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第一部 ジョセフ

46 我が子を愛せない母親

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「王太子殿下の事は、王太子殿下として、人として敬愛しているわ。けれど……男性として、夫としては愛していないの」

 座るように促されたので、私は王太子妃とはテーブルを挟んで対面のソファに腰掛けた。そんな私に彼女は切々と語り始めた。

「殿下には、レティ……レティシア妃という相愛の女性がいるから、わたくしが殿下を愛してしまったら、彼女とは今のような良い関係は築けなかったでしょう」

 王太子妃とレティシア妃も、王妃とお祖母様のように良好な関係なのは、見ていれば分かる。

 正妃と妾妃という関係は、いがみ合うのが一般的だと思うのだけれど、彼女達がならないのは、王太子妃も王妃もお祖母様も夫を愛していないからだろう。

「でも、そのせいなのかしらね。殿下を夫として愛していないから、殿下との御子であるフランソワも愛せない」

 王太子妃は、ほろ苦く微笑んだ。

 王太子妃の祖国ユリウクラディース帝国とラルボーシャン王国は、国境での小競り合いが絶えなかった。特に被害を被ったのは、帝国の隣の領地となるブルノンヴィル辺境伯領だ。そのせいで、お祖母様の双子の兄ジョセフと父親の前ブルノンヴィル辺境伯が亡くなったのだ。

 いずれは大規模な戦争となるのを回避するために、現在の王太子フィリップとユリウクラディース帝国の皇女アンヌとの結婚が決まった。

 けれど、二人の結婚が持ち上がる前、王太子とレティシア妃との結婚は決まりかけていた上、レティシア妃は王太子の子を妊娠していた。

 レティシア妃ことレティシア・ヴェルディエは、現宰相、ジャン・ヴェルディエ侯爵とお祖母様の異父姉ルイーズの娘だ。お祖母様の異父姉ルイーズは宰相と結婚し、レティシア妃、オルタンス、アレクシスの姉弟を産んだのだ。

 王族の正妻は伯爵令嬢以上の身分が慣習だ。侯爵令嬢で才色兼備なレティシア妃は、まさに王太子妃や王妃に相応しい女性だ。しかも、王太子とは相愛で、すでに彼の子を身籠っていた。

 けれど、国のため王太子は従妹であるアンヌ皇女を王太子妃とし、レティシア・ヴェルディエを妾妃としたのだ。

「……愛する夫の子でも愛せない女性はいますよ」

 前世の母がそうだった。

 前世の母は、私を愛してくれたが妹の香純は愛せなかった。

 前世の母は美しかった。前世の私の容姿は母譲りだ。アンディやウジェーヌによると、曾祖母、前世のお祖母様にも酷似しているらしいが。

 けれど、その美しさ故に、母は実の父親、前世の私の祖父から幼い頃から性的虐待を受けていた。母の母、私の祖母に助けを求めても助けてはくれなかった。

 香純の容姿と性格は、この祖母譲りだと母は言った。自分の都合のいいようにしか解釈しない脳内お花畑で、娘の訴えよりも愛する夫の言葉だけを信じたのだ。

 それ故に、母は自分を性的虐待した祖父だけでなく祖母も憎み、両親を泥酔させた上、二人の体に火を点けて殺した。

 当時の《アネシドラ》の総帥トップは、母の祖母、私の曾祖母だ。自分が捨てた娘が産んだ娘、孫娘に起こった事を知り《アネシドラ》で引き取ったのだ。とはいっても、曾祖母が直接母を育てたり、祖母だと名乗る事はしなかった。

《アネシドラ》では才能ある孤児を引き取って育てている。母もその一人として育てたのだ。母の美しさと聡明さ、更には人を殺しても平然としていた精神は、将来実行部隊の一員となるのに相応しいものだったからだ。

 母が妹を、香純を愛せない理由は、祖母に似ていたからだ。

 同じ血を引いていても、どれだけ外見と中身が似ていても、香純は祖母ではない。母だとて、それは分かっていた。けれど、頭では分かっていても、愛だけは理屈ではどうにもできないものなのだ。

「……わたくしはね、実の息子のフランソワよりもジュールが可愛いの」

 これには正直驚いた。

 同じ夫の子とはいえ我が子よりも妾妃の子のほうが可愛いと言っているからではない。

 ジュール王子を可愛いと思える、その神経が信じられないのだ。

 フランソワ王子はうるさいお子様で、ジュール王子は子供とは思えない腹黒さを持っている。

 どちらにしろ、私から見れば可愛くないお子様方だ。

「あなたにも誰にも理解できないだろうけれど、子供とは思えないあの精神が、ただうるさく喚くだけのフランソワよりも好ましく思えるの」

 確かに理解できない。けれど、人が人をどう思うかは、その人の自由だ。批判はできない。

「……あの子は、フランソワは、凡人よ。成長したとしても、とてもあなたやジュールのような天才にはなれないでしょう」

「ジュール王子は天才でしょうけれど、私は違いますよ。ただ大人の精神を持つ転生者であるために、同世代の子供よりも賢く思えるだけです」

 人よりハードな人生を歩んだ経験と特殊な知識を持った前世の人格わたしが目覚める事なく今生の人格ジョゼフィーヌのままであれば、賢いとは言われても天才とまでは言われなかったはずだ。

「肉体と精神の年齢が大きく隔たった転生者である事を抜きにしても、あなたは天才よ。でなかったら、王妃教育を一ヶ月で終わらせたりできないわ」

 王太子妃は「何で分からないのかしら?」という顔で言った後、憂わし気な溜息を吐いた。

「あの子が王子、まして、将来国王になるのが確実な立場に生まれなければよかったのだけれど」

 王太子妃の言うように、フランソワ王子は凡人だ。彼に国王は荷が重いだろう。それでも、この国の慣習で、王太子と王太子妃との間に生まれた男子がフランソワ王子しかいない以上、彼が国王になるしかない。

「国王になるフランソワ王子が凡人でも天才のジュール王子が彼を支えるなら、この国は大丈夫です」

「分かっているわ。ジュールがいるからフランソワが国王になるとしても、何の心配もしていないわ」

 王太子妃は王族や皇族特有の紫眼で、じっと私を見つめてきた。

「……あの子を愛せない母親のわたくしが言うべき科白ではないのだけれど、婚約者のあなたがあの子を気にかけてくれる事を期待したわ」

「不敬を承知で言いますが、私に、それを望まれるのは迷惑です」

 私は、きっぱりと言い放った。

「私は王家の命令だからフランソワ王子の婚約者になっただけで、本当は嫌でたまらないのですよ。それは、最初に申し上げたはずです」

 王太子妃が望むように、いくら婚約者とはいえ、フランソワ王子を気に掛ける事は絶対にしない。破談する気満々の私に期待するのが間違っているし迷惑だ。

「殿下は、あなたがフランソワを愛さなくても、あなたに相応しくなるように、国王に相応しくなるように、自分を磨けばいいと思っているみたいだわ」

「そうみたいですね」

 確かに、王太子は、そのような事を言っていた。

 何にしろ、自分を磨くのはいい事だけれど、結果、私がフランソワ王子を好きになると期待されるのは――。

「……彼が国王に相応しい人間になったとしても、彼に惹かれる事だけはありえませんよ。私は……もう恋などしたくないのです」

「私」の唯一の恋。

 綺麗な想いではなかった。

 私を愛してくれた両親を殺した「彼」を愛してしまったのだから。

 両親を目の前で殺した仇だのに。

 だからこそ、復讐に人生を捧げた。

 そうしなければ、自分を許せなかったから――。

 





















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