛みがあるとの事ですが……まぁ、レギオン様なら」
苦笑うツヅラ氏の隣についに倒れ込んだ、レギオンが体を痙攣させながら笑っている。
「ふへへへ……さいこうだー、さいこうにいたくてきもちいいいいいい」
雨が降り始めた。
晴れているのに……と思って顔を上げると、倉庫の屋上から水を振りまく人影を見る。
「あれが、衛生保健部か」
「左様です、今回の襲撃はかなり大きかった様ですな、いやはや運の悪い」
「いや、私の方こそ助言に従わず、心配をかけてすまない……」
ようやく立ち上がり畑の状況を見る。無事瀬戸際での駆除に成功したようだ。ただし辺り一帯毒針が飛んでいるのでそれを、フリードが統括している衛生保健部……菊の花の部隊だが……彼らによって浄化する必要が有るのだろう。
「やはり、この時期は襲撃が多い様だなツヅラ」
屋根上から聞こえるこの声は……
「おお、ご足労掛けるなカミツレイ殿」
屈強な体躯に、白い歯を見せて笑うキク部隊のカミツレイが大きく手を振っている。
と思ったら……衛生保健部の長カミツレイは4階相当の高さは在ろう屋根の上から、大きな仕事道具を背負ったまま飛び降りて来て地鳴りと共に着地する。
この身のこなし、体格で医者だというのだから人は見かけによらないものだ。
「全く、レギオン殿も酔狂な事をなさる、他の部隊の連中なら解毒などせず放っておかれてしまいますぞ」
「えっへへへ……まぁそういうなー、こういう、シゲキはー、おれのー、じんせいにはー、ひつようなんだー」
「ジャン殿、驚かれておりますな……しかしレギオン殿は常習犯なのです。稀にこのように、あえて毒虫にちょっかいを出してよくよく担ぎ込まれてきます」
この男は……本当に良く分からない性癖をしている。
「ご安心ください、段々耐性が付いて来ているとのピーター女史のお話ですし血清もありますのですぐに良くなります。この腕については、まぁピーター女史がなんとかなさるでしょう」
血清らしいものを腕の根元から打ち込こまれ、レギオンはなお一層びくびくと痙攣して大の字で転がっている。アステラ部のカミツレイ氏はそれを放置して、他の部隊の指揮に行ってしまった。
「じゃーん」
呼ばれて、私はレギオンに近づき片膝をついて答えた。
「すまないな」
「そんなやさしー、じゃんくんがー、おれさまー、だいすきー」
何はともあれ私の好奇心の所為でレギオンが……勝手に体を張ってくれたのだから、それに向けては多少の責任は感じている。しかし尾行されていたとは、何時からだ?案外、何時もだろうか?
……今後から気を付けなければ。
アステラ部が降らす浄化の雨は、毒針を溶かして無毒化する様に調整された魔法の一種らしい。
他に習い、私は兜を脱いだ。
細かい雨が服に染み入っていくがすぐに蒸発するように気化していく。その所為で局地的に気温が下がった気がする。
収穫の多くなる頃には、どうしてもコドクの襲撃が増えるのでアステラ部も菜園警備に少し配備した方が良いのでは、という話をカミツレイ氏が提案して来た。それに対しツヅラ氏は首を横に振る。
「この菜園は採算性がありませぬ。しかしフリード様が天然の、新鮮な食材を王に提供したいという願いの元に様々な試行錯誤、実験も兼ねて運営されているもの。今後も、有事の際に応援を要請する程度で構わんでしょう。それに、」
レギオンの側で待機する私に向けてツヅラ氏は振り返って言った。
「この菜園があるからこそ、他の庭への致命的な、コドク様の襲撃はありません」
アブラムシを、あえて放ってある薔薇の木の事を私は、即座思い出していた。
「ツヅラ殿、本日は色々と本当にありがとうございます」
「いやいや、言葉で説明するに足らず、この様な騒動に巻き込んでしまって申し訳ない」
「レギオンの言った通りだ、実際刺されて痛い目でも見ないと納得しない所があるよ、私には」
苦笑して、未だぐったりとして時折痙攣を繰り返しているレギオンを肩に担いだ。
「この男は私が運んでおこう」
多分、そうしないとレギオンは自力で動くか部下達がやってくるまでここに放置されるんだろう。
この庭における、とくにフリードの部隊との関係性を見ているとそうなる事が予想される。本来もっと険悪な関係なのはこの目で見て来た、アステラ部だけが多少、寛大なのだ。他の部隊とでは、下手すればトドメを差すような事もされかねない程フリードの部隊がレギオンを憎んでいる事は知っている。
「やったー、じゃんくーん、やさしー」
ぐったりとした声でそんな事を言われても心配なだけだ。多分、人が言う通り心配する程の事ではないのかもしれないが……私には他の人がそうする様にレギオンを放っておけない。
「毒は全身に回るのか」
「さされすぎるとねー、ええとー……二次的な、」
咽たような咳を零したので驚いたが、どうやら解毒が効いて来ただけらしい。
「なんでもこう、二段階毒性とかでな……それが疝痛になって体中を巡っちまうらしい。それがまぁすんげぇ痛ぇから」
それは……刺されなくて良かった。
コドクに対する認識がもう一段階危険と嫌悪になってしまったのを私は、やっぱりそこらじゅうにいる芋虫を見ていて抑えきれない。
「いやでもなぁこの痛みがさー、もー堪んないくらいにイイんだわ、なんとか初期毒性無視して二次毒だけ抽出してくんねぇかなぁ」
「じゃぁお前はあのコドクの芋虫に、嫌悪感とかは無いのか」
「あ?けんおかん?好きか嫌いか、って奴で言うなら俺、コドクちゃんの毒性はだーいすき」
私は、……好きに成れそうにないな。そういう横顔を見られていたようでレギオンは笑いながら言った。
「お前、キライに成るのを全体的にケンオしてんだろ」
嫌悪か、
「……ああ、どうやらそうらしい」
相手は虫だ、とはいえ。嫌いという感情に良い事など何一つない事を私は知っている。
「おエラいこって!奴らは虫だぞ、しかも害虫だ。奴ら害虫認定されて嫌われてる事くらい承知だよ」
「虫なのに?」
「おおっと、そうだな……そういう思考すら無ぇかもしれねぇな、ケケ」
ピーター女史の家まで、私はしばらく無言で森を歩いていた。レギオンは回復したのかまだ痺れているのかよくわからないが……とりあえず、大人しくしているので担いだままだ。怪我人には違いないのだし、このまま運んでやることに異論はない。なんかちょっと変な気配は感じるけど……ここは我慢しよう。
「女王には会った事があるか、レギオン」
「一応はな、お前もそう聞くって事は会ったんだろ?」
「この森の王と共存関係だと言っていた。しかし実際は……森を食い荒らす害虫でもある」
「聞いた話によると一度、庭の連中はコドクを殲滅しようとしたらしいぞ。害虫だからな」
「……」
「けどなんか、そん時オウサマが女王をかばったらしいな、生き物なんだからそんな都合で殺し尽くしてしまうのはどうだろうか、とかなんとか。もしかすると逆に食い殺されちまうかもしれねぇってのに、ウチのオウサマはのんきなもんだぜ」
「あの毒性だ、世に在れば……必ず殲滅の方向で事が運ぶだろう。毒がより強烈なものになっていったのは、もしかするとその所為かもしれない。嫌われて、忌避されて、追いやられた末に何者とも寄り添えない孤独な存在になってしまったのかもしれない」
「相変わらずお前の考え方はやっさしーよなー、どうしたらそういう考え方になるんだよ」
「お前だって、一人が耐えられないんだろ?そういう生態だって自分で言ったじゃないか」
レギオンは『群体』で、一人が寂しいから自動的に周りを自分に引き寄せてしまう特性を持つ、と……自覚している筈だ。彼は、何も分かっていないように粗暴に振る舞うが多分……いろんな事を分かっていると私は、思っている。
「言ったけど、だから何だよ」
「コドクだって一人は寂しかったのだろうと言ってるんだ。誰とも寄り添えない、共存も出来ない。そういう存在に至っていたのなら、王の言葉はどれだけ在り難く女王に響いただろうか」
「……」
「そう考えると、あの何でもどうでもいいと許してくれる王は、恐ろしいな」
「……ケッ」
この庭に、あらゆるものが許されている。
悪も毒も、正義も平穏も全てが、王の御許には平等に。
「おまえもその恩恵に与っている一人なのだろ?」
「やーだなー、そういう所がなんか気に入らねぇのよ俺様」
「だったら庭から離れればいいのに」
「そしたら、俺様速攻クジョされちまうだろ、多分」
悪は、この庭に許されている。
この庭にだけ、許されて悪は、集っているのだ。
終
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる