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犬が虹の橋を渡ったのはエレノアのせい?
エレノアが九歳になった頃のことだ。彼女が可愛がっていた小型犬のフィデルが、ここ数日元気をなくし、寝てばかりいる。いつもならエレノアの足元に駆け寄り、尻尾を振って喜ぶ姿が当たり前だったのに、その明るさがどこかへ消えてしまったかのようだった。召使いたちは食事を変えたり、獣医を呼んだりとできる限りの手を尽くしたが、フィデルの体調は一向に回復しなかった。
エレノアの心は沈み、食事もほとんど喉を通らない。そんな彼女の様子を見かねた従姉のセリーナが、静かに部屋を訪れた。
「エレノア、大丈夫? 最近元気がないみたいだけど……フィデルのことを心配しているのね?」
セリーナの柔らかく優しい声は、エレノアの脆い心をさらに揺さぶった。
「ええ……フィデルがこんなふうに弱っているなんて……。どうしてなのかわからないの」
エレノアは涙を堪えきれず、か細い声で答えた。
セリーナは小さく息をつきながら椅子に腰を下ろし、少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「実はね、エレノア……少し気になっていることがあるの。言ってもいい?」
「何?」
セリーナの目がわずかに憂いを帯びた。
「あなた、フィデルを可愛がりすぎたのかもしれないわ」
「可愛がりすぎた……?」
「ええ。お菓子をあげたり、抱っこばかりして甘やかしているでしょう? もちろん、それは愛情から来ていることだとはわかっている。でも、それがフィデルの体に負担をかけている可能性があるのよ」
エレノアの眉が曇る。
「そんな……私はただ、フィデルに幸せでいてほしくて……」
「わかるわ。でもね、あまりに甘やかされると、犬も本来の力を失ってしまうことがあるのよ」
その言葉に困惑するエレノアの背後から、父であるニューマン侯爵が部屋に入ってきた。彼は忙しい仕事の合間を縫い、エレノアの様子を見に来たようだった。
「おや、エレノア。元気がないようだが、どうした?」
エレノアは父の存在に少し安心しながらも、不安そうに聞いた。
「お父様……私、フィデルを甘やかしすぎていますか?」
エレノアの意図を知らないニューマン侯爵は、一瞬考えるような素振りを見せたが、深く悩むこともなく明るい声で答えた。
「ああ、そうだな。私がエレノアを溺愛しているように、エレノアもフィデルを溺愛しているように見えるよ。動物好きで優しいところがエレノアらしいな。心配はいらない。そのうちフィデルも元気になるさ」
侯爵は笑みを浮かべながら、優しくエレノアの頭を撫でる。そしてセリーナにも目を向けて感謝を述べた。
「セリーナ、エレノアを慰めていてくれたのかい? いつも支えになってくれてありがとう」
「とんでもありません。エレノアは私にとって妹のような存在ですし、こうして美しい従妹のお世話をさせていただけるのは光栄ですわ」
セリーナの言葉に満足したニューマン侯爵は仕事へ戻るため、その場を後にした。セリーナは侯爵の足音が完全に遠ざかったのを確認すると、さらに静かな声で語り始めた。
「エレノア、あなたの愛はフィデルにとって不幸を招くの。不思議だけど、あなたにはそんな負の力があるように感じるわ。ごめんなさいね。もちろん、私の気のせいかもしれないけれど」
セリーナの声はどこか悲しげで、諭すようだった。しかし、エレノアにはその裏に潜む意図を見抜く術はなかった。その言葉は彼女の心に深く突き刺さった。
フィデルの弱った姿が脳裏をよぎる。自分の無意識の行動がフィデルの健康を損ねたのだと考えると、胸が締め付けられるような痛みが湧き上がった。
「私が間違っていたの……?」
「間違いじゃないわ。ただ、エレノアの愛はそういう結果を招きやすいのよ。あまり愛情を注がないほうがいいの。これがフィデルにとっても、あなたにとっても一番の方法だと思うわ」
セリーナの言葉は親身なものに聞こえたが、その裏にはエレノアに自己嫌悪を植え付ける狙いが潜んでいた。それに気づかないエレノアは、自分の中に巣食う疑念を膨らませていく。
――私の愛は、不幸を呼ぶものなの?
まだ九歳のエレノアにとって、セリーナの言葉は重く、父の何気ない答えは逆にその信憑性を高めるものとして響いていた。エレノアの心は、さらに深く沈んでいった。
フィデルは懸命な治療も空しく、静かに虹の橋を渡った。その原因はエレノアのせいではなかった。この世界では、犬が突如高熱を出し、衰弱して命を落とす原因不明の病が存在していた。未だ治療法が確立されておらず、誰もその命を救う術を持っていなかったのだ。
だが、セリーナはどこか満足げな表情を浮かべ、確信めいた声で呟いた。
「やっぱりね……。エレノアがあんなに甘やかしたせいで、フィデルの本来の治癒力が失われてしまったのよ……可哀想に」
エレノアは力なく項垂れ、号泣したのだった。
エレノアの心は沈み、食事もほとんど喉を通らない。そんな彼女の様子を見かねた従姉のセリーナが、静かに部屋を訪れた。
「エレノア、大丈夫? 最近元気がないみたいだけど……フィデルのことを心配しているのね?」
セリーナの柔らかく優しい声は、エレノアの脆い心をさらに揺さぶった。
「ええ……フィデルがこんなふうに弱っているなんて……。どうしてなのかわからないの」
エレノアは涙を堪えきれず、か細い声で答えた。
セリーナは小さく息をつきながら椅子に腰を下ろし、少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「実はね、エレノア……少し気になっていることがあるの。言ってもいい?」
「何?」
セリーナの目がわずかに憂いを帯びた。
「あなた、フィデルを可愛がりすぎたのかもしれないわ」
「可愛がりすぎた……?」
「ええ。お菓子をあげたり、抱っこばかりして甘やかしているでしょう? もちろん、それは愛情から来ていることだとはわかっている。でも、それがフィデルの体に負担をかけている可能性があるのよ」
エレノアの眉が曇る。
「そんな……私はただ、フィデルに幸せでいてほしくて……」
「わかるわ。でもね、あまりに甘やかされると、犬も本来の力を失ってしまうことがあるのよ」
その言葉に困惑するエレノアの背後から、父であるニューマン侯爵が部屋に入ってきた。彼は忙しい仕事の合間を縫い、エレノアの様子を見に来たようだった。
「おや、エレノア。元気がないようだが、どうした?」
エレノアは父の存在に少し安心しながらも、不安そうに聞いた。
「お父様……私、フィデルを甘やかしすぎていますか?」
エレノアの意図を知らないニューマン侯爵は、一瞬考えるような素振りを見せたが、深く悩むこともなく明るい声で答えた。
「ああ、そうだな。私がエレノアを溺愛しているように、エレノアもフィデルを溺愛しているように見えるよ。動物好きで優しいところがエレノアらしいな。心配はいらない。そのうちフィデルも元気になるさ」
侯爵は笑みを浮かべながら、優しくエレノアの頭を撫でる。そしてセリーナにも目を向けて感謝を述べた。
「セリーナ、エレノアを慰めていてくれたのかい? いつも支えになってくれてありがとう」
「とんでもありません。エレノアは私にとって妹のような存在ですし、こうして美しい従妹のお世話をさせていただけるのは光栄ですわ」
セリーナの言葉に満足したニューマン侯爵は仕事へ戻るため、その場を後にした。セリーナは侯爵の足音が完全に遠ざかったのを確認すると、さらに静かな声で語り始めた。
「エレノア、あなたの愛はフィデルにとって不幸を招くの。不思議だけど、あなたにはそんな負の力があるように感じるわ。ごめんなさいね。もちろん、私の気のせいかもしれないけれど」
セリーナの声はどこか悲しげで、諭すようだった。しかし、エレノアにはその裏に潜む意図を見抜く術はなかった。その言葉は彼女の心に深く突き刺さった。
フィデルの弱った姿が脳裏をよぎる。自分の無意識の行動がフィデルの健康を損ねたのだと考えると、胸が締め付けられるような痛みが湧き上がった。
「私が間違っていたの……?」
「間違いじゃないわ。ただ、エレノアの愛はそういう結果を招きやすいのよ。あまり愛情を注がないほうがいいの。これがフィデルにとっても、あなたにとっても一番の方法だと思うわ」
セリーナの言葉は親身なものに聞こえたが、その裏にはエレノアに自己嫌悪を植え付ける狙いが潜んでいた。それに気づかないエレノアは、自分の中に巣食う疑念を膨らませていく。
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だが、セリーナはどこか満足げな表情を浮かべ、確信めいた声で呟いた。
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エレノアは力なく項垂れ、号泣したのだった。
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