春風のカンタービレ

あや

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おまけ

ハンガリー語講座②

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「……“大好きだよ、ミキ”……です」

小声でそう答えたレメーニに、アーシャはしばらくの間、言葉を返さなかった。
けれどその沈黙のなか、うっすらと頬が赤く染まっていく。
静かにノートを閉じ、立ち上がる仕草は、怒っているとも、照れているともつかない。

レメーニはそんな彼女の背を目で追いながら、思わず喉の奥で息を飲んだ。

(……やりすぎたかな)

視線を泳がせ、タイミングを探るようにしていたそのとき——

「せれっとれくー! みーきーー!!」

甲高い子どもの声が、廊下の奥から弾んできた。

一瞬で空気が止まる。

アーシャは静かに、しかし確実に、眉を下げてゆく。

「……今の、聞いてた?」

その声には怒りというより、覚悟を決めた母のような凄みがあった。

ぱたぱた、と小さな足音が近づき、やがてドアの隙間からひょいと顔をのぞかせたのは、アキレだった。
レメーニと同じ青い瞳がきらきらと輝いている。

「ママ、“せれっとれく”って言ってた! ミキも“にこにこ”だった!」

レメーニは肩をすくめて、苦笑いを浮かべた。

「……さすが、耳がいいね」

アーシャは無言のまま、じり……と振り向く。

「この教材、破棄する」

その一言がどこまで本気なのか、本人にしか分からない。
けれどレメーニは、何も言わずに口元をゆるめた。

その隙に、アキレは勝手に部屋へ入り込み、勢いよくレメーニに飛びついた。

「せれっとれく、みきーー!!」

小さな両腕が首に回され、バランスをとるように抱きしめ返す。

「Én is szeretlek, Akile.」
(ぼくも大好きだよ、アキレ)

言いながら、そっとアキレの黒い髪を撫でるレメーニの声は、とても柔らかい。

アーシャはため息をついた。
けれどその瞳の奥には、微かな笑みが浮かんでいる。

「……もう、そのフレーズだけ禁止にしようかしら」

「ええっ……それは困ります」
レメーニが眉を下げて笑う。

「なんでー?」
アキレが首をかしげる。

アーシャはその二人を見つめ、ぽつりと漏らした。

「“好き”って言葉、うちでは使用頻度が高すぎるのよ……」

それでも。

書斎に満ちた午後の光の中で、ハンガリー語で交わされた言葉たちは、
確かに三人の間に、温かなリズムを残していた。

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