アイリスとリコリス

沖月シエル

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第1章/1-36

29 ▽ドジッ子メイドと有能シーフ▽

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お腹空いたなあ…

毎朝このくらいの時間に自室に朝ご飯を届けてもらっているんだけど、今日は遅い。30分くらいたったかな? もっとかも。なんかひもじくなってきたので僕は部屋を出て宮廷厨房へ催促に向かうことにする。ちなみにここの食事はとにかくおいしい。ついつい食べすぎてしまう。

…そういえば僕、ちょっとふとったかも…気をつけないと。今度宮廷の周囲をウォーキングしよう。草木が綺麗に整えられていて、歩いていて気持ちがいい歩道だ。

ガチャ。

「キャッ!」

部屋の扉を開けたところで、慌てて食事を運んで来たメイドとぶつかりそうになる。

「わっ!…ごめんなさい。大丈夫ですか?」

「はい…す、すみません。お食事が遅れまして…」

「いえいえ、お気になさらず。何かあったんですか?」

「実は今日、王国本土から賓客の方々がいらっしゃるので、準備で忙しくて人手が足りていないんです…申し訳ありません」

王国本土からの賓客。僕は聞いていなかったけど、どうりでなにやら昨夜あたりから宮廷内が慌ただしかったわけか。何者だろう? まあ僕が気にしてもしかたない。ということは、今頃ルシーダも忙しくしているんだろうな。今日は会えないかも。



「…あの、もし大丈夫だったら、僕も何かお手伝いできることはありますか?」



▽  ▽  ▽



宮廷での安全な生活は、新鮮で自尊心も満たされるし悪くないが、とにかく退屈なのが難点だ。いや本当は退屈なんてしている場合じゃないんだけど、とりあえず今僕にできることは一通りやってしまったし、後はニキータの報告待ちだ。彼にはかなり難しい仕事を頼んでいるし、おそらくまだ時間がかかるだろうと僕は思っている。その間どうやって時間を潰すか悩んでいたところだ。

「あら! サイズがぴったりですね! とてもよく似あってますよ!」

「どうも」

鏡の前で、メイド服姿の自分を眺める。余っていたのを貸してもらった。当たり前のように女性用の服を渡されたが、もちろん僕は今さらそんなことは気にしない。

うん。素敵。

暇な時間を過ごすのにちょうどいいアルバイトが見つかった。



▽  ▽  ▽



いや結構忙しい。いや本格的に忙しいなコレ。やめとけばよかった。

賓客って、いったい何人来るんだ? 午前には客室の掃除や準備、調度品の整頓。矢継ぎ早に指示されて目が回る。昼間に1時間の休憩、軽く食事をとって午後から厨房へ。2時間ほどひたすら皿を洗い続ける。洗っても洗っても次々と皿が届くのでいつまでたっても終わらない。いい加減腕が疲れて来たところで、晩餐会が行われる会場に移り、会食の準備を手伝う。

食器をテーブルに並べていると、ルシーダが会場に入って来た。

「準備は順調みたいだな、このまま滞り無く進めておいてくれ…っておおおい! お前なんちゅー格好しとんねん!」

メイド服姿の僕を見つけて、ルシーダが素っ頓狂な声を上げる。

「貸してもらったんだ、どう? 似あうでしょ?」

「似あう、ね…ってそうじゃない! 何をやっているんだ!」

「何って、見ての通り、働いてるのさ」

「お前は皇族なんだからそんなことはしなくてもいいんだよ」

「何もしなかったら退屈で死んじゃうよ。それに僕、結構仕事の手際いいんだよ。さっきも食器の並べ方が綺麗だって褒められたばかりさ」

ルシーダはやれやれといった様子で額に手をあててうつむく。

「…とにかく、お前のことはまだ秘密なんだ。何かあったら面倒だろ。頼むから勝手なことはしないでくれ。アルバイトしたいなら俺が何か用意させるから」

「うーん…せっかく慣れてきたところなのに…まあ君がそう言うなら、分かったよ」

僕は食器の残りが乗ったワゴンに触れる。

「途中でやめると迷惑かかるから、これの残りを全部並べたら、終わりにするね」

僕は仕事を再開する。

「…じゃあ、そういうことで頼んだぞ。俺は用事があるから。それにしてもお前、皇族のくせにこんな仕事できるのか?」

「心外だな。僕は器用なんだ」

腰に手をあてて軽くポーズをきめる。

「優秀メイド、アナスタシア様にお任せあれ!」

「ああーっ!! 危なーいっ!!」

ガシャァァン!!



頭が暖かい。

「…わわわっ、すみませんっ! すみませんっ!」

朝僕の自室に食事を運んで来てくれたメイドの人だ。僕の真後ろで料理を派手にひっくり返したらしい。ある意味才能だ。僕のトマトソースがけを作りたいらしい。

ルシーダが絶句して僕を見つめている。

いいんだよ。笑っても。



アナスタシアのトマトソースがけ、いかがですか?



▽  ▽  ▽



シャワーを浴びて、手伝いを終えた僕は、後の仕事は使用人達に任せて、先に自室に帰る。

…ハア…久々に働いたらなんか疲れたな…無駄に…

「よっ」

下を向いて歩いていて、声をかけられたので顔を上げる。僕の自室の扉の側で、ニキータが壁にもたれかかって立っている。

「ニキータ!」

「遅かったな」

僕はニキータに駆け寄る。

「久しぶり」

「なんでだよ。こないだ会ったばっかだろ」

「君と会えない時間は長いよ」

「そっか…ま、それはそうと、進展があったぜ。いい報告だ」

ニキータは本当に仕事が早い。



▽  ▽  ▽



僕の自室、ニキータとふたり。ニキータはステンドグラスの窓の近くの机の上に腰かける。ちょっと行儀が悪いけど、ニキータだから許す。僕は近くの椅子に座る。

「…でその、科学研究所だっけ? その人物についてだけどな」

ニキータは少しもったいぶる。

「…どうだった?」

「ふふ」

「早く教えてよ」

「領主様に直接会ったやつ、見つけたぜ」

「何だって?」

僕は驚いて思わず声を上げる。

「名前はクロノス。王立科学戦術兵器研究所所属。ここは前から王国軍部ともめてるらしい。アナスタシアが聞いた領主様の話と一緒だな」

「そうか…さすがだね。まさか見つけてくれるとは思わなかったよ」

ニキータは得意げだ。

「オレを誰だと思ってる? いやー久々に楽しんでるよ。あちこちの仲間ともまた連絡取り合ってな…戦争が終わってから、あいつらまた新しくいろいろやってるみたいで、情報交換できて有意義さ。しかも今回は王国の機密事項が絡んでるからな、なんかゾクゾクするぜ」

「やっぱりニキータに頼んでよかったよ。でもそのクロノスっていう人とばれないように接触することは難しそうだね。王国にいるとなれば」

「それが、そいつレンブルフォートに来てるみたいなんだ」

!!

「…本当?」

「ああ。帝都の外れの森の中に、王国が新しく研究所を建ててるみたいなんだが、そこで研究するみたいなんだ」

「帝都の外れか…近いね」

「半日あれば馬車で往復できるぜ。うまくやれば簡単に会えそうだ。なんならオレが先に行ってみようか?」

「…できそう?」

「余裕」

ニキータはキメ顔。ダサい。美形の顔のもったいない使い方だ。

「…じゃ、やってみてくれないか。お金が必要ならまたルシーダに頼んでみるよ。怪しまれない程度が限度だけど」

「あるに越したことないから、よろしく頼む」

「…それにしても、よくそこまで調べられたね」

本当に、ここまで必要な情報が揃うとは思わなかった。しかもこんなにも早く。当初の想定よりもだいぶ計画を進捗させられそうだ。ちょっとニキータの実力を過小評価していたかもしれない。仕事の質も早さも超有能級だ。

「そりゃそうさ。オレたちはプロだからな。入念な準備もするし、ちょっとワルもやる。隠しておいた金を使って賄賂に用立ててくれたヤツもいる。オレはまあ、顔と身体を使うのが得意だからさ、女と寝たり、男と寝たり…使えるものは何でも使う」

「…ご、ごめんね…そこまでしてもらって…」

分かっていることとはいえ…彼のその話を聞くのは、ちょっとしんどいな…

「いや? オレたちは楽しいからやってるだけだぜ? みんな喜んでるよ、いい儲け話だってな」

「それなら良かったけど…」

「でも、そのクロノスってやつの情報を手に入れてどうすんだ? そいつ何か役に立つのか?」

僕はニキータに微笑む。

「…ルシーダにしてもらった話をふり返ってみて、その辺がどうも使えると思うんだ」

「使える?」

「そう」


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