アイリスとリコリス

沖月シエル

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第1章/1-36

11 ▼『フォックス・アンド・ウルフ』▼

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「姉さん! 見て、できた!」

俺は自作の紙飛行機を持って、中庭で休んでいたオフィーリアに見せに来る。細い木材で簡単に骨組みを作ってから、全体に薄い紙を貼って仕上げた。ちょっと不格好だが、性能は申し分ない。あまりに出来がよかったので、つい嬉しくなってオフィーリアに見せに来たのだ。

「上手だね」

「ちゃんと飛ぶんだ」

俺は紙飛行機を水平に投げる。紙飛行機は俺の手から離れ、すぅーっと音も無く飛んで行く。

ガサッ!

紙飛行機はそのまま落ちることなく中庭の端の繁みに突っ込んだ。

「あっ!…壊れないかな?」

「丈夫に作ってあるから。まあ、壊れても直せばいいさ、俺が作ったんだから!」

「すごいね」

「大人になったら、設計士かパイロットになろうかな!」

ま、立場的に無理なんだけど。分かってるんだけどね…

「…んー、どっちがいいかな? 姉さん…」

俺はオフィーリアの方を振り返る。オフィーリアがその場でうずくまっていた。

「姉さん!」

俺は慌ててオフィーリアの側まで走って行く。オフィーリアは片手でお腹のあたりをおさえながら、もう片方の手で苦しそうに口をおさえている。吐き気がするのだろうか? 心配だ…

「大丈夫?」

「…うん。突然びっくりしたよね? ごめんね…」

オフィーリアは、近頃こんなふうにつらそうにしていることが多くなった。体調が悪いのかもしれない。何か大きな病気とかじゃなければいいが…

「…ルシーダ、わたし、もしかしたら、しばらくここを離れなくちゃいけなくなるかもしれない」

「そうなの?」

「あなたにもしばらく会えなくなると思う…ごめんね」

オフィーリアは寂しそうな顔をする。

「いや、謝ることないよ。元気になってさ、帰って来てよ。そしてまた一緒に、ご飯食べたり、勉強したり、歌ったり、ぼーっと空見たりしようよ…姉さん?」

オフィーリアが泣いている。

「…どうして泣くの? 泣かないで」

姉さんが悲しそうだと、なんだか俺も悲しくなってくる。

「…そうだ、姉さん元気になったらさ、空を飛ぶ船に二人で乗ってみようよ。鳥みたいに。自由に。青空の中を。どこまでも」

「…これはわたしのわがままなの。でもどうしても。こうするしかなくて。本当にごめんなさい。あなたのそばにいられなくて」

「どうしたの? 姉さん。どうしてそんなに謝るの?」

「ごめんね。ルシーダ」



▼  ▼  ▼



「…ルシーダ、大丈夫?」

…ゆっくりまぶたを開く。俺を心配そうに見ているエリオットがぼんやり見える。もう朝だ。

夢を見ていたか…オフィーリアがいなくなる直前の頃のことは、夢でもつらいな…きっと、エリオットと一緒にいたからオフィーリアを思い出したんだろう。なんだか妙に寂しい気分だ。

「…ルシーダ、泣いてない?」

「いや」

手で涙を軽く拭う。

「…あのね、言っていいかな? お姉さんがいるの?」

「…聞かれたか」

寝言で喋ってしまっていたようだ。この際、もう言ってしまおうか。実は俺、レンブルフォートの皇子なんだ。それでエリオット、お前が、大好きだった姉さんに本当そっくりで、それで…

なんだかお前まで、俺のそばから突然いなくなってしまうんじゃないかって。

そしたら俺は。また一人になる。大好きだった人に、また会えなくなる。

…そんな気がして。

「…エリオット、どこにもいかないよな?」

「何言ってるの? 一緒に住み始めたばっかりじゃない」

「そうなんだけど、なんだか急に不安になってさ」

エリオットはちょっと不思議そうな表情だ。

「エリオット、実は俺」



「…何?」

「実は…」

言え、言うんだ。勇気を振り絞れ。

「本当は俺」

エレノアの怒り狂った表情が突然頭に浮かんできた。

やめよ。

「…な、なんでもない」

「そうなの?…別にいいよ、わたしなら。大丈夫だから、ね? 安心して」

エリオットの顔を見る。オフィーリアの優しい表情にそっくり。

すっと肩の力が抜ける。

「…実は俺、レンブルフォートの」

コンコン!

「…エリオットさーん! お願いしまーす!」

突然、玄関の扉の外で呼ぶ声がする。来客のようだ。

「あ、誰か来たみたい。ちょっとごめんね、ルシーダ」

エリオットは玄関まで行き、来客と少し話をする。

「…今から!? まだそんな時間じゃないでしょ!?…」

「…それが、急に欠員ができて…」

「…もぅー! やだぁー!…」

エリオットのうんざりした声が聞こえてくる。どうやら急用のようだ。話を終えたエリオットは俺のところに戻ってくる。

「ごめんね、ルシーダ。急に仕事入っちゃった」

「構わないよ」

結局言えなかった…まあ、今回はいいか。こんなこともあるよな。

「夜には帰って来るから」

「そんなにかかるのか?」

「何日も帰らないこともあるよ」

「そうか…大変だな。ま、今日は待ってるよ」

「うん。ありがとう」

エリオットは俺の手を握る。やわらかい。

「…ルシーダ、わたしどこかへ行っても、時間がかかっても、ちゃんとあなたのところへ帰って来るから」



▼  ▼  ▼



夜。エリオット行きつけの酒場、『フォックス・アンド・ウルフ』にて。店は繁盛していて、大勢の客で賑わっている。自然木と熱帯植物を基調とした内装もセンスが良く、居心地がいい。エリオットいい店知ってるじゃないか。

「…だあー! なぁーんでいっつもこーなのよー!」

エリオットは酒を飲んで酔っている。本当になんでいつもお前はこうなんだ。

「…ねえールシーダもそう思うでしょー!?」

「思いマス」

俺とエリオットは小さな丸テーブルを囲んで、向かい合って立っている。狭さがちょうどいい感じだ。

「でしょー!? こっちは欠員埋めるためにわざわざ行ってやってるってのに、なぁーんでキャリアってああも偉っそーにしてんのかねー?」

「もう少し声抑えた方が…」

「いいの! ここなら誰も気にしてないから!」

確かに、周りも酒の勢いでがやがや大きな声で話している。誰が何話しているとかよく分からない。

「お嬢さんたち、お隣いいかな?」

突然声をかけられて振り向く。なんだ? ナンパならよそでやってくれ…

声をかけてきた男の顔を見る。見覚えのあるふさふさのグレーの髪と、頭良さそうな眼鏡。

!!

「やあ、デート中すまないね」

ク、クロノス…!!

なぜキサマが!?

「あら…ルシーダがいいなら?」

エリオットは酔っぱらったまま俺を見る。

「だめだ!」

「なぜだい? つれないね。あの日はあんなに楽しかったのに」

「お前だけだろ! 俺をあんなめに遭わせやがって!」

「なんだか知り合いみたいだね。いいんじゃない? みんなで飲んだほうが楽しいし!」

「なんでそうなる!」

「じゃ遠慮無く」

「そこは遠慮しろ!」

「一杯ずつ奢るよ」

「やったあ! よかったねっ、ルシーダっ。あ! 店員さんちょっとー! コレおかわりーっ! ねえねえ、ルシーダは?」

「…ト、トマトジュース…」

クロノスは俺たちが囲んでいたテーブルに着く。本当に遠慮が無い。片手にビールのジョッキを持っている。酒飲むんだな。学者って聞いてたからそんなイメージ無かったんだが。

「…しかしお前、こんな所来るんだな。酒よりコーヒーが似あいそうだけど」

「コーヒーはいつも飲んでるさ。たまには、コイツもね」

クロノスは自分のジョッキを指差す。

こいつ酔わなそう…

「しかしルシーダ、君の方こそ、次期レンブルフォート領主がこんな所にいていいのかい?」

!!

「どういうこと?」

エリオットが聞き返す。

ばれた。

めっさばれた。

まさかこんな形でこうもあっさりと。

…納得いかん!

「ち、違う違う何でもない、ってかクロノス! お前何てこと言うんだ!」

「どうしてだい? どのみちもうじきみんなに知れわたることだろう?」

「…そうなの?」

エリオットが少し驚いたように俺を見る。

「ルシーダ、その話本当? ルシーダって何者なの?」



▼  ▼  ▼



はあ…

エリオットにいろいろ質問攻めされて疲れた…

「…うーん、でもなんとなく、そんなんじゃないかなーって思ってたけどねっ」

「受け入れるの、早くない?」

「そーう?…酔っぱらってるからかなー!」

エリオットの順応能力高!

「…さて、ばれてしまったものはもう仕方ないね」

クロノスがほぼしらふの口調で話しかける。やっぱり酔わないか…って、お前のせいだろ!

…ん? なんか変だ。クロノス、お前まさか…わざと…?

「安心して! わたし誰にも言わないから」

「頼む」

「ルシーダがどんな事情抱えてても、わたしにとって、ルシーダはルシーダだから」

エリオットがにっこり微笑む。

「…ありがとう」

これでよかったんだろうか。実はしらを切り通してもよかったんだけど、でも白状すると、俺もエリオットには話してしまいたかった。エリオットにだけは。結果的にちょうどよかったのかもしれない。

まあ開き直るしかないか。なるようになれ。なんとかなる…よな?

クロノスは俺の方を向くと、改めて話しかける。

「…で、ルシーダ、次予定が空いている日はいつかな?」


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