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続編
6 静かなる布石
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(三人称・ユリウスside)
あの訓示が行われるよりも少し前――昼の鐘が過ぎた頃、王都中央行政局の局長はユリウスのもとを訪れていた。
オックスリー商会が所有する迎賓用のサロンには、穏やかな陽光が差し込んでいる――王都の一等地に建てられ、通常は特別な取引先や国賓級の客人しか招かれない、静謐な空間である。
そには、控えめながらも上質な調度が揃えられ、照明の灯りも柔らかい。
壁際には手入れの行き届いた花が飾られ、香りすらも控えめに計算されていた。
給仕の所作に至るまで、すべてが“洗練”の二文字に収まっている。
その空気の中で、局長は、どこか緊張した様子を隠しきれずにいた。
口調こそ丁寧だが、その声音にはほんのわずかな硬さがあり、手元に添えたナプキンを、無意識に何度も指でいじっていた。その理由は、明白だった。
ユリウス・バートン男爵。
オックスリー商会の副会長にして、政財界の動向を静かに動かす存在である。
その背後には、商会の会長であり、現在はノルディアン公国の公妃となったレティシアがいる。
さらにその夫は、国王に次ぐ身分とされるノルディアン大公、エドワルド。
ユリウス個人の才覚に加え、“王家に準ずる後ろ盾”が、彼の発言力を格別なものにしていた。
彼は、怒鳴らず、威張らず、ただそこに“いるだけ”で、相手に緊張を強いることができる男のひとりだった。
◆◇◆
「実は今、中央行政局の内部で、人員の見直しや業務の簡素化を含む改革を進めようとしています」
局長が、切り出す。
「ですが、そのためには、仕事の流れや職員ごとの負担を正確に把握できる仕組みが必要でして……。 オックスリー商会が持つ業務支援システムと分析の技術を、ぜひお借りできないかと。 本日は、そのお願いに参りました」
ユリウスは、ナイフを置く手を止めた。
わずかに目を細め、口元にごく小さな笑みを浮かべる。
――まったく、タイミングがいい。
毎晩のように灯りの消えない部署。
特定の職員にだけ仕事が集中しているという、穏やかでない事実。
それを局長にどう伝えるべきか、機会を見ていたところだった。
「なるほど。組織の構造そのものに手を入れるということですね」
ユリウスは声を和らげながら、ゆっくりと言葉を返す。
「それなら、どの部署で何が起きているか――見えにくい部分まで把握できる仕組みが必要になります。 弊商会のシステムなら、業務の流れや職員ごとの作業負担も、しっかり“可視化”することが可能です」
局長が小さく頷く。明らかに、安堵の色が浮かんでいた。
ユリウスは少しだけ視線を落とし、グラスの縁に指先を添えた。
それから、まるで雑談のように、穏やかな調子で言葉を続ける。
「……少し気になっていることがあるのですが、最近、遅くまで明かりが消えない部署がありますね? 一部の職員に仕事が集中していませんか?」
局長の動きが、ほんの一瞬だけ止まる。
「……それは初耳です。もし本当なら、見過ごせませんね」
局長の声にはわずかに戸惑いがにじんでいたが、すぐに表情を整え、まっすぐな眼差しでユリウスを見た。
「そういった偏りも、今回の改革で是正したいと考えています」
「制度を変えるだけでは、本質的な改善にはつながりません」
ユリウスの声は、柔らかいままだ。
「日々の業務の偏りや、見えにくい習慣こそが、組織の歪みを生むものです。もし本気でそれに向き合うご意思があるのなら――私たちは、喜んでお力添えいたします」
言葉を終えたあとも、ユリウスの笑みは薄く残っていた。
穏やかで、優しげなその表情の奥に、“本気の意志”と“譲らぬ覚悟”が見え隠れしていた。
局長は、それを正面から受け止めるように、椅子の上で姿勢を正したのだった。
あの訓示が行われるよりも少し前――昼の鐘が過ぎた頃、王都中央行政局の局長はユリウスのもとを訪れていた。
オックスリー商会が所有する迎賓用のサロンには、穏やかな陽光が差し込んでいる――王都の一等地に建てられ、通常は特別な取引先や国賓級の客人しか招かれない、静謐な空間である。
そには、控えめながらも上質な調度が揃えられ、照明の灯りも柔らかい。
壁際には手入れの行き届いた花が飾られ、香りすらも控えめに計算されていた。
給仕の所作に至るまで、すべてが“洗練”の二文字に収まっている。
その空気の中で、局長は、どこか緊張した様子を隠しきれずにいた。
口調こそ丁寧だが、その声音にはほんのわずかな硬さがあり、手元に添えたナプキンを、無意識に何度も指でいじっていた。その理由は、明白だった。
ユリウス・バートン男爵。
オックスリー商会の副会長にして、政財界の動向を静かに動かす存在である。
その背後には、商会の会長であり、現在はノルディアン公国の公妃となったレティシアがいる。
さらにその夫は、国王に次ぐ身分とされるノルディアン大公、エドワルド。
ユリウス個人の才覚に加え、“王家に準ずる後ろ盾”が、彼の発言力を格別なものにしていた。
彼は、怒鳴らず、威張らず、ただそこに“いるだけ”で、相手に緊張を強いることができる男のひとりだった。
◆◇◆
「実は今、中央行政局の内部で、人員の見直しや業務の簡素化を含む改革を進めようとしています」
局長が、切り出す。
「ですが、そのためには、仕事の流れや職員ごとの負担を正確に把握できる仕組みが必要でして……。 オックスリー商会が持つ業務支援システムと分析の技術を、ぜひお借りできないかと。 本日は、そのお願いに参りました」
ユリウスは、ナイフを置く手を止めた。
わずかに目を細め、口元にごく小さな笑みを浮かべる。
――まったく、タイミングがいい。
毎晩のように灯りの消えない部署。
特定の職員にだけ仕事が集中しているという、穏やかでない事実。
それを局長にどう伝えるべきか、機会を見ていたところだった。
「なるほど。組織の構造そのものに手を入れるということですね」
ユリウスは声を和らげながら、ゆっくりと言葉を返す。
「それなら、どの部署で何が起きているか――見えにくい部分まで把握できる仕組みが必要になります。 弊商会のシステムなら、業務の流れや職員ごとの作業負担も、しっかり“可視化”することが可能です」
局長が小さく頷く。明らかに、安堵の色が浮かんでいた。
ユリウスは少しだけ視線を落とし、グラスの縁に指先を添えた。
それから、まるで雑談のように、穏やかな調子で言葉を続ける。
「……少し気になっていることがあるのですが、最近、遅くまで明かりが消えない部署がありますね? 一部の職員に仕事が集中していませんか?」
局長の動きが、ほんの一瞬だけ止まる。
「……それは初耳です。もし本当なら、見過ごせませんね」
局長の声にはわずかに戸惑いがにじんでいたが、すぐに表情を整え、まっすぐな眼差しでユリウスを見た。
「そういった偏りも、今回の改革で是正したいと考えています」
「制度を変えるだけでは、本質的な改善にはつながりません」
ユリウスの声は、柔らかいままだ。
「日々の業務の偏りや、見えにくい習慣こそが、組織の歪みを生むものです。もし本気でそれに向き合うご意思があるのなら――私たちは、喜んでお力添えいたします」
言葉を終えたあとも、ユリウスの笑みは薄く残っていた。
穏やかで、優しげなその表情の奥に、“本気の意志”と“譲らぬ覚悟”が見え隠れしていた。
局長は、それを正面から受け止めるように、椅子の上で姿勢を正したのだった。
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