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血を絶やしたい
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話が一段落ついたので、義母が使用人達にお茶の支度を命じた。話が話のためオルフェが使用人達に居間には近づかないように言っていたのだ。
お茶の支度を終えた使用人達が退出した後、義母が言った。
「ミュケーナイ侯爵夫人、それは、あなたを守る最強の盾になると思う。勿論、今のグレーヴス男爵令嬢という立場も充分あなたを守ってはいるでしょう。けれど、グレーヴス男爵がお亡くなりになった後の事を考えるとオルフェに嫁いだほうがいいと思うわ」
帝国有数の商家であるグレーヴス男爵家。宰相であるミュケーナイ侯爵や皇族で帝国情報局の長官であるティーリュンス公爵と同じくらいエウリを守る強い盾ではある。
だが、それも義母が言う通り養父が生きている間だけだ。
養父の後を継ぐのは、次代のグレーヴス男爵は、義弟ではない。バイオリンの天才と謳われていても商才がまるでない義弟に息子だからという理由だけで後を継がせるほど養父は甘い人ではない。
名実共に養父の後を継ぎ次代のグレーヴス男爵となるのは、養父の妹の息子アルガロスだ。養父の甥であり、エウリにとっては義理の従弟だ。
エウリの五つ下、義弟と同い年であるアルガロスとは良好な関係だ。彼もまたパーシーと同じく男色家で大半の女性に敬意を払うからだ。
だが、いくら良好な関係とはいえ何の血の繋がりもないエウリをアルガロスが養父亡き後まで守る義理はない。
誰もエウリ(アネモネ)の素性は探れない。戸籍も与えられず隠されて育った公式には存在しない人間だ。しかも、そうしたのはフェニキア公国の大公家だ。数少ない彼女の出自を知る者達だって命が惜しければ墓場まで持っていく。
それでも余計な事を探られないために強い権力を持つ家の一員になるのが最良だった。これもまたアリスタとの結婚を決めた理由のひとつだ。
ラピテース子爵家は爵位こそ子爵だがミュケーナイ侯爵家と同じ帝国建国以来続く名門貴族だ。しかも、皇帝陛下の信任も厚い優秀な将軍を代々輩出している。
子爵位に甘んじているのは、どれほど軍功を立て皇帝陛下が侯爵位や公爵位を勧めても断り続けているからなのだ。アリスタと彼の父親ラピテース将軍を見ていれば分かるが二人のご先祖も地位や名誉に価値を見出さない方々だったのだろう。
「……ハークの気持ちを考えるとハークと結婚してほしいところだけど、それはできないのよね」
義母が溜息まじりに言った。
夫がオルフェでもハークでもミュケーナイ侯爵夫人であり宰相夫人にはなる。現在そうか将来そうなるかの違いだ。
「……はい。私を愛してくださる男性とは二度と結婚しないと誓っているので」
アリスタの時と同じになるからだ。そんな事は二度としたくない。
「結婚条件を呑んだから父上を新たな『夫』として選んだのは分かる。だが、父上は君を見ていない。君を通して君の母上を見ている。父上にとって君は君の母上の身代わりだ。それでもいいのか?」
祖母が自分の事を口にしたからか、ハークが話に入ってきた。
――父上が君を見ていなくても?
四日前、パーシーの館でハークが言った言葉を思い出した。
あの時、彼は本当は、こう言いたかったのだろう。
ただ父親はエウリの外見だけを見ているのではなく、それを通して別の女性を、エウリの母を見ているのだと。
「それは誤解だ。ハーク」
エウリが答える前に、オルフェが言った。
「どれだけ似ていても、この子とミュラが違う女性だと私はちゃんと認識している」
言った後でオルフェは苦笑した。
「……だが、そうだな。私は、この子をミュラの娘という眼でしか見なかった。一人の人間として見てなかったんだ。それは、身代わりにするよりも酷い事だな」
「愛した女性の娘として見てくれた。それだけで充分ですわ」
エウリを一人の人間として見てなかった者はオルフェだけではない。
母にアネモネと呼ばれていた頃、誰も彼女に係わろうとしなかった。いない者のように扱われてきた。実際、公式には存在しない人間だ。
今なら、禁断の行為の末に産まれてきた呪われた子供、しかも、公国と帝国、二つの国の絶対に知られてはならない秘密となる子供になど係わりたくない気持ちはよく分かる。
アドニスとしてさ迷っていた二年間も、通りすがりの男に憂さ晴らしに暴力をふるわれたり、おぞましい欲望の餌食として変態に狙われたりもした。
母の、愛した女性の娘として見てくれただけでも充分だ。
「……今の君は父上を人間として好ましく思っていても男性としては愛していない。だから、今はいいかもしれないけれど、いずれ父上を男性として愛してしまったら、つらいのは君だ。十八年も一人の女性を想っていた方だ。いくら愛した女性にそっくりでも、その女性の娘でも、君が愛される事は、まずないだろう」
「それでも父上と結婚するのか?」と言いたげなハークに、エウリは何でもないように答えた。
「子供を作らないという条件さえ守っていただければ構いません」
誰もが受け入れられないだろうエウリの結婚条件を受け入れてくれた。
愛した女性の、母の娘だから、あんな高飛車な結婚条件を受け入れてくれたのだと分かっている。エウリ自身を想ってくれている訳ではない。
それでも、あの瞬間から、いつかデイアが言っていた通り、オルフェはエウリの「特別」になったのかもしれない。
オルフェの心の中に「妻」となるエウリ以外の女性が、母がいる事で、ハークが言うように、つらい想いをするかもしれない。
だが、もし彼を愛してしまう事になったとしても、子供だけは絶対に作りたくないのだ。
「……なぜ、そこまで」
言いかけた後、ハークは黙り込んだが結局話を続けた。
「……求婚した時は『話す義務はない』と言われたし、全くその通りだが」
長い前置きは話そうと決心しても、ためらいがあるからだろう。
「求婚した時」云々で、エウリはハークが何を訊きたいのか分かった。
「あなた方には私の全てをお話ししました。もう隠す事などありませんよ」
安心させるように言ったエウリに、ハークは意を決した顔で言った。
「……なぜ、そこまで子供を産む事を忌避するのか、その理由でもか?」
――私のトラウマを話す義務はない。
ハークに求婚された時には、冷たくこう言った。
だが、今は知ってもらうべきだろう。家族になるのだから。
「……私の生物学上の父親であり祖父である『あの男』の血を絶やしたいからです」
出自とアドニスとして生きた二年間のせいで男性に嫌悪と恐怖を抱いている。そのせいで男性と恋愛関係になるのが怖い。
何かとまとわりつく義弟のせいで子供が嫌いになったのも子供がほしくない理由のひとつだ。
だが、一番の理由は、今言った通り、「あの男」の血を絶やしたいからだ。
「ご存知と思いますが、『あの男』、公国の前大公キニュラスの子供で現在存命なのは、公式には知られてはいませんが私、そして、現在大公となっているオクシュポロスです」
エウリの異母兄にして伯父にあたるオクシュポロスに現在子供はいない。正妻にも多数の愛人(公国は帝国と違って一夫多妻ではないので)にも子供を産ませられなかった。
「現在オクシュポロスに子供はいない。私さえ子供を産まなければ『あの男』の血は絶える。『あの男』のものなど何ひとつとして、この世に残したくないのです」
史上最高の大公として公国に君臨していた「あの男」。
だが、数年後、公国に君臨するのは「あの男」の子孫ではない。いや、フェニキア公国そのものさえなくなるかもしれない。
祖国だろうと母が地獄を味わった国だ。そんな国、なくなったとしても全く構わない。
「……そう思っている君には言いづらいのだが、『あの男』の公式に知られていない子供や孫は君だけではないよ」
エウリにとって衝撃的な発言をしたのはオルフェだった。
「え?」
動揺するエウリに、そんな彼女とは対照的に泰然としているオルフェが問いかけた。
「……『あの男』の血を絶やすために、彼らを殺すか?」
「……まさか。そんな事できません」
母と義母がいうように「子供は親を選べない」。
「あの男」の血を引いているというだけでは、彼らにだって罪はない。
エウリの身勝手な感情で彼らを殺すなどできるはずがない。
お茶の支度を終えた使用人達が退出した後、義母が言った。
「ミュケーナイ侯爵夫人、それは、あなたを守る最強の盾になると思う。勿論、今のグレーヴス男爵令嬢という立場も充分あなたを守ってはいるでしょう。けれど、グレーヴス男爵がお亡くなりになった後の事を考えるとオルフェに嫁いだほうがいいと思うわ」
帝国有数の商家であるグレーヴス男爵家。宰相であるミュケーナイ侯爵や皇族で帝国情報局の長官であるティーリュンス公爵と同じくらいエウリを守る強い盾ではある。
だが、それも義母が言う通り養父が生きている間だけだ。
養父の後を継ぐのは、次代のグレーヴス男爵は、義弟ではない。バイオリンの天才と謳われていても商才がまるでない義弟に息子だからという理由だけで後を継がせるほど養父は甘い人ではない。
名実共に養父の後を継ぎ次代のグレーヴス男爵となるのは、養父の妹の息子アルガロスだ。養父の甥であり、エウリにとっては義理の従弟だ。
エウリの五つ下、義弟と同い年であるアルガロスとは良好な関係だ。彼もまたパーシーと同じく男色家で大半の女性に敬意を払うからだ。
だが、いくら良好な関係とはいえ何の血の繋がりもないエウリをアルガロスが養父亡き後まで守る義理はない。
誰もエウリ(アネモネ)の素性は探れない。戸籍も与えられず隠されて育った公式には存在しない人間だ。しかも、そうしたのはフェニキア公国の大公家だ。数少ない彼女の出自を知る者達だって命が惜しければ墓場まで持っていく。
それでも余計な事を探られないために強い権力を持つ家の一員になるのが最良だった。これもまたアリスタとの結婚を決めた理由のひとつだ。
ラピテース子爵家は爵位こそ子爵だがミュケーナイ侯爵家と同じ帝国建国以来続く名門貴族だ。しかも、皇帝陛下の信任も厚い優秀な将軍を代々輩出している。
子爵位に甘んじているのは、どれほど軍功を立て皇帝陛下が侯爵位や公爵位を勧めても断り続けているからなのだ。アリスタと彼の父親ラピテース将軍を見ていれば分かるが二人のご先祖も地位や名誉に価値を見出さない方々だったのだろう。
「……ハークの気持ちを考えるとハークと結婚してほしいところだけど、それはできないのよね」
義母が溜息まじりに言った。
夫がオルフェでもハークでもミュケーナイ侯爵夫人であり宰相夫人にはなる。現在そうか将来そうなるかの違いだ。
「……はい。私を愛してくださる男性とは二度と結婚しないと誓っているので」
アリスタの時と同じになるからだ。そんな事は二度としたくない。
「結婚条件を呑んだから父上を新たな『夫』として選んだのは分かる。だが、父上は君を見ていない。君を通して君の母上を見ている。父上にとって君は君の母上の身代わりだ。それでもいいのか?」
祖母が自分の事を口にしたからか、ハークが話に入ってきた。
――父上が君を見ていなくても?
四日前、パーシーの館でハークが言った言葉を思い出した。
あの時、彼は本当は、こう言いたかったのだろう。
ただ父親はエウリの外見だけを見ているのではなく、それを通して別の女性を、エウリの母を見ているのだと。
「それは誤解だ。ハーク」
エウリが答える前に、オルフェが言った。
「どれだけ似ていても、この子とミュラが違う女性だと私はちゃんと認識している」
言った後でオルフェは苦笑した。
「……だが、そうだな。私は、この子をミュラの娘という眼でしか見なかった。一人の人間として見てなかったんだ。それは、身代わりにするよりも酷い事だな」
「愛した女性の娘として見てくれた。それだけで充分ですわ」
エウリを一人の人間として見てなかった者はオルフェだけではない。
母にアネモネと呼ばれていた頃、誰も彼女に係わろうとしなかった。いない者のように扱われてきた。実際、公式には存在しない人間だ。
今なら、禁断の行為の末に産まれてきた呪われた子供、しかも、公国と帝国、二つの国の絶対に知られてはならない秘密となる子供になど係わりたくない気持ちはよく分かる。
アドニスとしてさ迷っていた二年間も、通りすがりの男に憂さ晴らしに暴力をふるわれたり、おぞましい欲望の餌食として変態に狙われたりもした。
母の、愛した女性の娘として見てくれただけでも充分だ。
「……今の君は父上を人間として好ましく思っていても男性としては愛していない。だから、今はいいかもしれないけれど、いずれ父上を男性として愛してしまったら、つらいのは君だ。十八年も一人の女性を想っていた方だ。いくら愛した女性にそっくりでも、その女性の娘でも、君が愛される事は、まずないだろう」
「それでも父上と結婚するのか?」と言いたげなハークに、エウリは何でもないように答えた。
「子供を作らないという条件さえ守っていただければ構いません」
誰もが受け入れられないだろうエウリの結婚条件を受け入れてくれた。
愛した女性の、母の娘だから、あんな高飛車な結婚条件を受け入れてくれたのだと分かっている。エウリ自身を想ってくれている訳ではない。
それでも、あの瞬間から、いつかデイアが言っていた通り、オルフェはエウリの「特別」になったのかもしれない。
オルフェの心の中に「妻」となるエウリ以外の女性が、母がいる事で、ハークが言うように、つらい想いをするかもしれない。
だが、もし彼を愛してしまう事になったとしても、子供だけは絶対に作りたくないのだ。
「……なぜ、そこまで」
言いかけた後、ハークは黙り込んだが結局話を続けた。
「……求婚した時は『話す義務はない』と言われたし、全くその通りだが」
長い前置きは話そうと決心しても、ためらいがあるからだろう。
「求婚した時」云々で、エウリはハークが何を訊きたいのか分かった。
「あなた方には私の全てをお話ししました。もう隠す事などありませんよ」
安心させるように言ったエウリに、ハークは意を決した顔で言った。
「……なぜ、そこまで子供を産む事を忌避するのか、その理由でもか?」
――私のトラウマを話す義務はない。
ハークに求婚された時には、冷たくこう言った。
だが、今は知ってもらうべきだろう。家族になるのだから。
「……私の生物学上の父親であり祖父である『あの男』の血を絶やしたいからです」
出自とアドニスとして生きた二年間のせいで男性に嫌悪と恐怖を抱いている。そのせいで男性と恋愛関係になるのが怖い。
何かとまとわりつく義弟のせいで子供が嫌いになったのも子供がほしくない理由のひとつだ。
だが、一番の理由は、今言った通り、「あの男」の血を絶やしたいからだ。
「ご存知と思いますが、『あの男』、公国の前大公キニュラスの子供で現在存命なのは、公式には知られてはいませんが私、そして、現在大公となっているオクシュポロスです」
エウリの異母兄にして伯父にあたるオクシュポロスに現在子供はいない。正妻にも多数の愛人(公国は帝国と違って一夫多妻ではないので)にも子供を産ませられなかった。
「現在オクシュポロスに子供はいない。私さえ子供を産まなければ『あの男』の血は絶える。『あの男』のものなど何ひとつとして、この世に残したくないのです」
史上最高の大公として公国に君臨していた「あの男」。
だが、数年後、公国に君臨するのは「あの男」の子孫ではない。いや、フェニキア公国そのものさえなくなるかもしれない。
祖国だろうと母が地獄を味わった国だ。そんな国、なくなったとしても全く構わない。
「……そう思っている君には言いづらいのだが、『あの男』の公式に知られていない子供や孫は君だけではないよ」
エウリにとって衝撃的な発言をしたのはオルフェだった。
「え?」
動揺するエウリに、そんな彼女とは対照的に泰然としているオルフェが問いかけた。
「……『あの男』の血を絶やすために、彼らを殺すか?」
「……まさか。そんな事できません」
母と義母がいうように「子供は親を選べない」。
「あの男」の血を引いているというだけでは、彼らにだって罪はない。
エウリの身勝手な感情で彼らを殺すなどできるはずがない。
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