13 / 26
本編
13
しおりを挟む
シンシアは噂自体はこの調子なら放って置いてもじきに収まるだろうと思っていた。トーマスも対策を打つと言ってくれている。ただそれはそれとしてシンシアはアーシェル子爵夫人とトーマスの関係について気になっていた。
シンシアはこちらに嫁ぐまで彼女との関係を持っていなかったことを考えると、過去に彼女とトーマスの間でなにか会ったと考える方が腑に落ちる。今日のボルドー公爵夫人の含みを持った言葉もシンシアの疑念を確信に変えた。
ところがトーマスは彼女のことについては頑なに口を閉ざしていた。子爵夫人のことについて報告した際に合わせて、彼女となにか会ったのか聞いてみたが、あなたが気にすることではない、とはぐらかされるばかりで何も教えてくれない。そして彼女の話になると決まって分かりやすく話を切り上げられ、聞くことが出来ないのだ。
これではいつまで立っても真相にたどり着くことが出来ない。そう感じたシンシアは別の方向から彼の秘密を探ることとした。
「いえ、特にアーシェル子爵夫人とトーマス様の関係については存じ上げませんね。取引先としてお互い見知っているでしょうが、それ以上の関係はないのではないでしょうか?」
シンシアが考えたのは、ブラッドリー家の使用人や商会の従業員達に話を聞くこと。長くこの家に仕える彼等なら何か知っているのではないか、と思ったのだ。まず手始めに尋ねてみたのは、長くこの屋敷の差配を一手に引き受けトーマスのプライベートについても承知しているであろう執事のブラウンだ。
しかし、シンシアの目論見は外れ、ブラウンは表情一つ変えずにそう言い切った。それが本当に知らないのか、夫に止められているのかは彼の表情や声音からは推し量れないが、仮になにか知っていても教えない、そんな考えはありありと伝わってきた。
他に知っていそうな人はいないか?と聞いてみても、分からないの一点張り。この家で一番トーマスのことに詳しそうな彼のそんな様子にシンシアは肩を落とした。
ブラウンが駄目ならば、と他の使用人たちにも聞いてみたが結果は同じだった。ブラウンと同じく古くから伝えるミセスリード、料理長に馬丁まで聞いて回ったが、皆アーシェル子爵夫人とブラッドリー家の関係については知らない、というばかり。なにか噂でも知らないかと思い、代替わりした後に雇われた者達にも聞いてみたが彼等もまた、何も知らなかった。
それなら、と思い、今度はブラッドリー商会の従業員達に尋ねてみたがそれも徒労に終わった。アーシェル家は取り立てて大きな取引をしているわけではない、とはいえ取引先ではあるから、そういった点での情報は分かったが、トーマスとのプライベートでなにかあったかについては、誰に聞いても知らない、としか言われなかった。
とはいえ、あのアーシェル子爵夫人の行動は裏があるとしか思えない。使用人や従業員が揃いに揃って何も知らない、心当たりもない、というのも腑に落ちない。やはりもう一度トーマスにきいてみるべきか。そうシンシアが悩んでいると、不意に自室のドアが高い音でノックされた。
「トーマスだ、シンシア?いるんだろう」
その声に、シンシアはドアを開ける。シンシアはほとんど毎晩書斎にお茶を淹れに行っているが夫のほうが自分を尋ねてくることは滅多にない。どうしたのだろうか?と首をかしげるシンシアの瞳に写ったのは、これまでにない厳しい表情の夫だった。
「アーシェル子爵夫人の過去について探っているようだな」
そういうトーマスの声は低く、怒気を帯び、いら立ちを隠そうともしない。普段から愛想はあまりないとは言え、シンシアに怒りの感情を向けることもなかった夫の様子に当てられ、シンシアは言葉を紡げなくなる。もっとも回答を期待していたわけでもないのだろう。トーマスはさらに続ける。
「シンシアが我が家の使用人や商会の従業員たちに彼女のことを聞いて回っているのは知っている。彼女のことは放っておけと言わなかったか?」
確かにそう言われた。しかし、あまりにも彼女の悪意は不自然で、なにかあるとしか思えない。それにアデルやボルドー公爵夫人の言葉からはトーマスの過去にも「なにか」があったことが推測できた。そしてその「なにか」を乗り越えない限り自分とトーマスはほんとうの意味で夫婦にはなれないことも。
「シンシアは賢い女性だから、こういったことはしないと思っていたのだがな。がっかりだ。私が彼女と関係でも持っていると邪推したか。私はそんな男だとシンシアに思われていたのか」
その言葉にシンシアは自分の失敗を悟る。トーマスは怒ってもいるが、傷ついてもいるのだ。自分の知られたくない過去を勝手に暴かれようとして、それも一応妻として信頼していた女性にその信頼を裏切られて。こんなことになるなら知らないままで良かったのだ。そう後悔するシンシアにトーマスは畳み掛ける。
「シンシアが私の過去を知る必要はない。アーシェル家とは何もない、その認識で充分だ。でしゃばるな。ブラッドリー家の妻としてふさわしい行動をしろ」
トーマスは段々とその声が熱を帯びているのには気付いていたが、止めることは出来なかった。商談の場ではどれ程興奮しても、冷静な仮面をかぶることが出来るのに、今日は感情の高ぶりを制御できない。彼を止めることが出来たであろうブラウンを連れてこなかったのも後から考えれば失敗だった。
「ご、ごめんなさい、旦那様」
言い過ぎた、と気付いたのはシンシアが完全に泣き崩れた声で、トーマスの横を走り去り、女性らしい部屋に一人彼が残された後のことだった。
シンシアはこちらに嫁ぐまで彼女との関係を持っていなかったことを考えると、過去に彼女とトーマスの間でなにか会ったと考える方が腑に落ちる。今日のボルドー公爵夫人の含みを持った言葉もシンシアの疑念を確信に変えた。
ところがトーマスは彼女のことについては頑なに口を閉ざしていた。子爵夫人のことについて報告した際に合わせて、彼女となにか会ったのか聞いてみたが、あなたが気にすることではない、とはぐらかされるばかりで何も教えてくれない。そして彼女の話になると決まって分かりやすく話を切り上げられ、聞くことが出来ないのだ。
これではいつまで立っても真相にたどり着くことが出来ない。そう感じたシンシアは別の方向から彼の秘密を探ることとした。
「いえ、特にアーシェル子爵夫人とトーマス様の関係については存じ上げませんね。取引先としてお互い見知っているでしょうが、それ以上の関係はないのではないでしょうか?」
シンシアが考えたのは、ブラッドリー家の使用人や商会の従業員達に話を聞くこと。長くこの家に仕える彼等なら何か知っているのではないか、と思ったのだ。まず手始めに尋ねてみたのは、長くこの屋敷の差配を一手に引き受けトーマスのプライベートについても承知しているであろう執事のブラウンだ。
しかし、シンシアの目論見は外れ、ブラウンは表情一つ変えずにそう言い切った。それが本当に知らないのか、夫に止められているのかは彼の表情や声音からは推し量れないが、仮になにか知っていても教えない、そんな考えはありありと伝わってきた。
他に知っていそうな人はいないか?と聞いてみても、分からないの一点張り。この家で一番トーマスのことに詳しそうな彼のそんな様子にシンシアは肩を落とした。
ブラウンが駄目ならば、と他の使用人たちにも聞いてみたが結果は同じだった。ブラウンと同じく古くから伝えるミセスリード、料理長に馬丁まで聞いて回ったが、皆アーシェル子爵夫人とブラッドリー家の関係については知らない、というばかり。なにか噂でも知らないかと思い、代替わりした後に雇われた者達にも聞いてみたが彼等もまた、何も知らなかった。
それなら、と思い、今度はブラッドリー商会の従業員達に尋ねてみたがそれも徒労に終わった。アーシェル家は取り立てて大きな取引をしているわけではない、とはいえ取引先ではあるから、そういった点での情報は分かったが、トーマスとのプライベートでなにかあったかについては、誰に聞いても知らない、としか言われなかった。
とはいえ、あのアーシェル子爵夫人の行動は裏があるとしか思えない。使用人や従業員が揃いに揃って何も知らない、心当たりもない、というのも腑に落ちない。やはりもう一度トーマスにきいてみるべきか。そうシンシアが悩んでいると、不意に自室のドアが高い音でノックされた。
「トーマスだ、シンシア?いるんだろう」
その声に、シンシアはドアを開ける。シンシアはほとんど毎晩書斎にお茶を淹れに行っているが夫のほうが自分を尋ねてくることは滅多にない。どうしたのだろうか?と首をかしげるシンシアの瞳に写ったのは、これまでにない厳しい表情の夫だった。
「アーシェル子爵夫人の過去について探っているようだな」
そういうトーマスの声は低く、怒気を帯び、いら立ちを隠そうともしない。普段から愛想はあまりないとは言え、シンシアに怒りの感情を向けることもなかった夫の様子に当てられ、シンシアは言葉を紡げなくなる。もっとも回答を期待していたわけでもないのだろう。トーマスはさらに続ける。
「シンシアが我が家の使用人や商会の従業員たちに彼女のことを聞いて回っているのは知っている。彼女のことは放っておけと言わなかったか?」
確かにそう言われた。しかし、あまりにも彼女の悪意は不自然で、なにかあるとしか思えない。それにアデルやボルドー公爵夫人の言葉からはトーマスの過去にも「なにか」があったことが推測できた。そしてその「なにか」を乗り越えない限り自分とトーマスはほんとうの意味で夫婦にはなれないことも。
「シンシアは賢い女性だから、こういったことはしないと思っていたのだがな。がっかりだ。私が彼女と関係でも持っていると邪推したか。私はそんな男だとシンシアに思われていたのか」
その言葉にシンシアは自分の失敗を悟る。トーマスは怒ってもいるが、傷ついてもいるのだ。自分の知られたくない過去を勝手に暴かれようとして、それも一応妻として信頼していた女性にその信頼を裏切られて。こんなことになるなら知らないままで良かったのだ。そう後悔するシンシアにトーマスは畳み掛ける。
「シンシアが私の過去を知る必要はない。アーシェル家とは何もない、その認識で充分だ。でしゃばるな。ブラッドリー家の妻としてふさわしい行動をしろ」
トーマスは段々とその声が熱を帯びているのには気付いていたが、止めることは出来なかった。商談の場ではどれ程興奮しても、冷静な仮面をかぶることが出来るのに、今日は感情の高ぶりを制御できない。彼を止めることが出来たであろうブラウンを連れてこなかったのも後から考えれば失敗だった。
「ご、ごめんなさい、旦那様」
言い過ぎた、と気付いたのはシンシアが完全に泣き崩れた声で、トーマスの横を走り去り、女性らしい部屋に一人彼が残された後のことだった。
10
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
私が素直になったとき……君の甘過ぎる溺愛が止まらない
朝陽七彩
恋愛
十五年ぶりに君に再開して。
止まっていた時が。
再び、動き出す―――。
*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*
衣川遥稀(いがわ はるき)
好きな人に素直になることができない
松尾聖志(まつお さとし)
イケメンで人気者
*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*
働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』
鷹 綾
恋愛
前世では、仕事に追われるだけの人生を送り、恋も自由も知らないまま終わった私。
だからこそ転生後に誓った――
「今度こそ、働かずに優雅に生きる!」 と。
気づけば貴族夫人、しかも結婚相手は冷静沈着な名門貴族リチャード様。
「君は何もしなくていい。自由に過ごしてくれ」
――理想的すぎる条件に、これは勝ち確人生だと思ったのに。
なぜか気づけば、
・屋敷の管理を改善して使用人の待遇が激変
・夫の仕事を手伝ったら経理改革が大成功
・興味本位で教えた簿記と珠算が商業界に革命を起こす
・商人ギルドの顧問にまで祭り上げられる始末
「あれ? 私、働かない予定でしたよね???」
自分から出世街道を爆走するつもりはなかったはずなのに、
“やりたいことをやっていただけ”で、世界のほうが勝手に変わっていく。
一方、そんな彼女を静かに見守り続けていた夫・リチャードは、
実は昔から彼女を想い続けていた溺愛系旦那様で――。
「君が選ぶなら、私はずっとそばにいる」
働かないつもりだった貴族夫人が、
自由・仕事・愛情のすべてを“自分で選ぶ”人生に辿り着く物語。
これは、
何もしないはずだったのに、幸せだけは全部手に入れてしまった女性の物語。
愛を騙るな
篠月珪霞
恋愛
「王妃よ、そなた一体何が不満だというのだ」
「………」
「贅を尽くした食事、ドレス、宝石、アクセサリー、部屋の調度も最高品質のもの。王妃という地位も用意した。およそ世の女性が望むものすべてを手に入れているというのに、何が不満だというのだ!」
王妃は表情を変えない。何を言っても宥めてもすかしても脅しても変わらない王妃に、苛立った王は声を荒げる。
「何とか言わぬか! 不敬だぞ!」
「……でしたら、牢に入れるなり、処罰するなりお好きに」
「い、いや、それはできぬ」
「何故? 陛下の望むままなさればよろしい」
「余は、そなたを愛しているのだ。愛するものにそのような仕打ち、到底考えられぬ」
途端、王妃の嘲る笑い声が響く。
「畜生にも劣る陛下が、愛を騙るなどおこがましいですわね」
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁
瑞原唯子
恋愛
王命により、アイザックはまだ十歳の少女を妻として娶ることになった。
彼女は生後まもなく始末されたはずの『厄災の姫』である。最近になって生存が判明したが、いまさら王家に迎え入れることも始末することもできない——悩んだ末、国王は序列一位のシェフィールド公爵家に押しつけたのだ。
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる