【短編集】或るシングルマザーの憂鬱

ふうこジャスミン

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【完結話】或るシンガーソングライターの憂鬱

#6苦情を告げる

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婆さんが肩に背負っていたずだ袋から、大根の葉っぱが僕の頬に土くさくしな垂れてきた。


「は、畑どろぼう?」


そんなこと思ってもいないのにふと口に出してしまった。


「それはおまえだろうが。あすこは私の畑だ。今度侵入してきたら土と一緒に耕してしまうぞ」


かっと目を見開いて、婆さんは僕を威嚇する。


「僕、畑を荒らしていたわけじゃないですよ。セキレイがいたから、とりたくて鳴き声を、僕そういう自然の音とか好きで、その」


必死で誤解をとこうと語るも、威嚇に圧倒されかえって怪しくどもってしまい、僕はそのうち口を閉ざしてうな垂れた。

下手な言い訳をするんでない。
家賃上げるぞ。
とか言われないうちに退散するほうがいい。


「とれたのか」


婆さんが言った。


「え?」


「だからとれたのか。セキレイの声」


「あ、セキレイ。はあ、とれました」


「聞かせろ。持ってこい」


「えっ。でも」


「いいから持ってこい。家賃上げるぞ」


やはり婆さん得意の脅し文句が出た。
家賃を上げられてはたまらないので、しぶしぶ目覚まし時計を持ってきた。


「目覚まし時計のアラームなのですけど、最後がちょっと」


失敗作を大事にとっておいたことが恥ずかしくなり、聞かせるのを渋ってしまう。


「言い訳が本当か確かめるだけじゃ。聞かせい」


婆さんは時計をひったくって、再生ボタンを押した。


「チチチ、チチン、チ畑をあっ」


ビックリ箱を開けたかのように、ビクンと婆さんが身を震わせた。

時計は気まずい空気を物ともせず「畑をあっ」を繰り返し再生する。

婆さんは眉をおもいっきりひそめる。
なんでわしの声が入っとる、なんてまた怒り出すなと身構えた。


「これで起きとるのか、毎朝」


婆さんは素っ頓狂な声をあげる。
そして、


「わしの声が入っとる」


入れ歯が飛び出す勢いの大口を開けて、海上を制覇した海賊みたいに豪快に笑った。

婆さんはひとしきり笑ったあと、この時計をくれ、と僕に有無を言わせない海賊らしい態度で時計を奪い、自分の部屋に入っていった。

なんとなく苦情を言いそびれたうえに時計まで奪われ、ぽつねんと一人残された廊下で、僕はしばらくたたずんでいた。

婆さんが部屋から出てくる様子もないので、時計に未練を残しながら肩を落として部屋に戻る。

アパートの右横に取り付けられた急勾配の階段から、婆さんの持ち物だと知った畑を見下ろした。

気の向くままに色々な種をまいたのだろうか、一つの畝に何種類もの葉っぱやつるが隣り合っている。
畑の半分以上は畑としての役割は果たしていなくて、雑草が競うように生い茂っていた。

この畑だって、あの婆さん無茶苦茶な理由で誰かから略奪したのではなかろうか。
そんなことをふと思った。

本当の持ち主の気のいい爺さんに、婆さんが大根くれ、じゃがいもくれ、などと手作り野菜をねだっているうちに、しまいに、土地くれ、と言い出して手がつけられなくなったとか。

なんだか損だけしに行ったみたいな自分と架空の爺さんとが重なり、情けなく思えてため息が出た。

疲労困ぱいした足取りで階段を昇りきり、すっかり気持ちが萎えたところで、苦情元の202のお隣さんを目にしてしまった。

お隣さんは目が悪いのか不器用なのか、鍵穴に顔を近づけて鍵をかけている。

今日は丈の短いムームーを着ておらず、黒いパンツスーツ姿だ。
そんな格好もするのかとしげしげと見入ってしまう。
黒いパンツスーツを着ているにもかかわらず、ピシッ、シャキッという擬音語は、お隣さんの雰囲気から全く届いてこない。
むしろムームーを着ているときよりも、ボンヤリ~、モッサリ~といった音がよく似合う。
スーツの概念が覆される。

パートの面接にでも行くのだろうか。
人員不足で困っている会社でもこの人を採用しようと思うことはない気がする。

鍵を無事掛け終えられたお隣さんは、僕に気づくと丸めていた背中をもっと丸めてお辞儀をしてきた。
僕も首だけ傾けてお辞儀する。
お隣さんはそそくさと僕の後ろを通り、階段にさしかかったとき、


「ゆず、こぶくろ」


口に両手を添えて、やまびこを叫ぶようにこちらに吠えてきた。
イントネーションがおかしかったせいで、何を言っているのかさっぱりわからなかった。
有名フォークデュオのユニット名を言っていたのかと気がついたのは、その後お隣さんが誇らしげに「フォーク!」と叫び、人差し指を突っ立てたときだった。

ネットで調べたのだろうか。
ユニット名発音初心者のために、アクセント符合をつけてあげたものを、ウィキペディアに投稿しようかと思い立つ。

思い立ちついでに、苦情を告げる件も思い立ち、指で「一才」と示したままのお隣さんに向かって僕は言い出した。


「あの、お宅の旦那さんのことなのですけど」


冷静に、一旦ここで言葉を切る。



つづく
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