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嫉妬
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セリーナの父、ブレンダンはニューマン侯爵の弟である。しかし、彼の地位は華やかとは程遠い。分家として形式的に設立された家系の当主ではあるが、ナイト爵の称号を持つだけで、実質的な領地はない。騎士としての名目上の地位はあれど、与えられる薄給では家族を養うのもままならなかった。それでも何とか生活を成り立たせているのは、兄であるニューマン侯爵の温情があってこそだった。
ニューマン侯爵は彼に、敷地内に家を構えることを許し、食事や衣服を提供し、ブレンダン家族を頻繁に自邸へ招くことで、まるで自分の家族の一員であるかのような生活を送らせていた。この厚意がなければ、ブレンダン一家は貧困のどん底に沈んでいただろう。
だからこそ、ブレンダンは常に兄に頭を下げ、従順な態度を崩さなかった。セリーナもそれを見習い、ニューマン侯爵の前では礼儀正しく振る舞い、折に触れて感謝の意を伝えていた。その謙虚さは侯爵の心証を良くし、セリーナをエレノアの従姉として暖かく迎え入れる理由の一つにもなった。だから、セリーナは自由にニューマン侯爵邸を行き来できるのだ。
しかし、一歩家に帰れば話は違った。閉じた空間の中で、ブレンダンは妻に愚痴をこぼしながら、ニューマン侯爵の不満を言い募った。
「いくら兄貴だからって、あんなに偉そうにされるなんてな……。爵位も領地も、全部俺が生まれる前に決まってたことだが、不公平だよな。俺だってニューマン侯爵家の一員だってのに」
「まあまあ、あなた。私たちがニューマン侯爵家の敷地で暮らせているだけありがたいと思わなきゃ」
妻がなだめるように言うが、その声にもどこか諦めの色が混じっていた。
セリーナもまた、家ではニューマン侯爵やその娘エレノアの悪口をこぼしていた。
「本当に不公平だわ! お父様だってニューマン侯爵家に生まれたのに、弟だからって爵位も継げずに財産もないなんて。こんなの間違ってる! それにエレノアときたら、いつもきらびやかなドレスを着て贅沢三昧で……。私だってニューマン侯爵からドレスをあつらえてもらっているけど、エレノアに気を遣ってあえて地味な生地を選んでいるのよ」
嫉妬心はさらにエスカレートしていくが、セリーナが選んだ生地はどれもエレノアのドレスの生地より高価だったが、その点はすっかり忘れているようだった。
「しかも、あの子は『天性の歌姫』なんて呼ばれて、皆から褒めそやされるばかり。あんなの、腹が立って仕方ないわ!」
エレノアの歌声は、セリーナの言葉通り天上の響きだった。その声は軽やかに舞う小鳥のさえずりのように愛らしく、また祈りのような荘厳さを持つ旋律を紡ぎ出すこともできた。その七色に変化する声は社交界の人々を魅了し、「神に選ばれし才能」とまで称賛されるほどだった。
それだけに、セリーナの心に芽生えた嫉妬は凄まじいものだった。幼い頃は純粋に姉妹のように遊んでいた二人だが、エレノアが才能を開花させるにつれ、セリーナの中に暗い影が落ちるようになった。
「エレノアが傷つく顔を見ると、なんだか心がスッとするのよね」
あるとき、そう呟いたセリーナの言葉を聞いて家族は凍り付いた。しかし、彼女が続けて明るく笑い飛ばしたことで、誰もその言葉の深さを追及しなかった。だが実際、セリーナはエレノアの美しい顔が悲しみに曇る瞬間を楽しんでいた。
エレノアが涙を流すとき、セリーナの心はどこか晴れやかになる。悲しみや苦しみに打ちひしがれたエレノアの姿を見ると、日頃の鬱屈した感情が解放されるような気がしたのだ。
――どんどん自分の殻に閉じこもって、二度と歌が歌えなくなればいい!
そう願わずにはいられなかった。エレノアの才能や美貌は、セリーナの心に深いコンプレックスの影を落としていた。外面は完璧な従姉を装う一方で、心の奥底ではエレノアに対する妬みが渦巻き、その存在そのものを否定したいという思いが日増しに強くなっていく。
セリーナにとって、エレノアの輝きは自分の欠落を浮き彫りにするものだった。それは彼女がどう足掻いても埋められない差であり、日々の生活の中で目の当たりにするたび、嫉妬という名の苦しみを彼女にもたらした。
こうして、エレノアを傷つけることがセリーナにとっての小さな復讐となり、彼女の心の均衡を保つための手段になっていったのだった。
ニューマン侯爵は彼に、敷地内に家を構えることを許し、食事や衣服を提供し、ブレンダン家族を頻繁に自邸へ招くことで、まるで自分の家族の一員であるかのような生活を送らせていた。この厚意がなければ、ブレンダン一家は貧困のどん底に沈んでいただろう。
だからこそ、ブレンダンは常に兄に頭を下げ、従順な態度を崩さなかった。セリーナもそれを見習い、ニューマン侯爵の前では礼儀正しく振る舞い、折に触れて感謝の意を伝えていた。その謙虚さは侯爵の心証を良くし、セリーナをエレノアの従姉として暖かく迎え入れる理由の一つにもなった。だから、セリーナは自由にニューマン侯爵邸を行き来できるのだ。
しかし、一歩家に帰れば話は違った。閉じた空間の中で、ブレンダンは妻に愚痴をこぼしながら、ニューマン侯爵の不満を言い募った。
「いくら兄貴だからって、あんなに偉そうにされるなんてな……。爵位も領地も、全部俺が生まれる前に決まってたことだが、不公平だよな。俺だってニューマン侯爵家の一員だってのに」
「まあまあ、あなた。私たちがニューマン侯爵家の敷地で暮らせているだけありがたいと思わなきゃ」
妻がなだめるように言うが、その声にもどこか諦めの色が混じっていた。
セリーナもまた、家ではニューマン侯爵やその娘エレノアの悪口をこぼしていた。
「本当に不公平だわ! お父様だってニューマン侯爵家に生まれたのに、弟だからって爵位も継げずに財産もないなんて。こんなの間違ってる! それにエレノアときたら、いつもきらびやかなドレスを着て贅沢三昧で……。私だってニューマン侯爵からドレスをあつらえてもらっているけど、エレノアに気を遣ってあえて地味な生地を選んでいるのよ」
嫉妬心はさらにエスカレートしていくが、セリーナが選んだ生地はどれもエレノアのドレスの生地より高価だったが、その点はすっかり忘れているようだった。
「しかも、あの子は『天性の歌姫』なんて呼ばれて、皆から褒めそやされるばかり。あんなの、腹が立って仕方ないわ!」
エレノアの歌声は、セリーナの言葉通り天上の響きだった。その声は軽やかに舞う小鳥のさえずりのように愛らしく、また祈りのような荘厳さを持つ旋律を紡ぎ出すこともできた。その七色に変化する声は社交界の人々を魅了し、「神に選ばれし才能」とまで称賛されるほどだった。
それだけに、セリーナの心に芽生えた嫉妬は凄まじいものだった。幼い頃は純粋に姉妹のように遊んでいた二人だが、エレノアが才能を開花させるにつれ、セリーナの中に暗い影が落ちるようになった。
「エレノアが傷つく顔を見ると、なんだか心がスッとするのよね」
あるとき、そう呟いたセリーナの言葉を聞いて家族は凍り付いた。しかし、彼女が続けて明るく笑い飛ばしたことで、誰もその言葉の深さを追及しなかった。だが実際、セリーナはエレノアの美しい顔が悲しみに曇る瞬間を楽しんでいた。
エレノアが涙を流すとき、セリーナの心はどこか晴れやかになる。悲しみや苦しみに打ちひしがれたエレノアの姿を見ると、日頃の鬱屈した感情が解放されるような気がしたのだ。
――どんどん自分の殻に閉じこもって、二度と歌が歌えなくなればいい!
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こうして、エレノアを傷つけることがセリーナにとっての小さな復讐となり、彼女の心の均衡を保つための手段になっていったのだった。
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