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12 裏切りの果てに
私はマリーを見つめた。その瞳に宿る思いの強さに、言葉を失う。
「奥様にはお伝えしておりませんでしたが――旦那様は昔から、メイドに手を出そうとする癖がございました。そのたびに、私が身代わりになっておりました。メイドが妊娠したり、身の程知らずな望みを抱かぬように。そうなる前に、私が食い止めていたのです。すべては、奥様の幸せを守るためでした」
「どうして、そんなことを……どうして、私になにも言ってくれなかったの? そんなことをしたら、マリーが傷つくだけじゃない!」
「良いんですよ。奥様のためなら私は命だって懸けます。それほど大事な方だからです。私は避妊効果のあるお茶を愛用しておりましたし、奥様を第一に考えることができます。ですが、あのクズとカミーユが奥様を裏切ったとき、私はもう黙っていられませんでした。だから……だから、手紙を書いたんです。あの二人が裏で何をしているのかを、あなたに知らせたのは私です!」
「……」
私は、その場に立ち尽くしたまま、言葉を失った。
マリーは、ひとつ、ふたつと涙を落としながら、必死に続ける。
「私は屋敷の下働きから這い上がってきた女です。名前もない、捨て子のような存在でした。そんな私に名を与え、居場所をくださったのは、大奥様と奥様でした……命に代えてもレティシア様を守ると誓ったんです。裏切り者のカミーユを追い出して、奥様はここに残るべきなんです。なんなら、旦那様も追い出して……奥様には公爵夫人という高貴な身分がぴったりなのですから」
「……マリー……でも、あの手紙は」
「はい、奥様が穏やかなお方なのは承知しておりましたので、あえて少し過激な書き方をさせていただきました。すぐにお二人のことをお調べになって、カミーユを追い出されるものとばかり……そう思っていたんです。まさか、奥様ご自身がルーベルト公爵夫人の座をお降りになるなんて、思いもよりませんでした」
膝に力が入らず、私はそっとソファの端に腰を下ろした。
情けなくて、悲しくて、悔しくて――私はいったい、夫のどこを見ていたのだろう。
優しくて誠実だと思っていたあの人は、ただの幻だったのね。
そして目の前のマリーも、カミーユと同じように、どこか遠い世界の人間に思えてくる。
なぜ、オズワルドの欲望を密かに受け入れることが、私を守ることになるの?
マリーの言っていることは、理屈としては通っている。
確かに、使用人との揉め事を未然に防げば、私は何も知らずに穏やかに暮らせたかもしれない。
でも――それで守られたと言えるの? 私はただ、真実から目隠しされていただけじゃないの?
理解できないし、心がどうしても追いつかない。
けれど、マリーの顔を見れば、それが本心であり、彼女なりの“忠義”だったことは伝わってきた。
共感はできないが――その気持ちだけは、受け取らなくてはと思った。
「ありがとう、マリー。あなたの忠義は忘れないわ。でも、明らかに方向を間違えているのよ。私を大切に思ってくれていたのなら、夫のそういう面こそ、きちんと教えてほしかった。私は身分にしがみつくような、弱い女ではないのよ」
そう告げて、私はゆっくりと立ち上がる。
そして、カミーユとマリーに向き直り、最後の言葉を口にした。
「自分たちのしたことの責任は、自分で取りなさい。カミーユ、あなたは母親になるのよ。子を産み、愛し、育てること。どんなに辛くても、逃げずに向き合いなさい。そして……マリー。あなたには、その子がすくすくと育つ姿を、最後まで見届けてもらうわ。私への忠義が本物だというのなら、私の望むことをしてほしい。その子供を、守ってほしいの。あなたなら……きっと、できるわよね?」
私の言葉に、マリーは泣きながら、首を橫に振った。
「嫌です。奥様と一緒にいさせてください。奥様を心の底から愛しているんです! 私の愛は本物です。あなたの為ならなんでもできるんです」
私は振り返らず、扉へ向かった。
振り返ったら、泣いてしまいそうだったから。
愛って、なんだろう?
マリーの言うその愛が、どんな種類のものなのか――私はもう、考えたくなかった。
愛する人たちに裏切られ、心は、ズタズタに引き裂かれていた。
あぁ、なんておばかさんだったのかしら?
自分が誰よりも幸せだと思い込んでいたなんて……
その瞬間、ユリウスがそっと私の腕を支え、あらかじめまとめてあった荷物を、黙って馬車に積んでくれた。
「レティシア様。どちらへ行かれますか? 俺が送っていきます。……気をしっかり持ってください。こんなことを申し上げるのもどうかと思いますが、公爵閣下も、カミーユ様も、あの侍女も――正気ではありません。異常です。レティシア様は、何も悪くない」
必死に慰めようとしてくれるその気遣いが、今はただ、静かに心に染みた。
「ありがとう。しばらくはオックスリー商館で暮らすわ。仕事に打ち込んで、忙しくしていれば……こんなこと、すぐに忘れられると思うの。大丈夫よ。私は、それほど弱くないから」
オックスリー商会の商館は、街の中央通りに構えられた立派な建物だ。
離婚の手続きが済むまでは、きっとそこが、私の居場所になるのだろう。
私は、新しい人生へと踏み出す決心をしたのだった。
•───⋅⋆⁺‧₊☽⛦☾₊‧⁺⋆⋅───•
※ここから、いよいよオズワルドとカミーユの転落が始まります。
因果応報の“ざまぁ”展開、次回より本格始動です。
もちろん、レティシアが少しずつ幸せを取り戻していく描写も、あいだに挟みつつ、物語は進んでいきます。
「奥様にはお伝えしておりませんでしたが――旦那様は昔から、メイドに手を出そうとする癖がございました。そのたびに、私が身代わりになっておりました。メイドが妊娠したり、身の程知らずな望みを抱かぬように。そうなる前に、私が食い止めていたのです。すべては、奥様の幸せを守るためでした」
「どうして、そんなことを……どうして、私になにも言ってくれなかったの? そんなことをしたら、マリーが傷つくだけじゃない!」
「良いんですよ。奥様のためなら私は命だって懸けます。それほど大事な方だからです。私は避妊効果のあるお茶を愛用しておりましたし、奥様を第一に考えることができます。ですが、あのクズとカミーユが奥様を裏切ったとき、私はもう黙っていられませんでした。だから……だから、手紙を書いたんです。あの二人が裏で何をしているのかを、あなたに知らせたのは私です!」
「……」
私は、その場に立ち尽くしたまま、言葉を失った。
マリーは、ひとつ、ふたつと涙を落としながら、必死に続ける。
「私は屋敷の下働きから這い上がってきた女です。名前もない、捨て子のような存在でした。そんな私に名を与え、居場所をくださったのは、大奥様と奥様でした……命に代えてもレティシア様を守ると誓ったんです。裏切り者のカミーユを追い出して、奥様はここに残るべきなんです。なんなら、旦那様も追い出して……奥様には公爵夫人という高貴な身分がぴったりなのですから」
「……マリー……でも、あの手紙は」
「はい、奥様が穏やかなお方なのは承知しておりましたので、あえて少し過激な書き方をさせていただきました。すぐにお二人のことをお調べになって、カミーユを追い出されるものとばかり……そう思っていたんです。まさか、奥様ご自身がルーベルト公爵夫人の座をお降りになるなんて、思いもよりませんでした」
膝に力が入らず、私はそっとソファの端に腰を下ろした。
情けなくて、悲しくて、悔しくて――私はいったい、夫のどこを見ていたのだろう。
優しくて誠実だと思っていたあの人は、ただの幻だったのね。
そして目の前のマリーも、カミーユと同じように、どこか遠い世界の人間に思えてくる。
なぜ、オズワルドの欲望を密かに受け入れることが、私を守ることになるの?
マリーの言っていることは、理屈としては通っている。
確かに、使用人との揉め事を未然に防げば、私は何も知らずに穏やかに暮らせたかもしれない。
でも――それで守られたと言えるの? 私はただ、真実から目隠しされていただけじゃないの?
理解できないし、心がどうしても追いつかない。
けれど、マリーの顔を見れば、それが本心であり、彼女なりの“忠義”だったことは伝わってきた。
共感はできないが――その気持ちだけは、受け取らなくてはと思った。
「ありがとう、マリー。あなたの忠義は忘れないわ。でも、明らかに方向を間違えているのよ。私を大切に思ってくれていたのなら、夫のそういう面こそ、きちんと教えてほしかった。私は身分にしがみつくような、弱い女ではないのよ」
そう告げて、私はゆっくりと立ち上がる。
そして、カミーユとマリーに向き直り、最後の言葉を口にした。
「自分たちのしたことの責任は、自分で取りなさい。カミーユ、あなたは母親になるのよ。子を産み、愛し、育てること。どんなに辛くても、逃げずに向き合いなさい。そして……マリー。あなたには、その子がすくすくと育つ姿を、最後まで見届けてもらうわ。私への忠義が本物だというのなら、私の望むことをしてほしい。その子供を、守ってほしいの。あなたなら……きっと、できるわよね?」
私の言葉に、マリーは泣きながら、首を橫に振った。
「嫌です。奥様と一緒にいさせてください。奥様を心の底から愛しているんです! 私の愛は本物です。あなたの為ならなんでもできるんです」
私は振り返らず、扉へ向かった。
振り返ったら、泣いてしまいそうだったから。
愛って、なんだろう?
マリーの言うその愛が、どんな種類のものなのか――私はもう、考えたくなかった。
愛する人たちに裏切られ、心は、ズタズタに引き裂かれていた。
あぁ、なんておばかさんだったのかしら?
自分が誰よりも幸せだと思い込んでいたなんて……
その瞬間、ユリウスがそっと私の腕を支え、あらかじめまとめてあった荷物を、黙って馬車に積んでくれた。
「レティシア様。どちらへ行かれますか? 俺が送っていきます。……気をしっかり持ってください。こんなことを申し上げるのもどうかと思いますが、公爵閣下も、カミーユ様も、あの侍女も――正気ではありません。異常です。レティシア様は、何も悪くない」
必死に慰めようとしてくれるその気遣いが、今はただ、静かに心に染みた。
「ありがとう。しばらくはオックスリー商館で暮らすわ。仕事に打ち込んで、忙しくしていれば……こんなこと、すぐに忘れられると思うの。大丈夫よ。私は、それほど弱くないから」
オックスリー商会の商館は、街の中央通りに構えられた立派な建物だ。
離婚の手続きが済むまでは、きっとそこが、私の居場所になるのだろう。
私は、新しい人生へと踏み出す決心をしたのだった。
•───⋅⋆⁺‧₊☽⛦☾₊‧⁺⋆⋅───•
※ここから、いよいよオズワルドとカミーユの転落が始まります。
因果応報の“ざまぁ”展開、次回より本格始動です。
もちろん、レティシアが少しずつ幸せを取り戻していく描写も、あいだに挟みつつ、物語は進んでいきます。
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