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1巻
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しおりを挟む初恋ノスタルジア
プロローグ
初めての恋がいつだったか――?
なんて、他愛ない会話を交わすことがある。
これって答えられそうでいて、意外と考え込んでしまう問いかけじゃないだろうか。
『初恋』と呼ぶくらいだから初めての体験なわけで、どこからが恋といえるのかなんて曖昧なのに、記憶の糸を手繰り寄せるのは難しい。
ましてやそれが一目惚れなどではなく、青から紫を経て赤に変化を遂げるグラデーションのように、友情から始まり愛情へと移り変わっていくものだとしたら、なおさら「いつ?」「どこで?」という瞬間を特定するのは困難だ。
だけど――私は友情が恋に変わったその瞬間を、今でもハッキリと思い出すことができる。
それは小学校一年生のとき。
相手は、家がお隣同士の幼なじみで、クラスメイトの男の子。
季節は夏だった。小学校から程近い美術館の中はセミの合唱を阻んでしんと静まり返っていたけれど、すぐに私たちの足音や笑い声などで賑やかになった。
引率の先生が窘めながら整列させ、順路に従い館内を回っていく。
生徒たちのほとんどが、見学は二の次。窮屈な教室から離れ、貴族のお屋敷のような厳かな雰囲気の漂う空間にはしゃいでいるみたいだった。
ついこの間まで幼稚園や保育園に通う幼児だったことを思えば、それも仕方ないのだろう。
「まえ、すすんでるよ」
「……」
「ねえねえ、きいてる?」
そんな大多数の例からは漏れ、この課外授業を本来の意味で楽しんでいたのは、もしかしたら私だけだったのかもしれない。
すぐ後ろに並んでいた子に肩を叩かれても夢見心地だったから、おかしなヤツだと思われていたに違いない。特に、特別展示のフロアに入ってからは、列から取り残されようが気にもとめず、一作品ごとに立ち止まっては、ただただ、豪奢なフレームに囲まれた絵画をぽかんと見上げていた。
「おーい、あずさ」
他の子に大きく後れをとっていた私の名を呼んだのが――彼だ。
「こうちゃん」
私も彼の名前を呼び、ほんの一瞬だけそちらを見た。
「だめだろ、ちゃんとれつについてこなきゃ」
こうちゃんはちょっと慌てた口調で私を注意しにきたけれど、クラス委員らしく「館内で大きな声を出してはいけない」という先生の言いつけは破らないように声を潜めていた。
これくらいの歳の子にしてはかなり真面目で賢い子だったと記憶している。
「うん」
良く言えばマイペース、悪く言えば協調性のない私は気のない返事をしただけだった。
彼の呼びかけに従わず、視線は上を向いたまま。瞳は「作品に触れないで下さい」という文句が添えられたロープの向こう側、一枚の絵画から離れない。
「……この絵がきにいったのか?」
打っても響く気配のない私の隣に並び、尋ねるこうちゃん。私はこくんと頷いた。
今日みたいな晴々とした夏の日差しの下、爽やかな草原で日傘を傾ける女性が振り返る姿。隣には、女性の子供と思しき男の子の姿もある。
そのときの柔らかな風が、光が、こちらにまで迫ってきたように感じ、無意識に目を細めた。
誰の何という作品かなんて知らなかったけど、まるで時空を超えて目の前にその光景が広がっているのではないかという錯覚に陥る。
「そっか。あずさもお絵かきじょうずだもんな」
こうちゃんの感心した声が聞こえる。
あくまでお絵かきであって、画用紙にクレヨンや色鉛筆などで好き勝手にいたずら描きをしていたようなレベルだ。
紛う方なき、小学一年生のクオリティ。
それでもこうちゃんは、そんないたずら描きをいつも上手だと褒めてくれていた。
「……」
だけど私は、優しい彼の言葉にもろくに反応できないほどのショックを受けていた。
何かを見て、あんなに心を動かされることなんて、今になってもない。
まるで、雷に打たれたみたいな強い強い衝撃が、身体中を駆け抜けた。
だめだ、私なんかじゃとてもかなわない。完敗。完全敗北。
……本気で落ち込んだ。
美術館に飾られるような巨匠が描いた作品と、子供の描き散らかしでは比べることすら愚かしいというのに――ましてやこれは後に知ることになるのだけれど、かの歴史的名作だ。
わずか七歳だった私にとって、それまでの短い経験だけが世界のすべてだったのだから、仕方ないといえば仕方ないのかもしれないけど……このときの心境を思い出すと、今でも恥ずかしいやらおかしいやらで笑ってしまう。
「わたし、こんな絵をかけるようになりたい」
素晴らしい作品にシビれた私は、落胆したのもつかの間、強い羨望を覚えていた。
誰に誓うわけでもなく、目の前の絵画に挑みかかる勢いで。
「『がか』になりたいってこと?」
こうちゃんが絵と私とをチラチラ見ているのを感じる。
画家という言葉を初めて耳にしたのはこのときだった。
「『がか』?」
「絵をかくおしごとをしている人のことだよ」
「ふうん」
さすが、優等生のこうちゃんは物知りだ。
聞いたばかりの言葉の響きがやけにカッコよく思えて、力いっぱい頷いた。
「それじゃあ、わたし、『がか』になる」
『がか』になれば、こんなすごい絵を描くことができるんだ。
なら、なりたい。大きくなったらその『がか』になって、キレイな絵をたくさん描くんだ。
子供ゆえの単純な思考ながら、心はもう遥か将来、二十年後の自分を見つめていた。
「なれるよ、ぜったい」
その返事には少しの揺らぎもなかった。
こうちゃんはいつでも私の味方。「そんなの無理だよ」なんて言わずに、快く背中を押してくれる。
「ほんと?」
「うん。ぼく、あずさの絵、すきだよ」
屈託のない笑顔で、濁りのない瞳で、こうちゃんがニコッと笑う。
――そのとき。
さっきとは違う――心臓をきゅうっと掴まれたみたいな甘い衝撃を受けた。
鮮麗な絵画が私を貫いたものよりも、もっと柔らかで繊細な衝撃。
幼かった私には、これがどういう感情なのかすぐには自覚できなかったけど。
その日を境に、こうちゃんへの想いは他の友達に対してとは違う特別なものへと変わっていった。
そう。私の初恋はあの暑い夏の日、大好きなモネの「日傘を差す女」の前で始まったんだ。
1
それから二十数年の時が流れ――私、結城梓は憧れの画家ではなく、至って平凡な高校の美術科教師となっていた。
* * *
「待って下さい、教頭! 実技科目はただでさえ単位を抑えられているのに、これ以上どう削れと仰るんですか!?」
私はたまらず椅子から立ち上がり、苛立ちに任せてデスクを叩く。
一日の授業を終えた放課後。肩の力が抜けた職員室に、一瞬にして緊張が走る。
まだ桜の花びらの舞う四月、年度初めなので新職員の紹介などを交え、比較的和やかに進んでいたはずの職員会議で、すべての職員の視線が私に集まったことを感じつつも私は興奮を抑えることができなかった。
我慢ならなかったのは、教頭が切り出したある議題についてだ。
私の様子を見て焦ったらしい教頭が、ギクリとした表情を浮かべた後、それをごまかすみたいな笑顔を作ってこちらを向いた。
「ええと、今、他教科の先生方から出ている案としては、先ほど提示した教科の時間を、英数国のほうにですね」
「ですから私のお尋ねしていることは、これ以上削られて、どう授業を成り立たせるのかということです」
そんなことを聞いているのではない。教頭の言葉の上に被せてもう一度訊き直す。
なぜ、私がこんなに厳しい口調でものを申しているのかというと……
今、この高校では新授業改革案なるものの検討がなされていて、それが受け持ちの教科に大きくかかわってくるからだ。
全国的に名の知れた進学校である、私立成陵高校――ここが私の職場だ。
国立大学や難関私立大学への進学率が高く、学力の養成に力を注いでいる。
志の高い受験生であれば一度は、分厚い受験本やウェブサイトの入学案内をチェックしているに違いない。
そして偏差値の目安の欄を見てため息をついたりするんだ、狭き門だなぁと。
ところがそんな天下の成陵高校も、ここ数年立て続けに、一流大学への進学率が落ち込んでいるという。実に致命的な問題だ。
そこで、英数国などの主要教科を受け持つ教師の間から提案が上がった。
それは、ペーパーテストに影響を及ぼさない芸術、技術家庭、体育などの時間を少し英数国に割り当てたらどうかというもの。
最初にその話を聞いたときは、耳を疑った。そして、その提案を受け入れた他の職員に対しても信じられない思いを抱いた。
実技科の時間を削る?
何をふざけたことを言ってるんだろう、と。
成陵が学力重視、受験重視の名門校なのは百も承知だし、私たちの受け持つ分野の教科が、入試に直接かかわってくるものじゃないのは確かだ。内申点には影響するかもしれないけれど、その場合、気になるのは推薦入試の生徒だけだろう。
成陵高校にももちろん、大学の推薦枠はいくつかあるけど、生徒たちの中で推薦を希望する子は少ない。一般入試に勝負を懸ける子がほとんどなのだ。
……が、だからといってそのペーパーテストのために、他教科の単位が削られるのは納得がいかない。
私たち実技科の教師だって、少ない単位数でなんとかカリキュラムを終わらせようと必死なのだ。 現状だって十分とは言えない単位数をさらに減らされるのは非常に困る。
「何も授業をなくすと言ってるわけじゃないんだ、少し減らすだけでしょう」
呆れたようで、かつ嫌味ったらしい声が、対角線上にあるデスクから聞こえてくる。
ソイツは首元のネクタイをわずかに緩めながら立ち上がると、わざとらしく肩を竦めてみせた。
成陵の職員室は、教科によりデスクのエリアが四分割されている。私のいるブロックは実技科エリア。隣が外国語科エリア。教頭のデスクはその二つの間にある。
実技科エリアの向かい側に、国語科と社会科のエリア。
――そして、たった今、不快な一言を放ったアイツのいる斜向かいには、数学科や理科のエリアがあるというわけだ。
……何その言い方。カチンときた。
「芸術の授業でも、一年間でかならず修了しなければならないカリキュラムがあるんです! そんな簡単に言わないで下さい」
「しかし成陵は学力重点校ですからね。生徒たちの学力が低下している今、こちらのほうに時間を回していただかないと」
「何ですって!?」
情の薄さを思わせる三日月のような唇が、にべもなく言った。
まるですぐに従うのが当然というような言い草に、まなじりを上げずにはいられない。
彼は、私の反応を楽しんでいるように見えた。瞳にたたえた悪意のある笑みが癇に障る。
「まぁまぁ、結城先生も山内先生も落ちついてください」
私と彼との間に走るピリピリとした空気を断ち切るため、教頭が身振りを交えて言った。
ハッと息を呑む音がした。隣の席、音楽科の月島先生だ。
彼女はきっと気が付いたのだ。この議題が、また面倒な揉め事のキッカケになってしまったということに。
山内と口論になるのはこれが初めてではない。
以前にも一度、新授業改革案が議題に上ったことがあったけれど、そのときも意見の違いで真っ向から対立したのだ。
以来、顔を合わせるたびに、些細なことで言い争いになっているのだから、いまさら驚いたりはしない。同僚たちから見れば、「また始まったか」くらいの日常茶飯事にすぎないのだ。
……もっとも、こうやって、「はなから相手にしていない」という態度をとるあたり、彼のほうは論争という認識すらないのかもしれないけど。
受け持ちの教科が違えば、思惑も違うし、価値観も大きく違う。
日頃から、この山内という教師とはウマが合わなかった。大きな理由は――
「大体ですね、山内先生には芸術を理解する心がないんだわ。だからそんな無神経なことが言えるんです」
彼が、美術や音楽などの芸術分野に対して関心が薄いという部分だ。
いや、直接尋ねてみたことはないけれど、こうして言葉を交わしていればひしひしと伝わってくるのだ。
すると、山内は小馬鹿にした笑いのまま、静かに問い返してくる。
「芸術が生徒の大学合格を運んできますか。おめでたいことを言いますね、結城先生は」
――おめでたいこと、だって?
「な、な、何よっ、山内先生、私はですね!」
……言い直す。芸術に対して関心が薄いどころか、蔑ろにしている。
そこが不愉快で、腹が立つっていうのに!
山内の授業を受けている生徒に聞いたのだけど、彼の授業は一切の脱線がなく、極めて無駄のないコンパクトなもので、大手予備校のそれに近いと。
なるほど、今の言葉とあわせて考えれば頷ける。
彼にとって重要なのは、生徒たちが入試でいい点数を取ることだ。だから、入試の科目に含まれていない芸術には、授業としての価値がない、と。そう思っている。
けれど美術科の教師としてはそれを認めるわけにはいかないのだ。
確かに、実技の科目を頑張ったところで、入試の点数は変わらないだろう。でも、人生においてもっと大切なものを得ることもあるかもしれない。
実技科はその可能性を秘めているのに。
「芸術は、何も学校でなくても学べるでしょう。そんなものより学力の充実を図ったほうがいいと思いますけどね」
怒りで言い返したいことがうまくまとめられないうちに、新たな一撃が降ってくる。
――そんなものとは何よ、そんなものとは!
学校では勉強だけを教えればいいなんてことがあってたまるか!
「学力ならそれこそ塾なり予備校なりがあるでしょう!? あなたよりも立派な講師がたくさんそろっているでしょうしね!」
ポーカーフェイスを貫いていた山内の眉がぴくりと動いたのを見逃さなかった。
そうなのだ。それこそ、学力を上げたいだけなら塾や予備校に行けばいい。
向こうの講師は百戦錬磨の、受験のプロだ。きっとこの男よりも遥かに的確な授業を行ってくれるに違いない。
ここぞとばかりに私が捲し立てようとしたとき。
「もうそれくらいにしませんか、結城先生、山内先生。毎回そうやって会議の時間をロスしてしまうのはもったいないです」
嫌味の応酬を遮ったのは、化学科の高遠という教師だった。
ノンフレームの眼鏡が似合う理知的な雰囲気、加えて端整な顔立ち。
私も山内も、彼の制止に従い口を噤んだ。私たち二人にとって、彼の言葉には教頭のそれよりも重みがある。
というのも、高遠先生と山内、そして私は、いずれも二年生のクラスの担任を務めている。
同じ学年の担任ともなれば、行事などで日頃から顔を合わせる機会も多い。そういうとき、私と山内の間にうまく入ってくれているのが、彼――学年主任の高遠先生なのだ。
私も山内も、何かとお世話になっている彼には頭が上がらない。
「ええと……まぁ、すぐに結論が出る話でもないので、次回の会議までに各教科の先生や校長と熟考したいと思います」
私と山内が黙ったのを確認すると、すかさず教頭がまとめた。
結局、前回に引き続き今回も議論は持ち越しとなったわけだ。
「次の議題ですが……」
これ幸いとばかりに題目は切り替わってしまった。おとなしく座るしかない……腰を下ろす瞬間、よせばいいのに、私と同時に着席しようとする山内のほうを見てしまう。
すると、向こうもたまたまこちらを見ていたらしく、視線がぶつかる。
「……!!」
アイツ……!
間違いない、今、私のことを鼻で笑った。
デスクの下で、ぶつけられない怒りを握った拳に込める。
私は深呼吸をして怒気を静めながら、会議の終了を待ったのだった。
「結城先生、ちょっといいですか」
「あ、はい」
職員会議が終了し、解散となったあと。
高遠先生に呼ばれた私は、彼のデスクのある数学科・理科エリアへと向かった。
会議の終盤には、熱しやすく冷めやすい性格の私はすっかり落ちつきを取り戻していた――のに。
「……あ」
「……」
そこには高遠先生だけではなく、他の教師も数名いて――あの山内の姿もあった。
「すみません、すぐ済みますので……」
先ほどのやりとりを収めた張本人である高遠先生は、私にだけ聞こえるように告げながら眉尻を下げた。
面子を見ると、どうやら二年生のクラスを受け持つ教師が呼び出されたらしい。学期の初めに行われる実力テストに関する連絡だった。
概要説明のプリントを配りながら、彼が口を開く。
「ご承知のことと思いますが、まだ二年生だからと悠長なことは言っていられません。今の時期から緊張感を持って学習にあたることは大切です。しっかりとその旨を生徒たちに伝えていただきたい。私からは以上です」
この高校にはクラス替えがなく、特別なことがない限り、クラスも担任も三年間一緒だ。
このプリントを生徒たちに配るたびに一年の三分の一が過ぎているのだと思うと、時の流れの速さを実感する。
今受け持っている子たちも、ついこの間までは新入生だったというのに。
「またどこかのクラスが平均点を下げなければいいんですけどね」
私の思考を遮ったのは、わざとらしい棘のある一言だった。
「それ、どういう意味ですか!?」
発信源は一ヶ所しかありえない。私はソイツを睨みつけた。山内だ。
彼は口元を歪めて笑った。
「前回の実力テストを覚えてないとは言わせません。結城先生、あなたの受け持つD組の三科目の平均点は学年最下位でしたよね」
「っ……!」
痛いところを突かれた。確かに……
我がD組の前回の試験結果はふるわなかった。
いや、前回だけではない。前々回も残念な結果に終わっている。
私が放任主義であることは確かだ。それは認める。こういうのは自分で危機感を持って臨まないといけないと思うから、あえて口煩くは言わないようにしているのだけど……それを差し引いたとしても、のんびりしている生徒が多いのかもしれない。
「ご、ご心配なく。今回は、だっ、大丈夫です!」
「自信があるなら結構。せいぜい他のクラス――特に、うちのクラスの足を引っ張らないようにしていただければね」
ちなみに山内のB組は昨年行われた三回とも、不動の一位だ。噂によるとヤツはテストの前、自分のクラスの生徒たちに相当なプレッシャーをかけているらしい。
純粋に生徒たちのためなら理解できるし、口を出すつもりはないけれど、自分のステータスのためだというなら人間的に尊敬できないやり方だ。
「だから、引っ張りませんって、余計なお世話よ!!」
それを知っていた私は、つい声を荒らげてしまった。
私のことなら構わないけど、大事な生徒のことを言われては黙っていられない。
「それなら安心です。情操教育に熱心なのもいいですが、成陵はやはり名門進学校ですからね。その品位を汚さないようにしてください」
「……っ!!」
しれっとして嫌味を並べる山内に、我慢の限界を感じた。
私の熱伝導率は半端じゃない。せっかく気分を落ちつけたと思っていたところだったのに……先ほどまでの怒りが再燃する。
「ふ、二人とも。少し落ちついて下さい」
今にも爆発しそうな私を見かねた高遠先生がまた止めに入る。
「D組の生徒は授業態度も熱心ですし、レポートの出来もしっかりしてます。真面目にコツコツ勉強するタイプの生徒が多いと思うので、ペーパーテストにもそのうちに成果が出てきますよ」
山内の様子を窺いながらも、高遠先生は私を慰めてくれる。そうだった、昨年はD組の化学を担当してくれていたのだっけ。
「高遠先生……」
そう言ってもらえると救われる。校内でも一、二を争うデキる男だとは知っていたけど、本当に気の利く同僚だと感心してしまった。
「……さ、それじゃ、僕は失礼しますよ」
それに比べてこの嫌味男ときたら。
山内は言いたいことを言うと、さっさといなくなってしまった。
ああもう、イライラする……!
山内のヤツ……どうして、突っかかってくるのよ!?
かばってくれた高遠先生にお礼を言ってからも、私は怒りの収まらないままに職員室を後にした。
「ただいまっ!」
苛立ちを引きずりながら美術室の扉を開けると、木製の引き戸は勢い余ってピシャリと派手な音を立てる。コの字形の校舎の突き当たりにあるこの部屋は、他の教室に比べて奥行きが広めで、その分、音の響きが無駄にいい。
すると、乱れなく並んだ机の後ろで、キャンバスと睨めっこしていた女子二人が「ひゃっ」と小さく叫び声を上げた。驚かせてしまったようだ。
「おかえりなさい、梓センセ」
「ご機嫌ナナメですね。会議で何かあったんですか?」
二人は揃って手にしていた絵筆やパレットを置いて立ち上がると、扉のそばへと寄ってくる。
成陵のトレードマークである深緑のブレザーではなく、戦隊モノのヒーローを連想させる作業用のツナギで現れた彼女たちは、私が顧問を務める美術部の部員だ。
五月の初めにあるコンクールに出展する油絵が仕上がらないとかで、最近は毎日のようにこの場所で描き続けている。
「そうなのよ、あーもうっ、ホント腹が立つっ!」
職員室からの道すがら、山内に言われたことを反芻していた私は、いよいよ耐え切れずに鬱憤を吐き出した。
何よ、あの他人を馬鹿にした笑い方。それにあのチクチクした物言い!
「また山内センセですか?」
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