ポットのためのもう一杯

五条葵

文字の大きさ
12 / 26
本編

12

しおりを挟む
 夫との初めてのダンスを楽しく踊ったシンシアだったが、やはり慣れないことをしたせいか息が上がってしまった。そんな様子を見たトーマスは少し休むようにと壁際へと連れて行き、果実水を渡す。その言葉に甘えることにしたシンシアは椅子に腰を下ろす。

 トーマスはシンシアの側にいようとしたようだが、知り合いに声をかけられて、シンシアの隣から離れていった。呼吸が落ち着いたら自分もトーマスのもとへ戻らないと、そう思いつつ、会場を見回していると、

「あら、あなたがブラッドリーの奥様?」

 と声をかけられる。以前お店でも同じように声をかけてきた人がいたが、その声音はその時よりずっと挑戦的だ。立ち上がり視線を上げる。シンシアの前に立ったのはエリー・アーシェル子爵夫人だ。

「はい、シンシアと申します。よろしくお願いいたしますわ」

 膝を折りつつ、シンシアは考える。一応今回のボルドー侯爵が招待した貴族の名前は覚えてきたし、アーシェル子爵家はブラッドリー同様貿易に長けた家だから存在は知っていたが、個人的な付き合いはない。

 頭の中で疑問を浮かべるシンシアだが、エリーはそんな彼女の様子にはお構いなしに続ける。

「没落寸前のレイクトンの娘がこんなところに来るなんてね。まあ良いわ。私が言いたいのは一つ。今ならまだ遅くないわ、トーマスと別れなさい」

 突然の言葉にシンシアはポカンとする。いくらこちらが庶民であちらが子爵とはいえあまりに無茶がすぎる。そんなシンシアの様子に更に苛立った様子のエリーは

「あのね、ブラッドリー家は商人とはいえ、もうすぐ貴族になろうという我が国を代表する大商人よ。それに対してレイクトン家は歴史だけが取り柄のちっぽけな家。釣り合ってないのよ」

「そ、そう言われましても」

 一方的なエリーの物言いにシンシアが戸惑っていると、こちらの様子に気付いたらしいトーマスがこちらへ来る。

「おや、アーシェル子爵夫人。お久しぶりです。ところで私の妻になにか御用で?」

「え、ええ少し。それよりトーマスも久しぶりね。あのあなたが結婚したと言うからどんな冷めた夫婦になったのやら、と思っていたら意外と仲が良いそうで。私はそろそろいくわ」

 トーマスだけならともかく、向こうで厳しい顔をするボルドー卿の視線を見つけたのだろう。エリーはさっとドレスの裾を翻し人々の輪に入っていく。一方トーマスはシンシアの側に行き腰を抱いた。

「大丈夫だったか、シンシア?なにか言われたか」

「いえ、なんと言いますか、早く旦那さまと別れて欲しいと」

 そこで声を切ったシンシアは不思議そうな顔を向ける。

「私は旦那様に言われない限り離婚するつもりはありませんが、彼女はどうされたのでしょう?なんというか失礼な方ですわね。旦那様のお知り合いですか」

「いや・・・・・、アーシェル家とも取引はあるから知っているが。特に特別親しいわけではないな。あの家はそう重要な取引先でもないしな。まああまり気にするな。これからひどくなるようなら言ってくれ」

 そう言うと、トーマスはそのままシンシアをエスコートし、人々の輪へと戻っていく。疑問は解決しなかったが、ブラッドリー家の妻であれば、知らない間に恨みや妬みを買うこともあるだろう。そう思ったシンシアは一旦彼女のことは忘れることにしたのだった。

 ところがその後もアーシェル子爵夫人の嫌がらせはやまなかった。まずご丁寧に子爵家の紋章が入った手紙が届いた。文面こそ丁寧だが要約すれば、レイクトン家の令嬢はブラッドリー家にふさわしくない。早く別れるべきといった内容だ。

 更に極めつけは、彼女が社交界で噂を流し始めたことだった。

「そう言えばシンシアさん。最近耳障りな小鳥のさえずりをよく聞くのだけどお気づき?」

 とある茶会でボルドー侯爵夫人と話していたシンシアはそう尋ねられる。聞いたのはシンシアに対してだが、その視線は周囲の令嬢や夫人たちにも向いており、明らかに牽制している。

「え、えぇ。でも主人は気にするなと言いますし、夫人のように味方してくださる方も大勢いらっしゃいますから」

 あまり貴族社会にはでないシンシアだが、それでも店で貴族の夫人と話したり茶会に呼ばれたりすればそれなりに自分がどう噂されているかはわかるし、自分の立ち位置を常に把握しておくのは商人の妻として必須だ。

 だからどうやらアーシェル夫人が流しているらしき噂も耳にしていたが、噂そのものについてはあまり気にしていなかった。

 噂というのはレイクトン家がブラッドリー家の弱みを知って、その豊富な財産を目当てに政略結婚を申込み、まんまとトーマスの妻となったシンシアは商会の財産で贅沢を楽しんでいる。トーマスはそんな妻を苦々しく思っており離婚を画策しているが、弱みを握られた手前それも出来ず苦労している、というものだ。

 もっとも、そんな噂を信じている人は少ないし、ボルドー侯爵夫妻を始め、幾人かの高位貴族がこちら側に立ってくれたことで噂はすでに沈静化し始めている。いくら噂好きの婦人たちでも「その結婚を仲介したのは私達だ」とボルドー侯爵夫妻に笑顔で言われてしまえば、その口をあっという間に閉ざすし、そもそもブラッドリー商会自体、そんなやわだとも思われていない。弱みを握られたら、その握られた弱みごと相手を握りつぶす可能性の方がよほど高いと思われているのだ。

 そして目の前の侯爵夫人いわくそもそも「アーシェル夫人がそう言っていた」なんて言う噂になっている時点で彼女の人望が思いやられるらしい。確かにそれもそうだ。

 ただ、シンシアは噂の中身とは別の部分で気になることがあった。

「でも、私なにかアーシェル子爵夫人に恨みを買ってしまったのでしょうか?もしくはレイクトン家かブラッドリー家がアーシェル家に恨まているのか」

 シンシア個人としては彼女に恨まれる覚えはない。商売の世界では恨みも妬みもあるだろうが、だからといって、わざわざ自分とトーマスを別れさせようとするだろうか。

 そう聞くシンシアにエリザベスは思案顔をした。

「まぁ、思い当たる節もあるのだけれど私からは言えないわ。トーマスにも大きく関わることだし」

 そう言うと、エリザベスは居住まいを正す。

「さ、そろそろ行かなくちゃ」

 と言う彼女にシンシアは

「ありがとうございます」

 お礼をし、深くお辞儀をしたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

二度目の初恋は、穏やかな伯爵と

柴田はつみ
恋愛
交通事故に遭い、気がつけば18歳のアランと出会う前の自分に戻っていた伯爵令嬢リーシャン。 冷酷で傲慢な伯爵アランとの不和な結婚生活を経験した彼女は、今度こそ彼とは関わらないと固く誓う。しかし運命のいたずらか、リーシャンは再びアランと出会ってしまう。

有名俳優の妻

うちこ
恋愛
誰もが羨む結婚と遺伝子が欲しかった そこに愛はいらない

【完結】魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――

ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。 魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。 ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。 誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。

【完結】そして、ふたりで築く場所へ

とっくり
恋愛
 二十年の時を経て、ふたりは再び出会った。  伯爵家三男のバルタザールは十二歳の時に 二歳歳下の子爵家の次女、ミリアと出会う。 その三年後に、ミリアの希望で婚約が結ばれたがーー  突然、ある理由でミリアが隣国に移住することになり、 婚約が有耶無耶になってしまった。  一度は離れた時間。その間に彼女は、自分の未来と向き合い、 彼は建築家としての信念を試される。 崩れゆく土地を前に、人々の手で再び築かれる暮らし。 「待っていた」と言えるその日まで。 ――これは、静かに支え合いながら生きるふたりの、再出発の物語。 ※「君を迎えに行く」のバルタザールの話になります。 「君を迎えに行く」を読んでいなくても、大丈夫な内容になっています。

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ
恋愛
公爵令嬢のシェルニティは、両親からも夫からも、ほとんど「いない者」扱い。 彼女は、右頬に大きな痣があり、外見重視の貴族には受け入れてもらえずにいた。 夫が側室を迎えた日、自分が「不要な存在」だと気づき、彼女は滝に身を投げる。 が、気づけば、見知らぬ男性に抱きかかえられ、死にきれないまま彼の家に。 その後、屋敷に戻るも、彼と会う日が続く中、突然、夫に婚姻解消を申し立てられる。 審議の場で「不義」の汚名を着せられかけた時、現れたのは、彼だった! 「いけないねえ。当事者を、1人、忘れて審議を開いてしまうなんて」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_8 他サイトでも掲載しています。

【完結】僻地の修道院に入りたいので、断罪の場にしれーっと混ざってみました。

櫻野くるみ
恋愛
王太子による独裁で、貴族が息を潜めながら生きているある日。 夜会で王太子が勝手な言いがかりだけで3人の令嬢達に断罪を始めた。 ひっそりと空気になっていたテレサだったが、ふと気付く。 あれ?これって修道院に入れるチャンスなんじゃ? 子爵令嬢のテレサは、神父をしている初恋の相手の元へ行ける絶好の機会だととっさに考え、しれーっと断罪の列に加わり叫んだ。 「わたくしが代表して修道院へ参ります!」 野次馬から急に現れたテレサに、その場の全員が思った。 この娘、誰!? 王太子による恐怖政治の中、地味に生きてきた子爵令嬢のテレサが、初恋の元伯爵令息に会いたい一心で断罪劇に飛び込むお話。 主人公は猫を被っているだけでお転婆です。 完結しました。 小説家になろう様にも投稿しています。

処理中です...