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求婚2
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(……あの様子では到底諦めてくれなさそうね)
どうにかこうにかハーキュリーズから離れたエウリは嘆息した。
館内に戻る気にもなれず庭の奥を目指して歩いているエウリに声がかかった。
「レディ・エウリュディケ」
そのテノールの美声はハーキュリーズに似ているが彼よりも低く深みを感じさせるもので、こちらのほうがエウリは好きだ。
(あの方の声に似ているけど、まさかね?)
そう思いつつ振り返ったエウリだが、背後にいたのは、そのまさかの当人だった。
「帝国の盾」と謳われる宰相、オルフェウス・ミュケーナイ侯爵、ハーキュリーズの父親。
その容姿はハーキュリーズが三十代半ばになればこうなるだろうというものだった。
ただ瞳だけは息子とは違い緑柱石を思わせる美しい緑だ。
真紅の髪と緑の瞳、それらはミュケーナイ侯爵家の特徴である。
性を感じさせない美貌は息子と同じだが様々な経験を積んだ事による自信が美貌に深みを与えている。エウリは、この顔が一番好きだ。
「……宰相様」
このタイミングで声をかけられたのだ。十中八九、用件は先程の彼の息子との話だと思う。
「偶然通りかかって息子が君に求婚するのを聞いてしまった。盗み聞きみたいになってしまってすまないが」
帝国は男尊女卑の傾向が強い。
だのに、かなり高位の地位にいる彼のような男性が男爵令嬢にすぎない自分のような小娘に謝っている事にエウリは驚いた。
「そんな事はいいです。それに、ご子息からの求婚はお断りしましたから、ご安心ください」
「父親の私が言うのもなんだが、あの子はいい男だ。あんな条件など出さずに本当の夫婦になってくれないか?」
エウリは目を瞠った。
「……宰相様は、ご子息が私と結婚しても構わないのですか?」
「親馬鹿だと思われるだろうが私は息子を信じている。あの子が選んだ女性なら無条件で嫁だと認めるさ
頭ごなしに「息子を誑かしたな!」と糾弾されるよりはいいが、こんな風に認められても困る。エウリは無条件で結婚する気などさらさらないのだから。
「……申し訳ありません。条件を呑んでくださらないかぎり、ご子息と結婚する気はありません」
宰相は気の毒そうにエウリを見つめた。
「あの様子では簡単に諦めはしないだろう。初めての恋なら尚更だ」
(……最後の手段に出るしかないのかしら?)
思い悩むエウリに宰相が衝撃の言葉を放った。
「君が息子に提示した条件を呑む。私の二番目の妻になってほしい」
「はい?」
エウリのこれは勿論、承諾の意味の「はい」ではない。
「……冗談を言う方には見えませんでしたが、よりによってこの状況で、そんな悪趣味な冗談を口にされるなんて何を考えていらっしゃるんですか?」
かなり格上な貴人に対し失礼な発言だと充分承知しているがエウリは言わずにいられなかった。
「冗談ではない」
普通なら怒るだろうエウリの発言にも宰相は余裕で受け流した。
宰相は、その炎のような髪色とは違い、その地位に相応しく冷静沈着で優秀だ。だからこそ皇帝陛下の信頼も厚く「帝国の盾」とまで称えられているのだ。
「……私にご子息との結婚を勧めていたくせに、急に自分と結婚しろとは、どういう事ですか?
それに、あなたの奥方は皇帝陛下の妹君でしょう。私などを第二夫人にしたら陛下と気まずくなりませんか?」
宰相の唯一の妻、ハーキュリースとその妹の母親は、現皇帝アムピトリュオンの実妹、カシオぺアだ。
「それについては心配ない。あれと結婚した当初から陛下は私にこうおっしゃった。『第二、第三夫人を娶っても構わない。妹との離婚はなるべく避けてほしいが、そうなっても君への信頼は変わらない』と」
「でも、ご子息との間が気まずくなるでしょう。そうなっても責任など取りませんよ」
「断らないのだな」
おかしそうに言う宰相に(そういえば)とエウリも思った。
彼ら親子が気まずくなる原因になりたくないのなら、きっぱりと断ればいいのだ。
「……ああ、そうか。この世で一番好きな顔で、しかも私が提示した高飛車な条件を呑んでくださった。だからだわ」
納得しているエウリエウリを宰相は意外そうに見た。
「確かにハークと似た顔だが、私は『おじさん』だ。だのに、この顔のほうがいいのか?」
ハークはハーキュリーズの愛称だ。
「いろんな経験を積んだ壮年の美男のお顔は美少年にはない魅力がありますから」
「……光栄だな」
「勘違いなさらないで。私は男性の外見だけしか見ていません。勿論、内面が外見に与える影響よく分かっていますが、それでも男性の外見にして興味がないんです」
エウリは宰相の内面も含めて「魅力的」だと言ったのではない。妙な勘違いをされて迫られては大迷惑なので釘を刺しておいた。
「……そう言われるとかえって楽だな」
宰相はぽつりと呟いた。
「宰相様?」
「君が私達親子の外見にしか興味がないように、私も君の外見にしか興味がない。その姿を毎日傍で見ていられるのなら、息子の嫁でも私の妻でも構わないんだ」
エウリは目を瞠った後、爆笑した。
「あはは……私自身は男性に散々言いましたけど……面と向かって言われたのは初めてです」
エウリは目尻に溢れた笑い涙を細い指で拭った。
「君が私達親子に『顔しか興味がない』と言った事への仕返しではないのだが……気に障ったのなら、すまない」
「いいえ、お互い様ですから」
宰相に対しても彼の息子に対しても最初に失礼な発言をしたのはエウリだ。
しかも、エウリは彼らよりもずっと格下だ。そんな相手にすら自分が悪いと思ったら謝れる宰相にエウリは感心した。
「私の外見をお好きなら、尚更、私が提示した条件は呑めないのでは?」
いくら宰相の内面にも好感を抱きつつあるとはいえ本当の夫婦になっていいとまでは思わない。条件だけは絶対に守ってもらいたかった。
「君は勘違いしているね」
宰相は溜息を吐いた。
「勘違いですか?」
「君の姿は好きだが情欲の対象としてではないよ」
「……男性にそう言われても、とても信じられませんね」
幼い頃から男性から「そういう眼」で見られてきた。それだけでなく身の危険も散々味わった。今でも何とか「無事」でいられるのは奇跡だと思っているのだ。
だからこそエウリは男性の言葉を鵜呑みになど絶対にしない。
「絶対に手は出さない。なぜなら、君との間に息子が生まれてしまったら後継者問題が起きる。それは避けたい」
後継者問題はともかくエウリとしても子供だけは絶対に作りたくない。
「私の高飛車な条件を呑んでくださるのなら、あなたやハーキュリーズ様のお顔を常に見ていられる環境は願ってもないですが……本当によろしいのですか?」
「正妻なら問題だろうが二番目の妻なら問題ない」
「……そうですね」
第二夫人なら責任放棄しても、さして問題視されないはずだ。
「最初に言っておく。妻は高慢で気位の高い女だ。自分よりも若く美しい女性が夫の二番目の妻となったのなら凄まじい憎悪を向けてくるだろう。覚悟しておいてくれ」
ここれ宰相は、くすりと笑った。
「とはいっても、君はミュ……いや、見かけよりずっと気丈な女性のようだから心配はしてないがな」
夜会や園遊会で遠目に見た覚えがある。確かに宰相の発言が納得できる美しいが険のある顔の女性だった。
「ええ。私は見目のいい男性にしか興味ありませんから女性相手なら何をされても言われても全く気にしませんわ」
「本当に心強い。
ああ、そうだ。私の事は『オルフェ』と呼んでほしい。一応夫婦になるんだ。ずっと『宰相様』と呼ばれるのはな」
本当の夫婦になるのならともかく、かなり格上の相手を愛称呼びなんてと最初は戸惑ったエウリだが、考えてみれば彼ら親子に散々失礼な発言をしたのだ。今更愛称呼びくらいとも思う。それに、確かに自宅でもずっと職名で呼ばれては落ち着かないだろう。
「では、オルフェ様と呼ばせていたできます。私の事はエウリとお呼びください」
「……もう一度呼んでくれ」
そう言って向けられた宰相、オルフェの眼差しは切望に満ちたものだった。
「……オルフェ様」
エウリは戸惑いつつもオルフェの望み通り呼ぶと彼はそれはそれは嬉しそうの微笑んだ。
公式の場でのオルフェはほとんど無表情で、それすら整いすぎた造作を際立たせるものなので最高の芸術品を前にしたような感動を覚えたものだが、今見せている柔らかな微笑も違う魅力があってエウリは思わず見惚れていた。
だから、エウリはオルフェの呟きに気づかなかった。
「……ああ、やはり、その声で呼ばれるのはいいものだな」
どうにかこうにかハーキュリーズから離れたエウリは嘆息した。
館内に戻る気にもなれず庭の奥を目指して歩いているエウリに声がかかった。
「レディ・エウリュディケ」
そのテノールの美声はハーキュリーズに似ているが彼よりも低く深みを感じさせるもので、こちらのほうがエウリは好きだ。
(あの方の声に似ているけど、まさかね?)
そう思いつつ振り返ったエウリだが、背後にいたのは、そのまさかの当人だった。
「帝国の盾」と謳われる宰相、オルフェウス・ミュケーナイ侯爵、ハーキュリーズの父親。
その容姿はハーキュリーズが三十代半ばになればこうなるだろうというものだった。
ただ瞳だけは息子とは違い緑柱石を思わせる美しい緑だ。
真紅の髪と緑の瞳、それらはミュケーナイ侯爵家の特徴である。
性を感じさせない美貌は息子と同じだが様々な経験を積んだ事による自信が美貌に深みを与えている。エウリは、この顔が一番好きだ。
「……宰相様」
このタイミングで声をかけられたのだ。十中八九、用件は先程の彼の息子との話だと思う。
「偶然通りかかって息子が君に求婚するのを聞いてしまった。盗み聞きみたいになってしまってすまないが」
帝国は男尊女卑の傾向が強い。
だのに、かなり高位の地位にいる彼のような男性が男爵令嬢にすぎない自分のような小娘に謝っている事にエウリは驚いた。
「そんな事はいいです。それに、ご子息からの求婚はお断りしましたから、ご安心ください」
「父親の私が言うのもなんだが、あの子はいい男だ。あんな条件など出さずに本当の夫婦になってくれないか?」
エウリは目を瞠った。
「……宰相様は、ご子息が私と結婚しても構わないのですか?」
「親馬鹿だと思われるだろうが私は息子を信じている。あの子が選んだ女性なら無条件で嫁だと認めるさ
頭ごなしに「息子を誑かしたな!」と糾弾されるよりはいいが、こんな風に認められても困る。エウリは無条件で結婚する気などさらさらないのだから。
「……申し訳ありません。条件を呑んでくださらないかぎり、ご子息と結婚する気はありません」
宰相は気の毒そうにエウリを見つめた。
「あの様子では簡単に諦めはしないだろう。初めての恋なら尚更だ」
(……最後の手段に出るしかないのかしら?)
思い悩むエウリに宰相が衝撃の言葉を放った。
「君が息子に提示した条件を呑む。私の二番目の妻になってほしい」
「はい?」
エウリのこれは勿論、承諾の意味の「はい」ではない。
「……冗談を言う方には見えませんでしたが、よりによってこの状況で、そんな悪趣味な冗談を口にされるなんて何を考えていらっしゃるんですか?」
かなり格上な貴人に対し失礼な発言だと充分承知しているがエウリは言わずにいられなかった。
「冗談ではない」
普通なら怒るだろうエウリの発言にも宰相は余裕で受け流した。
宰相は、その炎のような髪色とは違い、その地位に相応しく冷静沈着で優秀だ。だからこそ皇帝陛下の信頼も厚く「帝国の盾」とまで称えられているのだ。
「……私にご子息との結婚を勧めていたくせに、急に自分と結婚しろとは、どういう事ですか?
それに、あなたの奥方は皇帝陛下の妹君でしょう。私などを第二夫人にしたら陛下と気まずくなりませんか?」
宰相の唯一の妻、ハーキュリースとその妹の母親は、現皇帝アムピトリュオンの実妹、カシオぺアだ。
「それについては心配ない。あれと結婚した当初から陛下は私にこうおっしゃった。『第二、第三夫人を娶っても構わない。妹との離婚はなるべく避けてほしいが、そうなっても君への信頼は変わらない』と」
「でも、ご子息との間が気まずくなるでしょう。そうなっても責任など取りませんよ」
「断らないのだな」
おかしそうに言う宰相に(そういえば)とエウリも思った。
彼ら親子が気まずくなる原因になりたくないのなら、きっぱりと断ればいいのだ。
「……ああ、そうか。この世で一番好きな顔で、しかも私が提示した高飛車な条件を呑んでくださった。だからだわ」
納得しているエウリエウリを宰相は意外そうに見た。
「確かにハークと似た顔だが、私は『おじさん』だ。だのに、この顔のほうがいいのか?」
ハークはハーキュリーズの愛称だ。
「いろんな経験を積んだ壮年の美男のお顔は美少年にはない魅力がありますから」
「……光栄だな」
「勘違いなさらないで。私は男性の外見だけしか見ていません。勿論、内面が外見に与える影響よく分かっていますが、それでも男性の外見にして興味がないんです」
エウリは宰相の内面も含めて「魅力的」だと言ったのではない。妙な勘違いをされて迫られては大迷惑なので釘を刺しておいた。
「……そう言われるとかえって楽だな」
宰相はぽつりと呟いた。
「宰相様?」
「君が私達親子の外見にしか興味がないように、私も君の外見にしか興味がない。その姿を毎日傍で見ていられるのなら、息子の嫁でも私の妻でも構わないんだ」
エウリは目を瞠った後、爆笑した。
「あはは……私自身は男性に散々言いましたけど……面と向かって言われたのは初めてです」
エウリは目尻に溢れた笑い涙を細い指で拭った。
「君が私達親子に『顔しか興味がない』と言った事への仕返しではないのだが……気に障ったのなら、すまない」
「いいえ、お互い様ですから」
宰相に対しても彼の息子に対しても最初に失礼な発言をしたのはエウリだ。
しかも、エウリは彼らよりもずっと格下だ。そんな相手にすら自分が悪いと思ったら謝れる宰相にエウリは感心した。
「私の外見をお好きなら、尚更、私が提示した条件は呑めないのでは?」
いくら宰相の内面にも好感を抱きつつあるとはいえ本当の夫婦になっていいとまでは思わない。条件だけは絶対に守ってもらいたかった。
「君は勘違いしているね」
宰相は溜息を吐いた。
「勘違いですか?」
「君の姿は好きだが情欲の対象としてではないよ」
「……男性にそう言われても、とても信じられませんね」
幼い頃から男性から「そういう眼」で見られてきた。それだけでなく身の危険も散々味わった。今でも何とか「無事」でいられるのは奇跡だと思っているのだ。
だからこそエウリは男性の言葉を鵜呑みになど絶対にしない。
「絶対に手は出さない。なぜなら、君との間に息子が生まれてしまったら後継者問題が起きる。それは避けたい」
後継者問題はともかくエウリとしても子供だけは絶対に作りたくない。
「私の高飛車な条件を呑んでくださるのなら、あなたやハーキュリーズ様のお顔を常に見ていられる環境は願ってもないですが……本当によろしいのですか?」
「正妻なら問題だろうが二番目の妻なら問題ない」
「……そうですね」
第二夫人なら責任放棄しても、さして問題視されないはずだ。
「最初に言っておく。妻は高慢で気位の高い女だ。自分よりも若く美しい女性が夫の二番目の妻となったのなら凄まじい憎悪を向けてくるだろう。覚悟しておいてくれ」
ここれ宰相は、くすりと笑った。
「とはいっても、君はミュ……いや、見かけよりずっと気丈な女性のようだから心配はしてないがな」
夜会や園遊会で遠目に見た覚えがある。確かに宰相の発言が納得できる美しいが険のある顔の女性だった。
「ええ。私は見目のいい男性にしか興味ありませんから女性相手なら何をされても言われても全く気にしませんわ」
「本当に心強い。
ああ、そうだ。私の事は『オルフェ』と呼んでほしい。一応夫婦になるんだ。ずっと『宰相様』と呼ばれるのはな」
本当の夫婦になるのならともかく、かなり格上の相手を愛称呼びなんてと最初は戸惑ったエウリだが、考えてみれば彼ら親子に散々失礼な発言をしたのだ。今更愛称呼びくらいとも思う。それに、確かに自宅でもずっと職名で呼ばれては落ち着かないだろう。
「では、オルフェ様と呼ばせていたできます。私の事はエウリとお呼びください」
「……もう一度呼んでくれ」
そう言って向けられた宰相、オルフェの眼差しは切望に満ちたものだった。
「……オルフェ様」
エウリは戸惑いつつもオルフェの望み通り呼ぶと彼はそれはそれは嬉しそうの微笑んだ。
公式の場でのオルフェはほとんど無表情で、それすら整いすぎた造作を際立たせるものなので最高の芸術品を前にしたような感動を覚えたものだが、今見せている柔らかな微笑も違う魅力があってエウリは思わず見惚れていた。
だから、エウリはオルフェの呟きに気づかなかった。
「……ああ、やはり、その声で呼ばれるのはいいものだな」
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