春風のカンタービレ

あや

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おまけ

ハンガリー語講座①

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午後の陽がやわらかく書斎の窓から差し込み、床に金色の模様を描いている。
その光の中で、アーシャは椅子に深く腰を下ろし、ノートを手にハンガリー語の発音練習に励んでいた。

「スィヤ……ア・ネヴェム・アナスタージア、デ・ミンデンキ・アーシャナク・ヒーヴ……」
(こんにちは。私の名前はアナスタージアですが、みんなアーシャと呼びます)

発音はややたどたどしいが、一音一音、丁寧に口にしている。
それを見守るレメーニは、隣でふわりと微笑んだ。

「うん、とても上手です」

「“ベセーレク”って、“話す”で合ってた?」
アーシャは眉を寄せて確認する。

「合ってます。“Nem beszélek jól magyarul, de tanulok.”」
(ハンガリー語はまだ上手に話せませんが、勉強中です)

「ネム……ベセーレク……ヨール……マジャルル、デ……タヌロク」
アーシャは真剣な表情で復唱した。

すると、その横でレメーニがふいに小さく笑う。
ふだんの穏やかな笑みとは違う、どこかイタズラっぽい光がその青い瞳に宿った。

「Nagyon szeretlek, Miki.」

さらりと、何気ない口調で差し出された一文。
意味はわからずとも、アーシャは反射的に繰り返す。

「ナジョン……セレトレク、ミキ?」

レメーニの口元がくいっと持ち上がった。
どこか、楽しげな笑みだった。

その様子にアーシャは眉をひそめ、じっと相手を見つめる。

「今の、なに?」

「文法の練習です」
レメーニはすっと目をそらす。ノートに視線を落とし、まるで関係ないふり。

「……意味は?」
問い詰めるような声に変わったアーシャの視線は鋭い。

「うーん……また今度説明します」

「ミキ」

ミキはミクローシュの愛称。
その一言に、レメーニの肩がぴくりと跳ねる。
まるで急所を突かれたかのように。

「今の、意味教えないと——二度と“ミキ”って呼ばないから」

静かで、しかし逃げ場のない圧力を持った声だった。

レメーニは観念したように小さく息を吐き、視線を伏せて、ぽつりと告げた。

「……“大好きだよ、ミキ”……です」

その場に、一瞬の沈黙が落ちる。

アーシャはノートをゆっくり閉じ、静かに椅子から立ち上がった。

「そんなの、教材に入ってなかった」

「でも、発音は完璧でしたよ」
レメーニは微笑を含んだ声で返す。

アーシャはあきれたように、けれどどこか嬉しそうに肩をすくめる。
その横顔には、はっきりとではないが、確かに。
ほんの少しだけ、照れたような微笑が浮かんでいた。



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