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ダイバー編
二十四話 覚醒
しおりを挟むアルティマナの落下数分前。
アリアは軽快な足取りでギルドノラの集いから、タワーの一階へと向かっていた。
「アリア!」
「?エリカさん!」
「今日もチカミチの手伝い?大変ね~」
「いいえ、ベルギットさんには兄さんが世話になっているので」
「確かに、カイネルの奴ベルギットには頭が上がらないから」
そんな会話をしながらタワーへ向かう二人は、まだ微妙な距離間だった。
エリカは仲良くなりたいが、アリアは兄であるカイネルの手前彼女をあまりよく思っていない。もちろん、嫌いではないが兄との仲に嫉妬する時もあるからだ。
アリアがそう感じていることはエリカ自身気が付いていて、だからこそ余計に仲良くなろうと笑顔を向ける。
「今日はカイネル何してた?」
「兄さんですか?朝食を食べてました」
「へ~そうなの、で、カイネルとはどう?」
「仲いいですよ、この前なんて、一緒にお風呂入りました」
「……へ~お風呂ね、カイネルは妹たちと平気でお風呂に入るけど、ま~お父さん気分なんでしょうね~」
その言葉に互いに反応する二人は少しだけ不満を持つ。
「そういえば知ってますか?兄さんの体に棒が付いてるんですよ」
「……棒?なにそれ?」
「股の間から、生えてて、触ると柔らかいんですけど、握ると固くなって大きくなっていくんです、不思議な棒でした」
「……アリアって、お父さんが生きていた時、一緒にお風呂に入ったことある?」
「ないですね、私は物心ついた時から一人で入ってましたから」
「男の兄弟もいないと」
「はい」
エリカは苦笑いの後、溜息を吐いて、「その棒はね」とコソコソとアリアに耳打ちする。
「ん?子どもですか?赤ちゃんは大きな鳥がカゴに入れて運んでくるんですよ?知らないんですか?」
「……ガチなのね……あ~ん~こりゃ大変だわ」
エリカは、懇切丁寧に子どもの作り方と男の体の知識をアリアに教えた。
「……なるほど、オシッコが出るところなんだ……それに子どもを作る種を出すところ……覚えておきますね」
素直にそう言うアリアは、まだその恥ずかしいという感覚がないようで。
「ん~アリアも……オシッコ出すところあるでしょ?」
「ありますよもちろん」
「好きな人にそこを見せたり触ったりさせられる?」
「……恥ずかしいこと言わないでくださいよ!できるはずないじゃないですか!」
「そ!それ!カイネルの棒はそれだから!」
「……!っ!……」
言葉にならないアリアは、顔を真っ赤に染めて手をにぎにぎする。
「触っちゃいました!」
「だね!」
「お、大きかったです!」
「そっか!」
互いに顔を真っ赤にする二人は、アリアの理解とともにその話を終えた。
そんな徒労を強いられたエリカは何気なく視線を上へと向ける。
「……な~んだろ、あれ」
その視界に映る影は、みるみる大きくなっていく。
「……うそ」
影が見慣れた景色を一瞬で奪うとともに、風圧で吹き飛ばされたエリカは意識を失った。
どれだけ気を失っていただろうか。
「……カさん、エリカさん!エリカさん!」
アリアの言葉に意識を取り戻すと、周囲は瓦礫に囲まれていて、足に激痛が走る。
「いった!痛い!」
「動かないでください!足に建物の破片が当たったんです!」
声をかけるアリアは無事な様子で、でも険しい表情でいる。
「な、何が起きたの?」
「も、モンスターが落ちてきたんです!」
アリアは風圧で飛ばされた先は運よく何もない場所だったが、エリカは建物の壁にぶつかり、さらに足には瓦礫の破片がぶつかってしまったと説明される。
「早く逃げないと、エリカさん!掴まって下さい!」
「う、うん」
そうして逃げ始めた二人だったが、街並みの変化に困惑してしまう。
「……待って、アリア」
「……何ですか?」
「お願いがあるの」
「こんな時にですか?」
エリカは立ち止まるとゆっくりと説明する。
「きっとあのモンスターの近くにカイネルがいるわ、でも、アイツが必要な武器がギルドの中においてあるの、お願い、それを取って来てアイツに渡してあげて」
「でも、エリカさんが」
「いいの私は、私のことよりアイツが、カイネルがきっと無茶をするから」
アリアはエリカの言葉に頷くと、彼女を建物の影に置いて行こうとする。
「ゴガガガガガガ!」
「きゃ!なに!」
その音は、アルティマナが地面ごと建物を片腕で薙ぎ払った音だった。
「ま、街が……」
「アリア、急いで」
そう言われても、アリアは彼女をここにおいては行けなかった。
「アリアちゃん、エリカちゃん」
「あ!メイシャさん!どうしてここに!」
そこに現れたのはメイシャ・カロフッツォ、ノラの集いのメンバーである緑の髪に黄色い瞳の女だ。
「私はモンスターが降って来たのを見て、何か手伝えるかもって思って来たの」
「よ、良かった!エリカさんが怪我してるんです!」
「エリカさんが!?」
二人が話しているのを遮ってエリカは声をかける。
「お願い、どっちでもいいから、カイネルの装備を持ってきてよ」
「カイネルくんの?」
「そうなんです、ギルドにあるらしいんですけど」
「ギルドに入って正面の額縁、それを退けてから少し出っ張った板を押すの」
「な、何でそんなところにカイネルくんの武器があるの?」
カイネルの装備一式は、つまりワールドの装備一式でもある。
点検と整備のために預かったそれを、いつも手渡しではなくそこに隠しておいて、カイネルが後から受け取るのが常だった。
「……装備を見たら全部分かるから、メイシャさん、あなたがそれをカイネルに届けて、あなたのスキル潜伏ならカイネルに近づけるし、カイネルに近づいて装備を渡してあげて」
それを聞いたメイシャは、「分かった!」と言って駆け出す。
「私たちは逃げましょう」
「……待って、本当を言うとね、私、タワーの一階へ今から行くつもりだったの」
「え?」
「足はいたいけど死ぬほどじゃないし、ベルギットさんのこと助けないと……じゃないと、カイネルがまた自分を責めるから」
アリアは、「私が連れて行きます!」と言う。
「だめよ、あなたが死んだりしたら、それこそカイネルが壊れちゃう」
「それはエリカさんだって一緒です!」
自分より背の高いエリカを抱えて、アリアは真っ直ぐモンスターの奥のタワーを睨み付けて言う。
「私だってベルギットさんが心配だし、チカミチの店員さんも心配です!」
「……でも、カイネルが悲しむよ」
「エリカさん!大丈夫!何とかなります!」
その言葉にエリカは一瞬カイネルを思い浮かべて、そのまま笑みを口元に刻むと、「そうね」と言ってアリアをしっかり掴んだ。
「きっと大丈夫、何とかなる!よね!アリア!」
「はい!」
そうして、二人はゆっくりとタワーの一階へと向かう。
そして、カイネルの装備を取るためにギルドに到着したメイシャはそれを見て言葉を無くした。
「……こ、これがカイネルくんの装備?」
二本のカタナに、白面とモンスターの鎧繊維(ガイセンイ)で編んだローブはメイシャも知る人の装備だった。
「……ワールドさんの装備をエリカさんが間違えてカイネルくんのだという事は無いはず、なら、これがカイネルくんの装備なら、ワールドさんはカイネルくんが仮面を着けた姿」
メイシャは混乱することなく、ただただ、カイネルがワールドだと受け入れられた。
そして、ワールドがカイネルと分かった途端、彼女は優しい笑みを浮かべてその装備を大切そうに抱えて、ギルドの入り口から勢いよく飛び出した。
「待ってて!カイネルくん!」
タワーから落ちてきたアルティマナと戦っていたカイネルは、意識を失いかけて地面に倒れて振り降ろされる手を見ていた。
そこに見知った声が聞こえてくると、彼はその目を見開いていた。
「兄さん!」
「カイネル!」
二人の視界に映ったカイネルは、一瞬でアルティマナの手に覆われてその場の地面には凹みができる。
「……やだ、やだ!」
「……そんなはずない!カイネル!」
アリアはその場で膝をついて、エリカは必死でカイネルの姿を探すために周囲を見渡した。
「あんな攻撃、カイネルに当たるはずがない!」
しかし、その視界にカイネルを捉えることはできなかった。
アルティマナの手がゆっくりとその場から上がり始めると、その下敷きになった場所が徐々にエリカの視界に映る。
「うそだ、うそだよそんなの!」
アルティマナの手の下からカイネルの姿は現れ、その体は地面に血を広げていた。
「いやぁぁぁああ!」
駆け寄るアリアの体は即座に押さえられた。
「アリア、待つんだ!」
「……レイフさん」
通りがかったレイフが、聞き覚えのある声に導かれてこの場へ来た。
「今、カイネルに近づいてモンスターのヘイトもらったらアイツまで危険になる」
「でも!」
「落ち着けって!アイツはあれで死んだりする奴じゃない!エリカ!お前も早く逃げるぞ!」
放心状態のエリカは、その場でジッとカイネルを見ていた。
実際に死ぬんじゃと思ってしまうと、エリカはまったくまともに立ってもいられなかった。
「カイネルが……カイネルが……」
そんなエリカを無理矢理に抱えたレイフは、グッと奥歯を噛みしめながらその場から駆け出す。
「やだぁぁぁああ!兄さん!兄さん!」
泣き叫ぶアリアに旨の中で謝りながら、レイフはその場から離れた。
レイフが二人を抱えて離れたことにもカイネルは気が付かないまま、ようやくハッと気が付いた。
「……危なかった、これが無ければ」
手にしているのは小さな針の無い注射器で、それはディアルムドから手渡されたものだ。
潰される瞬間、走馬灯のように記憶が駆け巡ったカイネル。
『先生、いつかギルドを作って下さい!』
無理だよ、僕にギルドなんて作れないよ。
『大丈夫ですよ先生!』
みんな、本当にそうなったら手伝ってもらうからね。
『いいすよ!一緒に頑張るッス!』
本当に?
『本当ですよ、だから、先生も』
彼らの幻は、ボクにとってはそれこそ嬉しい現象で、だけど、いつまでもそれに浸ってはいけない。
『先生、ほら!』
フレン、ああ、分かっているさ。
「カイネルくん!しっかり!」
目の前にいたはずの少年たちが消えると、緑の髪に黄色い瞳の見慣れた女性がいた。
「メイ……」
「そうよ!ほら、これ呑んで!」
霊酒を持つメイシャは、カイネルの口にそれをあてがう。
だが、彼はかろうじで生きているだけでその体は思うように動かせない。
メイシャは、すぐにその口に霊酒を含むと彼の口へと流し込んだ。
こんな風に夢が一つ叶うなんて、そんな事をカイネルが思うのは相手がメイシャだからだった。
メイシャ・カロフッツォ、初めて彼女とカイネルが会った時は、まだメイシャ・リアノストラと呼ばれていた。
カイネルがまだ8歳の頃、メイシャが当時17歳で、二人は同じ農家で近所のだったこともあり、カイネルはよくメイシャに面倒を見てもらっていた。
だから、カイネルの初恋が彼女であったのも必然だった。
「ね、メイシャさん」
「何?カイネル」
そう頬にキスするカイネルは、本当に猛烈なほどに彼女に想いを伝えていた。
「将来ボクのお嫁さんになってください!」
「いや、待ってよカイネル、私は……婚約者がいてね」
「大丈夫!その人よりボクの方がメイシャさんを幸せにできるから!」
もうそれは今のカイネルとは違い、いや、今以上に楽観的な生き方をしていた。
だが、彼は子どもで、メイシャの家、リアノストラ家は継ぎ手を失い続く男手がいないため、早急に婿を取ることになった。
「ごめんねカイネル……もう決まっていることなの」
「……大丈夫だよ、ボクが……」
どこかでカイネル自身が気が付いていた。
メイシャは誰かのもとへ行くと。
結婚式でカイネルは、彼女が嫁ぐのをただただ虚しく見つめた。その幸せなはずの式で、カイネルと彼女は寂しい表情で過ごし、そして、その後からは徐々に顔を合わせることもなくなって。
気が付くと、隣のメイシャの家は無くなり、その広大な農地も売りに出されていた。
気が付くと、農家リアノストラはコトーデ周辺にはどこにもなくなってしまっていた。
ただただ、せめて彼女が幸せになっていることを祈りながら、カイネルは日々を過ごしダイバーとなった後でも時々彼女を思い出して、ベルギットを見捨てられなかったのも、もし、メイシャがそんな目に遭っていたらと考えたらだった。
そんなカイネルとメイシャの再会は、ある日突然にだった。
「あ!カイネル!今日うちのギルドに入ったメイシャだ」
「……メイシャさん?」
「カイネル?」
ノラの集いの広場で、あの日と変わらない彼女がそこにいた。
「なんだ、知り合いか?そっか!もともとカイネルは農家だもんな!そういうこともあるよな!」
レイフの言葉も聞こえない程に、カイネルは驚いて彼女を見つめていた。
そして、彼女も思わぬ再会にカイネルから視線をはなさなかった。
カイネルは、レイフから彼女がダイバーになった理由を聞いて、すぐに違和感を覚えた。
彼女が結婚した相手は、ライノという男だったはずで、今の夫であるクロッヅなどという名ではなかった。
しかし、彼女が結婚した相手の姓は間違いなくカロフッツォで、カイネルは彼女と話す時間を作って入ったことも無い宿屋の部屋で二人きりになる。
「……」
「……久しぶりですね」
「……うん、カイネルはお父さん、亡くなって心配してたけど、大丈夫そうね」
「はい、メイシャさんは、今まで、旦那さんの名前も変わってるし、それにダイバーなんて」
「……長くなるけど聞く?」
彼女の夫、正確には今の夫の弟は元々持病を患っていて、結婚してすぐにそれが悪化し、その時リアノストラ家の土地資産は全て兄でもある今の夫へと引き継がれ、そして夫が病で他界すると彼女自身も夫の兄に引き継がれた。
病弱な夫ではあったが、結婚してから張り切って働いていた元夫は彼女は嫌いではなかった。だが、新しい夫となった前夫の兄は自身では働かず、譲られた資産で遊ぶ日々を過ごし、メイシャは、時折遊女の如く扱われる日々が続く。
そういう話は農家では珍しくもない。カイネルもいつだったか聞いていたこともあるが、彼女自身がそんな目に遭っていると知った彼の感情は冷静に受け止められないもので。
「……ボクなら、絶対幸せにするのに」
「……」
カイネルの言葉は本心で、ただ、その言葉は弱っている彼女には言ってはいけない言葉だとすぐに彼は思って付け加える。
「でも、だめですよね、ボクは子どもだし」
「……ご、ごめんなさい、私、一瞬期待しちゃった」
そう言いながら彼女は泣いていた。
弱っている彼女を泣かせたくなかったカイネルは、思わず困惑して、「期待してもいいですよ!」と彼女の手を握った。
「別れたらいいじゃないですか!そんな男は捨てたらいいんです」
「……ごめんなさい、私、別れられないの……」
そう言った彼女は徐に服を脱ぐと、その背中をカイネルに見せた。
彼女の背中は、昔、お風呂に一緒に入る時に見た綺麗なまま、ではなく、生々しい傷跡がいくつもあり、それが鞭のようなもので付けられたのだとカイネルは理解した。
「……こんな酷い」
「怖いの、一緒にいるのも怖い、でも、逃げて捕まった時の事を考えると、私は、逃げることもできない」
カイネルは、彼女の後ろからそっと体を抱き寄せて言う。
「……もう大丈夫、あとはボクに委ねてくれませんか?」
「……本当に?期待しても大丈夫?私、もうあの人の元へ帰りたくないの」
「もう、帰しません、痛い想いも、辛い思いも、もう二度と」
その宿屋の事の後、メイシャの夫は彼女と別れることを手紙で彼女に送り、それがカイネルの脅しのおかげだと彼女は分かっていた。
こんなにも簡単に、彼女の地獄の日々は終わり、新たに始まったダイバーとしての生活が始まる。
夫が遊ぶお金を稼ぐためにダイバーになった日とは違い、自分のためにダイバーとして働くと思う彼女は、カイネルに用意してもらった家で時々彼と過ごしたりもしていた。
もちろん、そのことはすぐにベルギットにも感づかれたカイネル。
エリカの耳にも入り、事情を二人に話す事になる。
「カイネルの初恋だか何だか知らないけどね!私が一番なんだからね!」
「エリカ、一番は無し、互いに二番だって決めたろ?あたしは別にどっちでもいいけどね、隠されてコソコソってのは嫌なんだ、それに、あんたも嫌だろ?」
二人との話し合いはカイネルの人柄が分かる出来事で、メイシャは「変わってないな」と彼の頭を撫でながら言う。
「……変わりましたよ、失い、失って、手に入れたものを失うのに怯えて、……昔みたいに大丈夫って言ってても、それを疑うことも増えてきました」
まるで昔のように布団で抱き付き合う二人だが、体や心は昔とは違っていた。
ただ、カイネルはこの時まだ彼女に言っていなかった。
自身がワールドだという事、戦争に深く関わりたいと思っていることを。
カイネルが彼女の家を訪れる回数が減ってきて、メイシャは、「やっぱり……」と何度か口にした。
カイネルは若くて、ベルギットやエリカ、アリアなど色々な女性からモテる。
そんな彼がいつも自分の傍にいられるはずもない。
そんな考えで、彼女は日々を過ごしていた。
でも、痛い想いも苦しい想いもしない今の生活に、彼女はそれでも構わないと受け入れ始めて、新しい恋でも探しながらダイバーとして自立しようと考えていた矢先。
「もう悲しませないって!辛い思いをさせないって!言ってたでしょ!」
目の前で死にかけているカイネル、ワールドとして戦争に介入したり、ギルドのマスターをしたり、忙しいカイネルが自分のもとを訪れられるはずもない。
そんな事実を知った彼女の想いは止まらない。
「大好き!カイネルが好き!だから!死なないで!」
その瞬間カイネルは、口元に笑みを浮かべて言う。
「だい、じょう……ぶ」
その言葉を呟くその時に彼の体が青く輝く。それはスキルを使った時とまったく同じだったが、確実に違うことが一つあった。
スカイブロックのアラートに刻まれる文字が再び点滅する。
古代文字で覚醒、そして、実際に表示されていた意味は、『覚醒する可能性のある個体』というもので、今は『覚醒を確認コアブロックへ送信する』だった。
そうとも知らずに、カイネルは自身の変化と、覚醒、目覚めの意味と、ディアルムドの言葉とを関連付けて言う。
「覚醒、それはボクに対するものだったのか」
自身が二度打った注射が、それに関係していると推定した結果、彼が覚醒の意味を解釈するとそれは一つしかなかった。
「神核者、になったと考えるべきかもしれない」
泣きながら抱き付くメイシャの頬に触れた彼は、笑みを浮かべて言う。
「ボクの、装備、持ってきてくれて、ありがとう」
「……よかった……よかった、カイネル」
そして、体を起こすと彼女が手にしていたワールドの装備を受け取る。
「……ワールドは」
「ボクが、ワールドだよ……隠しててごめんね、巻き込みたくなかったんだ」
「……巻き込んでいいよ、私……カイネルの何かで役に立ててたかな?もしそうだとしたら、嬉しいと思うの」
「ベルギットさんにもエリカにも、言えないことやできないことがあるけど、小さい頃のボクを知っているメイシャさんには、いろんなことを言えたし、甘えられたからすごく助かってたんだ……でも、ワールドのボクは、甘えられなかったし、言えなかった」
カイネルはその仮面を着けると言う。
「もう二度と、あなたが悲しむ姿も、どこかで悲しむこともさせたくなかったんだ」
メイシャは後ろから彼をそっと抱きしめると、強くそして明るい声で言う。
「大丈夫、もう私は大丈夫だから!だから、もっと、もっと私を頼って!私にとってカイネルは、結婚してから、毎日毎日毎日思い出して、カイネルのお父さんの話を聞いた時、家まで行ったこともあったんだよ。でもね、カイネルを見て頑張ってる姿を見て、声もかけられなかった……私、私の事を背負って欲しくなかったんだ」
カイネルは、初めて聞く彼女の話に仮面の下で笑みを浮かべた。
「メイシャ、これからボクの全てを見せるよ」
「うん、見てる、見てるよカイネル」
コートを身に着けて、二本のカタナを手に持ったカイネルは眼前にそびえ立つアルティマナを一瞥する。
そして、メイシャが背中を押すと、その瞬間に駆け出してアルティマナの左足へと斬りつけた斬撃は一瞬にして耐久値を削っていく。
数値的にはかなり削っているものの、その数値は削った分の約百倍程度で。
「ギュキキキキキキキ!」
なんでだろう……フルアクセルなのに全然体に負担がない。
そんなことを考えるカイネルは、その加速をさらに増していく。
青い閃光がアルティマナの周囲で駆け巡るところを色んな人間が目にしていた。
誰もがそれが誰なのかを考え、一人の人間がその名を呼ぶ。
「いけ!ワールド!」
その少年の言葉は、闘技場で見たワールドの強さがそう思わせたもので実際に彼を目に捉えたわけではなかった。
「あれ、ワールド様?」
「ワールドが戦っているらしいぞ!」
「ノラの集いのギルドマスターのワールドが?」
「リサリアで優勝した人だよ!」
「格安で依頼を受けてくれるギルドのマスターじゃよ!」
「ワールド様!頑張って!」
「ワールド!いけ!」
「頑張れ!ワールド!」
街の中から次々にワールドに向けた言葉が送られて、エリカもレイフもそれを聞いてカイネルの無事を知る。アリアもワールドが傍にいるならと少しだけ安堵する。
アルティマナは相手が速すぎる場合に周囲に電撃を放つ、そんなパッシブのスキルも、今のカイネルには意味をなさない。
そのコートに電撃や炎、氷は効果が無い。
そして、二本のカタナによる連続の攻撃は、常にその体を通過して深く疵を付けていく。
その一撃一撃で、耐久値は目に見えないほどにしか減らないが、確実に確かに減少をしている。
「見ろ、耐久値が!」
レイフの言葉にエリカが反応する。
「一割!私のカタナとワールドが!あの化け物の耐久値を削ってるわ!」
アリアもその光景を見てはいるが、レベルの低い彼女には耐久値が表示されていないため、今も不安な様子で両手を組んで祈っている。
「兄さんが無事でありますように!兄さんが無事でありますように!ワールドさん!勝って」
誰もが見ていた、願い、叫び、その勝利を求めた。
「不思議だな」
「ギュキキキキキキキ!」
「今なら、このタワーを斬れと言われても、可能な気がしているよ」
アルティマナは素早い相手に思考がパターン化してしまい、電撃を放っては停止し、また放っては停止するという行動を繰り返すようになると、あとは時間の問題になる。
「勝った!」
「ワールド様の勝ちよ!」
誰もが勝利を確信した時、現れたのはある意味では乱入者だった。
「ワールド!俺たちも参加させてもらうぞ!」
「……あれは」
そこに現れたのは、リサリアにも出ていたギルド、黒羽の騎士団だった。
黒羽の騎士団は、赤羽の騎士団の第二ギルドのようなもので、マスターもサブマスタークラスの強さしかない。
それを知っているカイネルはワールドとして忠告する。
「邪魔をするな!ゴミが!」
「ゴ、ゴミとは言ってくれる!私たちは応援に駆けつけてやったのだぞ!」
「……」
戦闘に意識を戻すワールドを見て、男は剣をアルティマナへ向ける。
「我が名はバリオス・ブライナー!行くぞ!みんな!」
「おお!」
そうして、足元に沸いたアリを、アルティマナは敵と認識してその足で踏み付けた。
ズゥンンンと大地が揺れると、黒羽の騎士団は半壊し、男はかろうじて回避して青ざめた。
「邪魔は止めておけ黒羽の!」
「き、貴様は、クロスハートのグレゴール・バゼナー!」
「まったくですわ、ワールド様の戦闘の邪魔だけは控えてもらいたいですわね」
「ミファリア・ガルバーナ!では……」
「彼の戦闘には誰も介入してはいけないのよ。それに、こいつは私たちでも敵わない相手よ」
「メ、メイア・シャス・ラインハート!クロスハートは今タワーを攻略中じゃ!」
そのバリオスの言葉通り、クロスハートの面々はタワーを攻略中だ。
そしてメイアは彼の問いには答えることはない、もちろんワールドの戦いを見ているから。
「我々はまだ謹慎中でね、街の清掃任務を言い渡されてここへ来たのだ」
「そしたら、物凄い騒ぎになっていて、ワタクシたちもワールド様をお助けしようときたのですわ」
ミファリアの言葉に続いて、遅れて姿を現す不機嫌そうな男は言う。
「だけど俺たちが戦いに入ったところで、あの化け物は倒せない、不本意だけどここは彼に任せるしかない」
「レオナルド、ワールド様に勝てないからって拗ねてるいますの?」
「……」
彼は更に不機嫌そうになると口を閉ざした。
「……ところで、どうするですメイア様、我々は見てるだけですか?」
グレゴールの言葉にメイアは答えない。それは彼女が困惑していたからで。
「スキル、エンチャント!フレイム!」
彼女の言葉に誰もがワールドの剣を見た。
「……メイアのスキルが発動してないようですわね」
「ええ、さっきからずっとそう、私のスキルが彼には使えない」
スキルが使えない、その理由を察することができるのはクロスハートの面々だけだった。
「パーティージャック、つまりワールドはレッドと言う訳かよ……ますます気に喰わないな」
「……カイネルくんと同じ……」
メイアの言葉にミファリアは自身の知識を雄弁に語る。
「カイネルくんはワールド様と一緒にタワーに上る方、ワールド様がパーティージャックだというのなら、同じカイネルくんをサポートに選ぶのは必然ですわ!なぜなら!」
「レッドは同質のレッドの影響を受けない」
雄弁を横取りされたミファリアは、グレゴールに向けて不満そうな視線を送った。
「だが、私は思うのだ……ワールド、カイネル、二人に共通するものが多すぎる」
「共通?何ですの?」
「戦い方、素早さに任せた戦い方、加えて装備、あれはエリカ、アルバー家の次代の名工の作品だ」
どうしてグレゴールがそんなことを知っているのか、メイアは聞きたそうな表情をするが、それを口にする前に彼が自ら吐露する。
「……私の父、もう齢80になる父だが、息子にアルバー家の称号のグレゴールを付けるほどにあの家のファンでな、最近エリカ・アルバーがグレゴールを名乗り始めてからは、彼女作品をよく買ってきている」
「へ~」
そのレオナルドの反応は、グレゴールの名前の由来に対してで。
「そのエリカさんの装備をカイネルとワールドが付けているのは、彼女がノラの集いにブラックスミスとして参加しているからよ、別におかしい話ではないわ」
「……いや、確かにそう私も思うのですが、父が言うには、エリカはワールドの装備に特殊な古代語を掘ってるらしく」
「特殊な古代語?何ですの?それは」
ミファリアがそう言うと、グレゴールは彼女の顔を見ながら答えた。
「ワールドの装備に刻印されている古代語は、愛しい人、そして、カイネルレオナルドのが持つ武器や防具にも同じ刻印がされている。もちろん他のギルドのメンバーの装備に、そのような刻印はされていない」
「……偶然じゃないんですかね」
レオナルドがそう言うと、メイアとミファリアは同時に吐く。
「「偶然じゃない」ですわ」
「エリカさんが誰にでもそんなことをするわけがないわ」
「あの人はワールド様以外にそんな事をしません、つまり、つまり……」
つまりそれはワールドがカイネルでなければありえない事で。
「あの仮面の下には……」
「カイネルくんとワールドは、同一人物なのよ」
以前、自身で二人のどちらが強いのかを呟いたメイアは、その疑問が愚問だったことに溜息を吐く。
「ワールドが……あのカイネル・レイナルドだって?何かの間違いだろ?あいつ18とかじゃないのか?」
レオナルドはまだそれを認めていない。
そして、ミファリアはワールドの正体に気付いて、カイネルなのだと考えると、少しだけ微笑む。
「素顔はカワイイワールド様も素敵ですわね」
「……カワイイなんて私は思ったこと無いけど、カイネルくんは出会った時から真っ直ぐ前を見る男らしい人だったよミファ」
「もちろんカッコイイとも思うけど、あののほほんとした感じはカワイイですわ」
「孤高の戦士はカッコイイ以外に言い表せないわ」
一向に退かないメイアに、ミファリアは溜息を吐く。
「こうなったメイアはずっと頑なですわ」
毎回折れるのはミファリアで、親友ならではの気遣いを強いられている。
「孤高の騎士にしません?それの方がカッコイイと思いますわ」
「……確かに、さすがミファ、彼を言い表すには的を射ている言葉ね」
微笑むメイアに、ミファリアも笑みを返す。
さすがに長年一緒にいる二人の仲だ。しかし、そんな二人を不満そうに見るレオナルドは言う。
「あの仮面を着けて女をとっかえひっかえしてるんだろうな」
その嫌味でしかない言葉には、メイアもミファリアも黙って彼を睨んでしまう。
今更二人に睨まれたところで、レオナルドは怯むこともなく、目の前の戦闘を見ながら再び呟く。
「どんな方法であの強さになったんだろうな……レッドスキルに秘密があるのか?」
確かに、そう思うミファリアは視線を戦闘へと戻す。
「彼が強いのは、彼が恵まれていなかったからよ、レッドスキル持ちでギルドにも入れず、パーティージャックでパーティーも組めず、晩成型のステータスに挫けずタワーに挑み続けた結果の強さよレオナルド」
詳しいメイアにミファは頬を膨らます。
「どうしてそんなに詳しいのかしら」
「彼が昔からお世話になってたブラックスミスや鑑定師に聞いたの、色々駆けまわれば、もっと彼を知ることもできるわ」
そのメイアの表情にグレゴールとレオナルドは内心呟いた。
それはもう恋なのでは。
「見て!モンスターの様子が!」
そんな声が響く中、アルティマナはその耐久値をゼロにされゆっくりと崩れ始める。
その瞬間を誰もが歓喜で迎えた。
消えゆくモンスターの上で二本のカタナを持つ白面を見て、彼らはその姿を記憶へ刻んだ。
一方、99層に現れたアルティマナは、その耐久値を減らし、ヴァハムートによってゆっくりと敗北へと向かっていた。
「何なんだあれは!」
「……おそらくはテイムモンスターと同じ使役された存在、ですが、あれはフォレストのクリア報酬だと思われますわ。圧倒とはいきませんが、間違いなくあのモンスターよりも強い」
確かに、アルティマナの攻撃にも怯みはしないが、確実に攻撃され、その上で攻撃し返しているだけでただの殴り合いの様になっている。
「さ!もっと我に攻撃してみせよ!」
「ギュキキキキキキキ」
ゴっと左手を首か肩の部分と思われる辺りに振り降ろすアルティマナに、ヴァハムートは一瞬体を揺らしてその場に止まると、「お返しだ!」と言って逆に同じ攻撃を返す。
その攻撃でアルティマナは耐久値を残りわずかにした。
「……うむ、どうやら我の活動時間の限界を迎えそうだ、主よ」
その言葉はカイネルの頭に響いていて、地上でアルティマナの残骸に立っていた彼は二階層の横穴からタワーに入り足早に99層を目指した。
約30秒、最短でそこに到達したカイネルを見たフィリアナは、「ワールド様!」と言う。
「……アルティマナ、二体目だな」
ワールドとして、彼は残りわずかなアルティマナの耐久値をカタナで攻撃して削ると、再びアルティマナを残骸へと化してようやく勝利を確信した。
戦いを終えたカイネルを待っていたのはヴァハムートが消えた後の反動だった。
ゼガードやラウロウ、フィリアナが見ている前で彼の両手がコートの袖の内からボトっと抜け落ちたように転がり、ヴァハムートが消失すると同時に血が勢いよく流れ出した。
応援ありがとうございます!
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