12 / 46
12 裏切りの果てに
しおりを挟む
私はマリーを見つめた。その瞳に宿る思いの強さに、言葉を失う。
「奥様にはお伝えしておりませんでしたが――旦那様は昔から、メイドに手を出そうとする癖がございました。そのたびに、私が身代わりになっておりました。メイドが妊娠したり、身の程知らずな望みを抱かぬように。そうなる前に、私が食い止めていたのです。すべては、奥様の幸せを守るためでした」
「どうして、そんなことを……どうして、私になにも言ってくれなかったの? そんなことをしたら、マリーが傷つくだけじゃない!」
「良いんですよ。奥様のためなら私は命だって懸けます。それほど大事な方だからです。私は避妊効果のあるお茶を愛用しておりましたし、奥様を第一に考えることができます。ですが、あのクズとカミーユが奥様を裏切ったとき、私はもう黙っていられませんでした。だから……だから、手紙を書いたんです。あの二人が裏で何をしているのかを、あなたに知らせたのは私です!」
「……」
私は、その場に立ち尽くしたまま、言葉を失った。
マリーは、ひとつ、ふたつと涙を落としながら、必死に続ける。
「私は屋敷の下働きから這い上がってきた女です。名前もない、捨て子のような存在でした。そんな私に名を与え、居場所をくださったのは、大奥様と奥様でした……命に代えてもレティシア様を守ると誓ったんです。裏切り者のカミーユを追い出して、奥様はここに残るべきなんです。なんなら、旦那様も追い出して……奥様には公爵夫人という高貴な身分がぴったりなのですから」
「……マリー……でも、あの手紙は」
「はい、奥様が穏やかなお方なのは承知しておりましたので、あえて少し過激な書き方をさせていただきました。すぐにお二人のことをお調べになって、カミーユを追い出されるものとばかり……そう思っていたんです。まさか、奥様ご自身がルーベルト公爵夫人の座をお降りになるなんて、思いもよりませんでした」
膝に力が入らず、私はそっとソファの端に腰を下ろした。
情けなくて、悲しくて、悔しくて――私はいったい、夫のどこを見ていたのだろう。
優しくて誠実だと思っていたあの人は、ただの幻だったのね。
そして目の前のマリーも、カミーユと同じように、どこか遠い世界の人間に思えてくる。
なぜ、オズワルドの欲望を密かに受け入れることが、私を守ることになるの?
マリーの言っていることは、理屈としては通っている。
確かに、使用人との揉め事を未然に防げば、私は何も知らずに穏やかに暮らせたかもしれない。
でも――それで守られたと言えるの? 私はただ、真実から目隠しされていただけじゃないの?
理解できないし、心がどうしても追いつかない。
けれど、マリーの顔を見れば、それが本心であり、彼女なりの“忠義”だったことは伝わってきた。
共感はできないが――その気持ちだけは、受け取らなくてはと思った。
「ありがとう、マリー。あなたの忠義は忘れないわ。でも、明らかに方向を間違えているのよ。私を大切に思ってくれていたのなら、夫のそういう面こそ、きちんと教えてほしかった。私は身分にしがみつくような、弱い女ではないのよ」
そう告げて、私はゆっくりと立ち上がる。
そして、カミーユとマリーに向き直り、最後の言葉を口にした。
「自分たちのしたことの責任は、自分で取りなさい。カミーユ、あなたは母親になるのよ。子を産み、愛し、育てること。どんなに辛くても、逃げずに向き合いなさい。そして……マリー。あなたには、その子がすくすくと育つ姿を、最後まで見届けてもらうわ。私への忠義が本物だというのなら、私の望むことをしてほしい。その子供を、守ってほしいの。あなたなら……きっと、できるわよね?」
私の言葉に、マリーは泣きながら、首を橫に振った。
「嫌です。奥様と一緒にいさせてください。奥様を心の底から愛しているんです! 私の愛は本物です。あなたの為ならなんでもできるんです」
私は振り返らず、扉へ向かった。
振り返ったら、泣いてしまいそうだったから。
愛って、なんだろう?
マリーの言うその愛が、どんな種類のものなのか――私はもう、考えたくなかった。
愛する人たちに裏切られ、心は、ズタズタに引き裂かれていた。
あぁ、なんておばかさんだったのかしら?
自分が誰よりも幸せだと思い込んでいたなんて……
その瞬間、ユリウスがそっと私の腕を支え、あらかじめまとめてあった荷物を、黙って馬車に積んでくれた。
「レティシア様。どちらへ行かれますか? 俺が送っていきます。……気をしっかり持ってください。こんなことを申し上げるのもどうかと思いますが、公爵閣下も、カミーユ様も、あの侍女も――正気ではありません。異常です。レティシア様は、何も悪くない」
必死に慰めようとしてくれるその気遣いが、今はただ、静かに心に染みた。
「ありがとう。しばらくはオックスリー商館で暮らすわ。仕事に打ち込んで、忙しくしていれば……こんなこと、すぐに忘れられると思うの。大丈夫よ。私は、それほど弱くないから」
オックスリー商会の商館は、街の中央通りに構えられた立派な建物だ。
離婚の手続きが済むまでは、きっとそこが、私の居場所になるのだろう。
私は、新しい人生へと踏み出す決心をしたのだった。
•───⋅⋆⁺‧₊☽⛦☾₊‧⁺⋆⋅───•
※ここから、いよいよオズワルドとカミーユの転落が始まります。
因果応報の“ざまぁ”展開、次回より本格始動です。
もちろん、レティシアが少しずつ幸せを取り戻していく描写も、あいだに挟みつつ、物語は進んでいきます。
「奥様にはお伝えしておりませんでしたが――旦那様は昔から、メイドに手を出そうとする癖がございました。そのたびに、私が身代わりになっておりました。メイドが妊娠したり、身の程知らずな望みを抱かぬように。そうなる前に、私が食い止めていたのです。すべては、奥様の幸せを守るためでした」
「どうして、そんなことを……どうして、私になにも言ってくれなかったの? そんなことをしたら、マリーが傷つくだけじゃない!」
「良いんですよ。奥様のためなら私は命だって懸けます。それほど大事な方だからです。私は避妊効果のあるお茶を愛用しておりましたし、奥様を第一に考えることができます。ですが、あのクズとカミーユが奥様を裏切ったとき、私はもう黙っていられませんでした。だから……だから、手紙を書いたんです。あの二人が裏で何をしているのかを、あなたに知らせたのは私です!」
「……」
私は、その場に立ち尽くしたまま、言葉を失った。
マリーは、ひとつ、ふたつと涙を落としながら、必死に続ける。
「私は屋敷の下働きから這い上がってきた女です。名前もない、捨て子のような存在でした。そんな私に名を与え、居場所をくださったのは、大奥様と奥様でした……命に代えてもレティシア様を守ると誓ったんです。裏切り者のカミーユを追い出して、奥様はここに残るべきなんです。なんなら、旦那様も追い出して……奥様には公爵夫人という高貴な身分がぴったりなのですから」
「……マリー……でも、あの手紙は」
「はい、奥様が穏やかなお方なのは承知しておりましたので、あえて少し過激な書き方をさせていただきました。すぐにお二人のことをお調べになって、カミーユを追い出されるものとばかり……そう思っていたんです。まさか、奥様ご自身がルーベルト公爵夫人の座をお降りになるなんて、思いもよりませんでした」
膝に力が入らず、私はそっとソファの端に腰を下ろした。
情けなくて、悲しくて、悔しくて――私はいったい、夫のどこを見ていたのだろう。
優しくて誠実だと思っていたあの人は、ただの幻だったのね。
そして目の前のマリーも、カミーユと同じように、どこか遠い世界の人間に思えてくる。
なぜ、オズワルドの欲望を密かに受け入れることが、私を守ることになるの?
マリーの言っていることは、理屈としては通っている。
確かに、使用人との揉め事を未然に防げば、私は何も知らずに穏やかに暮らせたかもしれない。
でも――それで守られたと言えるの? 私はただ、真実から目隠しされていただけじゃないの?
理解できないし、心がどうしても追いつかない。
けれど、マリーの顔を見れば、それが本心であり、彼女なりの“忠義”だったことは伝わってきた。
共感はできないが――その気持ちだけは、受け取らなくてはと思った。
「ありがとう、マリー。あなたの忠義は忘れないわ。でも、明らかに方向を間違えているのよ。私を大切に思ってくれていたのなら、夫のそういう面こそ、きちんと教えてほしかった。私は身分にしがみつくような、弱い女ではないのよ」
そう告げて、私はゆっくりと立ち上がる。
そして、カミーユとマリーに向き直り、最後の言葉を口にした。
「自分たちのしたことの責任は、自分で取りなさい。カミーユ、あなたは母親になるのよ。子を産み、愛し、育てること。どんなに辛くても、逃げずに向き合いなさい。そして……マリー。あなたには、その子がすくすくと育つ姿を、最後まで見届けてもらうわ。私への忠義が本物だというのなら、私の望むことをしてほしい。その子供を、守ってほしいの。あなたなら……きっと、できるわよね?」
私の言葉に、マリーは泣きながら、首を橫に振った。
「嫌です。奥様と一緒にいさせてください。奥様を心の底から愛しているんです! 私の愛は本物です。あなたの為ならなんでもできるんです」
私は振り返らず、扉へ向かった。
振り返ったら、泣いてしまいそうだったから。
愛って、なんだろう?
マリーの言うその愛が、どんな種類のものなのか――私はもう、考えたくなかった。
愛する人たちに裏切られ、心は、ズタズタに引き裂かれていた。
あぁ、なんておばかさんだったのかしら?
自分が誰よりも幸せだと思い込んでいたなんて……
その瞬間、ユリウスがそっと私の腕を支え、あらかじめまとめてあった荷物を、黙って馬車に積んでくれた。
「レティシア様。どちらへ行かれますか? 俺が送っていきます。……気をしっかり持ってください。こんなことを申し上げるのもどうかと思いますが、公爵閣下も、カミーユ様も、あの侍女も――正気ではありません。異常です。レティシア様は、何も悪くない」
必死に慰めようとしてくれるその気遣いが、今はただ、静かに心に染みた。
「ありがとう。しばらくはオックスリー商館で暮らすわ。仕事に打ち込んで、忙しくしていれば……こんなこと、すぐに忘れられると思うの。大丈夫よ。私は、それほど弱くないから」
オックスリー商会の商館は、街の中央通りに構えられた立派な建物だ。
離婚の手続きが済むまでは、きっとそこが、私の居場所になるのだろう。
私は、新しい人生へと踏み出す決心をしたのだった。
•───⋅⋆⁺‧₊☽⛦☾₊‧⁺⋆⋅───•
※ここから、いよいよオズワルドとカミーユの転落が始まります。
因果応報の“ざまぁ”展開、次回より本格始動です。
もちろん、レティシアが少しずつ幸せを取り戻していく描写も、あいだに挟みつつ、物語は進んでいきます。
2,484
あなたにおすすめの小説
あなたの破滅のはじまり
nanahi
恋愛
家同士の契約で結婚した私。夫は男爵令嬢を愛人にし、私の事は放ったらかし。でも我慢も今日まで。あなたとの婚姻契約は今日で終わるのですから。
え?離縁をやめる?今更何を慌てているのです?契約条件に目を通していなかったんですか?
あなたを待っているのは破滅ですよ。
※Ep.2 追加しました。
マルグリッタの魔女の血を色濃く受け継ぐ娘ヴィヴィアン。そんなヴィヴィアンの元に隣の大陸の王ジェハスより婚姻の話が舞い込む。
子爵の五男アレクに淡い恋心を抱くも、行き違いから失恋したと思い込んでいるヴィヴィアン。アレクのことが忘れられずにいたヴィヴィアンは婚姻話を断るつもりだったが、王命により強制的に婚姻させられてしまう。
だが、ジェハス王はゴールダー家の巨万の富が目的だった。王妃として迎えられたヴィヴィアンだったが、お飾りの王妃として扱われて冷遇される。しかも、ジェハスには側妃がすでに5人もいた。
君を幸せにする、そんな言葉を信じた私が馬鹿だった
白羽天使
恋愛
学園生活も残りわずかとなったある日、アリスは婚約者のフロイドに中庭へと呼び出される。そこで彼が告げたのは、「君に愛はないんだ」という残酷な一言だった。幼いころから将来を約束されていた二人。家同士の結びつきの中で育まれたその関係は、アリスにとって大切な生きる希望だった。フロイドもまた、「君を幸せにする」と繰り返し口にしてくれていたはずだったのに――。
殿下、幼馴染の令嬢を大事にしたい貴方の恋愛ごっこにはもう愛想が尽きました。
和泉鷹央
恋愛
雪国の祖国を冬の猛威から守るために、聖女カトリーナは病床にふせっていた。
女神様の結界を張り、国を温暖な気候にするためには何か犠牲がいる。
聖女の健康が、その犠牲となっていた。
そんな生活をして十年近く。
カトリーナの許嫁にして幼馴染の王太子ルディは婚約破棄をしたいと言い出した。
その理由はカトリーナを救うためだという。
だが本当はもう一人の幼馴染、フレンヌを王妃に迎えるために、彼らが仕組んだ計略だった――。
他の投稿サイトでも投稿しています。
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
婚約破棄は喜んで
nanahi
恋愛
「お前はもう美しくない。婚約破棄だ」
他の女を愛するあなたは私にそう言い放った。あなたの国を守るため、聖なる力を搾り取られ、みじめに痩せ細った私に。
え!いいんですか?喜んで私は去ります。子爵令嬢さん、厄災の件、あとはよろしく。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
【12話完結】私はイジメられた側ですが。国のため、貴方のために王妃修行に努めていたら、婚約破棄を告げられ、友人に裏切られました。
西東友一
恋愛
国のため、貴方のため。
私は厳しい王妃修行に努めてまいりました。
それなのに第一王子である貴方が開いた舞踏会で、「この俺、次期国王である第一王子エドワード・ヴィクトールは伯爵令嬢のメリー・アナラシアと婚約破棄する」
と宣言されるなんて・・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる