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八章

八章ノ伍『誓約』

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 中学年クラスの寮は、低学年クラスの寮と実質的には離れている。

 だけど、教室は同じ場所にあり、時折互いの姿を見ることはあった。

「今日は特別に中学年クラスと一緒の授業になります」

 しかし、この日、カロナのクラスと、中学年クラスのボスであるゼンノがいるクラスが、同じ教室で授業を受けることになる。

「そんな急に」
「どうしてわざわざ中学年クラスと一緒に?」

 トスルとノノの疑問も最もで、が、そこへゼンノが姿を見せると、二人の顔が理解の表情を浮かべる。

 トスルは、上級生である中学年クラスの女子院生たちに囲まれ身動きできないようにされ。

 ノノも、同じように数名の男子院生に囲まれ怯えていた。

 そうして二人をカロナから離したゼンノは、カロナを傍に置いて授業が始まる。

 カロナの周囲には、ゼンノとその取り巻きが取り囲んで、同じクラスの者たちは見て見ぬ振り、触らぬ神に祟りなしと言うように、関わらなければ自身に害がなければ誰でもそれを選ぶ。

 人間の弱い部分であり、嫌いな部分でもある。

 弱い者同士が折り重なり、強くなった気で振舞う、他者を傷つける行為をする者も、それを見逃す者も最低であり、そんな人間を私は軽蔑する。

 白猫はそう思いつつ、姿を消してカロナの後ろの席で見守る。

「見ろ、誰もお前たちを助けない、俺の意のままにあの小僧は女には手を上げないし、あの小さいのも男に囲まれれば自身のことで精一杯だ。結果、お前は俺にこうして体を抱かれる」

 そう言って、カロナの胸が自身の腕に乗るように、彼女の体を後から抱き締めるゼンノ。

 カロナの身体能力なら簡単に振り解けるけど、彼女もこの状況に身を震わせ怯えるただの少女でしかなく、白猫は怒りで爪を立てて後ろの席の机に爪痕を刻んでいく。

「まだその歳なのに、この胸は魅力的だなカロナ」

 カロナの髪の毛に鼻を当てて匂いを嗅ぐゼンノに、周囲の取り巻きも生唾を呑み込んだ。

 普段ゆったりした制服の上から目立たないようになっているカロナの胸が、ゼンノの両腕によってはっきりとその大きさが浮かび上がっている。

「この部屋にいる誰よりも大きい、それに柔らかい」

 両腕の間に挟まる胸を徐々に圧をかけていく。

「んっ」
「ほら、直に触れるとさらに――」

 両手を解き、服の中からカロナの胸に触れるゼンノに、とうとうカロナも怒りを表した。

 だが、彼女の母の『人を傷つけてはいけない』という約束の前に、彼女は力を込めるのを止めた。嫌なのに、抵抗できない、その状態にカロナはただ我慢するしかなかった。

「か、カロナから離れろ――」

 三人の女に抱き付かれ動き辛そうなトスルが、それでもカロナの元へやって来ると、カロナも心から感謝の気持ちを込めて彼の名を呼ぶ。

「トスル――」
「……ふん、ちゃんとそいつを止めろよお前ら」

 ゼンノの言葉に、「無理~この子意外とタフだから」と女の一人が言う。

「何をしてるのですか、トスル院生」

 教諭がトスルにそう言うと、彼も教諭に言う。

「カロナが無理矢理に体を触られてるのが分からないんですか!」
「……いいから席に着きなさい」

 どうやら、教諭もゼンノに恐怖しているようで、初めからこの教諭はゼンノに怯えて何も言えない操り人形だった。

「ムリムリ、あの教諭もそいつらに手を出してゼンノに脅されてんのさ」

 取り巻きの一人がそう言う。

 さらに二人の女が加わって、五人によって再びトスルが席へ連れて行かれると、カロナは微かに抱いた期待が消え、悲しげに目を閉じた。

「もう……止めて下さい」

 カロナがそう言うと、取り巻きの一人が彼女の足首まで隠すスカートを捲り、その足に触れようとする。すると、ゼンノの右手がその頬に当たり鈍い音を立てた。

「おい、こいつは俺のだ、勝手に触れるんじゃない」
「わ、悪いゼンノ、つい」

 取り巻きはそう言うと、少し離れて席に座り直した。

「いいか、カロナ、お前の体は俺が面倒みてやる、お前が俺に従うなら、ほら」

 そうして指を鳴らしたゼンノに、ノノの周囲の男たちは彼女から少し距離をとる。

 ノノは、乱れた服を直して赤らめ涙を浮かべた顔を伏せた。

「お前の友だちには何もしないと約束しよう」
「……」

 カロナの取る選択によっては、白猫ももう黙っているつもりはなかった。

 彼女の拒絶で全ては良い方向へと向かうはずだったのに、彼女が選んだのはその横暴に応じてしまうことだった。

「……友だちには、何もしないでください」

 その日、無理矢理に、だけど、受け入れてカロナは初めて男とキスをした。

 白猫は、カロナの選択にその爪を立てることを止めた。

「おぉお!」

 そして、カロナがゼンノにキスされた瞬間、トスルがゼンノに殴りかかり、ゼンノの頬へと見事に命中した。

 だが、ゼンノは吹き飛ぶこともなく、カロナから手を離し立ち上がると、トスルが動かなくなるまで殴り続けた。

「止めて!」

 そうしてカロナが身を呈して止めに入ると、ようやくゼンノはその拳を振るうのを止めた。

「っち、二度俺に逆らうな小僧」
「トスル、酷い……」

 カロナはトスルの傷を治療するためと言い、その場を後にしようとする。ゼンノもそれを止めることはせず、ジッと様子を窺っているようだった。

 トスルを担いて自室へ連れて行くカロナ。

「カロナちゃん!」

 後からついてきたノノも、トスルの体を支えて三人で女子寮へと向かう。

 寝台に寝かせたトスルの傷だらけで晴れた顔に、薬草と濡らして絞った布をのせた。

「ご、ごめんね、カロナにキス、する前に、止めたかったんだけど」
「ううん、いいんだよ、別にキスなんて何でもないから、気にしないで」

 トスルの言葉にそう言うカロナ、ノノ小さい声で、ごめんなさいカロナちゃん、と謝罪する。

「気にするよ、大切な人の、それも女の子のキスは、本当に好きな人とするべき、だと思うから……」
「……ほら、もう話さないで、傷によくないよ」

 トスルはその後、黙って安静にしていた。

 ノノも、カロナに謝ると彼女は笑みを浮かべて言う。

「ノノちゃん、私キスは初めてが大事じゃないって思うんだ」
「でも、私は、好きな人とがいいです、どうでもいい人や、まして嫌いな人なんて絶対に嫌です」

 だから、カロナがキスされたことにはノノも腹を立てていた。

「私のお母さんね、口で人に薬を与えたのが初めてのキスだったんだって、お父さんとキスらしいキスをしたのは結婚した時だって言ってたんだ。だから、私も大切な時に、大切な人とキスできればそれでいいと思ってるんだよ」
「カロナちゃん……」

 カロナは強い子だった、そして、優しい子だった。

 白猫はこの件に関しては自身の怒りを治めて、成り行きを見守ることにした。

 カロナは強がっている様子ではなく、本心からそう思っている様子だった。だけど、彼女が我慢できても、トスルは我慢できる様子ではなく。

 ゼンノがカロナを呼ぶ度に同行し、滅茶苦茶に殴られて、そうなる間は、カロナはトスルを介抱するためにゼンノの傍にいることもなく、トスルの行動も無意味ではなかったと言えた。

 ただ、ゼンノもトスルが動けなくなると殴るのを止め、それ以上は傷付けることもなく、その様子を見ていた白猫はもちろん、カロナも彼の真意を気にし始めた。

 ある時の呼び出しに、カロナは一人でゼンノのところへと向かった。

「ん?小僧はどうした?」
「今日は私一人です」

 ゼンノは少しガッカリした様子で、自身の部屋の椅子に腰かけた。

「もっと根性があると思っていたんだけどな」

 彼は、カロナに触れるでもなく、ただトスルがいないことにガッカリした様子でいた。

「あなたは、私たちに何をしたいんですか?」
「……別に、したいことをしているだろ?カロナの髪を嗅いで、体を自由に触る」

 その割に、今もこれまでもあのキス以来一度として触れられてはいない。

 カロナはゼンノの正面の椅子に座ると、小さく呟く。

「あなたは、そんなに酷い人間には思えない」

 すると、彼は不敵な笑みを浮かべて笑う。

「は!、俺が優しいか!……そんな風に言われたのは初めてだ。カロナ……お前は強くて優しい娘なんだな、どうやら、俺の心配など必要もないかもしれない」

 ゼンノはカロナの髪を見つめながら、「昔の話だ」そう言って話し始めた。


 同級生に仲のいい女の子がいた。

 その子はとても優しく、そしてカワイイ子だった。

 俺は恋をして、その子を大切にしていた。今ほど悪ぶってもいなかった俺は、彼女の髪を嗅ぐのが好きで、何度もその髪に触れ匂いを嗅がせてもらった。

「そんな彼女が教諭の目に留まり、無理矢理に関係を迫られることがあった」
「……」

 彼女は教諭に言われるままになることが嫌で、俺は教諭に止めるように話した。

 だが、俺は数名の上級生に痛めつけられ、結局、彼女を助けるどころではなくなった。

 果ての無い暴力を前に、俺は彼女を気にする場合ではなくなった。

 所詮ガキでしかない俺が、体も大きく数も多い奴らに適うはずがなく、ある時、諦めてしまった。彼女を助けようとすることを諦めて、直ぐ、彼女は学院を辞めていった。

「……カロナほど美人ではないが、俺にとってはとても大切な初恋の相手だったんだ」
「……なら、私をその人と重ねて、こんなことをしたんですか?」

「いや、カロナは可愛くて美人だからな、いずれ教諭にも目を付けられる、その時、あの小僧に守れないと考えて、どうせ教諭に滅茶苦茶にされるくらいなら、俺の女にしてしてしまえと思ったんだ」
「……その考え方が目茶苦茶な気がします」

 そう言うカロナの髪に手を伸ばすゼンノは、その手を止めると笑みを浮かべる。

「そう言うが、お前たち俺にされたい放題だっただろ?教諭は俺の比ではないやり方でお前に手を出そうとするだろう。本当の暴力や、辱めの前に、お前たちはなす術なく屈する」

 そんな曲解な優しさがあるのか、そう白猫もカロナも思ってしまうほどに、ゼンノの思いは歪んでいた。

「その時は、私はここを辞めることを選択すると思います。大切な人が傷つくくらいなら、ここで学ぶことなど何もないですから」
「ふん、その時あのノノという少女が教諭に何をされるとしてもか?」

「……そ、その時は、その時に何とかします」
「無理だな」

 白猫も、無理だと判断する。

 カロナは優しい、そうなれば必ずノノの為にここに残る選択をするだろうし、必ず抵抗もしないだろう。

「だが、俺にはカロナを助けることは無理だし、結局、あの教諭はお前に興味を持ってその体に触れようとするだろうな」

 そうなれば、私は、どうすることもできずに、ただただ屈してしまうかもしれない。

「ま、まだ俺のいる間はあの男も何もできない、あのホウケンも大人しくしているだろう」
「ホウケン教諭……中学年クラスの主任教諭ですよね」

「あぁ、俺はあいつ以外を女たちを使って弱みを握り、職員同士の対立をさせて奴の力を削いだからな、今はあまり好き勝手はしてない」
「悪に抗うために悪になったということですか?」

「いや、好きだった女すら守れない自分を見損なって、悪になったんだ俺はな」

 そう話終えたゼンノは、その日を最後にカロナを呼び出すことはなかった。

 その後白猫が情報を集めたところによると、確かにホウケンは周囲の女の院生に毎年かなり酷い仕打ちをして、自主的に辞めていっていたようだった。

 ゼンノの周囲にいる女の院生は、それぞれ教諭に対して手を出された者たちで、ゼンノにある意味助けられたに等しい。だから、彼が望むことは何でもするし、いつも彼の周りに屯している。

「最近あいつが呼び出さなくなったね」
「うん、たぶんもう声はかからないんじゃないかな」

 トスルが心配そうにカロナに尋ねるのは、ゼンノのことであり、彼はどうしてゼンノがカロナを呼ぶことが無くなったのか分からずに不安そうにする。

「もしかして、またよからぬ事を企んでいるんじゃないかな?」
「大丈夫だよトスル、もう心配しないで」

「心配するよ、カロナに妙なことするようなら言って、僕にできることは何でもするよ」
「ありがとうトスル」

 二人は授業中にもかかわらず会話するため、「そこ静かに――」と教諭に叱られると、二人はコソコソと話し始める。

「それもだけど、ノノの様子はどう?熱は下がったのかい?」
「うん、明日にはまた元気に出られそうだよ」

 ゼンノの一件以来、カロナのトスルに対する感情に変化があったのは確かで、ただの友人から頼りになる友になり、耳元で囁かれることも何故か抵抗が無くなっていた。

「ねぇトスル」
「なんだいカロナ?」
「ありがとう」

 周囲に見えないように一瞬だけその頬に唇で触れて話したカロナ。

 トスルは耳を真っ赤にして一瞬固まると、恥ずかしそうに顔をうつ伏せた。

 彼の功績は大きい、カロナを身体を張って助けたのだから。白猫も、彼の行動には感心していた。トスルがいなければ、今頃ゼンノに何をされていたか分からない。

 その後、ゼンノは一切接触することなく、ノノも堕熱を直し、て授業に再び顔を出し始めた。

 そして、一段落ついたのだと白猫も安心した時、ある事実が発覚する。

 ある日、ゼンノを久々に見かけた白猫は、少し彼の行動を見ようと後を付けて行った。

 ただの好奇心、まさかその先でゼンノが会っていたのは、まぎれもなくトスルだった。

「……で、何用ですかな元王子殿」
「……元王子は止めろ、それより、よくやってくれた、おかげで二人とも俺にすっかり懐いてくれた、全くの無警戒だ」

 白猫は、その事実に驚愕し、それと同時に怒りを覚えた。

 今回の件は全てあのトスルが企てて、それにゼンノが協力したのが事実だったのだ。

 それが分かると、白猫は姿を消したまま、彼らについて行きその会話を聞く事を決めた。
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