1 / 1
業々延々
しおりを挟む
――あぁ、クソ。ダメだ。
毒づいた声はゴミと自分しかいない部屋に響き、ヘッドホンに遮られて曇った。
ちょっとした天啓かと思うほど、これは"行ける"と思っていたドラムのフィルイン。実際に打ち込んで音を聞いてみたら、これがまぁ大してハマらず。細かい修正を試してみても無駄で、いっそ邪魔なくらいだった。
午後の気怠い会議の合間、腹痛を訴えトイレに逃げ込んでまでメモしたのに。早く帰って形にしてしまいたくて弾んでいた夕方の自分に教えてやりたい。そいつは箸にも棒にもかからない、フレーズのストックにもならないクソなんだぞと。
ヘッドホンをむしり取るように外し、デスクの上に投げた。ついでに外れた度の入っていないPC用眼鏡も同様にして。机上で唯一それなりの値段がするオーディオインターフェースを避けて放った辺り、みみっちい貧乏根性が表れている。そして安物の椅子へ当たり散らすように背中を押し付ける。握っていた無線のマウスも床に投げ捨ててやろうかと思ったが、それで壊れたらもっと惨めな気分になるだけだと思って、やめた。
わざと不機嫌な音を立てて溜め息を吐く。今度は何にも遮られず明瞭に聞こえた。もちろん、そんなことで気分が晴れるはずもない。
加熱式タバコのホルダーとスティックを引っ掴んで、椅子を膝裏で押し退けるように立ち上がる。窓を開けて、ベランダへ出た。
洗濯物を干すのにも大した役を成さない半畳ほどの空間。見下ろした路地に人の気配はない。深夜の住宅街、コンビニを求める近辺の住民以外は通る理由もないような道だから当然か。
内部の温度が上昇したことを知らせるランプを確かめて、タバコの端に口をつけた。掠れた味の煙を適当に肺へ流し込んで、吐き出す。紙巻きから移行した直後は軽すぎて物足りなかったのに、すっかり慣れてしまった。室内で吸っても問題ない程度にヤニは少ないと聞くが、それでも賃貸の部屋でそんなことをする勇気はない。機材やギターに臭いがついて価値が下がるのも御免だ。もともと安物ばかりとは言え。
街灯の数がケチられているせいで、そこかしこに薄闇が吹き溜まっている。それをぼんやりと見つめ、改めて自らの何者にもなれない日々を思い返す。
実家を出て安くもない家賃を払い、誰でも出来る仕事を誰でも出来る質と速度でこなし、苦笑いしか出ない額の給料を受け取っている。人並みに身を削るストレスにもう限界だと毎日のように呻いて。恋人なんてここ何年もいないし、金を払ってまで女に触る気力もない。SNSを眺めては楽しそうな誰かに嫉妬して、そのバカバカしさに自ら呆れて。
趣味らしい趣味といえば、精々が今さっき投げ出したアレくらいだ。
よくあるメロディに教科書通りのアレンジを乗せた曲を一ヶ月以上もかけて作り、苦労したフリをして。それを動画サイトに放り投げては精々数百、千を超えれば御の字程度の再生数に一喜一憂する。インターネット上に掃いて捨てるほどいる、創造性の欠片もないDTMerのうちの一人。
そんな時間と気力があるのなら、勉強して資格でも取って仕事の足しにすればいいと自分でも思う。限りある人生とやらを浪費している実感は十分にあった。
不快を混ぜた煙を吐き出すついでに建物の狭間、細く区切られた空を見上げた。灯りが少ないせいだろう、こんなところでも星はそれなりに見える。流れ星でも降ってくれれば、珍しいものが見れたと自分を慰めることもできるだろうか。そんなものに願いを込めたって、何も変わらないと知ってはいても。
――けれど、作業中に前傾で固まっていた首へかかる負荷が心地よくて、しばらく空を見上げていた。
そしてふと頭を過ぎるメロディ。自分のじゃない。随分と昔――股間の毛が生えたかどうかを気にしていた、そのくらい昔。初めて自分の小遣いで買ったCDに入っていた一曲。
決して明るくはない、内向的な曲だ。そんな曲を歌っていた彼等は、確か三ヶ月後くらいに武道館でライブをやるはずだ。今でもこの曲を演ることなんてあるのだろうか。
自分の生き方と彼等の生き方を、較べることすら難しい。
そんな風になりたいわけじゃない。なれるなんて思っているはずもない。そういう人間もどこかには居るんだと、思いを馳せるだけ。
ああ、タバコを口元へ運ぶのも億劫だ。
とりとめなく、価値も意味もなく。そんなことを考えて。
ほの温かいホルダーの中、タバコの葉がただ炭になっていく。
そして、不意に。何の予兆もなく。
それが浮かび上がる。降ってくる。
曖昧な形のイメージ。目の奥で瞬く青い光の錯覚。どろりと背筋を這い落ちる痺れ。慌てて意識を向けて、そっとその尾に手を伸ばして。どうにか輪郭をはっきりさせようと試みる。
空を見上げ、ぽかんと口を開けたまま。間抜け面を星に嗤われても今は構わない。漂っているその気配を逃したくはない。
そして、そして――捕まえた。
急くままにすぐ部屋へ戻り、タバコのホルダーは適当に机へ転がした。飛び込むようにディスプレイの前に座る。今だ、今のうちにこれを吐き出しておかなければ。
これだって、どこかで誰かがとっくに思いついているような。すでにありふれていて、今更自分が形にしたところで何が変わるわけでもないものなんだろう。けれど、それでも、小さな自分の器から溢れてしまったものをどうにかせずにはいられない。思いついてしまったものを、無価値だからとなかったことに出来るほど大人じゃない。だからいつまでもこんなことを辞められずにいる。
画面上に開いたウィンドウへ夢中で向かってキーボードへ指を走らせる。
そうして手繰り寄せたのはたった数行。何らかの価値があるのかどうかも分からない詞の断片。
どんなに願っても叶わない、そんな夢の歌。
毒づいた声はゴミと自分しかいない部屋に響き、ヘッドホンに遮られて曇った。
ちょっとした天啓かと思うほど、これは"行ける"と思っていたドラムのフィルイン。実際に打ち込んで音を聞いてみたら、これがまぁ大してハマらず。細かい修正を試してみても無駄で、いっそ邪魔なくらいだった。
午後の気怠い会議の合間、腹痛を訴えトイレに逃げ込んでまでメモしたのに。早く帰って形にしてしまいたくて弾んでいた夕方の自分に教えてやりたい。そいつは箸にも棒にもかからない、フレーズのストックにもならないクソなんだぞと。
ヘッドホンをむしり取るように外し、デスクの上に投げた。ついでに外れた度の入っていないPC用眼鏡も同様にして。机上で唯一それなりの値段がするオーディオインターフェースを避けて放った辺り、みみっちい貧乏根性が表れている。そして安物の椅子へ当たり散らすように背中を押し付ける。握っていた無線のマウスも床に投げ捨ててやろうかと思ったが、それで壊れたらもっと惨めな気分になるだけだと思って、やめた。
わざと不機嫌な音を立てて溜め息を吐く。今度は何にも遮られず明瞭に聞こえた。もちろん、そんなことで気分が晴れるはずもない。
加熱式タバコのホルダーとスティックを引っ掴んで、椅子を膝裏で押し退けるように立ち上がる。窓を開けて、ベランダへ出た。
洗濯物を干すのにも大した役を成さない半畳ほどの空間。見下ろした路地に人の気配はない。深夜の住宅街、コンビニを求める近辺の住民以外は通る理由もないような道だから当然か。
内部の温度が上昇したことを知らせるランプを確かめて、タバコの端に口をつけた。掠れた味の煙を適当に肺へ流し込んで、吐き出す。紙巻きから移行した直後は軽すぎて物足りなかったのに、すっかり慣れてしまった。室内で吸っても問題ない程度にヤニは少ないと聞くが、それでも賃貸の部屋でそんなことをする勇気はない。機材やギターに臭いがついて価値が下がるのも御免だ。もともと安物ばかりとは言え。
街灯の数がケチられているせいで、そこかしこに薄闇が吹き溜まっている。それをぼんやりと見つめ、改めて自らの何者にもなれない日々を思い返す。
実家を出て安くもない家賃を払い、誰でも出来る仕事を誰でも出来る質と速度でこなし、苦笑いしか出ない額の給料を受け取っている。人並みに身を削るストレスにもう限界だと毎日のように呻いて。恋人なんてここ何年もいないし、金を払ってまで女に触る気力もない。SNSを眺めては楽しそうな誰かに嫉妬して、そのバカバカしさに自ら呆れて。
趣味らしい趣味といえば、精々が今さっき投げ出したアレくらいだ。
よくあるメロディに教科書通りのアレンジを乗せた曲を一ヶ月以上もかけて作り、苦労したフリをして。それを動画サイトに放り投げては精々数百、千を超えれば御の字程度の再生数に一喜一憂する。インターネット上に掃いて捨てるほどいる、創造性の欠片もないDTMerのうちの一人。
そんな時間と気力があるのなら、勉強して資格でも取って仕事の足しにすればいいと自分でも思う。限りある人生とやらを浪費している実感は十分にあった。
不快を混ぜた煙を吐き出すついでに建物の狭間、細く区切られた空を見上げた。灯りが少ないせいだろう、こんなところでも星はそれなりに見える。流れ星でも降ってくれれば、珍しいものが見れたと自分を慰めることもできるだろうか。そんなものに願いを込めたって、何も変わらないと知ってはいても。
――けれど、作業中に前傾で固まっていた首へかかる負荷が心地よくて、しばらく空を見上げていた。
そしてふと頭を過ぎるメロディ。自分のじゃない。随分と昔――股間の毛が生えたかどうかを気にしていた、そのくらい昔。初めて自分の小遣いで買ったCDに入っていた一曲。
決して明るくはない、内向的な曲だ。そんな曲を歌っていた彼等は、確か三ヶ月後くらいに武道館でライブをやるはずだ。今でもこの曲を演ることなんてあるのだろうか。
自分の生き方と彼等の生き方を、較べることすら難しい。
そんな風になりたいわけじゃない。なれるなんて思っているはずもない。そういう人間もどこかには居るんだと、思いを馳せるだけ。
ああ、タバコを口元へ運ぶのも億劫だ。
とりとめなく、価値も意味もなく。そんなことを考えて。
ほの温かいホルダーの中、タバコの葉がただ炭になっていく。
そして、不意に。何の予兆もなく。
それが浮かび上がる。降ってくる。
曖昧な形のイメージ。目の奥で瞬く青い光の錯覚。どろりと背筋を這い落ちる痺れ。慌てて意識を向けて、そっとその尾に手を伸ばして。どうにか輪郭をはっきりさせようと試みる。
空を見上げ、ぽかんと口を開けたまま。間抜け面を星に嗤われても今は構わない。漂っているその気配を逃したくはない。
そして、そして――捕まえた。
急くままにすぐ部屋へ戻り、タバコのホルダーは適当に机へ転がした。飛び込むようにディスプレイの前に座る。今だ、今のうちにこれを吐き出しておかなければ。
これだって、どこかで誰かがとっくに思いついているような。すでにありふれていて、今更自分が形にしたところで何が変わるわけでもないものなんだろう。けれど、それでも、小さな自分の器から溢れてしまったものをどうにかせずにはいられない。思いついてしまったものを、無価値だからとなかったことに出来るほど大人じゃない。だからいつまでもこんなことを辞められずにいる。
画面上に開いたウィンドウへ夢中で向かってキーボードへ指を走らせる。
そうして手繰り寄せたのはたった数行。何らかの価値があるのかどうかも分からない詞の断片。
どんなに願っても叶わない、そんな夢の歌。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
月弥総合病院
御月様(旧名 僕君☽☽︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる