【短編集】或るシングルマザーの憂鬱

ふうこジャスミン

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【完結話】或るシンガーソングライターの憂鬱

#5 過去の僕、今の僕

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改めて指折り数えると、8年も経っていた。

ライブハウスのオーナーから、お洒落な外観でお洒落な女子ばかりいるカフェに急に呼び出されたあの日から。

何故おっさんと二人でこんな場違いな所にいるのだろうと、肩を縮ませながら、苺の香りのする紅茶をすすり飲んでいたら、


「これ、やるよ」


と、ポケットに入っていた飴玉をくれるかのような軽い感じで、オーナーが僕の目の前にギターを掲げたのだ。


「オレが持っていても、宝の持ちぐされだ。明日の君のライブでこれを使え。一世一代の大勝負がかかっているのだから」


オーナーが卑屈な薄笑いを浮かべ、僕に手渡してきたギターは、ずっと欲しかったがずっと手に入れられないだろう、高価な代物のそれだった。


「ひっ、嘘でしょう。これ、いつか言っていた六十年代のですよね?えっ、オーナー、まさか死ぬのですか」


「死ぬかよ。故人の置き土産みたいに言うな」


「えっ、死なないのにくれるのですか」


僕は疑いながらも有頂天になった。
いや、しかし呆れるくらいドケチで狡いオーナーなのだ。

スタジオやホールをレンタルする際、こちらが気づかないと、例えば平日に使用しているのに休日割り増し料金を請求してきたり、ホールをバンド4組で借りてライブをするとき、4組で割った金額ではなく、何故か3組で割ってそれぞれに徴収してくる。
すぐバレるのになんとしても誤魔化し、多めに料金をふんだくってやろうという魂胆のこのオーナーが、ほほいと僕に百万円近いギターをくれるなどありえない。


「何か裏でも」


「ないわ。んなことばっかり言ってるとやらねえぞ」


そう言いながら、オーナーは僕に夢の高級ギターを押しつけてきた。

オーナーと会って話したのは、これが最後になった。

そして僕は、一世一代の大勝負になるはずだったライブで、そのギターを弾くことはなかった。

このギターを晴れ舞台に立たせてやったことは、それから一度もない。





朝の目覚めは最低だった。

今日は休みだから、目覚まし時計の「畑をあっ」は聞かずにすんだのだが、いつもより増して202の旦那のイビキがうるさかった。

今日こそ苦情を言ってやる。
布団から起き上がってすぐ、大家の婆さんに電話をかけた。
なかなか出てこない。
苛々しながらもそのままスマホを切らず外へ飛び出し、2階の廊下の手すりにぶつかった。
下の階端っこの105号室から、黒電話のけたたましい音が鳴り続いている。

留守か。
死んでいるのか。

後者もありえるので、スマホをそっと切り、念のため105号室へ忍び寄った。
端が朽ちてところどころ隙間のあいた古いドアから中を覗く。

「大家さん」と一応声をかけてみたものの反応はない。
ドアノブにそっと手を触れたら、きしんだ音をたててドアがこちらに開いてきた。
婆さんがしかめ面で罵声の一つでも浴びせてくるのではないかと構えたが、それきり音もしない。

外の気配を探っているのか、僕の訪問を疎んで無視するつもりなのか。

腰をかがめて中の様子をうかがっていたら、


「ていっ、何をしとるか、われは!覗き魔が」


部屋の中からではなく、背後の低い位置から叱り飛ばした婆さんの声が聞こえた。
バシッと背中を叩かれ、振り向いたら婆さんが仁王立ちになっていた。

覗きを目撃され、急に怒鳴られるわ、部屋にいるものと思っていたら後ろから登場されるわで動転してしまった僕は、婆さんの部屋の玄関に上がりこんで中を見渡し、ドアをパタと閉めて婆さんを締め出し、コラァァァの声と同時にドアを開けて婆さんにしがみついた。


「ホラーだ!勝手にドアが開く」


僕が婆さんの腕にしっかりつかまって、おののいていると、


「おまえがホラーじゃ。ドアも古いから、ひとりでに開くわい。何をやっとるんだ。本当におまえは要注意人物だな」


年寄りとは思えない力で婆さんは僕の手を引き剥がす。




つづく
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