レトロな事件簿

八雲 銀次郎

文字の大きさ
上 下
157 / 309
13章:香織と少年の交換日記

4-2 酔わない酒

しおりを挟む
 スーツを着た、サラリーマン風の男性の後に、カジュアルな見た目をした、女性が入店してきた。
 「あ、すみません、息子に一本電話掛けてきます。」
 私が、お手拭きとメニュー表を、提示したと同時に、女性客が思い出したかの様にそう言い、外に出て行ってしまった。
 すると…。
 「マスター。彼女に出す飲み物に、酒、結構強めにして、出してくれない?」
 男性客が、耳打ちする様な、低い声で、そう注文した。
 昼の時は、左程でもないが、夜の場合だと、カップル客が、多かったりする。そのため、この様な注文をあらかじめする客は、珍しくもない。
 だが、本人の了承なしに、そんな事をして、万が一、何か起きれば、刑事事件に発展しかねない…。
 いつもなら、九条さんが、上手い具合に断ってくれるのだが…。
 「…かしこまりました。」
 少し悩んだ後、古川マスターは、静かにそう言い、倉庫に消えて行った。私と今井さんは、当然驚いた…。
 私は、チャーム用のナッツを、厨房に取りに行く序に、古川マスターに訊ねた。
 「本当に、お酒出しちゃうんですか?」
 入店する直前の、彼等の会話を思い出した。
 女性客には、子どもがおり、早く帰宅しなければならない。だから、飲酒をせず、真っ直ぐ帰宅したいはず。
 それなのに、男性客は、無理やりにでも、酒を飲ませて、あわよくば…。なんて、下世話な考えをしているのは、簡単に察しが付く…。それに、店側が応じたとなると、私たちも、その片棒を担がされたことになってしまう。
 古川マスターの事だから、何か考えがあるのかもしれないが、少し不安だった。
 「お客様からの、ご注文ですからね。断るわけには行きません。」
 「何か、考えでもあるんですか?」
 私がそう言った時、女性客が、店内に戻ってきた。
 「まぁ、余り深く考えないことです。」
 古川マスターが、少し微笑んだ後、カウンターの方へと戻って行った。

 二人が飲み始めてから、15分が経った頃…。客同士の話には、口を挟まない様にするため、なるべく聞き耳を立てない。それが、鉄則なのだが、客は、この二人しか居ない為、会話が、嫌でも聞こえてきてしまう…。
 「それで、部長がさぁ…。」
 男性客が、仕事での愚痴を、ダラダラと語っていた。正直、これに、似た様な話は、かれこれ、4度目だ…。
 女性客の、相槌も、次第にひきつっているのが、聞いていても、分かってしまう…。
 しかし、男性客の方は、酔いもそこそこ、回っているのか、気にする事なく、話し続けていた。
しおりを挟む

処理中です...